第23話 入口
タナカが悪魔帝の姿となり、装備を身につける。装備が体へ馴染むほどに、タナカの口元が緩んでいく。
どれもが、ゲームの中で幾度となく身につけてきたはずの感触だった。だが、こうして肉体で受け止めると、まるで違う。
「やっぱ装備は大事だな」
呟きながら、タナカは首元の"ぜんぶ見え見えだゾ〜?"へ指を這わせた。
指先が触れた瞬間、何かが変わった。
視界そのものは、何も変わらない。木々の輪郭も、闇の濃さも、さっきまでと同じだ。だが、頭の中へ流れ込んでくる情報の量が、明らかに違う。
木の幹の向こう側で蠢く何か。地面のさらに下、根の隙間を這うように進む影。空気を伝う魔力の筋。そのどれもが、まるで直接目に映っているかのように、はっきりと把握できた。
(すっげ…)
タナカは口の端を持ち上げた。少し離れた場所にいる魔物が、次にどちらの脚から踏み出すか。その肩がどちらへ捻れようとしているか。筋肉のわずかな盛り上がりまでもが、頭の中で先読みできる。
タナカは軽く笑った。
「クーシュリームさんはネーミングセンスは絶望的、というかわざとやってたんだろうけど、効果は良いんだよな。管理者ちゃんに申請通すのも上手かったし」
タナカは感知スキルが皆無だったため、クーシュリームに感知特化のアクセサリーの製作を依頼した。ゲーム内で最初にこのペンダントを見せられた時、タナカはとんでも名前に爆笑した記憶がある。
効果自体はレジェンドクラスのユニークアクセサリーだというのに、クーシュリーム作のアクセサリーは、その名前をどのプレイヤーも真面目に呼ぼうとしなかった。
だが、性能は本物だ。
タナカは一度だけ息を吐き、呟いた。
「形態変化、移動」
背中の戦装が軋み、鎧の継ぎ目から黒い羽根が幾重にも溢れ出す。瞬く間に、巨大な翼が二枚、左右へ広がった。艶やかな黒に、鈍い光を帯びる羽先。それが一度大きく羽ばたくと、周囲の枝葉が唸りを上げて揺れた。
地を蹴り、飛び上がる。
木々の隙間を、まるで初めからそこに道があったかのように縫って進んでいく。地上を走るよりも遥かに速い速度で、視界の端を流れる幹が線のように見えた。
「おっ、やっぱ速いな」
風を切る感触に、タナカは笑みを深くした。だが、その笑みはすぐに硬さを帯びる。
前方から、太い枝が唐突に折れて飛んでくる。
普通なら、避けるまでに一拍の遅れが生じるはずの攻撃だった。だが、ペンダントの効果がその予兆を先に捉えていた。
枝がどの角度で、どの速度で飛んでくるか。避けるための最小限の動きは、既に頭の中で組み上がっている。
タナカは体を僅かに傾けるだけで、それをかわした。
続けて、木陰から低い唸りとともに緑がかった光弾が放たれる。だがそれも、放たれる前から軌道が読めていた。片翼を軽く傾け、翼の一枚だけで進路をずらす。
地面から、太い根が矢のように突き出てくる。
それも予兆の段階で分かっていた。足を僅かに引き上げるだけで、根はタナカの脛を掠めることすらない。
「ははっ、クーシュリームさんありがとー!」
笑いながら、タナカは呟く。
その数多の攻撃は、森そのものが意志を持って侵入者を排除しようとしているかのようだった。枝も、根も、魔物の攻撃も、途切れることなく次から次へと襲いかかってくる。
だがそのどれもが、ペンダントの前では無意味だった。
しばらく避けながら進んでいると、前方の木々が一斉に倒れた。
轟音とともに、太い幹が根元から抉れ、苔むした地面が大きく捲れ上がる。土煙の向こうから姿を現したのは、獅子の頭と山羊の角を持つ、竜のように太い胴体の魔物だった。
黒い鱗が並ぶ背から三本の蛇の尾が伸び、それぞれが独立して蠢いている。
キマイラ・ロード。
一体だけではなかった。木々の奥から次々と同じ姿が現れ、その数は瞬く間に五体を超える。
タナカは飛翔を止め、空中でぴたりと静止した。
(キマイラ・ロード…上位種かよ。結構奥に来たってことか?)
