第4話 ギルド本部
冒険者ギルド本部は、遠目に見た支所よりも二回りは大きかった。石造りの壁に、剣と盾の紋章が金の縁取りで刻まれている。
アルクはその正面に立ち、腕を組んだ。
「……で、金はどうすっかね」
呟きが誰にも届かないまま、雑踏に溶けていく。アイテムボックスの中身は武具と素材で溢れているが、この世界で使える通貨は一枚も持っていない。
売れば良いという話だが、それにはまず店を探し、値付けの相場を知り、交渉をする必要がある。何より出所を怪しまれても面倒だ、というのが正直な感想だった。
「あの、どうかされました?」
声をかけられて振り向くと、まだあどけなさの残る少年が、書類の束を抱えて立っていた。ギルドの制服らしき上着を着ているが、袖が少し余っている。
「いや、登録したいんだが金がなくてな」
「ああ、それなら……」
少年は少し考えるように視線を上に向けた。
「実技試験ってご存知ですか?一定以上の実力を示せば、登録料が免除される制度があるんです」
「お、マジかよ」
思わず声が弾んだ。渡りに船とはこのことだ。
「はい。腕に自信があるなら、受けてみる価値はあると思います。受付はあちらです」
「へぇ、ありがとな。助かったよ」
「いえいえ、これでも受付見習いですから」
少年が指し示した方向へ、アルクは礼も程々に歩き出した。
受付窓口では、初老に近い女性職員が座っていた。名前と出身地を聞かれ、アルクは淀みなく答えていく。ノクスルド、アルク、職業は偽装済みの中位ランクのものを四つ。
簡易鑑定用の水晶に触れると、職員の眉がわずかに動いた。
「……四つとも、戦闘職ですか」
「ん、何か問題でもあるか?」
「いえ、珍しいというだけです。登録料を払いますか?その場合は仮登録からとなりますが……それとも、実技試験を受けますか?」
「実技試験で頼む」
「分かりました。少々お待ちください」
そう言って奥へと下がっていく。アルクは特に気にせず、窓口のカウンターに肘をついて待った。
しばらくして戻ってきたのは、先ほどとは別の、恰幅の良い男だった。職員というより、もう少し立場のありそうな雰囲気を纏っている。
「ノクスルド出身、四職業全て戦闘系……なるほど」
男はアルクを上から下まで一瞥した。値踏みするような視線だったが、敵意は感じない。
「規定により、実技試験は上位監督者立ち会いのもとで行っていただきます」
「随分物々しいな」
「念のため、です」
男の口調は柔らかいが、有無を言わせぬ響きがあった。アルクは肩をすくめて頷いた。
案内されたのは、冒険者ギルドに併設された模擬戦場だった。石造りの闘技場のような造りで、観客席には既に何人かの姿がある。その中に見覚えのある顔もあった。バルトの一団の何人かだ。ミナが小さくこちらへ手を振っているのが見えた。
(見学されるとは思わなかったな)
木剣を一本渡され、握った感触を確かめていると、対面の入場口から軽い足取りの青年が現れた。
歳の頃は二十代半ばだろうか。飄々とした表情で、武器は一切持っていない。素手のまま、拳を軽く握ったり開いたりしている。
(ん、素手? 格闘系か?)
