?歳・1
――――ざわめきが聞こえる。
チャイムの音……椅子を引く音……無数のおしゃべり……。
懐かしい雑音の群れだ。まるで、学校のような――。
……?
これは……なんだ?
あれ? 私は……。
明美を撃って、自分を撃って、それで……それで……。
死んだはず。
気づけば、私は机に突っ伏していた。
呆然としたまま、頭を持ち上げる。正面には黒板があり、周りには制服やジャージを着た子供がうじゃうじゃいる。
「………………は?」
口をあんぐり開けたまま、私は完全に固まった。
なんで学校にいるんだ?
あれ? 死ななかったっけ、私。
宇宙で明美と一緒に自殺したはずなんだが……なんで地球にいんの?
――あらゆる感覚はリアルで、夢とは思えない。だが、これを現実と考えるには、あまりにも無理がある。
だって、私の体も中学生になっているのだ。
制服を着てるし、肌が艶やかで若々しい。顔をベタベタ触ったが、もちもちしっとりで感触が全然違う。
LAWSにやられた怪我も、まったく痕跡がなかった。それどころか、大昔に明美にかじられた右耳さえ、欠損部分が元に戻っている。
……意味わからん。どういうこっちゃ。
「ねーっ! ホントうざったいよねぇ、アイツ!」
ひたすらに混乱していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。これは、まさか――。
視線を向けると、教室の入り口に明美がいた。
しかし、若い。そして表情やら仕草やらが、なんというかイキってる。あれは……ギャルめいたキャラを作っていた時代の明美か。
「ことあるごとに彼氏の話してきてさぁ。『付き合ってないヤツには人権ないよ』、と言わんばかりなの、マジむかつく」
明美の愚痴っぽい言葉に、連れの女子が口々に同意する。
「だよね~。進藤くんなんて、言っちゃ悪いけどランク高い男じゃないのに」
「調子乗ってる感ハンパないよね。明美だったら、付き合おうと思えばもっと上の男と付き合えるのに」
……なんか覚えがあるな、この会話。よくあるやり取りのはずなのに、妙に引っかかる。
などと思っていたら、明美がこちらに近づいてきた。
異様な展開にどぎまぎしていると、ギャル明美は私の机に乗っている細い袋を摘み上げた。
「なにこれ、筆箱? だっさ」
あっ、思い出した。
確かこのあと、明美が婆ちゃんからもらった筆箱を投げて壊す。で、ぶち切れた私は、ヤツを殺すことを決意する。――そういう流れだったはずだ。
ということはなにか? 私は過去にでも来たのか?
そう考えれば、まあ納得のいく状況ではあるが……。
「つーか、なにその顔? ギャグ? 私の顔がそんなに変に見えるっての? ねぇ」
……お? 展開変わった? 私の挙動に反応したってことは、過去とまったく同じにはならない?
相変わらず意味不明な状況だが、興味は沸いてきた。せっかくだから、楽しむとしよう。
私は明美の持ってる筆箱をサッと奪い、その中からカッターを取り出した。そして刃を伸ばし、おもむろに右手の親指の腹をスッと切る。
そこそこの痛みが走った。やはり体の感覚は普通にあるらしい。
線のような傷口からはみるみるうちに血が溢れ、一本の筋となって指を伝っていった。
「なにやってんの、あんた」
ギャル明美は眉根を寄せ、理解不能なものを見下す表情をしている。私は席を立ち、指を明美に向けて言った。
「飲ませてやろうか、私の血」
「…………は?」
困惑というより不機嫌さに満ちた表情を、明美は浮かべている。が、私は気づいた。ヤツの喉が、物欲しそうにピクリと動いたのを。
一方、そばで見ている取り巻きは、容赦のない評価を口にしてきた。
「うわ~……、頭アレなの、あいつ」
「漫画とかの真似じゃない? オタクっぽいし」
次の瞬間、明美は私の机を横に蹴っ飛ばした。派手な音を立てて机が倒れ、クラス中の注目が集まる。
「二条さんさぁ、もしかして私のこと舐めてる? 意味不明すぎて理解できないけど、ともかく超不快なんだわ。それこそ、ぶっ殺したいって思うくらいに」
騒がしかった教室が、シンと静まり返った。明美のとげとげしい言動に、誰もが圧倒されたらしい。
……が、私はとうとう堪えきれず、笑い出してしまった。
「プ……プククッ。あはははは!」
当たり前だが、こんなガキの威嚇なんぞ微塵も怖くはない。そして未来の明美との温度差というかギャップがおかしく、つい笑ってしまったのである。
いや~、当時の私はビビリまくってたっけなぁ。それも込みで、色々と笑える。