黒い翼を緩やかに羽ばたかせながら、タナカは一体一体を見渡した。
先頭のキマイラ・ロードが、獅子の牙の奥で青い炎を膨らませる。同時に、別の一体の蛇尾が三本まとめてしなり、こちらへ向けて振り抜かれる姿勢に入った。さらにもう一体は、山羊の角を低く構え、突進の予備動作を取っている。
炎、尾撃、突進。三種の攻撃が、ほぼ同時に放たれようとしていた。
だが、そのどれもが予兆の段階で頭の中に映っていた。炎の噴射角度、尾の振り出す軌道、角の突き出す高さ。どれも回避には十分すぎるほどの余裕があった。
タナカは翼を大きく打ち、右斜め上へ体を滑らせる。
青い炎が空を舐めるように通り過ぎ、その熱がタナカの頬を掠めた。蛇尾の一撃は、翼の端が生んだ僅かな旋回で空を切る。突進してきたキマイラ・ロードの角は、タナカが既に離れた空間を貫いた。
「大森林は数が少ないと思ってたんだけどぉ!?危ねっ!こりゃ、逃がしてくれなそうだな!」
避けながら、タナカは魔帝ノ大剣を抜いた。
刃を一体の首元へ滑らせる。だが、その一撃はあえて浅く止めた。致命傷には遠く及ばない、様子見の一太刀だ。
「おっと」
刃を受けたキマイラ・ロードが、傷口から血を噴きながらもすぐさま体勢を立て直す。蛇尾の一本が独立して襲いかかり、タナカの腕を掠めた。
(このぐらいの攻撃じゃ崩れないか)
魔帝ノ大剣の腹で尾撃を受け流しながら、タナカは口元に笑みを浮かべた。
炎と物理の連携も、明らかに練度が違う。獅子が牙で気を引きつけている間に、蛇尾が死角を狙い、角が仕上げに突き刺さる。まるで一体の魔物が、複数の意志を同時に操っているかのような動きだった。
「やっぱり現実になると、同じ魔物でも別物だな」
タナカは楽しそうに笑いながら、蛇尾の一本を大剣の腹で弾き返す。
その時だった。
囲んでいたキマイラ・ロードの一体が、不意にタナカから視線を外した。獅子の頭がぐるりと動き、炎を吐こうとしていた口が、別の方角へ向けられる。標的が、明らかにタナカではなくなっていた。
咆哮とともに、青い炎の柱がタナカのいる場所とはまったく別の方向へ放たれる。
タナカの意識も、自然とその軌道の先へ引かれた。ペンダントの感覚が、炎の向かう先に、何か別の気配を捉えている。
地響きが、木々の根を震わせながら近づいてきた。
太い幹が次々となぎ倒され、土煙とともに巨大な影が飛び出す。全身を覆う灰褐色の剛毛、鼻先から突き出た二対の牙。体長は優に十メートルを超えているだろう。踏み出す一歩ごとに、地面がわずかに沈み込む。
タイラント・ボア
その巨体が、キマイラ・ロードの群れへ真っ直ぐに突っ込んでいった。
牙が一体の胴体を撥ね上げ、蛇尾が反射的に絡みつく。獅子の頭が咆哮を上げ、炎を吐き出す。だが猪の巨体はひるまず、逆に炎を突き破るようにして突進を続けた。
「おいおい…」
タナカは空中で翼を細かく打ちながら、目の前の光景に眉を上げた。
明らかに、キマイラ・ロードとタイラント・ボアは敵対していた。だがその最中でも、キマイラ・ロードの蛇尾はタナカへ向けて伸びてくる。角を構えた一体は、猪の突進をかわしながらも、こちらへ突撃の軌道を維持していた。
さらに、森の奥から新たな轟音が響いた。
木々が横倒しになり、その隙間から黒い巨躯が姿を現す。全身が黒褐色の筋肉で覆われ、額から一本の角が伸びる、二足歩行の巨人だった。手には、根こそぎ引き抜いたらしい太い倒木を握っている。
ブラック・オーガ
その双眸が、戦場の中で唯一空にいるタナカを捉えた。他の魔物へは目もくれず、倒木を振り上げたまま真っ直ぐにこちらへ跳んでくる。
「俺?強いやつに突っ込んでくるタイプか?」
