第21話 いつもと違う朝
翌朝。
シャロウが食堂へ入ると、有紗はすでに席についていた。
その隣では、リュシアンが有紗の手を握ったまま、静かに朝食を取っている。
「おはよう、シャロウ」
「おはようございます」
「……朝からかよ」
「今朝は少し痛みが強かったので」
リュシアンは申し訳なさそうに答える。
しかし、その表情は随分と穏やかだった。昨夜よりも顔色がよく、匙を運ぶ手にも迷いがない。
「でも、触れたらすぐに楽になったんだって」
「……そうか」
「今朝のスープも、とてもおいしいです」
「なら、食えるうちに食っとけ」
シャロウは二人の向かいへ座り、自分のパンを取った。
「シャロウ、どうしたの?」
「別に」
それ以上は何も言わず、朝食を続けた。
朝食を終えると、リュシアンは有紗の手を離した。
「ごちそうさまでした」
左手を卓上へつき、ゆっくりと立ち上がる。
だが、椅子から一歩離れたところで、身体が大きく揺れた。
「リュシアンさん!」
倒れ込んできた身体を、有紗は咄嗟に支えた。
触れ合った場所から白金の光が広がり、浅かったリュシアンの呼吸が、少しずつ整っていく。
「大丈夫?」
「……はい。少し、このままでお願いします」
「うん」
有紗はリュシアンが自力で立てるようになるまで、その身体を支えた。
有紗に抱き留められたリュシアンを、シャロウはしばらく黙って見ていた。
「シャロウ?」
「……少し出る」
「どこに行くの?」
「決めてねえ」
壁際の剣と外套を取り、そのまま食堂を出ていく。
「シャロウ、待って」
呼び止められた足が、僅かに止まった。
「……あいつを見てろよ」
それだけ言って、振り返らずに扉を閉めた。
◇
研究棟を出たシャロウは、行き先も決めずに街を歩いた。
朝の通りには、荷車の音と商人たちの声が行き交っている。
いつもなら必要なものだけを買い、用が済めばすぐに帰る。
だが今日は、何を見るでもなく店先を通り過ぎ、気づけば同じ通りを二度歩いていた。
「……何やってんだ、俺」
苛立たしげに髪を掻き、再び歩き出す。
それでも、昨夜の言葉と今朝の光景が、何度も頭に蘇った。
――シャロウは特別だから。
何が特別なのか。
昨夜はそれで納得したはずなのに、今朝になれば、また分からなくなっていた。
気づけば、朝の冷たさは消え、石畳には高い陽が落ちていた。
それでも、研究棟へ戻る気にはなれなかった。
◇
測定室の机には、乳白色の小さな石が置かれていた。
「有紗。もう一度お願いします」
「うん」
有紗はリュシアンの手を握ったまま、空いている手を石へ翳した。
指先から零れた白金色の光が、石の中へゆっくりと沈んでいく。
だが、光は途中で揺らぎ、細く途切れた。
「弱くなっています」
「……ごめん」
「先ほどから三度目です」
紫音に指摘され、有紗は視線を伏せた。
「シャロウ、まだ帰ってこないね」
「出ていってから、まだそれほど経っていません」
「でも、すごく怒ってた」
「そうですね」
「あんな言い方、今までしなかったのに」
有紗は閉じた扉を見た。
「私、何か嫌なことしたのかな」
「したのかもしれませんね」
「えっ」
有紗が驚いて振り返る。
紫音は測定器から目を上げなかった。
「私は食堂にいませんでしたから、分かりません。シャロウが戻ったら、本人に聞いてください」
「聞いても教えてくれなさそう……」
「では、追いかけても同じでしょう」
「……そうだけど」
「今は、あなたにしかできないことをしてください」
紫音が机上の石を指す。
「この石へ、もう一度。今度は途切れさせないように」
有紗はまだ心配そうに扉を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「……分かった」
今度は目を閉じ、呼吸を整える。
白金色の光は先ほどよりも安定し、乳白色の石を内側から淡く染めていった。
「そのまま」
紫音は光の変化を記録し、十分に満ちたところで石を取り上げた。
「リュシアン。右手を離してください」
リュシアンの指が、有紗の手からゆっくりと離れる。
ほとんど同時に、紫音は石をその掌へ載せた。
「握っていてください」
「分かりました」
リュシアンが石を包み込む。
紫音は彼の腕に残る黒紫の光と、石の中で揺れる白金色の光を交互に見た。
「痛みは?」
「あります」
「先ほどと比べてください」
リュシアンは目を閉じ、自分の呼吸を確かめた。
「有紗さんに触れている時ほどではありません。ですが、手を離した直後よりは軽いように思います」
紫音の筆が動く。
「では、彼女が直接触れなくても、魔力そのものには作用がある……」
「紫音くん?」
「独り言です。気にしないでください」
有紗はよく分からないまま、石を握るリュシアンを見守った。
「少しでも楽?」
「はい。ありがとうございます」
その答えに、有紗の表情が僅かに緩む。
だが、間もなくリュシアンの指が強張り、呼吸が浅くなる。
「もう手を握っていい?」
「まだです」
有紗は伸ばしかけた手を止めた。
測定器の針を見つめ、数を数える。
一つ。二つ。三つ。
リュシアンの身体が大きく傾いたところで、紫音は石を取り上げた。
「もういいです。有紗」
有紗がすぐにリュシアンの手を握る。
白金色の光が広がると、荒れかけていた黒焔は徐々に静まっていった。
「大丈夫?」
「……はい」
リュシアンは呼吸を整えながら答えた。
紫音は石を測定器へ置き、その内部を確認する。
「光は消えたのに、魔力は残っていますね」
「使い切ったわけではないのですか」
リュシアンが尋ねる。
「ええ。蓄えることはできた。しかし、あなたへ流れ続けていない」
紫音は石を指先で転がした。
「接触を再現するだけでは不十分、ということでしょう」
有紗は二人の話を聞きながら、困ったように首を傾げた。
「つまり、失敗?」
「今の石は」
紫音は新しい石を机へ置いた。
「ですが、あなたの魔力が、あなたから離れても黒焔へ作用することは確認できました」
「よかった」
有紗は素直に笑った。
「少々休憩を挟んでから次を始めましょう」
「……うん」




