第15話 魔法
護衛依頼があった翌日の朝、アルクは中央区画の衣料店で買った灰色の上衣と黒のズボンに着替えた。装備はアイテムボックスにしまってある。
「ふぅ〜、今日は中央区画で街ブラだな〜」
宿から出ると、朝の石畳にはまだ昨日の雨が残っていた。アルクは中央区画へと足を運んだ。
中央区画へ近づく通りには、石造りの住宅が緩い坂に沿って並び、開いた窓から煮込みの匂いと子供の笑い声がこぼれる。
一軒の書店の前では、背の低い青年が棚から抜いた分厚い本を抱え、店主らしい老人と何やら話し込んでいた。少し先では、木剣を背負った若者たちが三人連れで歩いている。彼らは訓練の話でもしているのか、誰かが腕を振る真似をすると、残りの二人が声を上げて笑う。
(いいねぇ、この異世界の日常って感じ)
頭の中で呟くと、蜜菓子の香りが鼻をくすぐった。食べてみるか、と店先へ視線を向けかけた時だった。
「アルクさん?」
聞き慣れた声に振り返る。
通りの向こうから、ミナがこちらへ歩いてきた。前に見た回復術士らしい装いではなく、淡い青の上衣に白の膝丈のズボンという軽い格好だ。
肩には細長い道具袋を掛け、腕には薄い冊子を抱えている。
「おう。ミナも休みか?」
「半分だけ、ですかね。今日は依頼じゃなくて、氷魔法の鍛錬へ行くんです」
ミナは冊子の端を指で押さえ直した。表紙には、何度も開いたらしい癖がついている。
「この前、訓練所で教わり始めたばっかりなんですけど、空けるとすぐ感覚を忘れちゃうので」
言いながらも、彼女の足取りには面倒そうなところがない。
「ミナは魔法士でもあったのか?」
「いえいえ、私が持ってる戦闘職業は回復術士と呪術士だけですよ!ただ、やっぱり出来ることは増やしておいたほうがいいので、魔力量も多いほうだし」
ミナは胸の前で冊子を抱え直し、少しだけ照れたように笑った。
回復術士と呪術士は、氷魔法系を覚えることはない。回復術士は純粋なヒール職、呪術士はデバフ職だ。
(もしかして、職業に関係なく魔法や戦技を覚えること自体は出来る……?)
胸の内に、今までとは別の道が開くような感覚が走った。
「面白そうだ。見学してもいいか?」
「もちろんです!ただ、まだ本当に基礎だけですよ?」
「もちろん。てか、そこが見たいんだよ」
「そうですか?それでもいいなら、一緒に行きましょう!」
ミナはすぐに頷き、歩く向きを訓練所の方へ戻した。アルクもその横に並ぶ。彼女は冊子の端に小さく書いた文字を確かめながら歩いていた。
中央区画の奥に建つ魔法訓練所は、外から見ても大きかった。灰色の石を積み上げた建物は窓が少なく、正面の扉だけが人の背丈を二つ重ねたほど高い。少し離れた場所には似たような建物がもう1つある。
中へ入ると、冷えた空気と、わずかに焦げたような匂いがした。
高い天井には、白い明かりが列をなして埋め込まれている。柱で区切られた複数の区画では、それぞれ別の訓練が行われていた。壁へ向けて火の玉を撃つ者。床に描かれた円の中で風を巻く者。
奥の広い区画では、円盤状の木製標的が幾つも宙を走っている。
標的の縁には淡い青光りの紋様が彫られ、曲がるたびに小さく唸った。一枚は床すれすれを横切り、別の一枚は柱の間を上下し、もう一枚は急に速度を変えて円を描く。魔力で動いているらしい。
「私たちはあっちの区画です」
ミナが柱の近くを指さした。
そこでは、標的が一枚だけ、壁から離れた場所を左右に往復している。アルクは壁際へ寄り、邪魔にならないところで腕を組んだ。
ミナは標的と正対し、足を肩幅ほどに開く。道具袋から細い木片を一本抜き、いったん息を吐いた。木片は使わず、すぐに袋へ戻す。
「まずは、形を作るところからですね」
右手の掌を上に向ける。その上に、淡く白いモヤが現れた。魔力だろう。
最初は霧のように揺れていた白い魔力が、次第に細く集まっていく。白い魔力はやがて、短剣の刃ほどの長さの氷へ変わる。
ミナが掌を前へ押し出した。
氷のトゲが弾かれ、標的の後ろを抜けて石壁に当たる。小さな破裂音とともに、白い欠片が床へ散った。
