第32話 夢
高レベル帯の外れ、朽ちた祠の前に、一人の老人がいた。そこに、一組のパーティーがやってくる。
「おい、あれ」
「NPCだ、しかも見たことねぇやつ」
「隠しキャラだろこれ絶対」
小声で交わされたやり取りが、老人の耳にはしっかり届いている。老人は面倒くさそうに、しかしどこか値踏みするような目で一団を見上げた。
「ほっほ、若い衆がこんな辺鄙な場所まで。何用じゃ」
リーダー格のアタッカーが、少し緊張した面持ちで前へ出た。
「あの、この祠って何かあるんですか。何か知ってたら教えてほしいんですけど」
「知る者にしか語らぬのがこの祠よ。じゃがまぁ……お主ら、多少は骨がありそうじゃな」
老人は杖の先で祠の縁をなぞってみせた。
「空の上を知る者にしか、宝の在り処は教えられんのう。まずは、天翔ける鳥の羽を持って参れ」
「天翔ける鳥の羽……グリフォンとかそういうのですかね」
ヒーラーの女がぼそりと言った。フードの奥から、老人を見る視線がやけに鋭い。
「いんや、もっと高きを飛ぶ者じゃ。それを持ってくれば、この祠が眠りから覚める、かもしれんのう」
「かもしれん、なんですか」
周りが小さく笑う。老人もニヤリと笑みを浮かべる。
「……ちょっと待って」
ヒーラーが片手を上げ、一団を制した。フードの下の目が、老人の姿を上から下まで舐めるように見ている。
「掲示板で見た噂、覚えてる?NPCのふりして色々やらせた後に、正面から名乗って襲ってくる人外種のPK」
一団の空気が、ぴたりと固まった。
「まさか、これ例のPKじゃ…」
誰かが呟いた瞬間、"タナカ"は堪えきれず噴き出した。
「ぶはっ、バレたか」
その一言と共に、老人の体が光に包まれる。杖が消え、白髭が引っ込み、皺だらけの皮膚が灰色へと変わっていく。骨が軋み、肉が膨れ上がり、身の丈が3mを超えたところで光が収まった。額に三つ目の瞼が開く。
「フハハハハ!我が名はタナカ、悪魔の帝王なり!!」
正々堂々、名乗りを上げてから、大剣を虚空から抜き放つ。
「ちょっと待って!?ラスボス戦始まったんだけど!!」
「いや今更引けねぇだろ、やるしかねぇぞ!」
悲鳴とも歓声ともつかない声が上がりながら、タンクが盾を構えて前へ出た。動きは悪くない。慌てながらも役割は崩さず、アタッカー二人がすぐさま両脇へ回り込む。
弓職が距離を取って矢をつがえ、ヒーラーは既に回復魔法の詠唱に入っていた。
「フハハ!いい判断だ!」
タナカは口の端を持ち上げ、タンクの盾へ大剣を叩き込んだ。本気の一撃ではない。相手が受けきれる強さに調整した、あくまで"見せ場"を作るための一撃だ。タンクの足が半歩沈み、盾に亀裂が走る。
「くっ、重い……!」
「まだまだこんなもんじゃねぇぞ!」
弓職の弾速強化を乗せた矢が、三本立て続けに飛んでくる。タナカはあえて避けず、腕の装甲で受けた。矢は弾かれて地に落ちる。アタッカーの一人が横から斬りかかる隙を、律儀に見逃してやった。刃が脇腹をかすり、浅い傷が走る。
「入った……!」
「ほう、良い読みだ」
だが実力差は明らかだった。パーティーが連携で削ろうとするたびに、タナカは少しずつ被弾を許しては、決定打だけを外し続ける。一太刀で沈めることは簡単だったが、それでは面白くない。
相手にも、この戦いを"味わわせて"やりたかった。
戦闘の最中、タナカの視界の端に、ヒーラーの動きが引っかかった。
彼女だけは、味方の傷を癒しながらも、常に退路と敵の位置を確認している。攻撃には参加せず、ひたすら状況を読み続けていた。撤退の号令をかけるべきタイミングを、ずっと探っている。
「フハハハ!貴様、なかなかに見所があるな」
タナカが投げた台詞に、ヒーラーの肩がびくりと跳ねた。褒められたことへの戸惑いか、それとも警戒か、判断がつかない表情だった。
結局、パーティーは全滅した。タナカは装備を剥ぐことなく、地に倒れた五人を見下ろした。
「悪くない戦いだった。また会おう」
捨て台詞を残し、タナカは踵を返す。少し歩いたところで振り返ると、リーダー格のアタッカーが呆然と座り込んだまま、こう呟くのが聞こえた。
「なんか……普通にボス戦で負けた感あるな……」
パーティーは死亡判定となり、光に包まれていく。
タナカは口元を緩めたまま、再び光に包まれた。骨が縮み、角が引っ込み、白髭の老人へと戻っていく。祠の前に何事もなかったように座り直し、フィールドの喧騒へ紛れていった。
中央都市アルンダラ、工房街の一角。
タナカのフレンドである生産職の"ボイン"の店。棚には未完成の武具が並び、隅の作業台では炉の熱がまだくすぶっている。タナカは完全擬態の姿で顔を出した。
「よぉ、来たか」
丸眼鏡をかけたボインが、作業台から顔を上げた。隣で素材を選り分けていたレンジも手を止める。
「お、タナカくん来たね。管理者ちゃんに申請してた魔帝ノ大剣の能力申請通ったよ〜」
「え、あれ通ったんすか!?」
タナカが目を丸くする。
「うん。その代わり消費魔力が予定よりも結構多くなったり、必要な素材がレアドロップばかりだけど。まぁタナカならいけるっしょ?」
「あーやっぱ消費魔力は多くなっちゃいましたか。まぁまぁまぁ、そのうち魔力と武気の回復特化ミシックアクセ作ってもらおうと思ってたんで、それはクーシュリームさんにお願いかな〜」
「クーシュリームさん、最近ネーミングセンスさらに悪化してない?」
ボインが苦笑いを浮かべる。レンジが笑いながら首を振った。
「いや、あの人はわざとでしょ」
「わざとにしても限度あるだろ、あれ」
軽口を交わしながら、話は素材調達の話題へ移っていく。
「今度また高レベルエリアで素材集めしてくるんで、欲しいものあったら言ってくださいね〜」
タナカがそう申し出ると、ボインとレンジは顔を見合わせ、それぞれ欲しい素材のリストを口にし始めた。この持ちつ持たれつの関係は、悪くない。
しばらく雑談が続き、他にもフレンドが何人か来たあと、誰かが軽い調子で言った。
「タナカさんなら、そのうちアルンダラくらい落とせそうっすよね」
その場にいた全員が、ドッと笑った。ボインが腹を抱え、レンジも肩を揺らしている。
だがタナカだけは、一瞬だけ真顔になった。
「……それも面白そうですね」
低く呟いた声は、笑いの渦に紛れて誰の耳にも留まらなかった。




