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せっかくアバターの姿で転生したのに異世界の連中がやけに強い。  作者: モノノキ


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第21話 一つ目

太い枝は、葉を擦り合わせながらゆっくり沈んでいく。


アルクは足を止めた。鼻先を掠める甘く焦げた匂いが、湿った土と古い葉の匂いに混じっている。火を焚いたにしては煙がない。視線を上げると、枝が押し下げられた先の大樹の幹には、新しい裂け目が走っていた。


裂け目から、とろりとした黒い液体が流れている。


樹液だ。


近くで見ると、焦げ臭さに思えたものは、濃く煮詰まったような樹液の匂いだった。甘さの奥に、舌へまとわりつきそうな苦みがある、そんな匂いだった。


その樹液を、何かが舐め取っていた。


枝葉の隙間から伸びた、灰色の巨大な手が一本。五本の指が大樹の幹を掴み、もう片方の手が低い枝を押し下げている。枝が折れないぎりぎりまで撓り、その下から大きな頭が持ち上がった。


額の中央に、丸い目が一つだけある。


太い首から続く肩は樹皮のようにごつごつしており、背丈は周囲の木々の低い枝へ届くほどあった。片手には、根を引きちぎられた太い倒木が握られている。


アルクは背の大剣へ手を伸ばした。


「サイクロプスかよ」


ゲームでの名が、すぐに頭へ浮かぶ。

ホブゴブリンの派生進化先の魔物だ。狩場にいた個体なら、遠くから鈍重な的を殴るだけの相手だった。


だが、目の前の一体は違う。


樹液を舐めていた口元が止まり、一つ目がアルクを捉えた。目玉がわずかに動いただけで、森の狭い空間が急に窮屈になる。


(ゲームのやつより、一段とデカいな)


距離を取るために右足を引くより早く、サイクロプスの肩が捻れた。


倒木が横から薙ぎ払われる。


アルクは岩鉄の大剣を抜き、刃の腹を倒木へ向けた。次の瞬間、耳の奥で硬いものがぶつかる音が鳴った。


衝撃が腕を抜け、肩から背へ叩き込まれる。踏み締めた足元の根が軋み、両足がまとめて後ろへ滑った。革靴の下で土がめくれ、二本の木の間まで押し込まれる。


ファイター・ベアの拳より、明らかに重い。


大剣を支えた腕は痺れているが、骨が折れた感触はない。押し返されながらも、アルクは一つ目から目を離さなかった。


正面から削り合っても、勝てるだろう。武気を惜しまず使えば、倒木ごと切り伏せる手もある。


しかし、やれば周りの木を巻き込み、戦いは長引く。たった一体の相手へ、時間も体力も使い潰す理由はない。


サイクロプスは倒木を引き戻し、再び振りかぶった。一つ目は、逃げ場を探すアルクの姿だけを追っている。


「一つ目ってのは、分かりやすくて助かるな」


アルクは左手を上げ、指先へ薄く魔力を集めた。

ゲームでは何度も使った。だが、この世界で使うのは初めてだ。


"虚像の鏡"


一瞬だけ眩い光が発生し、アルクのすぐ左にもう一人のアルクが現れた。それはサイクロプスに向けて走り出す。

黒髪が揺れ、革鎧が葉を掠める。走るたびに肩が上下し、荒くなった呼吸の音まで本物と同じだった。足が根を踏む音も、同じ間隔で続く。


サイクロプスの目が、偽物へ動く。


「グオオオオオ!!」


巨人は叫び声を上げ、倒木を頭上から振り下ろした。土を砕く勢いの棍棒が、虚像へとまっすぐに落ちる。


ぶつかるはずの瞬間、倒木は人影をすり抜けた。


虚像は砕けた鏡のように散り、消えていく。


サイクロプスの一つ目が大きく開いた。振り下ろし切った腕に引かれ、上体が前へ傾く。視線は消えた虚像のあった地面を探り、首が遅れて横を向いた。


その死角へ、アルクは踏み込んだ。


足裏から武気を弾く。"風歩"で根の間を滑り、巨人の右脚の外側へ入る。膝の少し上、分厚い筋肉が盛り上がる場所へ、岩鉄の大剣を横から走らせた。


"鎧斬り"


