第2話 検証
「……ふぅ。こっちの方が馴染むな」
自分の声が、低く、深く、地を這うような響きに変わったのを感じる。
視界が異常に鮮明だ。風に揺れる草葉の裏側、土の中を蠢く虫の鼓動、そして――こちらを殺そうと殺到する、無数の"意志"。
ギチギチギチッ!
バイト・アントの先遣隊が、タナカの変貌に一瞬の怯みも見せず襲いかかってきた。
その数、数十。いや、百に近い。
「さて、検証といこうかな」
タナカは虚空に手を差し入れて、身の丈と同程度の巨大な、禍々しいまでの存在感を放つ"魔帝ノ大剣"を取り出した。
ゲーム時代、数多のプレイヤーやボスを屠ってきたタナカの愛用武器だ。
刃から滲み出していた黒いモヤが、意志を持つかのように渦を巻いた。それはタナカの背後で急速に膨れ上がり、実体化していく。
武器スキル 『暴食ノ影』
出現したのは、悪夢を形にしたような異形だった。
4mを超えるような巨大な蠅の輪郭を持ちながら、その全身には長い人間の腕が無数に生え、隙間なく並んだ目がタナカの獲物を凝視している。
ブゥゥゥゥン……という不快な羽音が響き渡った。
「行け」
タナカが短く命じる。刹那、影が爆発した。
影から伸びた無数の腕が、殺到するバイト・アントを掴んだ。
逃れる術はない。レベル百を超える外殻も、異常な統率による防御陣形も、影の腕にとっては紙屑に等しかった。
腕が蟻を掴み、影の中央に位置する巨大な口へと放り込んでいく。
バリバリ ゴリッ グチャ ペリッ
生々しい咀嚼音が響く。
先遣隊は、タナカに指一本触れることすら許されなかった。
わずか十数秒。
あれほど密集していた蟻の群れは、影に貪り食われ、その姿形すら残さず消滅した。
「えっぐ……ゲーム内じゃ、ただ攻撃するだけだったんだけどな。ちゃんと食べるんだ」
タナカは若干の引き気味な感想を漏らした。
ゲームでは"あの影"がただ近くの敵をひたすらに攻撃して、その分回復するスキルだったが、しっかりと現実仕様となっているらしい。
(感覚は悪くない。魔力の消費は……あぁ、なるほど)
タナカは自身の内側に意識を向けた。
胸の中心から溢れる魔力源から、一定のエネルギーが暴食ノ影という外部端末へ流れていく感覚。
筋肉を動かすような、あるいは呼吸をするような、身体的な実感としてスキルの使い方が理解できた。
だが、安息の時間は与えられない。
ドドドドドドドドド……
地響きがした。
先ほどの先遣隊とは比較にならない、大地そのものが悲鳴を上げているかのような振動。
タナカが地平線に目を向けると、そこは"黒"に染まっていた。
「多いなぁ。カオファンでもここまでエネミーが集まってるの見たことないかも?異世界だねぇ〜…」
数千。いや、万に近いかもしれない。
彼らは整然とした隊列を組み、まるで一つの巨大な生き物のようにうねりながら、こちらへ向かって突き進んでくる。
「武器スキルの次は、職業スキルの検証だな」
タナカは大剣をアイテムボックスへと放り込んだ。空いた両手を、ゆっくりと、だが力強く握りしめる。
スキルの使い方は、本能的に理解していた。
「悪いが、まとめて片付けさせてもらうぞ」
タナカは腰を落とし、両手で地面を掴んだ。
両手から濃密な"武気"が根を張るように大地へと流れ込んでいく。
職業スキル『大地剥がし』
虫の大群がタナカの目の前まで迫った瞬間、タナカは狂気的な笑みを浮かべながら掴んでいた大地を引き剥がした。
轟音。
衝撃波が空気を引き裂き、土塊が空を埋め尽くす。
平坦だった草原は、タナカが放った武気によって文字通り剥がされ、巨大な大地の津波となって蟻の本隊へと襲いかかる。
その範囲は数百メートルにも及んだ。
数千の虫たちは、何が起きたのかを理解する暇さえなかっただろう。
地形そのものが牙を剥き、彼らを圧殺し、粉砕し、大地の一部へと還していく。
爆発的な破壊のあとには、ただ静寂だけが残った。
「……とんでも地形破壊だなこれ、あんま使えないやつだわ。てかこんな広範囲だったか?」
土煙が晴れる中、タナカは呆然と呟いた。
目の前には巨大な爪で抉り取られたような、無残な地割れがいくつも刻まれている。
「結局、統率個体は分からんかったな。姿も現さずに指示できるやつだと、女王あたりかね」
タナカが死骸の山を眺めていると、どこからともなく、様々な種族の魔物たちが集まってきた。
スライム、リザードマン、ウルフ、レプタイル、バード……
魔物たちはタナカの様子を伺いながらも、飢えた獣のように土に埋まる死骸に群がり、貪り食い始めた。肉を食いちぎる音、骨を砕く音、そして、死骸を巡って魔物同士の争いが起きる。
「おぉ、まるでバイキングだな。レベルはどんなもんか…」
試しにアシッド・スライムに鑑定虫眼鏡を向ける。
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アシッド・スライム Lv.131
