第26話 結晶
土煙がまだ収まりきらない中、タナカは頭上を見上げたまま動かなかった。
枝葉の隙間から差し込む月光すら遮る暗がりの奥、そこから降りてくる気配は、先ほどまで相手にしていたキング・オーガやグランド・ドラゴンとは、明らかに質が違う。
重さがない。それでいて、額の三つ目がそちらを向いた瞬間、皮膚の下を何かが這うような感覚が走った。
「……なんだ?」
タナカは魔帝ノ大剣を構え直した。刃の切っ先を、降りてくる気配の方角へ向ける。
その時、大樹の幹に光が浮かんだ。
一つや二つではない。無数の光点が、樹皮の溝という溝に沿って灯っていく。まるで血管の中を淡い燐光が流れているかのようだった。光は次第に強さを増し、幹全体がぼんやりと発光する。
タナカは目を細めた。ぜんぶ見え見えだゾ〜?の感知が、その光の一つ一つに反応している。
頭上の暗闇が、ゆっくりと動いた。
巨大な影が、枝を避けながら降りてくる。羽ばたきの音はほとんどしない。タナカは大剣を握る手に力を込め、次の瞬間に振るえるよう身構えた。
だが、月光の下に姿を現したのは――白い鳥だった。
翼を広げれば大樹の幹の半分ほどはあるだろう巨躯。
羽毛は雪よりも白く、淡く輝いている。瞳だけが金色に光り、タナカを見下ろしていた。
(まったく知らない魔物だな。いや、そもそも魔物なのか、こいつ)
白い鳥は、タナカのすぐ手前まで降りてくると、そこでぴたりと止まった。地上には降りず、羽ばたきだけで宙に留まっている。金色の瞳が、じっとタナカを見つめたままだった。
敵意がない。
タナカには、それがはっきりと分かった。筋肉の張り、翼の角度、視線の動き――どれもが、攻撃の予備動作とは違う。ただ、値踏みするような、あるいは何かを確かめるような静けさがそこにあった。
「……何か用かよ」
タナカが呟くと、白い鳥はわずかに首を傾けた。答えるはずもないが、その仕草はどこか人間くさい。
しばらく睨み合いが続いた。
先に折れたのはタナカだった。大剣を下ろす。大剣の切っ先が地面へ向いた瞬間、白い鳥もまた、大きく広げていた翼を静かに畳んだ。
まるでこちらの動きに応えるかのようだった。
「もう戻れ」
タナカが短く言うと、傍らに浮かんでいた色欲ノ影が、不満げに唇を尖らせながら黒い煙となって大剣の中へ戻っていく。
「えー、もっとヤりたかったんですけどぉ⋯」
小さな声が消えると同時に、大樹の幹に走った光の帯が、一点へ集まり始めた。淡い光が線を描きながら流れ、ある一箇所に収束していく。
パキ、と乾いた音がした。
続けて、もっと大きな音。木の繊維が引き裂かれる、重い音だった。
幹の中央、タナカの視線の高さより少し上に、縦へ走る裂け目が開いていく。中から漏れ出したのは、淡い青の光だった。
タナカはペンダントの感知に意識を向けた。
裂け目の奥から、これまで戦ってきたどの魔物とも違う、異質な存在の気配が伝わってくる。武気でもない。魔力でもない。名付けようのない何かが、静かに、しかし確かにそこにあった。
心臓の奥が、一度だけ強く跳ねる。ゲーム時代から培ってきた勘が、警告よりもむしろ、強い興味を感じていた。
「……おい、入っていいのか?」
白い鳥へ問いかけると、それは金色の瞳をタナカへ向けたまま、静かに頷いた。
「へぇ、じゃあ入るか」
短く漏らし、タナカは裂け目へ足を向けた。大剣を担ぎ直し、開いた隙間へ体を横にして入っていく。白い鳥は追ってこず、裂け目の外に留まったままだった。
内部は、外の森とはまるで違う空気に満ちていた。
湿った土の匂いも、腐葉の匂いもない。代わりに、どこか清涼な、水のような匂いが漂っている。壁も天井も、木の繊維が幾重にも織り重なってできており、その隙間から淡い光が絶えず滲み出ていた。
歩くたびに、足元の木肌がわずかに沈み込み、また戻る。まるで生きた何かの体内を歩いているようだった。
しばらく進むと、視界が開けた。
広い空間だった。天井は高く、四方の壁からは無数の細い根が垂れ下がり、それぞれの先端が淡く発光している。まるで無数の星を吊るしたような光景だった。
そして、空間の中心。
薄青い巨大な結晶が、静かに浮かんでいた。
結晶の表面は滑らかで、内側からにじみ出る光が、周囲の空気をうっすらと染めている。タナカは足を止め、その中を覗き込んだ。
結晶の内側に、人の姿があった。
タナカよりも少し小さい体躯。背中には、白く輝く翼が一対。長い金髪が、結晶の中でゆっくりと、水中を漂うように揺れている。目は閉じられ、表情には何の緊張もない。眠っているようにしか見えなかった。
タナカはしばらく、その顔をじっと見つめた。
記憶を辿る。ChaosFantasyで見た顔か、それともフレンドの誰かか。似た容姿のNPCがいなかったか――記憶の底をどれだけ探っても、引っかかるものは何一つなかった。
「え、誰だこいつ。知らん」