刃へ纏わせた武気が、灰色の皮膚を押し破る。深い傷から濁った血が噴き、肉の硬さが一瞬だけ抜けた。


サイクロプスが脚を引こうとした。


アルクは刃を抜くと、そのまま懐へ潜り込む。巨人の膝下へ接近し、地面ではなく、支えようとする脚そのものを踏み抜いた。


"震撃"


武気を含んだ衝撃が、サイクロプスの脛から膝へ跳ね上がる。鈍い音と共に巨体の脚が硬直し、サイクロプスの膝が折れた。


巨人の喉から、短い唸りが漏れる。


傾いた体が、背後の大樹へ倒れ込もうとした。


倒木を掴んでいた手が地面を探り、指の間から棍棒が転がり落ちた。その腕が届かない側へ回り、アルクは膝をつくサイクロプスの首元へ跳び上がる。


刃に武器を纏わせた岩鉄の大剣を、首の付け根へ深く通した。


重い肉を裂き、刃が向こう側へ抜ける。巨人の一つ目が宙を見上げたまま止まり、傾いていた身体は大樹へ触れる寸前で横へ崩れた。


アルクは大剣を引き抜き、血を振り払った。森はすぐに静かになる。聞こえるのは、樹液が裂け目から垂れる小さな音と、遠くで羽ばたく何かの羽音だけだった。


「魔物の数は少ねぇのに、一体一体がやたら強いな」


ファイター・ベアを倒した時も、今もそうだ。これだけ大きな音を立てたのに、別の魔物が近寄ってくる気配はない。サイクロプスの死骸を背に、アルクは戦闘の空地から少し離れた。


巨人が踏み回っていた周囲は、土が広く押し固められ、太い根が地表へ何本も浮かんでいる。歩きにくい場所だが、よく見ると根の脇に霧葉草があった。


アルクは腰を落とし、根元を押さえてからナイフを入れた。切り取った葉を革袋へ滑らせ、すぐそばの二株目へ手を伸ばす。


サイクロプスが通るたび、背の低い草は踏み潰される。それでも、太い根の陰に潜り込めたものは残っていたらしい。巨人の縄張りの周りは危険だが、採取物が育つ場所としては悪くない。


倒木の陰には、硬蜜茸もあった。


黄褐色の傘が、腐葉土を押し分けていくつも並んでいる。指で押すと石のように硬く、かすかに蜜の匂いがした。柄の根元へ刃を差し込んでひねると、一本ずつ乾いた音を立てて外れる。


「お前ら、こんなところにあったのか」


採取の手を止めず、アルクは革袋の重みを確かめた。そこにある硬蜜茸を全て取り、歩き出した。大きな根を避け、地面の窪みを一つずつ記憶しながら、転移魔法陣を置けそうな場所を探す。


しばらく進んだ先で、ひときわ大きな大樹が視界を塞いだ。


幹は大人が何人で囲んでも手が届かなそうな太さで、根は地面から壁のように張り出している。根と根の間には黒い影が幾つもあり、下手に近づけば何かが潜んでいそうだった。


アルクは大剣の柄へ指を置いたまま、幹の周りをゆっくり回る。


裏側に、縦へ走る裂け目があった。


幹が腐って崩れたのではない。長い年月をかけて太った根と幹が、押し合うようにして隙間を作っている。裂け目の奥は暗かったが、湿った腐臭はしなかった。


身を横にして中へ入る。


空洞は、人が一人なら楽に立てる広さだった。頭上は太い木の繊維に覆われ、足元は絡んだ根が土をしっかり抱えている。外の明かりは裂け目から細く入るだけで、空を見上げても直接の雨は届かない。