暗殺者:狩人:大喰らい:解体屋
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「いや強いな」
他の魔物も見てみるが同程度だった。
タナカは薄っすらと、この草原がおかしいのでは?と思い始めていた。
「…まっ、いいか。『完全擬態』」
呟きと同時に、巨躯が光に包まれ縮んでいく。角と三つ目が消え、山羊の頭は黒髪の男の顔へと変わった。
アイテムボックスから取り出したのは、使い古したような革の防具フルセットと、それに合わせた無骨な"岩鉄の大剣"だ。
革の装備はどこにでも売ってるようなものだったが、岩鉄の大剣は、タナカがまだ中位種族の"デーモン・ナイト"だった頃に生産職のフレンドに作ってもらったものだった。
グレードもエピックで悪くない性能だ。
「よし、これでどこにでもいる冒険者、ってところか」
肩に大剣を担ぎ、アルクは草原の奥へと歩き出した。
歩きながら、アルクは意識して観察の目を働かせていた。
水源があれば人は集落を作る。高台があれば見張りに使う。獣道があれば、それを利用する猟師や旅人がいるはずだ。
小川を見つければ上流と下流の両方を目で追い、丘を見れば登って周囲を見渡す。だが、どれだけ歩いても、それらしい痕跡には一つも当たらなかった。
「……変だな」
踏み固められた道どころか、獣が通ったであろう筋すらほとんど見当たらない。草は伸び放題で、倒木は倒れたままの姿で朽ちている。
まるで、誰の手も入っていない土地のようだった。
風が吹くたび、青臭い草の匂いが濃く鼻をつく。人の生活が匂わせる煙の匂いも、家畜の匂いも一切ない。
「うそーん……どこにいるんですかぁ、俺は」
独り言が、やけに大きく響いた気がした。
陽が傾き始めた頃、アルクの足が止まった。
草に半ば埋もれるようにして、朽ちた木製の車輪が転がっている。近づいてしゃがみ込み、指で触れると、木材はぼろぼろと崩れて土に還っていった。すぐ側には錆びついた片刃の剣。
柄の部分に、見覚えのない紋章が刻まれた布切れが巻きついている。
「おおっ…! ついに見つけたぞ!」
思わず声が漏れる。ようやく見つけた、人間の痕跡だ。誰かがここまで来て、何かを運んでいた。それだけで、この土地に確かな文明があるという証明になる。
だが、喜びは長くは続かなかった。
周囲を見渡しても、遺体らしきものは一つもない。地面には黒く焦げた跡がいくつも残り、土が抉れたような窪みもある。荷馬車がここで襲われたのだとすれば、荷物の残骸か、乗っていた人間の骸か、何かしら残っているはずだった。
「……何かと戦って、消えた、か」
アイテムボックスから鑑定虫眼鏡を取り出し、錆びた剣にレンズを向ける。
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名称:鋼の片手剣(劣化)
特記:量産品ではない。特定の鍛冶師による一点物と推測される。
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「一点物、ね」
その一文に、アルクは口元を緩めた。工房で機械的に打たれた剣ではない。誰かが誰かのために鍛えた武器だ。この世界に、確かな技術と、それを支える人の営みがある証拠だった。
同時に、胸の奥にざらついた違和感が残る。荷馬車ごと、人間ごと、痕跡だけを残して消えた。争った跡はあるのに、誰一人としてここに骨を晒していない。
「食われたにしちゃ、綺麗すぎる…か?それとも単純に逃げることに成功したか、時間が経ちすぎたのか。うーん……」
答えの出ない問いを抱えたまま、アルクは再び歩き出した。
低く、乾いた金属音が風に乗って聞こえてきたのは、それから間もなくのことだった。
「これは、戦闘音か!?」
アルクは足音を殺し、音のする方向へと近づいていく。丘の陰から覗き込んだ先、開けた草地で戦闘が繰り広げられていた。
十人ほどの人間の一団が、三体の魔物と斬り結んでいる。緑がかった鱗の体、二足歩行の体躯、手にした武器を巧みに操る姿——リザードマン種だ。
「うおおおおおおおお!!」
「バルトさん!」
一団の中でも特に激しく打ち合っているのは、大剣を振るう戦士と、それを援護する数名の魔術師らしき者たちだった。リザードマンの繰り出す槍の一撃を大剣で受け流し、反撃の斬り込みが敵の肩口を切り裂く。
呻き声と共に鱗が弾け飛んだ。
(おぉ、なかなかに強い)
アルクは岩陰に身を潜めたまま、アイテムボックスから鑑定虫眼鏡を取り出す。人間側に向けて鑑定が感知されても面倒なので、狙いを一体のリザードマンへと絞った。
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リーフ・リザードマン Lv.121
