第3話 アルンダラ
草原を渡る風は、時間が経つにつれて熱を帯びてきた。乾いた土の匂いと、一団が纏う汗と鉄の匂いが混じり合う。
「あの……」
隊列の後ろを歩いていたアルクに、遠慮がちな声がかかった。振り返ると、先ほどまで回復魔術を唱えていた若い女が、気まずそうに視線を泳がせている。
「さっきは、失礼なこと言いかけてごめんなさい。ノクスルドの人だからって、変な目で見るつもりはなかったんです」
「別に気にしてねぇよ」
アルクは軽く手を振った。愛想笑いに近い表情を作りながら、内心では別のことを考えている。あの程度のことで謝ってくるとは、随分と律儀な人間らしい。
「私、ミナって言います。主に回復術士をやってます」
「おう、アルクだ。よろしくな」
歩調を合わせながら、ミナは肩の力を抜いたようだった。人見知りというより、単に緊張が解けたという顔つきだ。
「アルクさんって強そうですね。装備も、なんか……普通じゃない感じがします」
「まぁ、それなりにな」
曖昧に答えると、ミナは少し得意げに続けた。
「私、今レベル127なんですよ。バルトさんに稽古つけてもらうようになってから、伸びが早くなって」
さらりと出てきた数字に、アルクは相槌を打ちながらも、内心で軽く驚く。
(レベルって概念、当たり前に喋ってんな。にしても、127か)
ゲームの中でしか聞いたことのない言葉が、この娘の口から日常会話のように零れ落ちる。アルクは顔には出さず、へえ、と相槌だけ返す。
「バルトさんの稽古、厳しいのか?」
「厳しいっていうか……無駄がないんです。訓練用迷宮でも、あの人について回るだけで成長速度が段違いで」
先頭を歩くバルトが、背中越しに口を挟んできた。
「迷宮の話はいい。やろうとすれば誰でも出来ることだ」
「もう、バルトさん。そういうところですよ」
ミナが唇を尖らせる。バルトは何も答えず、ただ視線を前方へ戻しただけだった。訓練用迷宮という単語だけが、アルクの耳に残った。
やがて地平線に、ぼんやりとした灰色の影が浮かび上がった。
最初、アルクはそれを山だと思った。輪郭が緩やかで、大地から自然に盛り上がったように見えたからだ。だが歩を進めるほどに、その輪郭は不自然な直線を帯びていく。
「……壁かよ」
呟いた声は、自分でも驚くほど掠れていた。
近づくにつれ、それは紛れもない城壁だと分かった。優に30メートルを超える高さで、灰色の巨大な岩壁が地平線を丸ごと塗り潰している。
「ここまでデカくする意味あるか……?」
思わず漏れた独り言に、答える者はいなかった。誰もが当然のようにその壁を見上げ、歩みを止めない。
門の前には、既に列ができていた。
「俺たちは冒険者証があるから別口だ。お前は初めてか」
「そうだな」
「なら鑑定の列に並べ。心配するな、痛くも痒くもない」
短い言葉を残し、バルトたちは横手の別ゲートへと歩いていく。ミナが一度だけ振り返り、小さく手を振った。アルクは軽く笑みを浮かべ、鑑定の列へと足を進めた。
列は思ったより短かった。前方には、大掛かりな魔導具が据えられている。石造りの台座に、複雑な紋様が刻まれた水晶が埋め込まれ、来訪者が近づくたびに淡い光を放つ。あれで個体のレベルを測っているのだろう。
順番が進むごとに、鑑定官らしき初老の男が淡々と手続きを進めていくのが見えた。
(さて……)
アルクは内心で算段を巡らせた。完全擬態でレベルは160まで落ちている。だが、道中で見てきた魔物や、あの一団のレベルを踏まえれば、それでもまだ頭一つ抜けている自覚があった。目立ちすぎるのは得策ではない。
僅かに集中し、擬態のステータスを弄る。表示されるレベルを153まで下げた。それでも十分に高い数値ではあるが、いきなり160という区切りの良さよりは、いくらか自然に映るはずだ。
4つの職業も中位ランク程度の職業に偽装しておく。
順番が回ってきた。台座の前に立つと、初老の鑑定官が顔も上げずに問うた。
「名前は」
「アルク」
「出身は」
「ノクスルド」
「アルンダラ初めてか?」
「ああ」
鑑定官の手が止まることはなく、羊皮紙に何かを書き込んでいく。水晶がわずかに強い光を放ち、台座の縁に文字と数字が浮かび上がった。アルクの位置からは見えない。
「……」
一瞬、鑑定官の目がほんの僅かに細くなった。羊皮紙から顔を上げ、アルクの顔を確かめるように見つめる。
だが、鑑定官はすぐに視線を戻し、何事もなかったかのように手元の魔導具から小さな刻印を取り出した。それをアルクの手の甲に軽く押し当てる。ひやりとした感触の後、淡い紋様が皮膚に浮かび、すぐに消えた。
「通行証だ。三十日間有効。失くすな」
「おう、助かる」
軽く応じて、アルクは列を離れた。
門をくぐった瞬間、押し寄せてきたのは音と匂いの奔流だった。人々の話し声、荷車の軋み、露店から漂う焼けた肉の匂い。獣人らしき耳や尾を持つ者、鱗を思わせる肌の者、様々な種族が入り混じって行き交っている。
「……すっげぇな」
思わず声が漏れた。歩き出そうとして、ふと、背中に視線を感じる。
振り返ると、先ほどの鑑定官がまだこちらを見ていた。目が合った瞬間、老人は何事もなかったかのように視線を外し、次の来訪者へと向き直る。淡々とした所作に、不自然さは何一つ見当たらない。
アルクは気に留めずに雑踏の中へと歩き出した。
その背中を、鑑定官の視線が一拍だけ、長く追っていたことに、アルク自身はまだ気づいていなかった。
