56歳・30
ゲートウェイには今、地球と宇宙を往還できるシャトルが係留されている。碧が乗っていたものと同型で、旅客機として作られただけあって大きく、乗員数も多い。
私たちはこれに乗って帰還することが決まっていたが、そんなわけで他にも多くの同乗予定者がいた。そして、そのほとんどは月に捕らえられていた人質たちだ。
彼らは、インド所有のヘリウム3採掘プラントにまとめて幽閉されていた。生活環境は最低限整っていたらしいが、ほぼ食糧が尽きかけており、救出された三十二人の健康状態は決して良いとは言えない。彼らをまず地球に返すという判断は、至極真っ当だろう。
が、地球行きのシャトルはともかく、月から宇宙に上がれる船の定員は多くない。
ゆえに複数の船で何度か往復する必要があり、私たちはその移送作業が終わるのを待っている――というのが、今の状況だった。
モジュールには小さい窓がついており、そこから外を見ることができる。
向こうの宇宙空間には月から上がってきた船が正面に漂っており、宇宙ステーションとのドッキング作業に入ろうとしていた。
「人質だった人たちは、あれらに乗ってここに来るのか」
「そうよ。で、彼ら全員が到着して、シャトルに乗り込ませたら、最後に私たちもそれに乗るから」
疑問に思い、無重力に浮かぶ私は明美の顔を見る。
「なんで最後なんだ? 別に今乗ってもよくないか?」
「念には念を入れてのことよ。あなたはテロリストを大勢殺したんだから、変な刺激を元人質たちに与えるかもしれないでしょ?」
「それは……人質のふりしたテロリストが紛れ込んでて、私に復讐してくるかもってことか?」
私は深刻な顔で尋ねたが、明美はそれをからりと笑い飛ばした。
「ふふ、それは心配しすぎ。尋問や全身スキャナーで元人質の検査は済ませているから、危険人物が混ざってる可能性なんて万に一つもないわ。私が言いたいのは、テロリストを始末した相手を目の当たりにして、彼らが動揺するかもって話で――」
明美の話を聞きながら、私はふと気づいた。真上の天井に、その全身スキャナーの装置がある。
ビニールを被せられ、バンドで束ねられている、家のドアほどの大きさの板が三枚。私の記憶が正しければ、あれが身体検査用の機械だったはずだ。
「……なあ、明美。全身スキャナーって、あそこにあるんだが」
「え?」
明美は目を丸くし、私が指差した方向を見る。
「積み込み作業を手伝ったから、見覚えあるんだよ。確か、あれがそうだったはず」
私は壁を蹴り、空中で反転してから向かいの壁へと着地する。
「ほら、書いてあるぞ。『組み立て式全身スキャナー』って」
正確には、そう記載された紙が側面すべてに貼られている。隣に来た明美も、それを凝視した。
「……本当だわ。でも、妙ね。私たちが持ち込んだ全身スキャナーは、このひとつだけのはず。なら、人質の身体検査はどうやって……」
……いよいよ、怪しい事態になってきた。
もしかすると、人質たちはまともな身体検査をされてないのかもしれない。
「隊長に確認してくるわ。これはちょっと、大ごとかもしれない」
「私も行く」
そうして二人は部屋を出て、指揮所となっている中央モジュールへと向かった。
「それは本当か?」
明美の報告を受けた隊長は、唖然とした顔をした。
「ええ。救出された人質たちは、全身スキャナーによる身体検査を受けていない可能性があります。今、月でそうしたことを担当しているのはインド軍ですが、彼らはスキャナーを持ってきてはいないはず。少なくとも、記録にはありません」
「彼らが無断で独自にスキャナーを用意してきたのかもしれんが……確かにおかしな状況だ。確認を取ってみよう」
「その前に、今ドッキングしようとしている船を止めたほうがいいのでは? あれにも元人質が乗っているのですから」
「一理ある。テロリストが紛れていないとも限らんしな」
隊長は明美の進言を取り入れ、即座に指示を飛ばした。ステーション内の気密性に問題が発生している、という偽の口実によって、月面往復船のドッキングに待ったをかけたのである。
そうしてすぐ月面のインド軍へと連絡を取ったのだが……これによって、隊長の怒声がゲートウェイ中に響き渡ることになる。