槍術士:守護者:採取者:解体屋
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「レベル121、か」
その数字に、アルクは目を細めた。あの草原で見た最下位種の雑魚どもと、大差ないレベルだ。それを相手に、一団は押し切ろうとしている。
「人数差があるとはいえ、戦えてるってことは、あいつらも同格かそれ以上ってことか」
この世界の人間が、レベル百を超える魔物と互角以上に渡り合っている。この世界の常識が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。
やがて最後の一体が地に沈み、乾いた土煙が舞い上がる。一団の中で最も背の高い、白髪交じりの男が大剣を鞘へと納めた。荒い息を整えながら、その視線が――
ゆっくりと、アルクの潜む丘の方角へと向いた。
「そこにいるのは分かっている」
低く、よく通る声だった。誤魔化しの利かない、真っ直ぐな視線がこちらを射抜いている。
「出てこい」
命令とも、誘いともつかない口調だった。アルクは口の端を持ち上げた。
「ハハッ、バレてたか」
隠れる意味もない。アルクは岩陰から歩み出て、大剣を担いだまま、その一団の前へと姿を現した。
十人ほどの一団は、まだ戦闘の余韻を引きずっている。血の匂いと土埃、そして荒い息遣いが混じり合う空気の中、アルクは片手を軽く上げ、敵意がないことを示しながら歩を進めた。
近づくにつれ、輪郭がはっきりと見えてくる。倒れた三体のリザードマンの死骸。武器を握ったまま膝をつく若い男。
「何者だ。どこから来た」
先ほどバルトと呼ばれていたリーダー格の男が問いかけてきた。無駄口を叩かない性分らしい。アルクは肩をすくめてみせる。
「流れの冒険者だ」
当たり障りのない言葉を選んだつもりだった。だが、その瞬間、周囲の空気がわずかに硬くなる。誰かと誰かが目を合わせ、すぐに逸らす。
小さなざわめきだ。
「流れ……?まさか、ノクスルド魔王国の……」
若い女――先ほどまで回復魔術を唱えていた者が眉をひそめ、口を開きかけた。だがバルトが片手を軽く上げ、女は言葉を呑み込むように黙る。
アルクは内心、口の端を持ち上げそうになるのを堪えた。
(ノクスルド魔王国、か)
聞いたことのない単語だった。だが今の反応で十分だ。この国が存在すること、そしてその出身者に対して、この一団が、何らかの警戒心を抱いていること。
間を置く必要はなかった。
「ああ、隠すことでもないな。俺はノクスルドから流れてきた冒険者だ。腕試しがてら、このあたりの魔物を狩ってたんだが……」
嘘だった。だが、口にした瞬間には既に、それが真実であるかのような態度が全身に纏わりついている。
一団の間に、再びざわめきが走った。今度は先ほどとは違う種類のものだ。警戒と、わずかな興味が入り混じっている。
「ノクスルドから、単独で……?」
バルトが呟くように言った。眉間に刻まれた皺が、わずかに深くなる。値踏みするような視線がアルクの全身を這った。
「……まぁいい」
やがてバルトはそれだけ言うと、視線を外した。表向きは納得したように見える。だが、その所作にはどこか、完全には得心していないような硬さが残っていた。
剣の柄から離れた手が、完全には力を抜き切っていない。
「怪我人も動けるようになった。ここから引き上げるぞ」
バルトの号令に、一団が動き出す。散らばっていた荷物をまとめ、隊列を整え、死骸の側から離れていく。マニアが仲間に肩を借りながら、それでも軽口を叩いているのが聞こえた。
「アルンダラへ帰還する」
誰かがそう口にした瞬間だった。
――アルンダラ。
その響きが耳に届くと、アルクの思考が一瞬途切れた。ChaosFantasyの始まりの街と、同じ名前。
心臓が一拍だけ強く跳ねる。表情から、ふっと軽薄な笑みが消えた。
(どういうことだ?ゲームの世界に転生?いや、だとするならこの平原と魔物の強さはおかしい……こいつらは徒歩だ、それほど遠くない場所にアルンダラがある──)
アルクは一瞬、言葉を失ったまま立ち尽くしていた。ほんの数秒だが、彼の顔からは普段の飄々とした色が抜け落ちていた。
「――どうした」
バルトの声だった。振り返ったその目は、鋭くアルクを捉えている。
「いや、なんでもない」
アルクはすぐに口元を緩め、いつもの調子を取り戻した。バルトはそれ以上、何も問わなかった。ただ、その視線だけが一瞬長く、アルクの顔に留まっていたことに、アルク自身は気づいていない。
バルトは何も言わず、ただ静かに歩き出した一団の最後尾へと視線を戻す。追及の言葉はなかった。
「――で、お前はどうする」
歩き出しながら、バルトが背中越しに問う。
「アルンダラまで着いてくるか?」
アルクは大剣を担ぎ直し、ゆっくりとその後を追い始めた。
「ああ、そうするよ」