明美は無表情のまま私を凝視し、そして右手を振り上げた。ビンタでもしようとしてきたのだろう。
私はすかさず反応し、その手首を掴んだ。そして合気道の要領で外側へと軽く捻る。
痛みに喘ぎ、明美は膝をついた。さすがに驚愕の表情を浮かべ、こちらを見上げてくる。
「このままボコボコにしてもいいけど……ま、それはいいや」
子供を苛める趣味はない。私はすぐに手を離してやった。明美は手首を押さえながら立ち上がり、二、三歩後ずさる。
周りの生徒たちは相変わらず固唾を呑んで見物しているが、彼らの畏怖の対象はもやは明美でなく、私だろう。昔の惨めだった自分を助けてあげたみたいで、少し気分がいい。
が、そろそろ本題に入ろう。そのためにわざわざ指を切ったのだ。
「明美、お前に選ばせてやる。そのままボス猿のキャラを守り通して私を食うのを諦めるか、あるいはくだらん演技をやめて私を食うか。どっちがいい?」
私は再び、血の流れる指を明美に差し出した。
「……な、なんで……」
疑問をそのまま口に出し、ヤツの表情に動揺が広がっていく。
あれはたぶん、素だな。だったら、もう一押ししてやろう。
「お前はそもそも、どうしてそんなキャラを作ってる。私を食うためだろ? なのに、私が直に血をくれてやるって言ってるのに、それを拒否するのか? キャラを維持するほうを選ぶってのか? 目的と手段が入れ替わってるんじゃないか、それ」
ダメ押しに、さらに明美の口元まで指を近づける。ヤツは指――というか血を凝視し、顔を離すどころか、徐々に近づけてくる。
そして、ようやく吹っ切れたのだろう。
『待て』の命令を解除された犬のごとく、明美は私の指に勢いよくむしゃぶりついた。血を吸い、舐め、貪欲にむしゃぶりついてくる。
「うまいか?」
「うん、おいし……おいし……」
私の指を舐めながら、明美は陶酔した表情で答える。
よしよし、ようやく素直になってきたな。だったら、さらにご褒美をくれてやろう。
私は明美を押し倒す形でしゃがみこみ、対面座位になる形でその上に乗った。
「ほら、もっと口開けろ。私の腕を、お前の喉の奥まで突っ込んでやる。それで私を食う感覚を擬似的に味わえ」
刑務所にいたとき、明美とよくやったプレイだ。私は左手で明美の後頭部を押さえ、右手をヤツの口の中へと押し込んでいく。
口を塞がれ、明美の鼻息が一気に荒くなる。だが、まったく抵抗はしない。完全に体を私に預け、されるがままになっている。
しかし、指四本の根元あたりに達したところで、上下の歯につっかえて止まった。そうか、これは……。
「おい。今のお前って顎の間接外せるか?」
明美は目に涙を浮かべ、私の手をくわえたまま首をぷるぷると横に振った。
ふむ、ならこれ以上は無理か。強引にこのまま入れたら、抜けなくなって窒息するかもしれない。
「じゃあ、今日はここまでだ」
私はそう言って右手を明美の口から抜いた。唾液がねっとりと糸を引き、肌はてらてらと怪しく輝いている。
明美は脱力しきってぶっ倒れそうだったので、そのまま背中を押さえて床に寝かせてやった。
半端な形で終わったが、それでも明美はなかなかに満足したらしい。その証拠に目はうつろで、体がビクンビクンと小刻みに跳ねている。軽くイッたときの反応だ。
とはいえ、ヤツからすればこの状況はあまりにも不可解なのだろう。呼吸を整えつつ、潤んだ瞳を私へと向けてくる。
「はぁ、はぁ……れ、玲ちゃん、どうして……んぐっ、わ、私のことを……」
明美は息も絶え絶えで質問してきた。私はヤツの頭を撫でてやり、顔を近づけて答える。
「これからは、こうしていつでも私を食わせてやる。だから、お前はつまらん小細工なんてしなくていい。そうすりゃ、お互い幸せだ」
私は気兼ねなしに学生生活を送れるし、明美は常に腹を満たせる。ウィンウィンってやつだ。
これでいい。
こうすれば、わたしたちはずっと穏やかに暮らせる。波乱万丈とはいかないだろうが、二人で幸せな日々を送れるはずだ。
おっと、待てよ。それだと碧とルウが生まれないな。遺伝子の研究はしてもらわないと困るか。
四人で暮らすのもいいな。ルウとは一緒に生活したことないが、たぶん違和感なく馴染めるだろう。なんたって、私のクローンだし。
碧はいずれまた嫁にいくのだろうが、まあ、それもいい。明美は独占欲強いし、男嫌いだから、碧の旦那さんには強く当たるだろうが、そのへんは私とルウがどうにか取り持ってやろう。
――――――あれ?
