第2話:路地裏で拾った傷だらけの男
「ついてくるな」
「でも」
「お前には関係ない」
「あります」
「ないだろ」
「あります」
男の眉間に皺が寄った。
「何があるんだ」
「だって、ここで放っておいたら――」
有紗は胸の前で両手を握りしめた。
「ずっと、あなたのことが気になっちゃうもん……」
男が固まった。
頬に、ほんのわずかに赤みが差す。
「……誰にでも、すぐそんなこと言うのか」
「え?」
「今みたいなことだ」
有紗は自分の言葉を、頭の中でもう一度なぞった。
ずっと、あなたのことが気になっちゃう。
意味に気づいた瞬間、有紗の顔まで一気に熱くなる。
「ち、違うの!」
「何が」
「そういう意味じゃなくて……! 怪我したままどこかへ行っちゃったら、倒れてないかなとか、ちゃんと手当てできたかなとか……ずっと心配になるって意味で……!」
「だから、同じだろ」
「全然違います!」
有紗が真っ赤になって否定すると、男は気まずそうに顔を背けた。
けれど、もう立ち去ろうとはしなかった。
「傷、見せてください」
有紗は返事を待たず、血の滲む腕へ手を伸ばした。
触れる直前、その手首を掴まれる。
「さわるな」
「治すんです」
「……お前が?」
「はい」
男が訝しげに眉を寄せる。
有紗は掴まれたまま、もう片方の手を傷口へ添えた。
白金の光が、指先から静かに広がる。
「……っ」
男の腕から力が抜けた。
裂けた皮膚がゆっくりと塞がり、流れていた血が止まる。焼けるような痛みが、柔らかな温もりへ変わっていった。
「これで大丈夫です」
有紗が顔を上げると、男は傷ではなく、有紗を見ていた。
「……何者だ、お前」
「有紗です」
「名前を聞いたんじゃない」
「でも、まだあなたの名前を聞いてません」
男はしばらく黙ったあと、諦めたように息を吐いた。
「……シャロウ」
「シャロウ」
有紗が確かめるように繰り返す。
その直後、シャロウの身体がふらりと傾いた。
「わっ……!」
有紗は咄嗟に腕を掴んだ。
「やっぱり大丈夫じゃない!」
「傷は治った」
「でも、今倒れそうでした」
「倒れてない」
「倒れかけました」
シャロウは腕を振りほどこうとしたが、先ほどまでより明らかに力が入っていない。
「研究棟へ行きましょう」
「行かない」
「行きます」
「勝手に決めるな」
「このまま放っておけません」
有紗がきっぱりと言うと、シャロウは何かを言い返そうとして――やめた。
「少し休むだけだから」
「……少しだけだ」
「うん」
有紗は嬉しそうに頷いた。
シャロウはその笑顔を見て、わずかに眉を寄せた。
本来なら、研究棟までついていく必要はなかった。
自分でどうにかすると言えば、それで済んだ。
だが、説明するのも億劫だった。
坂道へ差しかかると、シャロウの歩みが鈍った。
「休みますか?」
「いらない」
「でも」
「……研究棟は、この上だったな」
「うん」
「そうかよ」
坂を上るにつれ、シャロウの足取りは目に見えて鈍くなった。
有紗が歩調を緩めると、彼は何も言わず、それでも立ち止まることだけはしなかった。
研究棟の扉を開けた瞬間、紫音の顔から表情が消えた。
「有紗」
「ただいま、紫音くん」
「その男は誰ですか」
「シャロウです」
「名前ではなく、なぜ連れて帰ってきたのかを聞いています」
「怪我をしてたから」
有紗の後ろに立つシャロウを、紫音は頭から足元まで静かに見た。
「傷なら、すでに治っているようですが」
「でも、倒れそうなの」
「倒れてない」
背後からシャロウが訂正する。
その時、奥の部屋からリネットが顔を出した。
「有紗様、お帰りなさ――」
彼女の視線がシャロウで止まる。
「……街へお使いに行かれたのでは?」
「行ったよ。薬舗には届けたの」
「市場の買い物は?」
「……まだです」
「それで、どうして男性をお持ち帰りになったのです?」
「持ち帰ってないです!」
「俺も持ち帰られてない」
二人の声が重なった。
リネットは何も言わず、紫音を見た。
紫音は小さく息を吐くと、シャロウへ診察室の椅子を示した。
「座ってください」
「必要ない」
「必要があるかどうかは、こちらで判断します」
シャロウは露骨に嫌そうな顔をしたが、有紗にじっと見つめられ、諦めたように椅子へ腰を下ろした。