「かわいそうだと? 馬鹿をぬかすな! 安全確保があんたの任務だろう! …………それはお前の推測にすぎんだろうがっ! たとえ砂粒ほどの可能性でも、下手すれば我々全員死ぬんだぞっ! 検査を一切しないなど、あまりに馬鹿げているっ!」
私や明美を含めた周囲の人々は、開いた口が塞がらなかった。
隊長の交信内容によって、人質たちは全身スキャナーによる身体検査はおろか、簡単な尋問さえ受けていない事実が明らかになったからだ。
隊長がマイクに向かって大声を叩きつける中、明美はぼそりと呟く。
「インド軍の指揮官って、大物政治家の息子っていう実績のない男だったんだけど……ここまで無能だったとはね。知っていれば、暗殺してでも排除したのに……」
『すいません、私がしっかり調べておくべきでした。前評判は悪くなかったんですが』
騒ぎを聞きつけ、ルウも今は私たちのそばにいる。
暗殺などと物騒なことをさらりと言った明美だったが、それほどまでに無能な働き者は恐ろしい。現に私たちは今、かなり危機的状況に陥っている。
隊長は通信を切ると、そばにいる部下に尋ねた。
「今、ゲートウェイには何名の元人質が到着している?」
「五人です。全員、地球へのシャトルの中で待機してもらってますが……」
ふと疑問が沸いたので、私は質問を投げかけた。
「隊長が叫びまくってたけど、大丈夫? 話の内容、その人たちに聞かれてない?」
「ええと、たぶん問題ないでしょう。彼らにステーション内をうろつかれても困るので、シャトルの入り口は閉ざしてありますから」
部下の男が答えてくれたので、とりえあずその懸念は消えた。
しかし、私たちの前に立ちふさがった問題はあまりにも大きい。隊長はスキンヘッドの頭を抱え、その事実を嘆く。
「……ともかく、テロリストの可能性のある人間が五名、このステーションにいるわけだ。確率はさして高くないだろうが……疑いがわずかでもある以上、重大な危機と言わざるを得ない。体内に爆弾でも抱えていたら、我々は即座に全滅しかねないのだからな」
「ど、どうしますか? 今からシャトルの人間を調べても……」
部下の言葉に、隊長は大きな溜め息を返す。
「はぁー……。そう、それが問題だ。到着した人質の中に敵が混ざっていたとしたら、そいつはもう、我々の懐に入っている。身体検査を試みようとすれば、即座に行動を起こすだろうな」
「でも、テロリストがここにいるとして、まだ大人しくしてるのはなんでです? 俺たちに復讐をしたいのなら、すぐ自爆なりなんなりすべきでは?」
「そうですよ。それをしてないってことは、テロリストがいないという証拠になるんじゃ」
隊員たちが推測を重ねるが、隊長は険しい顔つきを崩さない。
「タイミングを見計らっているのかもしれん。ともかく、いるという前提で行動するとしよう。臆病だの滑稽だの、元人質に優しくないなどとぬかす者もいるだろうが、現場指揮官として、そこを譲る気はない。今最優先すべきは、我々自身の命だからな」
モジュールには基地内のほとんどの人間が集まっており、彼らの多くは隊長の言葉に頷いた。
「では、まずはシャトルの五人をどうするかですね」
「乱暴ですが、テーザーガンなどで不意打ちを仕掛け、体の自由を奪うというのどうですか?」
「いや、奥歯などに爆弾の起爆スイッチを仕込んでいる可能性もある。その場合は電気ショックだとだめだ。筋肉が収縮するから、歯を噛み締めてスイッチが押されるかもしれない」
隊員たちが意見を出し合う中、明美がすっぱりと言った。
「一番確実なのは、奇襲によって五人全員を同時に射殺することです。そうすれば抵抗のしようがない」
あまりに極端で冷徹すぎる考えに、場が静まる。隊長もそれにはさすがに苦い顔をした。
「……ババ少尉。確かにその方法は確実だが、おそらく無実の人間をも殺害してしまう。他に方法がないならともかく、安易にその案を呑むわけにはいかない」
「でしょうね。なら、私が実行役となりましょう。すでに罪を背負っている身ですし、一個人の暴走ということにすれば、後々の処理もしやすいはず」
明美の追加提案に、隊長は息を呑んだ。
「…………本気で言っているのか? ババ少尉」
「ええ、大真面目です。全滅のリスクを考えれば、さほど高いコストでもないでしょう。私の罪状追加はもちろん、罪のない数人の命も」