妙だな。なにかを……なにかを、忘れてる気がする。私にとって、すごく大事なものを――。
気づけば、私は唾液に濡れた右手にナイフを持っていた。刃渡り十五センチほどはある、軍用の戦闘ナイフだ。
疑問を感じる間もなく、私の中でなにかのスイッチが入った。
右手のナイフを振り上げ、そして、それを勢いよく振り下ろす。明美の胸のど真ん中へと向かって。
刃はあっさりと肉を貫き、その体の奥深くへと突き刺さった。
明美は驚愕し、自分を刺したナイフへと震える手を伸ばす。が、なにもかもが遅い。心臓の鼓動はすぐに止まり、ヤツの手はパタリと床に落ちた。さながら、糸の切れた人形のように。
明美は死んだ。
私が、殺した。
これで良かったんだろ? 私は明美をぶっ殺したかったんだから。
いや、おかしい。なんで殺す必要がある? 理由がない。
理由なんているものか。現に、恨みも憎しみもなくなってからも、私はヤツに殺意を抱き続けたじゃないか。ゆえに、明美を殺すのは必然。私が私であるためには、避けられない行為なんだよ。
――そうか。まあ、確かにそれは事実かもしれない。なら、最後の仕上げをするとしよう。
私は明美からナイフを引き抜き、今度はそれを自分の胸に突き刺した。
よし、完璧だ。スッキリした。明美を殺した罪悪感は、こうでもしなきゃ収まらないんだから。
明美を殺すのと、自分を殺すのが、もはやセットになってしまったのか。生物として矛盾しているな、私は。
私の頭がおかしいのは最初からだから、そこまで疑問に思うことでもない。結局、最終的にすっきりできればなんでもいいんだよ、私は。
自殺もその範疇に収まるというのが、やっぱりおかしい。生存戦略のためには多様性や揺らぎはあって然るべきだが、たとえそう考えても、人類という種に私は必要ないんじゃないか。
どうだろう。最終的な着地点はともかく、私は明美殺しを主軸とした人生において、碧を産むことができた。考え方によっては、ルウだって私の娘だ。これは種の存続と言う観点からしても、有益または生産的と言えると思う。
――勝手に、私と私と私と私が、意見を交わしている。
なんだこれ。
気づけば周囲の光景はぼやけて霞んでおり、周りにいた生徒も消えている。刺し殺した明美は光の粒子の群れと化しており、自分自身の体も輪郭があやふやだ。
ともかく、ひとつはっきりした。
私は過去にいるのではない。何者かの仕業によって、現実そのものの幻を見せられている。
『その は正しい』
『 推測 そ 』
『正しいが 』
『 推測が 不適格』
な……なんだ? 変な声が頭の中で響いた。
けど、それらは重なってたり穴あきだったりで、めちゃくちゃ聞き取りづらい。
『そ 残念 』
『これでも、き る』
『これ 君の情報認識にあ 』
『残念な 君の脳 』
ええと……とりあえず、意思の疎通はできてるのか? じゃあ聞くけど、この状況なに? 私は宇宙で死んだはずなんだけど。
『とある宙域 発見 』
『 発見し、再生を 』
『 宙域は であり ある』
『他文明の 発見 調べることが 』
宇宙を漂ってる私を発見した……ってことか? で、どうにかして再生した? つまり、あんたたちは宇宙人なの? いや、そっちからすれば私が宇宙人なんだろうけど。
『その認識 正しい』
『 間違っては 』
『宇宙を した』
『私は 情報を るのが 』
はぁ~、マジか。宇宙人に拾われたのか。どうなってんだ、私の人生。
『しかるに、 ならない』
『しかし、 足らない』
『 ゆえに、 検証が 』
『さらに大規模 物理的に 』
え……なに? 検証が足らないってこと? っていうか、私はこの先どうなるんだよ。今は意識だけみたいだけど、現実の体はどうなってるんだ?
『非常に サンプル』
『 地球とやらに 』
『 なので我々は 資源と研究の 』
『いずれは侵略を 』
お……おい、待て。侵略? 侵略だと? 悪い宇宙人かよ、お前ら。なんていうかさ、人間を越える超文明を持つなら、もっとそれなりの余裕ってやつが――。
突如、なにもかもが暗くなった。
視界は暗黒に包まれ、重複する変な声も一切聞こえなくなる。
ふと気づいた。
もしかして、死ぬよりやばい状況なんじゃないか、これ。
記憶や意識をやばい連中に弄られて、復活させられて、実験とか検証とかに使われて。
私が、私でなくなるかもしれない。いや、まさかもう……なってる?
途端に恐ろしくなり、恐怖で頭がおかしくなりそうになった。
…………ああ、明美。私は……。
――そうだ、明美は?
体を作業用のワイヤーで繋いだ状態で、私たちは死んだ。だから、二人は一緒に宇宙を漂流していたはず。私が宇宙人に拾われたのなら、アイツも同時に回収されたに決まっている。
明美も今、同じように意識だけの状態で尋問とかされているんだろうか? なら、ぜひとも二人で話をさせてほしいものだが……。
などと考えていたら、急速に意識が薄れてきた。
ま……待ってくれ。せめて明美と……。
………………。
…………。
……。