タナカは片手で大剣を構え直しながら、苦笑を浮かべた。
その直後、地面そのものが揺れた。
戦場の中央、押し倒された木々の根元から、さらに巨大な影がゆっくりと身を起こす。太い根と幹が絡み合ってできた人型――高さは十五メートルを超え、全身を苔と蔦が覆っている。
エルダー・トレント
四体の強大な魔物が、それぞれの意志で戦場へ入り乱れていく。
「オールスター戦かよ」
タナカは笑いながら、迫るブラック・オーガの倒木を大剣の腹で受け流した。衝撃が腕を伝い、翼が空中で大きく揺れる。すぐさま体勢を立て直し、風歩の要領で横へ滑る。地上と違い、翼の推進力を混ぜた動きは、直線的な回避よりも遥かに軌道が読みにくい。
キマイラ・ロードの一体が放った炎を、翼の端でわずかに逸らしながら通り過ぎる。エルダー・トレントの太い根が地中から突き上がり、タナカの直下を貫いた。すでにその場を離れていたタナカには、掠りもしない。
ぜんぶ見え見えだゾ〜?の情報は、攻撃の予兆だけに留まらなかった。魔物それぞれが、他の存在をどう捉えているのか。その視線の意味までが、頭の中に流れ込んでくる。
タイラント・ボアの意識は、明確にキマイラ・ロードへ向いていた。縄張りを侵す群れそのものを排除する動きだ。ブラック・オーガは、周囲にいる他の魔物には一切構わず、ただこの場で最も強い気配――タナカだけを見ていた。
エルダー・トレントに至っては、敵味方の区別すらしていない。侵入したもの全てを、無差別に排除しようとしているだけだった。
タナカは大剣でエルダー・トレントの根の一本を斬り払いながら、頭の中で情報を組み立て直した。
普通なら、この場に留まって四体を順に叩き伏せるところだろう。だが今のタナカに、その必要はなかった。
翼を大きく広げ、上空へ急上昇する。
戦場が一気に眼下へ広がった。タイラント・ボアの突進がキマイラ・ロードの群れを蹴散らし、その隙にブラック・オーガが倒木を振り回して両者を巻き込む。三つ巴の乱戦がさらに膨れ上がる中、タナカはその頭上を悠々と飛び越え、さらに森の奥へと針路を取った。
「他のやつも来たらキリがねぇからな…戦略的撤退ってやつだ」
背後で咆哮と衝突音が重なるのを聞きながら、タナカは翼をたたむように速度を上げた。
木々の密度が、次第に変わっていく。幹はより太く、枝はより黒く、葉の隙間から差し込む月光すら薄くなっていった。
そして、ペンダントが捉える情報量が、急激に増え始めた。
強大な気配が、一つ、また一つと重なるように現れる。これまで相手取ってきたキマイラ・ロードやタイラント・ボアなど、比較にすらならない密度だった。
さらにその奥、あらゆる気配の中心に、途方もなく巨大な何かが静かに存在している。
タナカは空中でぴたりと静止した。
黒い翼が緩やかに羽ばたき、体を空へ留める。眼下に広がる森は、闇に沈んだまま、何一つ物音を立てていない。だがその静けさの奥に、確かに何かがいた。
「……いるな」
タナカは呟いた。額の目が、森の奥をじっと見据える。
「モヨモトが言ってた、俺を待ってる奴か?」
だが、ペンダントが示しているのは、その巨大な存在だけではなかった。
その周囲――中心を取り囲むようにして、無数の気配が広がっている。数えるまでもなく、その規模は尋常ではなかった。
タナカは一瞬だけ黙り込んだ。やがて、口元が吊り上がる。
「あそこまでデカいフレンドは知らないが…まっ、行ってみる価値はあるか」
黒い翼が大きく広がる。夜の闇へ溶け込むように、タナカの体がさらに森の奥へと吸い込まれていった。
どうも、モノノキです。
ブクマと評価、反応ありがとうございます!励みになっております。
これからもよろしくお願いします〜




