第15話 迷い猫の行方
「探すって言ってもな……」
薬舗の前で、シャロウは人の行き交う通りを見渡した。
荷車の車輪が石畳を鳴らし、店を開けた商人たちの声が飛び交っている。道の端を茶色い猫が素早く横切ったが、探している猫とは毛色が違った。
「こんな街の中から、どうやって猫一匹を見つけるんだよ」
「ルゥが行きそうな場所を、順番に探すの」
隣に立つ有紗は、迷いなく答えた。
その腕には、リネットから渡された柔らかな布が抱えられている。見つけたルゥが怪我をしていた時や、怯えて暴れた時に包むためのものだった。
「当てはあるのか?」
「まずは、いつも座ってる裏口。それから薬草倉庫の周り。隣のパン屋さんにも時々行くよ」
「店主がもう探してるんじゃねえのか」
「探したって。でも、ルゥは狭いところに隠れるのが上手だから」
「余計に見つかる気がしねえな」
シャロウは小さく息を吐いた。
今朝まで、自分が猫を探して街を歩くことになるとは思ってもいなかった。
◇
「届かない」
朝食の席で、紫音が低く呟いた。
有紗が匙を持ったまま顔を上げる。
「何が?」
「試薬です。昨日届く予定でした」
紫音の前には、空になった小瓶と実験工程の記録が並んでいる。朝食中だというのに、既に頭の中では今日の作業を組み立てているらしい。
「一日くらい待てよ」
シャロウがパンをちぎりながら言った。
「一日遅れれば、その後の工程もすべて一日ずれます」
「一日ずれるだけだろ」
「その一日を取り戻すために、後日すべての予定を調整しなければならないのです」
「面倒くせえな」
「あなたには関係がないから、そう言えるのです」
紫音が記録へ目を戻したところで、リネットが食堂へ入ってきた。
手には、一通の手紙を持っている。
「先ほど、薬舗から届きました」
紫音は手紙を受け取ると、すぐに封を開いた。短い文面へ目を走らせた紫音の眉が、僅かに寄る。
リネットは有紗へ視線を向けた。
「薬舗のルゥが、帰ってこないそうです」
有紗の顔色が変わった。
「ルゥが?」
「はい。昨日の朝から姿が見えず、店主は仕事を放り出して探しておられるとか」
「昨日の朝から……」
有紗は心配そうに胸元で手を握った。
紫音は手紙を読み終えると、机の上へ置いた。
「それで、試薬を届ける余裕もないのですね」
「治療院へ納める薬にも、遅れが出ているそうです。近隣のお店の方々も、交代で捜索を手伝っていらっしゃるとか」
シャロウは紫音と有紗を交互に見た。
「猫一匹で大騒ぎだな」
「シャロウ」
有紗が、明らかに不満そうな顔をした。
「ルゥは一匹しかいないよ」
「いや、そういう意味じゃねえよ」
「昨日から帰ってないんでしょう? お腹が空いてるかもしれないし、怪我をして動けないのかもしれない」
有紗は食事の途中だった匙を置いた。
「探しに行かないと」
「有紗」
紫音が呼び止める。
「あなた一人では行かせられません」
「でも、紫音くんは実験を止められないでしょう?」
「ええ」
紫音の視線が、シャロウへ移った。
「シャロウ。依頼です」
「嫌な予感しかしねえな」
「有紗に同行し、ルゥを探してください」
「やっぱりかよ」
シャロウは眉を寄せた。
「俺はその猫を知らねえぞ」
「ルゥの特徴や習性は、有紗が把握しています。あなたには護衛と、必要な作業をお願いします」
「必要な作業って何だ」
「猫が高所や瓦礫の隙間へ入り込んでいた場合、あなたの方が対処できるでしょう」
「結局、猫を探すこいつの番犬じゃねえか」
「概ね、その認識で構いません」
「構うだろ」
有紗は少し遠慮がちに、シャロウを見た。
「一緒に探してくれる?」
シャロウは一度、紫音へ視線を向けた。
紫音が研究を中断する気配はない。リネットも薬舗の代わりに仕事へ出られるような状況ではなさそうだった。
「……お前一人じゃ行かせられねえだろ」
有紗の表情が明るくなる。
「ありがとう、シャロウ」
シャロウは椅子から立ち上がり、壁に掛けてあった外套を取った。
「最後に見た場所から確認するぞ。店主にも直接話を聞く」
「うん!」
有紗もすぐに席を立ち、出かける支度を始めた。
◇
――そして現在。
いつもなら朝から開いている薬舗は、半分だけ雨戸が下ろされていた。
扉には、急いで書かれたらしい一枚の紙が貼られている。
『飼い猫を探しています』
その下には、白い猫の簡単な絵が描かれていた。
右耳と尻尾の先だけが黒く、首には青緑色の紐をつけている。
有紗はしばらくその絵を見つめたあと、薬舗の脇へ回った。
「裏口はこっちだよ」
薬舗と隣家の間には、人一人がようやく通れるほどの細い路地が伸びていた。乾燥を待つ薬草の籠や空の木箱が積まれ、朝の光を遮っている。猫一匹なら潜り込めそうな隙間はいくらでもあった。
シャロウは有紗のあとへ続きながら、外套の裾を持ち上げた。
「ルゥ」
有紗が、いつもより少し柔らかな声で呼ぶ。
返事はない。
有紗は裏口の脇に置かれた籠を一つずつ覗き込んでいった。
シャロウも積み上げられた木箱の隙間へ目を凝らす。
「まずはここを全部見る。それから薬草倉庫だったな」
「うん」
「お前は呼びながら探せ。高いところと、手が届かねえ場所は俺が見る」
シャロウは有紗より先に、薄暗い路地の奥へ足を踏み入れた。
「ルゥ」
有紗は籠の陰へ呼びかけた。
少し待ってみても、返事はない。
シャロウは積まれた木箱を一つ持ち上げ、その下を覗き込んだ。乾いた土の上を、小さな虫が慌てて逃げていく。
「こっちにはいねえな」
「うん……」
有紗は、閉じられた裏口へ目を向けた。
いつもなら、ルゥはここで日向ぼっこをしている。薬舗を訪れた有紗を見つけると、青緑色の首輪を揺らしながら近寄ってきた。
その姿がないだけで、狭い路地がひどく寂しく見えた。
「次は薬草倉庫だったな」
「うん。裏の通りを抜けたところ」
二人は薬舗を離れ、その裏手に建つ倉庫へ向かった。
扉の脇や床下、積まれた麻袋の間まで調べたが、白い毛の一本も見つからない。
隣のパン屋を訪ねると、店主の女性は申し訳なさそうに首を横へ振った。
「昨日は来ていないねえ。いつもなら、パンが焼き上がる頃には裏口に座っているんだけど」
「昨日の朝、何か変わったことはなかった?」
有紗が尋ねると、店主は腕を組んで考え込んだ。
「そういえば、薬舗の前で荷車の荷が崩れたよ。樽が落ちて、随分と大きな音がしてね」
「ルゥ、大きな音が苦手なの」
「その直後だったかな。白いものが裏通りへ走っていくのを、うちの子が見たと言っていたよ」
「どっちへ行ったか分かる?」
「古い倉庫が並んでいる方だと思う。今はほとんど使われていない場所だけどね」
有紗はすぐにシャロウを見上げた。
「行ってみよう」




