第22話 返答
アルクがアルンダラを出発する少し前、アルンダラの議長室へと集まっていたのは、ヴェルドラン、ガルド、ミレア、それに守備と交易を受け持つ数名の評議員だけだった。重い扉も窓の厚い帳も閉じられ、室内には余計な書記すら入れていない。
長机の中央には、ノクスルドから届いた一通の封書が置かれていた。
封蝋を割る役目を、ヴェルドランは自ら引き受けた。便箋を広げる。乾いた紙の擦れる音が、妙に大きく聞こえた。
内容は、以前ノクスルド側に要求した情報提供に対する返答だった。
まず、ノクスルドには、現時点でインセクト種による襲撃が確認されていない。その一文に、年嵩の評議員が小さく息をつく。しかし、返書はそこで安心を許してはくれなかった。
ステラ大陸北側に連なる大山脈でも、近頃はインセクト種の魔物が増え始めているという。もっとも、旧魔導国側から現れるマシン種と、山脈を縄張りとするドラゴン種が、それらを狩っているため、現状では大きな勢力の変動には至っていないらしい。
「マシン種とドラゴン種か……」
誰かが低く呟いた。離れた北の山脈で魔物同士が均衡を保っている。それだけを聞けば、アルンダラにとっては直接関わりのない話にも思える。
だが、ヴェルドランが目を留めたのは、その後に続く段落だった。
インセクト種は増殖が速く、数も多い。虫を食う魔物は、その十分な餌を得れば個体数を増やすだけでなく、強力な個体へと育ちやすくなる。たとえ虫の群れ自体が都市を攻めずとも、周囲にいる魔物の平均的な強さが押し上げられる危険がある――そう、返書には端的に記されていた。
さらにノクスルドでは、発見したインセクト種の大群を可能な限り積極的に狩り、自国の戦士たちの強化にもつなげる方針だという。
ヴェルドランは便箋から視線を上げ、居並ぶ面々を見渡した。ノクスルドは、自国に不利になり得る情報まで渡してきた。少なくとも、こちらの反応を見ながら情報を絞る者の書き方ではないようにヴェルドランは考える。
「僕らからもインセクト種の情報を渡したけど、ノクスルド側も想定していたよりも情報をくれたね。彼らが黒幕っていう線は薄いと見て良さそうかな。それで、自国の戦士たちの強化か……僕らも、似たようなことをした方が良いかな。どう思う、ガルド、ミレア」
問いかけに、最初に応えたのはミレアだった。彼女は机上の地図を引き寄せ、大平原と、かつての大戦跡地を指先でなぞる。
「必要でしょう。インセクト種に限らず、自分かガルドのどちらかが二十人程度の部隊を率いて、大平原や大戦跡地の魔物を狩るべきかと。新人だけに留まらず、中堅やベテランのレベルも上げていきましょう。私たちが出るのであれば、多少の無理も出来る」
まっすぐな口調には、戦場で部下を率いる者だけが持つ確信があった。経験の浅い者へ強い護衛をつける。中堅には判断を任せ、ベテランには未知の相手への対応を学ばせる。隊として狩るだけでも、アルンダラの戦力は底上げされるだろう。
ガルドは腕を組んだまま、ひとつ頷いた。
「ああ。だが、どちらかはアルンダラにいるようにした方が良いだろうな。街の守りを薄くするわけにはいかない」
「そうだね」
ヴェルドランは即座に同意した。外で戦力を育てるために、街の不安を増やしては本末転倒だ。とりわけ、敵が虫だけとは限らない今、指揮を執れる二人が同時に不在になるのは避けるべきだった。
彼は地図の余白に指を置き、全員の顔を順に見た。
「三日に一度、二十名の強化狩猟班を出そう。ミレアとガルドが交代で率いる。片方は必ずアルンダラに残って、守備隊の指揮と緊急時の対応を担うんだ。参加者は新人だけに偏らせない。経験の異なる者を混ぜて、帰還後には得た情報と戦い方を共有すること」
異論はなかった。評議員たちは、それぞれ必要な人員、補給について静かに確認を始める。
ヴェルドランは、なお机上に残るノクスルドの返書を見つめた。
遠い北でも、虫は増えている。まだ山脈の均衡は崩れていない。だが、それは崩れないという意味ではないのだろう。餌が増えれば、狩る者もまた増え、強くなる。小さな変化は、いつか地図の外から大きな波となって押し寄せるかもしれない。
だからこそ、アルンダラも立ち止まってはいられなかった。
最初の狩猟班を出す日を、ヴェルドランは三日後と定めた。静かな議長室で下されたその決定は、まだ誰も知らない戦いの始まりだった。
大森林の奥で、別種の騒音が木々を震わせていた。
大樹が根元からへし折れ、苔むした地面が大きく抉れる。枝葉の隙間から姿を現したのは、一体の魔物だった。
獅子の頭に、山羊の角。胴体は竜のように太く、黒い鱗が並び、地面を這う三つの蛇の尾がある。
それはキメイラ・ロードと呼ばれる魔物だった。
一体だけではない。
二体、三体。さらに奥から、次々と同じ姿の怪物が押し寄せてくる。獅子の咆哮が重なり、山羊の角が木々を削り、竜の胴から吐き出された熱気が森の空気を焼いた。
その群れを前に、タナカは大きく跳び退いた。
足元へ突き刺さった角が、地面を爆ぜさせる。舞い上がった土と葉の向こうで、別のキマイラ・ロードが口を開いた。獅子の牙の奥に、青く輝く炎が揺らめいている。
「大森林は数が少ないと思ってたんだけどぉ!?」