門をくぐった先の喧騒に眺めていると、待っていたバルトが短く声をかけてきた。
「俺たちはギルド本部だ。報告と、こいつらの手当てもある」
腕に包帯を巻いた若い男を一人、肩で支えながらの一団は、そのまま雑踏の奥へと吸い込まれていく。
アルクは軽く手を上げて見送ろうとしたが、隊列の後ろにいたミナだけが足を止め、こちらへと向き直った。
「あの、アルクさん」
「ん?」
「さっきの……ノクスルドの人だからって言いかけたやつ、やっぱりちゃんと謝りたくて」
「またそのことかよ。気にしてねぇって」
「私が気にするんです」
きっぱりとした口調に、アルクは思わず小さく笑った。律儀な性分らしい。
「お詫びっていうのも変ですけど、外縁区画の東側なら詳しいので、案内させてください。どうせこの後、ギルドに顔を出すなら通り道ですし」
断る理由は特になかった。むしろこの世界の勝手を知る手引きとしては都合がいい。
「なら頼むわ」
「はい!」
ミナの表情がぱっと明るくなる。歩き出したその足取りは、先ほどまでの気まずさが嘘のように軽かった。
市場通りに入ると、途端に音が厚みを増した。串焼きの脂が炭に落ちる音、値切る声、子供たちが駆け回る足音。
狼獣人の露店主が威勢よく客を呼び込み、鱗肌の商人が慎重な手つきで薬草を量り売りしている。屋根の低い建物が軒を連ね、その隙間から石畳に陽光が差し込む。
「綺麗なもんだな」
思わず漏れた感想に、ミナは少し笑う。
「ここが荒れてたら人類終わるので」
「まぁ、そうなのか?」
「そうですよ」
アルクは言葉の意味を測りかねて返す言葉を探したが、曖昧な返事になってしまった。
市場を抜けると、視界が一気に開けた。広大な畑が地平線近くまで続き、その周囲を等間隔に並んだ石柱が取り囲んでいる。石柱の頭部には淡い光を放つ紋様が刻まれ、畑全体をうっすらとした膜のようなもので覆っているのが分かった。
おそらくは結界だろう。畑と外壁の間の通路には、鎧姿の兵士が絶え間なく行き来している。数は思ったより多い。
「巡回、多いんだな」
「ああ、東側近くの外縁域が最近ちょっと騒がしいみたいで、念のため増やしてるらしいです」
「ほぉ、そうなのか」
しばらく歩くと、木造の小さな建物が見えてきた。看板には剣と盾を象った紋章がある。冒険者ギルドの出張所らしい。
「本部は中央寄りにあるんですけど、ここは東側専用の支所です」
建物の外壁には掲示板が設けられ、依頼票が所狭しと貼られていた。アルクはその一枚に目をやり、思わず眉を寄せる。
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依頼:増殖しているマッド・ボアの集団討伐。
討伐対象:マッド・ボア(推定Lv.110以上)
報酬:銀貨20枚
条件:レベル100以上、10人程度募集。
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(日本語かよ。それにレベル100以上、か)
隣の依頼票も、その隣も、同じような数字が並んでいる。レベル100以上という条件が、まるで最低ラインであるかのように扱われている光景に、この世界の狂った基準値を突きつけられた気がした。
「私、実はここからスタートしたんですよ」
ミナが掲示板を眺めながら、ぽつりと言った。
「回復術士として登録したての頃、右も左も分からなくて。ここの受付の人に色々教えてもらいました」
「へぇ」
「今でも顔出すと、まだ子供扱いされるんですけどね」
苦笑する横顔に、屈託のなさが滲んでいる。アルクは相槌を打ちながら、この娘の人柄が少しずつ形を持ち始めるのを感じていた。
支所を過ぎ、中央区画へと続く道を進むと、遠くに大きな建物の輪郭が見えてきた。石造りの重厚な佇まいで、周囲の建物よりも一回り、二回り大きい。
「あそこ、図書館です」
ミナが指をさす。
「古い記録とか結構残ってるらしくて、暇な時によく行きます。誰も借りてかないような埃かぶった本とか読むの、意外と楽しいですよ」
「へぇ、そりゃ良い暇つぶしになりそうだな」
軽く返しながら、アルクの内心では別の思考が動いていた。
(この世界のことをもっと調べられるかもしれないな)
情報が少なすぎる。今知っているのは、この街の名前と、ノクスルド魔王国という国だけだ。図書館という場所は、その空白を埋める手がかりになるかもしれない。
「ここで私は本部の方に戻りますね。報酬の受け取りもあるので」
「ん、そうなのか。ここまで助かったよ」
「いえいえ」
ミナが足を止めた。別れの言葉を口にしかけたところで、ふと思い出したように付け加える。
「あ、そうだ。アルクさん、まだこの街の冒険者ギルドに登録してないですよね」
「ああ、来たばかりだしな」
「そうですよね。通行証が切れる前に登録しないと、"要注意"扱いになるんですよ。面倒事になる前に、早めに行った方がいいです」
親切心から出た忠告だというのは、その口調からも明らかだった。アルクは軽く頷いてみせる。
「覚えとくよ」
「はい。それじゃあ、また会えたら」
ミナは小さく手を振り、市場通りの方角へと駆けていった。その背中が人混みに紛れて見えなくなるまで、アルクはその場に立ち尽くしていた。
「登録か、面倒なことにならなきゃいいけど。てかそもそも金がないな」
呟いた声は、雑踏の音にかき消されて、誰の耳にも届かなかった。




