第22話 昔と同じ味
昼下がりの中庭には、やわらかな風が吹いていた。
リュシアンは長椅子に腰掛け、陽の光へ目を細めている。風が通るたび、肩から流れた紫の髪が静かに揺れた。
その姿をしばらく眺めていた有紗が、ふいに口を開いた。
「リュシアンさんって、なんだか妖精みたい」
「妖精、ですか」
リュシアンがゆっくりと瞬く。
「うん。綺麗で、少し不思議で……森の中にいても、普通に馴染みそう」
「分かる気がいたします」
傍らで薬草を選り分けていたリネットが、手を止めずに答えた。
「確かに、人間離れしていますね」
紫音まであっさり同意する。
皆が妙に納得している。
妖精。
これまで自分を何かに喩えるなら、亡霊がもっとも近いと思っていた。
本来ならとうに消えていたはずの命が、黒焔に繋がれて残っている。生きているというより、終わった時間の先を漂っているような感覚は、今も完全には消えていない。
けれど、どうせこの世に存在しないものなら。
亡霊よりも、ずっといい。
「嫌だった?」
黙り込んだリュシアンを見て、有紗が心配そうに尋ねる。
「いいえ」
リュシアンは伏し目がちに、小さく笑った。
「とても気に入りました」
「よかった」
有紗も嬉しそうに笑う。
風がもう一度、中庭を通り抜けた。
リュシアンは、誰にも気づかれないほど小さく笑った。
◇
陽が傾く頃、シャロウは街外れの小さな食堂へ入った。
ハンターや荷運び人がよく使う、酒場を兼ねた店だった。
壁には古い依頼書が貼られ、奥の卓では、仕事を終えた男たちが声を上げて笑っている。
運ばれてきた煮込み料理を口へ運び、薄い酒で流し込む。
特別うまいわけではない。
だが、以前はこんな食事ばかりだった。
仕事を終えたら、目についた店へ入る。
腹を満たし、眠れそうな場所を探す。
翌朝になれば、また次の依頼へ向かう。
誰にも行き先を告げる必要はなかった。
帰りが遅いと心配されることもない。
いつ戻るのかと尋ねられることもなければ、その日の帰りを待つ者もいなかった。
「……自由だったんだよな」
独り言のように呟いた。
研究棟へ来てからは、何をするにも誰かの顔が浮かぶ。
遅くなれば、有紗が待っている。
怪我をすれば、紫音に小言を言われる。
服を汚せば、リネットに着替えを渡される。
出かける時も、帰った時も、誰かが声をかけてくる。
面倒だった。
窮屈だった。
今夜くらい、一人でいたかった。
少し離れれば、いつもどおりに戻れると思った。
けれど、そもそも自分が何を理由にあそこへ戻っていたのか、もう分からなかった。
無意識に懐へ手が伸びる。
指先が、布越しに研究棟の鍵の輪郭をなぞった。
今夜は帰らない。
その先のことは、考えなかった。
それでも、手は鍵から離れなかった。
シャロウは残っていた料理を口へ運んだ。
冷めかけた煮込みは、昔と変わらない味がした。
それなのに、以前よりひどく味気なかった。
◇
夕食の時間になっても、シャロウは帰ってこなかった。
研究棟の食卓には、人数分の料理が並べられている。
リュシアンは試作石を胸元へ下げ、有紗の手を借りずに座っていた。時折、痛みに耐えるように眉を寄せるものの、朝のように動けなくなる様子はない。
有紗は食堂の扉を振り返った。
「まだ帰ってこないね」
「そうでございますね」
リネットはいつもと変わらない口調で答える。
しかし、シャロウのために用意された料理には、まだ手をつけていなかった。
「どこに行ったのかな」
「街の中にいらっしゃるとは思いますが」
有紗は匙を置いた。
「やっぱり、探してくる」
「待ちなさい」
椅子を引く音と、紫音の声が重なる。
「もう日が落ちています。行き先も分からない相手を、一人で探し回るつもりですか」
「でも、このまま待ってられないよ」
「シャロウなら、自分で戻ってきます」
「戻ってこなかったら?」
「有紗」
「だって、朝からずっと帰ってこないんだよ」
有紗は立ち上がると、椅子の背に掛けていた外套を手に取った。
「怒ってるだけならいいけど、何かあったのかもしれないでしょう?」
「その可能性を考えるなら、なおさら一人で出るべきではありません」
「でも――」
「駄目です」
紫音の声が、いつもより強くなる。
有紗は外套を抱いたまま、シャロウの席を見た。
もう湯気を失った料理が、手つかずで残されている。
「……ごめん、紫音くん」
「有紗?」
有紗は外套を羽織り、食堂を飛び出した。
「待ちなさい!」
紫音が立ち上がる。
その横で、リネットもすぐに外套を手に取った。
「私が行きます」
「……無茶をさせないように」
「承知しております」
リネットは足早に有紗の後を追った。
紫音は眉間を押さえ、リュシアンの胸元で明滅する試作石へ視線を戻した。
「……まったく」




