56歳・17
現在の月には数多くの施設があるが、その大半はヘリウム3の採掘プラントだ。
プラントと呼ばれてはいるが、石油やシェールガスと違って建造物自体が採掘をするわけではない。ヘリウム3は月面の砂に多く含まれているため、地表部分を広く浅く掘るのが採取効率が良い。そのため、車のような機械が大量に月面を走り、ヘリウム3を砂ごと集める手法が主流となっている。
採取機械の運用や格納をする機材管理区、集めた砂を集積する資源貯蔵庫、砂を地球へと打ち上げるロケット場。
ヘリウム3の採掘プラントとは、それらの統合施設を指す。
こうした採掘プラントは、月の平野部のいたるところに存在する。
それぞれはアメリカや中国といった単体の国に管理されており、大抵の場合、プラントの近くには軍事や研究のための施設が併設されている。つまりプラントの採掘範囲が、そのまま国の領土を示していると言ってもいい。
月において各国が領土権を主張し合うようになった経緯は複雑なので、ここでは割愛する。しかし、月面開発当初はどの国も協力し、今はなき旧ロシアでさえ、アメリカなどと密な連携を取っていた。
その名残はシャクルトンベースと呼ばれる最初期の開拓基地に見られ、各国の国旗が並んで立てられている様から、現在では平和や相互理解の象徴としても名高い。
今は置物と化しているシャクルトンベースだが、当時の協力関係を尊ぶ声は多く、ゆえに民間企業がその近くにとある施設を大々的に建設した。
それは観光や研究を目的とした複合施設であり、広く人々に解放される予定でもあったことから、『月面ホテル』という通称でも呼ばれるようになる。
――そう、本来ならば碧が泊まる予定だった場所だ。
ファーマメントで捕らえたテロリストどもは、「残りの仲間は月面施設のどこかに潜んでいる」と証言した。
――が、それは半分真実、半分嘘だ。
実は一部の捕虜は、「仲間は月面ホテルにいる」と断言している。しかしそれを、明美が隠蔽した。
尋問係の者を篭絡し、「六つの候補があるものの、どこに潜伏しているかはわからない」という偽の報告を提出させたのだ。
そして後の襲撃分担において、明美はうまく立ち回って月面ホテルを自分たちの担当とする。これによって、「誰にも邪魔されずにテロリストを殺せる環境を整えてほしい」という私の要望を、明美は出来得る限りで叶えてくれたのだった。
証言が偽りである確率は低いらしいが、かといってテロリストが月面ホテルに百パーセントいるとは限らない。捕虜に偽情報が与えられていた可能性もあるし、そもそも普通に移動したり、分散して別の場所に移っているケースもあり得るからだ。
だから、私たちがハズレを引く可能性もある。その場合は――まあ、月でクソどもを殺すのは諦めるほかない。
しかしほぼほぼ当たりのはずであり、そうなったら、私は思う存分娘のかたきを殺し尽くせる。
主要国別にわかれた五つの部隊、そして私たち三人がそれぞれ月へ一斉降下するまで、五分を切った。
私は左腕を露出し、明美に注射を打ってもらっていた。体の中に微細な機械を入れて、スーツの性能を向上させるアレである。
忘れてたからしょうがないが、注射のことを考えれば左腕の外装はつけないまま来ても良かった。ルウは「いや、スーツ内臓の注射があるじゃないですか」と言ってきたが、アレはメチャクチャ痛いということを説明してやると、すぐに自分も腕の外装を外し始めた。さすがに痛いのは嫌いらしい。
針を刺した瞬間わずかにチクリとしただけで、明美の注射はほとんど痛くなかった。まるでベテラン看護士のような手並みだ。
頭の中がスーッとしていく感覚を覚えつつ、明美がルウに注射を打つのをなんとなく眺める。むき出しとなったルウの肌をようやく見れたが、色合いは私とまったく変わらない。少なくとも黒人やアラブ系ではないようだ。
ふと彼女の肘の内側に、並んだ二つの大きいホクロがあることに気づく。なんか馴染みがあるなと思い、自分の左腕の同じ場所を見ると、同じサイズ、同じ位置関係のホクロが二つあった。
……奇遇なこともあるもんだ。
そういえば、なんでルウは頑なに顔を見せようとしないんだろう。シャイとか言ってたが、それはどう考えても嘘のはず。
気にはなった。
が、戦いが終わるまで余計な話はしないと決めたし、あちらの二人もそんな感じの空気になっている。疑問を解消する楽しみは後に取っておくとしよう。
私とルウが注射を打ち、二人ともスーツを装着し直し、全員が改めて座席についたところで、ちょうど月への降下が始まった。
私たちの船は、月面ホテルの真正面に着陸する。
そして指揮官兼オペレーターの明美を船に残し、私はルウを引き連れてホテル内部へと一気に攻め込む。予想外のことが起こらなければ、十数分後にはテロリストの死体の山が築かれているだろう。
殺すべき相手をすべて始末したとき、どれだけ気分がすっきりするのか……まあ、多少楽しみではある。
月には大気が存在しないし、固形燃料を使ったロケットも使用していないから、超高速で降下しているこの船にはほとんど揺れがない。
静かな船に静かな殺意を乗せつつ、私はいよいよ月へ降り立とうとしていた。




