第12話 増えた椅子
最初の依頼は、四日の予定が三日で終わった。
シャロウが持ち帰った月白草は、十株すべて傷ひとつなく、紫音が求めていた状態よりも鮮度が良かった。
それから、ひと月あまり。
窓から入る風からは、いつしか冬の冷たさが薄れていた。
シャロウは何度も研究棟を出ては、依頼を終えて戻ってくるようになった。
川沿いの崖では足場が崩れ、小型魔獣の討伐では返り血を浴び、護送依頼では三日間ほとんど眠れなかった。
それでもシャロウに言わせれば、
「これで高難度なら、王宮の奴らは外を歩けねえだろ」
という程度の仕事だった。
依頼は紫音を経由して届き、報酬はどれも、相場を知らないシャロウが不安になるほど高かった。
研究棟には寝床があり、食事も出る。
必要な道具や情報も揃っている。
自由に仕事を選び、終われば報酬を受け取り、また好きな場所へ出ていける。
シャロウは早々に、研究棟から立ち去る理由を失った。
◇
最初の頃、シャロウは食事のたびに、壁際に置かれた予備の椅子を食卓へ引き寄せていた。
けれど、いつの間にか食堂には、椅子が一脚増えていた。
食卓の、いつも同じ場所に。
長い依頼へ出る前も、帰ってきた夜も、その椅子は同じ場所にあった。
誰がそこへ置いたのか、シャロウは聞かなかった。
今朝も彼は、その椅子へ当然のように座っていた。
もう壁際の予備椅子へ目を向けることもなかった。
「……シャロウが来てから、食費が随分増えましたね」
紫音が、食費の記録へ目を落としたまま呟いた。
「食いすぎだって言いてえのか」
シャロウは四切れ目のチーズフォカッチャを手にしたまま、紫音を睨む。
「事実を確認しているだけです」
「その顔で言っても説得力ねえぞ」
リネットは空いた皿を重ねながら、何でもないことのように口を挟んだ。
「ですが、自立しているという面では、シャロウ様が一番です」
「……え?」
「……私よりもですか?」
有紗と紫音が、揃って目を丸くする。
「はい」
リネットは迷いなく頷いた。
「重い荷物を運んでくださいますし、棚や扉の修繕もしてくださいます。薪割りや高い場所での作業も、私一人では難しいものですから」
「ついでにやってるだけだ」
「それでも、大変助かっております」
リネットはそこで、紫音へ視線を向けた。
「紫音博士にお願いした、廊下の電球の交換は――三年経った今も、切れたままですし」
「……三年?」
有紗が驚いて紫音を見る。
「日中は窓から十分な光が入ります」
「夜間は暗うございます」
「研究に支障はありません」
「生活には支障がございます」
「そうでしょうか」
「ございます」
リネットの返事は即答だった。
朝食を終えると、有紗はいつものように検査室へ向かった。
魔力測定器へ手を置くと、淡い光が目盛りを駆け上がった。
紫音は慣れた手つきで測定範囲を切り替え、数字を書き留める。
有紗は小さな欠伸を噛み殺しながら、それが終わるのを待っていた。
検査を終えた有紗は、記録を片づける紫音を残し、隣の作業室へ向かった。
卓上には、シャロウが川沿いの崖から持ち帰った鉱石が並んでいる。
有紗はその一つを手に取り、光へ透かした。
「これ、川の近くにあったの?」
「崖だ」
「高いところ?」
「落ちたら死ぬくらいにはな」
「見てみたい」
「やめとけ」
「どうして?」
「今の話を聞いて、何で行きたくなるんだよ」