アルクが観察していると、審判役らしき職員が近づいてきて口を開いた。
「彼はジン。体術特化のAランク冒険者だ。手加減はいらない、本気でやってくれ」
「ほお、なるほどな」
軽く応じながら、アルクは相手を改めて見る。武器を持たないことへの油断は微塵もなかった。
対するジンは、腕を軽く回しながらアルクを眺めていた。口元には笑みが浮かんでいる。
(ノクスルド出身、か。楽しみだな)
飄々とした表情の下で、何かが静かに疼いていた。普段の彼は後輩の面倒見が良く、実力を鼻にかけない性分で知られている。だが強敵と対峙した瞬間だけ、その人格は塗り替わる。
「よろしくな、アルクさん」
ジンが軽く言った。声色に緊張の欠片もない。
「おう」
短く返した瞬間、審判の合図が響いた。
最初の一歩で、アルクの思考が跳ねた。
(おおっ? 早いな)
ジンの踏み込みは、視認してから反応するには遅すぎる速度だった。完全擬態でレベルを削られたアルクの俊敏は、素の状態よりも大きく落ちている。
そもそも悪魔帝自体がそこまで俊敏が高くないのもあるが、今のこの体では目で追うことすら怪しい。
だが、木剣を握る手は止まらなかった。
ゲーム時代、幾千の相手とやり合ってきた経験が、視覚に頼らない判断を体に叩き込んでいる。ジンの肩の傾き、腰の沈み込み、拳を握る指の力の入り方。予備動作を拾い、着弾点を先読みする。
パン、と乾いた音が響いた。ジンの拳が、アルクの構えた木剣の腹に当たって弾かれる。
「おぉ、当たらないか」
ジンの声に、初めて感情の色が乗った。
(今の一撃を凌ぐか。しかも初見で)
内心の呟きは、口元の笑みをさらに深くさせるだけだった。二撃目、三撃目と、連続して繰り出される拳が、次第に速度を増していく。
フェイントを織り交ぜた変則的なリズムだったが、アルクは踏み込む直前にわずかに肩が下がる癖を数合の内に見抜いていた。
木剣で受け流しながら、アルクは内心で唸った。
(今の俺と同レベル……いや、それ以上か?)
完全擬態というハンデを差し引いても、この動きは尋常ではない。ゲーム時代であれば歯牙にもかけなかったであろう速度と技量が、目の前で確かに脅威として存在している。
攻防は拮抗したまま続いた。観客席からどよめきが上がる。
「バルトさん、あれ……」
「ああ、ジンの拳が見えている。想像以上の実力者だったみたいだな」
見物人たちの視線が、闘技場の中心に集中していた。木剣とジンの拳が幾度となく交錯し、火花にも似た緊迫感が空気を張り詰めさせていく。
ジンの拳が唸りを上げる。アルクはそれを受け流しながら、木剣の柄で肘を打ち返した。ジンの体がわずかに揺らぐ。だがすぐに体勢を立て直し、間合いを詰め直してくる。
(久しぶりだ、こんなに手を抜けない相手)
ジンの呼吸がわずかに乱れ始めていた。だが目には興奮の色が濃く滲んでいる。強者を前にした喜びが、疲労の色を塗り潰していた。
一方のアルクも、内心で評価を改めていた。
(ここまでやるとは……正直余裕かと思ってたけど、こっちの驕りだったか)
木剣とジンの拳が、再び交錯しようとした――その瞬間だった。
「そこまで!!」
審判の声が割って入った。二人の動きが、糸を切られたように止まる。
「新人の実力は十分に把握できた。終わりだ」
肩で息をするジンと、木剣を構えたままのアルク。闘技場に、しばらく静寂が満ちた。
「ハハッ、いや、参ったな」
ジンが先に笑い声を上げた。息を整えながら、拳を軽く振っている。
「また手合わせ願いたいね、アルクさん」
「ああ、いつでも付き合うぜ」
ジンは楽しそうに笑みを浮かべながら去っていった。
審判や監督者らしき者たちは、互いに視線を交わしながら、無言で羊皮紙に何かを書き込んでいる。
登録料は正式に免除された。渡された冒険者証には、ランクCの文字が刻まれている。想像していたよりも高い評価だったが、アルクとしては特に驚きもなかった。
「よし、これでとりあえずは動けるな」
冒険者証を懐に仕舞いながら、アルクは空を見上げた。太陽が傾き、街の輪郭がオレンジ色に染まり始めている。とはいえ、財布の中身が寂しいことに変わりはない。
今夜の寝所をどうするか、そんなことを考えながら闘技場を後にしようとした――その時だった。
けたたましい鐘の音が、ギルド全体に鳴り響いた。
「東側近くの外縁域で大量の魔物反応! アルンダラに向かっています……!!」
慌ただしく駆け込んできた職員の声が、闘技場に響き渡る。
「冒険者は全員、東側へ向かってください!」
その声を合図に、周囲の空気が一変した。談笑していた冒険者たちが表情を引き締め、武器を手に取り、次々と駆け出していく。バルトの一団も既に動き出していた。
その場に一人取り残されたアルクは、鳴り続ける鐘の音を聞きながら、しばし呆然と立ち尽くした。
「……おいおい、登録したばっかりだぞ」




