56歳・29
月に来たときと同型の船に乗り、私は宇宙へと上がった。
大して揺れることもなく、トラブルが起こることもなく、あっさりと往復船は宇宙に到達し、私は月を後にした。
宇宙ステーション『ゲートウェイ』に船がドッキングし、ハッチを抜けて無重力の基地内へと入る。すると、先行してゲートウェイに到着していた明美が私を待ち構えていた。
「体の具合はどう? 玲ちゃん」
無重力を泳いで軽く抱きついてくるなり、明美はそう尋ねてきた。
「動くぶんには問題なさそうだが、やっぱ色々痛いかな。さっき痛み止めを打ってもらったんだが、ちょっとしか楽になってないし」
「うーん、効き目が強いのを使うと、眠くなるとかの弊害が出てくるのよね。我慢できないほどなら、そういった薬を使うけど……どうする?」
「耐えられないってほどじゃない。ま、しばらく我慢するわ」
「そう、わかった。辛いならすぐに言ってね」
すると、そばにやってきたルウが会話に割り込んできた。
『母上、イチャイチャするのはけっこうですが、もう少し端っこでやってください。通路のど真ん中にいられちゃ、後がつかえちゃうんで』
気づけば、ルウの後ろには往復船の乗員たちが通路に揃って浮いていた。どうやら、道が空くのを待っているらしい。
「おっと、これは失礼」
私は明美を引っ張って壁際へと寄った。乗員たちが奥へと進み、私たちとすれ違う。
彼らの中には、こちらを笑顔で茶化してくる者もいれば、冷ややかな視線を向ける者もいた。隊長がそうだったように、やはり私に対する感情は一様ではないようだ。
一方、明美は周囲の目などまったく気にせず、通路を進もうとしていたルウに話しかける。
「ルウ、アメリカ側から囚人移送費用についての見積もりが届いてるわ。妥当かどうか確かめておいて」
『あー、やっぱそのへんもウチが出すことになったんですね』
「間接的にだけどね。あと動画の削除要請だけど、対応はしたかしら?」
『ちゃんと消しましたよ。で、捨てアカからタイトルとか変えて、あらためて投稿しておきました。自動投稿するボットを組んだんで、これからは勝手に消されても勝手に上げなおしてくれるはずです』
「それでいいわ。雑事は任せるから、よろしくね」
ざっと指示を飛ばすと、明美は私を引っ張って奥の研究モジュールのひとつへと連れ込んだ。
「私たちはここで待機するよう、言われているの。一応、罪人の立場だから、自由に出歩くなって」
「まあ、当然の扱いだな」
このモジュール内には、私たちの他には誰もいない。今は雑多な物置として使われており、コンテナなどの荷物が壁や床、天井に所狭しと固定されている。
明美は壁の冷蔵庫からパックを取り出し、それにストローを差してこちらに渡してきた。
レモン風味の水を一口飲み、喉を潤す。無重力にふわふわと浮きつつ、私は明美に尋ねた。
「っていうか、お前も査問委員会とやらにかけられるのか」
「そうよ。テロリストたちを殺した主犯は玲ちゃんだけど、軍に直接背反行為を働いたのは私だもの。総合すれば、あなたと大差ない量刑が私にも課せられるはず」
「……そうか」
わかっていたが、やはり明美も罪に問われるようだ。
ヤツとは完全な共犯だから、そのこと自体は別に申し訳ないとは思わない。だが、今後のことを丸投げしていて、少し心苦しかった。
「なんか、裁判のこととか残ったテロリストの処刑とか、全部任せてすまんな」
「いいのよ。だって玲ちゃんは体を張って戦い、結果を出したんだもの。むしろこれくらいやらなきゃ、あなたのパートナーとして申し訳がないわ」
……パートナー、か。
いまや、そう言われてもまったく反感も違和感も覚えない。あまり意識はしてこなかったが、私のほうもその事実を受け入れてしまっているのだろう。