「うーん」
ミナは眉を寄せたが、すぐにもう一度掌を上げる。
二発目は標的が左へ滑ったあとを通った。氷は壁へ届く前に細かく崩れ、冷えた粉だけを残す。
三発目を作る間、ミナの肩が僅かに下がった。呼吸を整え、標的が右へ動き始めてから、ほんの少しだけ待つ。
放たれた氷のトゲが、木製円盤の外縁を掠めた。
硬い音が響く。標的の縁から木屑が飛び、円盤はそのまま軌道を変えずに走り続けた。
「今のは惜しいですね」
ミナは口元をほころばせた。アルクは「おー」と呟きながら小さい音で拍手をする。
次の一発は、標的が戻ってくる位置へ先回りするように撃ち出された。氷のトゲは円盤の中心より少し下へ突き刺さり、木の表面に白い筋を残す。
その次も、ほぼ同じ場所へ当たった。今度は氷が深くめり込み、木の裏側から薄い霜が広がる。
(レベルがそれなりに高い影響もあるだろうが、良い威力だな)
アルクは腕を組んだまま、標的に残った傷を見た。回復術士の技として使う魔力とは、形も手応えもまるで違うのだろう。
五発目を終えると、ミナは額に浮いた汗を袖で拭った。
「少し休みます。魔力を無駄に使うと、後半が雑になるので」
「ああ、それがいい」
壁際の石段に腰を下ろし、ミナは冊子を開いた。頁の上には、小さな字で項目が並んでいる。その余白に、ミナ自身の字で"氷魔法"と書かれていた。
「本当は氷魔法士とかの本職の人がやる方が展開がずっと早いし、魔力の減りも少ないんですよね。私は失敗も多いですし、本職じゃないので当たり前ですけど」
そう言って、彼女は先ほど壁へ砕けた二発の方を見た。
アルクは天井を見上げた。
ゲームでは、職業がスキルを解放していた。スキルの欄に新しい名が現れ、その時点で初めて使えることになる。職業が先にあり、技はその後から与えられるものだと、ずっと思っていた。
だが、ミナは職業にない現象を、手順に分けて自分のものにしようとしている。
この世界での職業は、使える技を決める枠ではなく、技を扱うための近道や、効率を上げるものなのかもしれない。
「なるほどな。カオス……じゃない、俺も色々と覚えないとだな」
危うく余計な言葉を出しかけ、アルクは喉の奥で止めた。ミナは気にした様子もなく、冊子を閉じる。
「アルクさんなら、すぐ出来そうですけどね」
「うーん、どうだろうなぁ」
休憩のあと、ミナはさらに数発、氷のトゲを標的へ放った。二度、標的の横を抜けたが、残りは外縁か中心近くを捉えた。
最後の一発が円盤の中央を打つと、彼女は小さく息を吐き、満足そうに道具袋を肩へ掛けた。
訓練所を出る前、ミナは柱の陰で冊子を開き直した。
「次は、これをやってみるつもりなんです」
示された次の頁には、腕と足の向き、武気の流れを段階ごとに描いた人型の図が並んでいる。"基礎戦技の型"と書かれていた。
「魔法だけじゃないのか?」
「職業にない技を試す人は、魔法だけじゃなくて、戦技の基礎も学ぶことが多いらしいです。武気の流し方とか、足運びとか。私は得意じゃないですけど、知っておくだけでも違うかなって」
ミナは図の一つを覗き込み、それからアルクへ顔を上げた。
「今度、これもやってみるつもりなんです。アルクさんも、何か練習したいことがあるなら一緒にどうですか?」
「へぇ、行こうかな?何なら魔法も覚えたい」
アルクが答えると、ミナは目を丸くした。
「アルクさんは近接のイメージがありますけど、魔力量はあるんです?」
「ああ、実は魔法職も持ってんだよ。ミナが言ってた通り、手数は多いほうが良いからなぁ」
「そうだったんですね!それじゃあ、まず私に戦技を教えてくださいよ!」
「お、おぉ……出来るかな?人に教えるのは初めてだからなぁ」
「大丈夫ですよ、たぶん!さ、行きましょ!」
ミナは明るく言い、冊子を胸に抱える。アルクは内心、しっかり教えることが出来るか悩みながらも、2人はそのまま訓練所の出口へ向かった。
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