表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
✩ 星編みの魔法使い ✩  作者: 七瀬朔
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/40

第19話 手を離せない夕食

 診察室で、リュシアンは椅子へ腰を下ろした。


 有紗が手を離しても、すぐに痛みが戻るわけではないらしい。だが時間が経つにつれて呼吸が浅くなり、身体の内側から強張っていくのが分かった。


 紫音は透明な測定石を取り出し、リュシアンの手首へ近づけた。

 石の内部へ、黒紫色の靄が滲む。


「あなたの体内に、異質な魔力が残っています」


「はい」


 リュシアンは驚かなかった。


「以前から知っていたのですか」


「詳しいことまでは。ただ、私の中に黒い炎が残っていることは知っています」


「黒い炎?」


 有紗が首を傾げる。


 その時、リュシアンの袖口で小さな光が揺れた。


 黒紫色の炎が、皮膚の内側から滲み出すように立ち上がる。

 リュシアンは左腕を押さえ、身体を折った。


「リュシアンさん!」


 有紗がその手を取る。

 白金色の光が、二人の指先を包んだ。


 荒れていた黒紫の炎は白金へ触れると輪郭を失い、静かに腕の中へ沈んでいく。


 リュシアンは目を閉じたまま、深く息を吐いた。


「……やはり」


「何がですか?」


「先ほどから、この状態です。有紗さんに触れている間だけ、痛みが消えるようです」


 彼の右手が、有紗の手を包む。

 確かめるように、ほんの少しだけ指へ力が加わった。


「紫音くん。何が起きてるの?」


「まだ断定はできません」


 紫音は二人の手元へ、別の測定器を近づけた。

 白金の光に触れている間だけ、黒紫の魔力は明らかに静まっている。


「少なくとも、今は離れない方がいいでしょう」


「だそうです」


 リュシアンが有紗を見て、柔らかく微笑む。

 先ほどまで痛みに歪んでいた顔とは別人のように、穏やかな表情だった。


「お前、急に元気になったな」


 壁際に立っていたシャロウが言う。


「痛くありませんので」


「それは見りゃ分かる」


 紫音は測定器へ目を落としたまま続けた。


「詳しい検査には時間がかかります。先に食事を済ませてください。その間に器具を準備します」


「このままでいいの?」


「接触は維持してください」


 シャロウの顔が露骨に曇った。


「ずっとか?」


「現時点では」


 リュシアンは有紗の手を握ったまま、静かに立ち上がった。

 今度は足元が揺れなかった。


「では、お言葉に甘えます」


「随分自然に馴染んでんな、お前」


「ご迷惑でしょうか」


「その顔で言われると、俺が悪いみてえだな」


 ◇


 食堂へ入ると、リネットが夕食を並べているところだった。


「お帰りなさいませ。ルゥは無事でしたか?」


「うん。怪我もなく、薬舗へ戻れたよ」


「それは何よりでございます」


 リネットは微笑み、それから有紗の隣に立つリュシアンを見た。

 二人の手は、まだ繋がれたままだ。


「そちらの方は?」


「猫と同じ場所にいた」


 シャロウが答える。


「なるほど」


 リネットは深く追及せず、棚から皿を一枚増やした。


「夕食をご用意いたしますね」


「驚かねえのかよ」


「有紗様でございますから」


「どういう意味?」


「良い意味でございます」


 食卓へ着く際、リュシアンは有紗の左隣を選んだ。


「有紗さんは、右利きですよね?」


「うん」


「では、こちらの手をお借りしてもよろしいでしょうか。利き手を塞ぐのは申し訳ないので……」


 そう言って、リュシアンは有紗の左手を右手で包んだ。


「でも、それだとリュシアンさんが……」


 有紗が、彼の空いている手を見る。


 リュシアンは穏やかに微笑んだ。


「大丈夫です」


