第10話 大戦跡地
硬い寝台で、アルクは薄い朝の光とともに目を覚ました。昨日、アルクが偶然見つけたこの宿は、1日銀貨2枚で泊まれる。独り立ちした冒険者などが使っている宿だった。
上体を起こし、革鎧の留め具を確かめてから階下へ降りると、朝食の仕込みをしていた女将が、大鍋から湯気を上げる粥をかき混ぜながら顔を上げた。
「おや、早いねぇ。冒険者ってのは、寝てても剣を振ってる夢でも見てんのかい?」
「そんな夢を見る暇があったら、金に囲まれる夢でも見たいもんだな」
「なら働きな。腹減らして帰ってきたら、また何か作ってやるよ」
「その言葉を頼りにするぜ、ほんとに」
女将の笑い声を背に、アルクは宿の外へ出た。朝の空気はまだ冷え、石畳には夜の湿り気が残っている。
人通りの少ない路地で、懐から革袋を取り出した。指先で硬貨を一枚ずつ弾く。
バイト・アント襲撃後の作業手当と、昨日の柵修理の報酬で、何もなかった懐は多少なりとも膨らんだ。だが、銀貨二枚の宿代を払い、飯も食えば、あっという間に減っていく。
防衛戦の討伐報酬は、戦果の算定が済んでからの一括払いだ。数日後には入るらしいが、今の腹が満たされるわけでも、今夜の寝床が安くなるわけでもない。
「今日は稼がなきゃな」
革袋をしまい、アルクは東側外縁区画の冒険者ギルド出張所へ向かった。
朝の市場通りは、焼きたてのパンと香草を煮る匂いに満ちていた。荷車の車輪が石畳を跳ね、露店を開く商人の声が幾重にも重なる。その賑わいの中を抜け、見慣れた木造の出張所へ入る。
扉の鈴が鳴ると、カウンターの向こうにいた若い女性職員が、すぐにこちらへ気づいた。
「あっ、アルクさん。おはようございます!今日は早いですね」
「ああ、昨日は世話になったな」
「こちらこそです。柵の農家さんが凄く助かったって言ってましたよ」
「そうか、そりゃ良かった」
ころころと笑う声を聞き流し、アルクは掲示板の前に立った。
依頼票を端から追っていく。薬草の採取、荷運び、家畜の見張り、外壁近くの魔物の駆除。どれも今日の宿代に足りる程度にはなるだろう。
だが、手間に比べて実入りがいいものは見当たらなかった。
「うーん、微妙だな」
「一昨日の騒ぎの後ですからねぇ。危ない仕事は、まだ整理がついていないものが多くて」
職員は少し考えるように頬へ指を当てた。それから、掲示板の隅に留められた紙を一枚、そっと引き抜く。
「それでしたら、西の外縁にある大戦跡地の、アンデッド間引きはどうですか?常時募集ですし、報酬も悪くありません」
羊皮紙には、赤い印で「常時」の二文字が押され、報酬欄には一体につき銅貨八枚から、と記されていた。数を狩れれば、昨日の柵修理よりずっと早く稼げそう。
「西の大戦跡地?」
「西門を出て、古い街道を半刻ほどです。昔の戦で使われた荒野なんですけど……あそこは、瘴気から生まれるアンデッドが、どうしても途切れなくて」
職員はそこまで言い、わずかに声を落とした。
「あそこは……気が滅入る場所なので、受ける人は少ないんですけど」
彼女の笑顔は崩れていない。それでも、羊皮紙の縁を押さえる指先に、薄い緊張が見えた。
「危ないのか?」
「強さだけなら、中堅の冒険者さんが単独で対応できる範囲です。グールやスケルトンが大半で、たまにゾンビが混じるくらいですから。ただ……」
職員は窓の外へ一度目をやった。市場の明るい声が、薄い硝子越しにぼやけて聞こえる。
「土を掘れば骨が出て、雨が降ると埋まっていた遺体が流れ出るんです。そこからまた、ぞろぞろと。数が多い上に、ずっと腐った匂いがして……気分を悪くする方も珍しくありません。