『は、母上、それはあまりにも……』
「意見があるなら代案を出してちょうだい。でなければ黙って」
娘に断固たる態度を取る明美だったが、それは周囲への牽制でもあったのだろう。そのせいか、誰も明美の考えに口を挟もうとしない。
――が、明美の圧など通用しない人物が一人だけいる。私だ。
「代案ならある」
明美を含めた一同が、言葉を発した私に注目した。
ようやく考えがまとまったので、調子に乗ってる明美にむかついたこともあり、思い切ってアイデアを披露することにしたのである。
「元人質の中にテロリストがいて、そいつが強力な爆弾を持ってるってのが、最悪のパターンだろ? なら、それに対応できる人間が身体検査や尋問を行えばいい」
「……どういうこと? 玲ちゃん」
「私の着てるパワードスーツは、爆発に強い。建物が木っ端微塵に吹っ飛ぶような爆発でも、無傷で耐えられる。そう私に教えたのはお前だろ、明美」
「あ、あなたが、元人質たちを検査するってこと?」
「そうだ。うまい口実を作ってシャトルをゲートウェイから切り離して、そのうえで私が五人を調べればいい。そうすれば万が一テロリストに自爆されたとしても、犠牲は他の四人とシャトルだけで済む。テロリストがいなければ、もちろん全員無事だ」
明美は額に指を当てて考え出した。爆発の物理的影響などを計算しているのかもしれない。
「それが可能なら、名案かもしれん」
代わって隊長が身を乗り出してくる。
「ニジョー伍長のやり方なら、今待機してもらっている往復船の検査もできるだろう。罪のない人間に加害することなく、テロリストの有無を調べられる」
『……ちょっと待ってください。なにも、死に掛けの重傷者にやらせることはないでしょう。そのスーツは私にも着れるんです。私がやりますよ』
ルウが名乗りを上げたが、私はそれを却下した。
「別に戦いにはならないんだから、怪我してたって問題ないだろ。それに私が脱いでお前が着るってなったら、軽く十五分はかかるぞ。その間に、テロリストが焦れて行動を起こさないとも限らない」
『い、いや、だからって……』
言葉が詰まり、ルウは反論できない。
一方、明美は俯いたまま思慮を続けている。やや間を置き、隊長はヤツに伺いを立てた。
「どうだ、ババ少尉。私はニジョー伍長の案でいきたいのだが、できそうだろうか? 意見を聞かせてくれ」
「……たとえゲートウェイが丸ごと破壊されるほどの爆発が起きても、スーツは耐えられます。なので、二条伍長の案が実行可能かどうかと問われれば、イエスです。とはいえ、安全を考えれば私の案のほうが確実性は高いと思うのですが……」
「確かに、元人質たちを殺害するのが手っ取り早くはある。だが、その方法でいけば、凄まじいしこりを残すぞ。インド軍は必ず騒ぎ立てるだろうし、隠蔽など無理だ。下手すれば、事件の収束どころか新たな火種にもなりかねん。そうした後々のことを勘案すれば、ニジョー伍長の案がベストだと私は思う」
周囲の隊員たちも、隊長に合わせて頷いた。多数決を取れば、おそらく私の案が勝つだろう。
その空気を感じ取ったのか、とうとう明美が折れた。
「……わかりました。二条伍長に任せる方向でいきましょう」
「よし、決まりだ。ではニジョー伍長、重傷の君に任せるのは心苦しいが、よろしく頼む」
「了解です」
私はピシリと返事した。
明美がなにやら心配そうにこちらを見つめているが、そもそもこのスーツを着ている以上、なにがあろうとも私がこの基地で一番安全なはず。それはさっきヤツ自身が言っていたはずなのに、なにを不安がっているというのか。
ま、今はアイツにかまっている暇はない。身体検査のやり方や手順をざっくりとでも覚えなきゃいけないからだ。後方支援が手厚いからフル暗記する必要はないだろうが、元人質たちを不安がらせないためにも、流れくらいは掴んでおくべきだろう。
ゲートウェイの中は一気に忙しくなった。
隊長やオペレーターが各所に連絡を取るなか、私は詳しい隊員から検査の手順を教わりつつ、ルウにスーツの状態をチェックしてもらっていく。
そうして準備を七、八分ほどで整え、私は元人質たちが乗るシャトルへと向かった。




