第12話 謎の損壊地
「明日まで待つ理由もない、か」
金貨の入った革袋を懐へ押し込み、アルクは西側の冒険者ギルドを出た。
扉が閉まると、背後に残っていた薬草の匂いが途切れる。石造りの倉庫に挟まれた道には、暮れかけた陽が細く差し込んでいた。作業着姿の者たちが家路を急いでいく。
「金が入った直後に、指名依頼ねぇ」
今日は宿代に追われていた身には十分すぎるほどの収穫だった。それなのに、ようやく一息つけそうなところへ厄介事らしい話が転がり込んできた。
「ま、内容も聞かずに文句言っても仕方ねぇか」
独りごちて、アルクは中央へ続く大通りを歩き出す。
夕焼けが石畳を赤く染める頃、冒険者ギルド本部の大きな建物が見えてきた。
広い扉を押して中へ入ると、外の冷えた空気に代わって、人の熱気が鼻を撫でた。受付の前には依頼を終えた冒険者が数人並び、掲示板の周りでは明日の仕事を探す者たちが依頼書を覗き込んでいる。
「すまん。本部から指名依頼が入ってるって聞いたんだが」
空いていた窓口へ、冒険者証を差し出して声をかけると、受付にいた若い男性職員は帳簿から顔を上げた。冒険者証を受け取って名前を確かめると、すぐに姿勢を正す。
「アルク様ですね。お待ちしておりました」
職員は曖昧に微笑み、カウンターの脇にある通路を示した。その後をついていく。通路の奥は受付より静かで、壁に掛けられた魔物の角や古い依頼達成証が、灯りに照らされていた。
二度角を曲がった先で、職員は暗い木製の扉の前に立つ。
「こちらへどうぞ」
その部屋は、来客を通すための小さな個室だった。窓際には応接用の卓と椅子が置かれ、卓上には紙束が整然と並んでいる。
最初に目に入ったのは、手描きの簡略地図だった。アルンダラの東門から外へ延びる道と、その先に広がる大平原が太い線で描かれている。地図の東寄りには、大きく丸がつけられていた。
「どうぞ、お掛けください」
促されて椅子に腰を下ろす。職員は向かいの席へ座り、指を組んだ。
「まず、本件の依頼者は冒険者ギルドになります」
「ギルドが直接ってことか?」
「はい。先日のインセクト種の襲撃後、東側外縁域の監視記録を精査した結果、当ギルドが独自に危険度を判定し、立ち上げた調査になります」
職員は依頼書へ手を伸ばしたが、まだ開かずに続けた。
「アルク様は指名依頼が初とのことなので、念のため制度の話もしておきます。指名依頼をするのは、基本的に冒険者ギルドです。一般の依頼人が特定の冒険者を縛ることはありません」
「正当な理由がなきゃ断れないってやつだよな」
「その通りです。ただし、今回のようにギルドが直接指名する案件は、内容と人員の適性を確認したうえで決定しております。
無理に危険な仕事を押しつけるための制度ではありません」
職員の声は丁寧だった。だが、卓上の紙束を揃える指先には、張りつめたものが見えた。
アルクは地図の黒い丸を顎で示す。
「で、その調査ってのは?」
「アルンダラ東側の大平原へ向かう、調査班二名の護衛です」
職員は一番上の報告書を一枚取り、文字の並ぶ箇所を指し示した。
「襲撃の翌日、偵察隊が大平原の一角に巨大な損壊地を発見しました。散らばった残骸の規模も、通常の地滑りで説明できるものではありません」
報告書には、黒い線で傷のような図が描かれていた。地図の丸より小さく見えるのは、全体を描き切れていないからだろう。
端に並んだ数値を追うと、損壊地の長さは想像していたよりずっと大きい。
「これは、虫の群れと関係があるのか?」
「断定はできません。しかし、インセクト種の不自然な移動経路が、その損壊地の周辺で複数確認されています。さらに周囲の魔物も、縄張りを避けるような動きをしているようです」
「なるほど……それで調査か」
「はい。現場を調べる必要があります」
職員はもう一枚、別の紙を取り出した。そこには護衛の名前が並んでいる。
「護衛は五名です。バルト様、ジン様、アルク様、フィオナ様、そしてアネット様」
聞き覚えのある名が二つ、すぐに耳へ残った。その他の2人、フィオナ・アルベールという女冒険者がSランク、アネットという女冒険者がBランクとある。バルトとジンはAランクだ。
アルクは紙から顔を上げた。
「……俺だけCランクなの、浮いてないか?」
職員は少しだけ目を丸くし、それから口元を緩めた。
「ミレア様の推薦です」
「ギルドマスターが?」
「はい。登録時のレベル、実技試験、先日の防衛戦での動きを総合して判断されたそうです。アルク様であれば問題ない、と」
思い返せば、ミレアは戦の後から妙にこちらを見ていた。あの時の視線が、ただの興味ではなかったらしい。
「買い被りじゃなきゃいいけどな」
「少なくとも、ミレア様はそう考えておられません」
職員の口調には、上司への揺るがない信頼があった。
アルクは改めて紙に並ぶ五人の名を眺める。護衛だけで、Aランク二人、Sランク一人、Bランク一人。それだけ揃えるなら、人数を増やして調査班を囲んだ方が安全にも思えた。
「それだけ危ないかもしれないなら、もっと人を出した方が良くないか?護衛十人くらいで周りを固めりゃ、調査する連中も安心だろ」
職員は、すぐに首を横へ振った。
「人数が多ければ安全、とは限りません。大平原では、武装集団の気配そのものが、関係のない魔物を呼び寄せます」
卓上の地図に置かれた指が、東門から平原へ伸びる線をなぞる。
「武気や魔力、金属音、集団の足跡、人間の匂い……魔物はそうしたものに敏感です。調査対象と無関係な群れまで引きつけてしまえば、痕跡を見て戻るための任務が、討伐戦に変わってしまいます」
「なるほどな」
「今回の目的は、相手を倒すことではありません。調査班が損壊地を確認し、必要な記録を取って帰還することです。そのために、戦闘力と静かな行動の両方を成り立たせられる人数として、調査員二名を含めた七名が選ばれました」
説明を聞くほど、ただの護衛ではないと分かってくる。
強い者を集めれば済む話ではなく、平原の中で余計なものに気づかれず、引くべき時に引かなければならない。
「調査班が危険と判断した時点で、即時撤退となります。不要な交戦は禁止です。調査資料の回収よりも、七名全員が戻ることを優先してください」
「分かった。危ないもんがいたら、ぶっ飛ばして進むんじゃなくて帰るわけだな」
「はい。どうか、その点だけは厳守をお願いします」
「そうか。分かった」
職員はほっと息をつく。
「ありがとうございます。集合は明後日の早朝、日の出前です。東門の内側に、調査班用の荷車が待機しております。遅れないようお願いいたします」
「明後日の、日の出前な。分かった」
「詳細は、集合後に班長から共有されます。今夜と明日は、どうか装備と体調を整えておいてください」
個室を出ると、受付の灯りはさらに明るく見えた。外はすでに暗くなり、窓の向こうの石畳には、店じまいを急ぐ者たちの影が長く伸びている。
翌日、彼は朝から外縁区画を保存食やヒールポーションなどを買い漁った。保存食は銅貨5枚程度だったが、ヒールポーションが1つ銀貨6枚と、この前の襲撃の影響でそれなりに値段が張っていた。
ついでに、明日は連携が重要になりそうだとアルクは考えて、少し大きすぎる岩鉄の大剣はやめておき、別の武器を準備した。




