56歳・7
「……いや、大丈夫だって。軍にいるからって戦うわけじゃないから。五十代のババアが最前線に立つわけないだろ。……うん……うん……」
高級車の後部座席に座りつつ、私は日本にいる姉貴に電話をかけていた。
走ってるのに全然揺れないし、座り心地はいいし、空調も完璧に効いている。戦場行きの車としては、なかなかに気が利いていると言えよう。
「うん、そのへんも全部任せる。……あー、そろそろ切るわ。目的地も見えてきたし。……わかってるって、しつこいな。そんじゃね」
目の前に浮かぶ小さなウィンドウに指を触れ、私は通話を切った。
「もういいの、玲ちゃん」
「ああ。ちょこっとだけど、事情を説明できてすっきりしたし」
隣に座る明美は、大量のウィンドウを空中に広げて作業をしている。後回しにしていた重要度の低い仕事を、一気に片付けているらしい。
私は窓の外に目を向けた。
荒野の向こうに、大きな構造物が見える。宇宙行きのシャトルと、それを打ち上げる施設だ。
空はどんよりと曇っているが、航行に問題が発生するほどに分厚くはないし、敵の観測衛星から地上を覆い隠してくれる利点もある。少なくともこの場所に関しては、絶好の作戦日和と言えるだろう。
シャクルトン同胞団が地球に未曾有のテロを仕掛けてから、そろそろ一ヶ月がたとうとしている。
物資の補給が限られる宇宙にいるため、連中は放っておけばいずれ自滅するだろう。
だが、多くの通信衛星を失ったことで社会は甚大な被害を受けているし、月に捉えられた人質の安否の問題もある。地上の主要国は、多大なリスクとコストを覚悟してでも、宇宙に攻め入る必要があった。
とはいえ、未だに各国はテロリストどもに一度の攻撃もできていない。連中が宇宙という、あまりにも遠い場所にいるためである。
そして宇宙に行こうにも、敵は五基の攻撃衛星によって地上を見張っているため、単にシャトルを打ち上げるだけでは簡単に撃墜されてしまう。
そんな手詰まりの状況を覆すべく考案されたのが、通称『飽和作戦』だった。
世界各国で同時多発的にシャトルを打ち上げることで、敵の攻撃キャパシティをオーバーさせる――というのが、飽和作戦の概要だ。
物量便りの愚直な策だが、シンプルなだけに成功の見込みも大きく、それゆえ各国はこの作戦を軸とすることを早々に決定した。
以降はその準備のため、いずれの国も可能な限りのシャトルを打ち上げるべく、整備や物資調達、軍人の訓練などに時間を費やしてきたのである。
そうして今日、ようやく作戦決行の日が来た。
すべての準備が万端とは言えない。しかし、ベストを尽くせる時間的余裕など、もはやない。
そもそも敵の戦力には未知の部分が多いため、百パーセント成功する作戦なんて立てようもないのだ。
ゆえに国々は今日、空に大量のシャトルを飛ばす。
愚かなテロリストに鉄槌を下し、平和で安全な社会を取り戻すために。
「……で、私らのシャトルが撃ち落される確率は、どれくらいだ?」
「軍の試算だと、五から十パーセント程度だそうよ。たぶん、一番低いほうでしょうけれど」
「つまり、低くても五パーセントの確率で死ぬのか……。これじゃ、宇宙行きじゃなくて、あの世行きだな」
私と明美は、すでにシャトルの中の座席に納まっている。
与圧服を着用し、背中を真下にした状態で椅子に固定されており、もう嫌でもこのまま打ち上げられるしかない。
飽和作戦では、まず最初に無人のロケットが数多く飛ばされる。
次に軍人や兵器を乗せた本命が打ち上げられるが、その中でも精鋭中の精鋭が、ここオーストラリアの飛行場に集められていた。地球上の位置や各国の関係からして、この地域からのシャトルがもっとも狙われにくいと判断されたためである。
そしてゴドウィン宅での戦闘や明美らの交渉の甲斐あって、私たちは運良くそのシャトルに乗ることが出来ていた。