何日か続けて受けて、眠れなくなって辞めた方もいます」
アルクは依頼書へ視線を落とした。
「ふぅん……これ、やるわ」
「えっ。あ……本当ですか?」
「ああ。金になるならちょうど良いしな」
職員は驚いたようにまばたきをした後、すぐに姿勢を正した。
「承知しました。では、討伐証明についてご説明しますね」
カウンターの下から、鞘に収まった短い採取ナイフが取り出される。黒ずんだ刃の根元には、見慣れない四角い紋が刻まれていた。
「このナイフを使って、討伐したアンデッドから魔石を採取してください。それが討伐証明となります。
スケルトンは頭蓋の中、ゾンビは胸の中心辺りにありますので」
「なるほどな。分かった」
アルクはナイフと依頼書を受け取る。
「帰還の目安は日が傾く前でお願いします。西側は、夕方になると門の確認が少し厳しくなりますから、報酬の受け取りは西の冒険者ギルドでも大丈夫ですからね」
「分かった。行ってくる」
「はい。お気をつけて、アルクさん」
出張所を出たアルクは、表通りではなく、荷車が通らない細い路地へ入った。干した布の間を抜け、誰もいないことを確かめてから、右手を懐に入れてアイテムボックスを漁る。
指先が揺らぐ空間の向こうを探り、冷たい金属の輪を掴んだ。
「おー、あったあった」
取り出したのは、祈る者の横顔が彫られている白銀の指輪だった。
"聖者ノ指輪"
ChaosFantasyで、対アンデッド用の周回をする者なら一度は使うエピック級のアクセサリーだ。装備者の攻撃にアンデッド特効のある聖属性を付与し、聖属性の攻撃を微強化する。
デーモン種だったアルクには、使う機会がほとんどなかった代物だ。
「こんなところで役に立つとはなぁ」
小さく呟き、左手の中指へ指輪を滑らせる。大剣を肩へ担ぎ直し、彼は路地を抜けた。
西へ進むにつれ、街の音が少しずつ遠のいていく。
東側は朝から荷を運ぶ者と商人の声で満ちていた。だが西側の外縁区画では、石造りの倉庫が並び、閉じた扉の前に積まれた木箱だけが朝日を受けている。
窓の少ない家々から、煮炊きの匂いもほとんど流れてこなかった。
その静かな通りで、長い耳を持つ者たちを何人も見かけた。銀の髪を三つ編みにした女が弓の弦を確かめ、緑がかった髪の青年が、肩から下げた細長い木箱を抱えて歩いている。
人間よりも足音が軽く、目が合う前に路地の向こうへ消えていった。
東側とは空気が違う。戦場跡に近いからか、それとも西の暮らしそのものが、こういうものなのか。
ほどなくして、西門が見えた。
内側から見ても、城壁は高かった。太い石を積んだ門の脇に、槍を持つ兵士が二人立っている。開かれた門の向こうには、踏み固められた街道と、その遥か先に広がる灰色がかった荒野が見えた。
「止まれ。外縁域へ出るのか」
片方の兵士が、アルクの前へ槍の柄を斜めに出した。
「大戦跡地の間引きだ。ギルドの依頼でな」
依頼書を示すと、兵士は赤い常時依頼の印を確かめた。もう一人が大剣と革鎧へ目を走らせる。
「一人か。あそこは腐臭が強い。具合が悪くなったら、意地を張らずに戻れよ」
「おう、ありがとな」
兵士は短く頷き、道を空けた。
「日が落ちる前に戻れ。遅れるなら、門扉を叩いて合図しろ」
「了解」
門をくぐる瞬間、風向きが変わった。
湿った土の匂いに混じって、腐った肉の臭気が鼻を刺す。
「出てすぐかよ。こりゃひでぇな」
街道の先、低い丘の向こうから、黒い鳥が何羽も舞い上がる。
「さて。今日は、どれだけ稼げるかね」