寝具や道具を置くには狭い。長く籠もる場所でもない。


だが、転移魔法陣だけを隠すなら、これ以上ない場所だった。


外へ出たアルクは、根元に溜まった枯葉を手で除き、絡んだ苔を避けながら空洞の足元へ戻った。根を傷つければ、この隠れ場所自体がいつか崩れるかもしれない。剣の鞘で土の小石だけを脇へ寄せ、靴底が沈まない程度に土を均す。


それから、アイテムボックスより短い杖を取り出した。


"転移の杖"


青い石の嵌まった石突きを、整えた土へ触れさせる。宿の自室、寝台と壁の隙間に隠した起点を思い浮かべ、静かに魔力を流した。


土の上へ青白い円が浮かぶ。淡い光が空洞を満たし、根の輪郭と木目を一瞬だけくっきり照らした。刻印はすぐに光を弱め、土と木の色へ溶け込んでいく。


アルクは最後まで消えるのを見届け、口元をわずかに緩めた。これで、禁域へ近いこの大森林まで、毎回歩く必要はない。


「よし、目的は達成だな」


空洞を出ると、枝葉の隙間の空は橙色に染まり始めていた。アルクは大樹の位置を周囲の根と岩で覚え直し、都市へ向けて足を速めた。


日が暮れ切る前、南側の冒険者ギルド出張所へ行った。


受付の若い職員は革袋の中身を確かめ、霧葉草と硬蜜茸を卓へ並べた。量が増えるたび、彼女の目が少しずつ丸くなる。


「わっ、たくさん……ありがとうございます!」


「ああ、足りてるか?」


「はい、十分です。こちらが報酬になります」


差し出された革の小袋には、金貨が四枚入っていた。掌の上で重みを確かめてから、アルクは袋をしまう。


「ありがとう」


「いえいえ!お疲れさまでしたー!」


職員へ軽く手を上げ、出張所を後にした。


夜になり、宿の自室へ戻る。扉を閉め、鍵を掛けると、廊下の話し声が遠ざかるまで待った。誰もいないことを確かめ、寝台と壁の隙間へ手を伸ばす。


荷物の陰に沈んでいた刻印へ、魔力を流した。


青白い光が床から立ち上がり、視界が一度、白く塗り潰される。


次の瞬間、湿った土と樹液の匂いが鼻へ入った。


「成功〜。こっちの世界でも使えてよかったぜ」


アルクは大樹の空洞に立っていた。裂け目の外は夜の闇に沈み、葉の擦れる音が近い。大樹の外へ出ると、周囲を見回してから、アルクは完全擬態を解いた。


骨が軋むように伸び、視線が高くなる。肌は灰色へ変わり、黒い毛に覆われた山羊の頭から白く捻れた角が伸びた。額の第三の目が開き、夜の森を見渡す。


悪魔帝の姿へ戻ったタナカは、虚空へ片手を差し入れた。


最初に取り出したのは、"魔帝ノ大剣"。続けて、全身を包む漆黒で無骨な鎧、"魔帝ノ戦装"を装着する。

左腕へ、脈打つように震える赤黒い宝石が嵌め込まれた"老龍ノ心臓"という腕輪を通した。


さらに"母神ノ魂"という暗い青色の宝石が嵌め込まれた白金の指輪と、黒く螺旋状の指輪、"巨神ノ指輪"を嵌める。


そして最後に、装飾部分に瞳が刻まれている黄金のペンダント、"ぜんぶ見え見えだゾ〜?"を首に下げた。


装備が体に馴染むにつれて鎧の継ぎ目から冷たい気配が漏れ、武気と魔力が静かに巡り始めた。タナカは森の奥へ視線を向ける。


「久々だなぁ、この装備。よしっ、行くか」

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