「ともかく、査問委員会のことは心配しなくていいわ。どちらの量刑も私が軽くしてみせる。たぶん、世論対策のために何年かの服役が言い渡されて、収監して数ヶ月後に恩赦で自由放免になる――という流れになると思うけれど」
「そうなのか。普通に五、六年くらいは刑務所に入ると思ってたが……」
「十年も服役してたんだから、これ以上はいいでしょ。罪の意識があるのかもしれないけど、それは別の形で償えばいいじゃない。寄付とかボランティア活動とかで」
「……お前は気楽でいいな。どうせ私と違って罪悪感とかないんだろ?」
「ないわね。だって、私は玲ちゃんのことしか考えてないもの。だから、あなたが良ければすべて問題ないわ。他の全人類がどうなろうと、知ったことじゃないの」
ルウと碧ちゃんっていう例外はあるにしても、と明美は付け足す。
私は様々な想いを込めて明美を見つめた。明美も同様に真っ直ぐこちらを見てきたので、しばし私たちはそうして見つめ合う。
ややあって、私は小さく溜め息を吐いた。
「……懲役が終わったら、私はお前を殺すために動くぞ」
「どうぞご自由に。ただ、あらためて念を押すけれど、私が死んだらあなたの日本の家族も死ぬからね。ご両親やご兄弟はもちろん、明くんと透くんも」
「血の繋がった孫さえ、人質にするか」
「いまさらね。娘だってさんざん盾にしてきたのよ?」
――十中八九、この人質発言はブラフだ。
なぜなら、明美は自分の死後なんてどうでもいいと考える人間だし、私を酷く悲しませることを本気で実行するとも思えないからだ。
とはいえ……絶対に嘘だと言い切れないのも事実。
わずかでも家族が皆殺しにされる可能性があるのなら、私としてはそれを無視できない。
明美は、ややこちらを挑発するように続けた。
「あなたが私を殺すには、私の遺言を誰にも実行させない下地を作る必要がある。つまり、私の手下やら組織を、すべて私から引き剥がさなくてはならない。いったい何年、いや、何十年かかるかしらねぇ。今や国の主幹産業に関わる大企業を、私は幾つも持ってるっていうのに」
「ま、気長にやるさ。まだまだ五十年は生きられるだろうしな」
「そう。せいぜい頑張って」
つっけんどんな明美は久しぶりだったので、私はつい甘い言葉を返してしまう。
「でも……あと三年くらいはお前とのんびり過ごしてもいいかな。そんな気分ではある」
「――ホントに?」
明美はパッと顔色を変え、目を輝かせる。
「じゃあ、世界各地を旅行したりしましょ! ずっと刑務所にいたから、一緒に行きたい場所がたくさんあるのよ!」
「旅行か。それもいいな」
そうして私たちは、未来で遊ぶ計画をあれこれ立てた。
本当にいまさらだが、命を狙う側と狙われる側の二人がする会話ではない。
――正直、明美を殺したい気持ちよりも、殺したくない気持ちのほうが今は大きい。
なぜなら、明美の死=私自身の死になってしまったからだ。
だが、それでもいつか、明美は殺す。
まったくもって不条理だし、非合理的だし、意味不明ですらあるが、私の中の殺意はどうやっても消えてくれないのだ。
これに抗う術はない。忘れようと試みたことは一度や二度ではないが、無駄だ。
いつぞや教官に話したように、生物が生まれつき生きようという意志を持つのと同じく、私の中には明美への殺意が根付いているのだ。
だから私にはもう、この殺意と命果てるまで添い遂げるしか、選択肢がない。
とはいえ、この殺意は割と寛容で、先延ばしにする程度ならけっこう許してくれる。
なのでさっき宣言したように、あと何年かは明美と一緒に過ごすとしよう。旅行もかなり楽しみだし、そうすればヤツの娘のルウのことももっと知れるはず。
そして落ち着いたら、三人で月へと碧の墓参りに行くのだ。
――まったく、私の人生ってのはとことんおかしい。
中学のときの、明美に殺意を覚えた当初の私がこの現状を知ったら、いったいどう思うだろう?
……本当に奇妙な人生だ。心の底から、そう思う。