 左手で匙を取り、スープを掬う。


 けれど、最初の動きは少し覚束なかった。

 匙が器の縁へ小さく触れ、掬ったスープが僅かに揺れる。口元へ運ぶ手も慎重で、リュシアンは時間をかけて一口を飲み込んだ。


 向かいに座ったシャロウが眉を寄せる。


「やっぱり無理だろ。食事の時くらい離れろよ」


「ですが、離れると痛みが戻りますので」


「手じゃなくてもいいんだろ」


 シャロウは二人の繋いだ手を見る。


「肩をくっつけるとか。それか、背中合わせとか」


「背中合わせでは、食卓へ向けませんね」


「椅子の向きを変えりゃいいだろ」


「そこまでして、この形を変える必要がありますか?」


「ある」


「どうして?」


 有紗が尋ねる。


「……見た目が妙だろ」


 有紗は自分たちの手元を見た。


「治療してるだけだよ?」


「分かってる」


 リュシアンは、左手の匙を持ち直した。


「ご心配には及びません。私は左利きですので」


 シャロウが黙る。

 有紗も目を丸くした。


「左利きなの?」


「はい」


 今度は、先ほどまでの覚束なさが嘘のように、滑らかな動きでスープを掬った。


「普通に食えてんじゃねえか」


「先ほどは――」


 リュシアンは匙を見つめ、僅かに目を細めた。


「痛みを気にせず動かせるのが、久しぶりでしたので」


 その声には、冗談めいた響きはなかった。


 有紗が、繋いだ手を少しだけ握り返す。

 リュシアンはもう一口、ゆっくりとスープを飲んだ。


「とても、おいしいです」


「よかった」


 有紗が笑う。


「有紗さんの利き手も塞いでいません。これなら二人とも問題なく食事ができますね」


「お前にとって都合が良すぎんだろ」


「偶然です」


「絶対分かってて座っただろ」


 リュシアンは否定せず、機嫌よく次の一口を口へ運んだ。

 右手は有紗の手を包んだまま、一度も離れなかった。


挿絵(By みてみん)


 ◇


 食事を終えると、三人は再び診察室へ戻った。


 紫音は記録紙を広げ、リュシアンの正面へ座る。


「幼い頃から痛みがあったと言いましたね」


「はい」


「当時の状態を、覚えている範囲で話してください」


 リュシアンは有紗の手を握ったまま、目を伏せた。


「物心がついた頃には、ほとんど寝台から起き上がれませんでした。息をすることも、食事を取ることも苦しくて」


「治癒魔法は?」


「効きませんでした。長くは生きられないだろうとも言われました」


 有紗の表情が曇る。


「では、なぜ今は歩けるのです?」


「助けてくださった方がいます」


「どのような治療を受けましたか」


「治療だったのかは、私にも分かりません。ただ、あの方が私へ触れた時、黒い炎が身体を包みました」


 紫音の筆先が僅かに遅くなる。


「その炎で、痛みが消えた?」


「完全にではありません。ですが、歩けるようになりました。食事も取れるようになり、外へ出ることもできた」


 リュシアンの紫の瞳が、有紗との間に重なる手へ向けられる。


「私はあの日、初めて生きられるようになったのです」


「その人物の名前は?」


 紫音が尋ねた。


 リュシアンの目元が僅かに和らぐ。


「黒焔の魔女……」


 紫音の筆が止まった。


 ほんの一瞬だった。

 けれど、壁際にいたシャロウは、その変化を見逃さなかった。


「レア様です」


 診察室に、短い沈黙が落ちる。


 紫音はゆっくりと顔を上げた。


「……本人に、会ったのですか」


「はい」


 リュシアンは穏やかに答える。


「私の命を救ってくださった方です」


 紫音はすぐには筆を動かさなかった。


「今夜はここで休んでください。続きは明日、改めて聞きます」


「よろしいのですか?」


「街へ戻して、再び動けなくなられる方が困ります」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