第9話 柵の修繕
陽が高く昇り、外縁区画の石畳を白く照らしている。アルクは外縁区画東側の冒険者ギルド出張所へと足を向けた。
木造の小さな建物は、昨日見た依頼票の掲示板がそのまま残っている。扉を開けると、カウンターの向こうにいた若い女性職員が、ぱっと表情を明るくした。
「お疲れ様です!」
声のトーンが、やけに軽い。昨日の緊迫した空気を知っている身としては、その落差に少し面食らった。
「あ、あぁ…お疲れ様。何か新米向けの依頼はないか?」
「新米向けの依頼ですか?そうですねぇ……昨日の騒動で魔物相手は飽き飽きじゃないですか?午後からですと、この依頼なんてどうでしょう!」
職員は棚の中から一枚の依頼票を抜き取り、カウンターの上に滑らせてきた。アルクはそれを覗き込む。
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依頼:牛が暴れて柵を壊した。交換作業を行うため、力自慢求む。
報酬:銀貨1枚
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「……牛」
思わず声に出た。昨日は虫の軍勢とやり合っていた。それが一夜明けて、柵の修理だ。
(落差がすげぇな、おい)
込み上げてくる笑いを堪えきれず、アルクは口元を緩めた。
「ははっ……いいな、これで頼む」
「はい!ありがとうございます!」
職員は嬉しそうに依頼票にサインを添え、アルクへと差し出した。
「これを持って、外縁区画の農地の方まで向かってください。終わりましたら、必ずこちらにサインをもらって戻ってきてくださいね」
「おう、了解」
依頼票を懐に仕舞い、アルクは出張所を後にした。
農地へ続く道は、市場通りとは違う静けさを纏っていた。人通りは少なく、代わりに家々の軒先で洗濯物が風にはためいている。細い路地を抜けようとした時、前方から甲高い声が響いた。
「あ、見て見て!でっかい人!」
声の主は、七、八歳くらいの子供たちだった。三人ほどが道の端でしゃがみ込んで遊んでいたが、アルクの姿を見るなり弾かれたように駆け寄ってくる。
「ねぇねぇ、傷どうしたの?」
一人の少年が、アルクの腕にある古い傷痕を指差した。それはキャラクリで付けた飾りのようなものだった。
「これか?昔ちょっと——」
「筋肉すごーい!触っていい?」
別の子供が目を輝かせながら、返事も待たずに小さな手で腕を突いてくる。硬さに驚いたのか、目を丸くしていた。
「おいおい、勝手に触るなよ」
苦笑しながらも、振り払うほどのことでもない。むしろ子供の無邪気さに、少し気が緩んだ。
「お兄ちゃん、剣も持ってる!かっこいい!」
「昨日の戦いに出た人?」
「まぁ、そんなとこだ」
適当に相槌を打ちながら、アルクは軽く手を振って子供たちの輪を抜けようとした。だが少女の一人が、袖を掴んで離さない。
「ねぇ、今度魔物退治連れてって!」
「そりゃ無理な相談だな」
「けちー!」
頬を膨らませる少女に、アルクは思わず噴き出した。
「ほら、俺はこれから仕事だ。また今度な」
軽くあしらいながら歩き出すと、背後から不満げな声と、それに続きクスクスとした笑い声が聞こえてきた。振り返らずに歩を進めながら、アルクの口元にはまだ笑みが残っていた。
(悪くねぇな、こういうの)
本当に何でもないやり取り。それがやけに心地よく胸に染み込んきていた。
農地に着くと、目当ての牧草地はすぐに見つかった。緑の絨毯の中に木製の柵がぐるりと張り巡らされ、その一角が無残に折れ曲がっている。近くには初老の男女が、困った顔で立ち尽くしていた。
「依頼を受けたアルクってもんだが」
「おお、来てくれたか!」
農夫の男が振り返り、安堵の表情を浮かべた。日に焼けた顔に、深い皺が刻まれている。
「うちの牛が興奮して暴れちまってなぁ。柵がこの有様だ」
妻らしき女性が、折れた支柱を見下ろしながら溜息をついた。
「若い衆を何人か頼もうにも、みんな昨日の魔物解体の手伝いでいなくてね」
「なるほどな」
アルクは柵に近づき、状況を確かめた。太い木材が根本から折れ、地面に半ば埋まったままになっている。常人であれば数人がかりで引き抜き、時間をかけて新しい支柱を打ち込む作業だろう。
「これ引っこ抜いて、新しい支柱を刺せばいいか?」
「ああ、頼めるか?」
アルクは軽く頷くと、折れた支柱に両手をかけた。地面に食い込んだ木材を掴み、力を込める。
「——よっと」
ズボッ、と鈍い音を立てて、太い支柱が地面から引き抜かれた。次々と引き抜き、折れた支柱をまとめて片手で抱え上げ、脇へと放り投げる。
「お、おぉ……」
農夫の口から間の抜けた声が漏れた。
アルクは気にせず、置いてあった新しい支柱を地面に立てると、アルクは軽く拳を握り、ハンマーのように叩きつけた。
ドンッ、という音とともに、支柱が地面に深々と沈み込んだ。一本、二本、三本。淡々とした動作で、次々と支柱が打ち込まれていく。
「……冒険者ってとんでもねぇな」
農夫が呆然と呟いた。若干引いたような声色だったが、それ以上に驚愕が勝っているようだった。
「まぁ、力は強い方だからな」