「――始まった。ASATと無人シャトルの第一陣が打ち上げられたわ」
明美が手元の端末を見ながら言った。
ASATとは衛星攻撃兵器の略称であり、広義ではテロリストたちが使っている五基の攻撃衛星もそれに当てはまる。
宇宙のそれらは、衛星を破壊するという点において非常に強力だ。しかし、連中が発射する爆雷は大気圏を突破できないため、その内側――地上の物体に対しては、一切攻撃できない。
逆に言えば、大気圏内ぎりぎりからミサイルを撃ち込めば、迎撃されずに宇宙の衛星を一方的に攻撃できるのである。その役割を持つのが地球側のASATであり、それらは現在地球の各地から敵の攻撃衛星目掛けて飛行を開始していた。
しかし安全に攻撃できるとはいえ、相手は大気圏の向こう側――宇宙にいる。回避に徹されれば、撃ち落とせる可能性は低いと言わざるを得ない。
とはいえ、相手も回避中は地上から上がってくるシャトルに攻撃はできない。ゆえに、地上からはASATと宇宙行きのシャトルを同時に打ち上げるのだ。
「さて、地球側のASATは宇宙のASATを落とせるのかね」
「無理じゃない? 期待しないほうがいいわ」
明美はサラリと答えたが、それはつまり、宇宙に上がった私たちが敵の衛星すべてを処理しなければならないことを意味する。
私は鼻で笑い、肩をすくめた。あまりにも前途多難すぎて、呆れるしかない。
すると、隣に座る白人の男が不安げな様子で話しかけてきた。
「なあ……あんたたち、ずいぶん落ち着いてるな。年の功ってやつかい?」
こちらを年寄りと言うだけあって、彼はかなり若い。確実に二十代だろう。だから私はでかい口を叩いてやった。
「あのなぁ坊や。人間、死ぬときは死ぬのさ。だから死にたくないって構えすぎるな。そうやって緊張しすぎたら、いざってときに何もできんぜ」
「な、なるほど……」
青年は余裕のない表情で何度も頷いた。きっと、私をベテランの軍人か何かだと思ってるんだろう。
大御所みたいに振舞えていい気分だったが、明美の日本語によるツッコミで台無しになる。
「あら、玲ちゃん。数日前の夜はあんなにメソメソしてたのに、今はずいぶん強気ね」
「……別にいいだろ、若者を元気付けるくらい。っていうか、多少の泣き言を言った覚えはあるが、泣いてはいないぞ」
「泣いたじゃない。ベッドの上で、散々私にイカされて」
「お前……大事なときだってのに、卑猥な話をするんじゃねぇ。まわりの士気に関わるだろ」
「日本語使えるのは私たちだけだから、大丈夫よ」
そういう問題だろうか? 少なくとも私の士気は下がってるんだが……。
下らない会話を続けていた私たちだったが、そのとき船内にアナウンスが流れた。
『OS-06の乗員へ。作戦本部よりゴーサインが出た。当シャトルは間もなく発射されるので、衝撃に備えるように』
とうとう、宇宙に飛び立つときがきたらしい。
船内に緊張感が満ち、それまでちらほらあった雑談もピタリと途絶える。
だが、私は気分を張り詰めたくなかった。なのでそうした緊張を追い出すつもりで、大きく息を吐く。
どうせ宇宙に出るまで、私たちにできることなど一切ないのだ。さっき青年にも話したとおり、構えるだけ無駄。体力も集中力も、後に残しておくに限る。
そうやってリソースの使い方がうまくなったのは、歳食ったおかげだろう。若い頃の私なら、きっとガチガチに構えまくってた。
隣の明美は当たり前のように脱力し、気負いなどひとつも見られない。私もあのふてぶてしさを見習って、どんと構えるとしよう。
今頃、宇宙空間では敵味方のASATによる攻撃爆雷が飛び交っているはずだ。
シャトルは世界中から打ち上げられていて、人が乗っているものも撃墜されているかもしれない。いや、その可能性は高い。
いよいよ、戦争が始まったのだ。