軽く答えながら、アルクは最後の支柱を打ち込み終えた。そして、支柱の高さを調整しながら、横木を支柱にある横穴から通す。
「ん、こんなもんか?」
「あぁ、紐で結ぶのは俺がやる。にしても早く終わったなぁ……」
農夫は柵を撫でるように確かめながら、まだ信じられないといった顔をしていた。妻の方も目を丸くしたまま、口を半開きにしている。
「いやぁ、助かったよ。本当に」
農夫は額の汗を拭いながら、ようやく落ち着いた声で言った。
「最近、巡回が増えてるだろう。正直、ありがてぇもんだ。あんたみたいな冒険者が街にいてくれると、こっちも安心して畑仕事ができるってもんだ」
「巡回、そんなに増えてんのか」
「昨日みたいなことがあった後だからな。しばらくはまた厳重になるだろうよ」
農夫はそう言いながら、遠くの外壁の方へと視線をやった。その目には、慣れているとも言えぬ、どこか根深い緊張が滲んでいるように見えた。
アルクは何気なくその視線を追いながら、内心で小さく考えを巡らせた。
柵の修理を終えて依頼書にサインをもらうと、夫婦に見送られながらアルクは市場通りへと足を向ける。
市場の喧騒に差し掛かった頃、聞き覚えのある声が背後から届いた。
「あ、あの……アルクさん、ですよね」
振り返ると、見覚えのある青年が立っていた。昨日、バイト・アントの群れに囲まれていたあの青年だ。すっかり顔色も良い。
「お前、確か囲まれてたやつだよな」
「はい!レオといいます。改めて、あの時は本当にありがとうございました」
レオは深々と頭を下げた。演技めいたものではなく、染み付いた礼儀であることが分かる。
「別に大したことしてねぇよ、頭上げろって」
「いえ……その……」
レオは顔を上げると、少し照れくさそうに視線を泳がせた。
「あの、もしよかったら――お礼に、昼飯奢らせてください」
「お、いいのか?なら遠慮なく」
二人が向かったのは、朝にアルクが立ち寄った串焼きの屋台だった。二本注文すると、恰幅の良い店主がこちらに気づき、ニヤリと笑う。
「また来てくれたのかい。1本サービスしとくよ」
「おいおい、太っ腹だな。良いのか?」
「おう!ほら、レオも久しぶりだな」
「どうも、いつも世話になってます」
レオが銅貨を払い、串を三本受け取る。二人は屋台の隅に立ったまま、脂の乗った肉に齧りついた。
「んー、うめぇな」
「ですよね。ここ、俺もよく来るんです」
レオは肉を頬張りながら、少しずつ口が軽くなっていく。
「俺、実はまだDランクにも届いてなくて。剣術も、正直そんなに上手くないんですけど……いつか、バルトさんみたいな冒険者になりたいなって」
「へぇ、目標があるのは良いことだ」
「アルクさんは、どうして冒険者に?」
「まぁ、成り行きだな」
曖昧に答えながら、アルクは串を口へ運んだ。レオはそれ以上深くは聞かず、代わりに話題を変える。
「そういえば、最近街の噂で――」
と、レオが口を開きかけたその時だった。
目の前の通りを、身なりの良い装備をまとった若者の一団が横切っていく。数人はいるだろうか。先頭を歩く男が、ふとレオの姿に目を留めた。
「おや、レオじゃないか」
男の口調には、隠しきれない嘲りが滲んでいた。金糸の刺繍が入った上着、腰に佩いた剣の柄には見事な装飾が施されている。
「昨日は囲まれてやられたらしいな。相変わらず情けない」
「フ、フランクさん……」
「才能がない奴は大人しく農家でもやってりゃいいんだよ。邪魔で仕方ないからな」
フランクと呼ばれた男は、周囲の取り巻きたちと共に軽く笑い声を上げた。レオは俯いたまま、何も言い返せない。拳を握った手が、わずかに震えていた。
(この手のやつ、どこにでもいるもんだな。にしても、若いわりには羽振りが良さそうだ)
アルクは口を挟まなかった。ただ、静かにフランクへと視線を向けた。感情を乗せていない、ただ値踏みするような一瞥。
だが、その視線を受けたフランクの表情が、一拍遅れて強張った。背筋に何か冷たいものが這い上がったような、そんな動揺が頬に浮かぶ。
「……何見てんだ」
声に、先ほどまでの余裕はなかった。アルクは何も答えず、ジッと見ながら串を口に運び続けている。フランクはそれ以上何も言わず、取り巻きを促すようにそそくさと踵を返した。
一団の背中が、人混みに紛れて見えなくなる。
「……すみません、情けないところ見せて」
フランクたちの変化に気づかないまま、レオは肩を落として謝った。アルクは軽く笑って、レオの肩を叩く。
「気にすんな、これから強くなりゃいいだけだ。あいつらを見返すぐらいによ」
「アルクさん……」
レオの表情に、少しだけ光が戻った。
「はい。俺、頑張ります!」
その言葉には、先ほどまでとは違う芯のようなものが宿っていた。
レオと別れた後、アルクはギルド本部の窓口へと足を向けた。依頼票を提出すると、先ほどの女性職員が笑顔で受け取る。
「お疲れ様です!柵の修理、無事完了ですね」
「おう、農夫のじいさんも喜んでたぜ」
「ふふ、想像つきます」
職員は銀貨一枚をカウンターに置きながら、軽く笑った。
「今日は平和でよかったですね」
「そうだな。こういう日が毎日続けばいいんだが」
銀貨を懐に仕舞いながら、アルクはギルドを後にした。




