45歳・3
「……ホントにここ、刑務所なのか」
カーペットの敷かれている廊下を歩き、窓から樹木の生い茂る庭を見下ろしながら、私は何度目か知れない問いを発した。
「納得しないわね~、玲ちゃんも。あ、そろそろ私たちの部屋よ」
明美がそう言うと、前を歩く刑務官が立ち止まった。
「そのとおり。この306号室が、あなたがたの監房となります」
彼女が開いた扉の中は、やはり牢獄などとは程遠いものだった。
まず、ワンルームではあるものの、かなり広い。手前にキッチンがあり、そしてソファの置かれたリビング空間が続いて、奥には壁の左右に上等なベッドがひとつずつ並んでいる。
入り口脇には洗面所と風呂があるし、どう考えてもアパートとかホテルの一室だ。
奥に進み、鉄格子などない普通の窓から外を眺める。
こちら側の敷地は公園のように景観が整えられていて、女性たちがベンチで読書をしたり、談笑しながら散歩をしたりしていた。みんな格好は様々で、刑務所を連想するような囚人服など誰も着ていない。
私は息を呑んだ。なにせ、ほぼ全裸で芝生に寝転がり、日光浴をしてる人までいるのだ。この光景を見て、ここが刑務所であると考える人など皆無だろう。
さらに奥を見て気づいたが、テニスコートやプールまである。至れり尽くせりってもんじゃない。
そうして窓から身を乗り出していると、隣に明美がやってきた。
「悪いとこじゃないでしょ? 十二年も服役するんだから、いい刑務所を選んだつもりだけど」
「……選べるもんなのか、刑務所って」
ふふん、と得意気に笑う明美。
「じゃあ、荷物でも開けようかしら。あ、冷蔵庫に食材が入ってるから、腹ごなしになんか作るのもいいわね。ちょっと待ってて」
そう言うと、明美はスキップしながらキッチンの方へと向かった。
私は窓にもたれかかったまま脱力した。現実感がない。
――どうやら、今の明美の財力や権力は、私の想像をはるかに越えているらしい。
アメリカに着いてからの裁判が爆速で終わり、捕まってからひと月もせずに収監された事実も、こいつの力が司法にまで及んでいることを示している。
当然、私にも抵抗する道はあった。なんたって、完璧な冤罪なのだ。
――だいぶ昔に明美と共に解決した、テロリストによる核兵器爆発未遂事件。その犯罪者たちと私が実は裏で結託していた、というのが私にかかった罪状だった。
言うまでもなく、濡れ衣である。
そもそも二十年前の出来事なのに証拠がドバドバ出てくるのもおかしいし、不自然な点は数え上げればきりがない。懲役十二年とかいう馬鹿馬鹿しい判決に控訴し、いい弁護士を味方につければ、無罪を勝ち取るのは十分可能だったはず。
だが、そうして全力で戦う道を選べば、この一件は必ず家族や世間に知られるだろう。
結婚したての碧にそんな醜聞を押し付けるのは、正直かなりきつい。下手したら、それがあの子の生活をぶち壊しかねないのだ。
なにより、私を陥れた明美自身も牢屋に入るという事実が、地味にこちらの反抗心を削いだ。
裏でなにを企んでいるのか知らんが、少なくとも私が大人しく懲役刑を食らえば、ヤツも一緒に刑務所についてくる。一方で、裁判で戦って勝ったとしたら、当然明美は野放しのままになるだろう。
悩んだ結果、私は前者を選んだ。
あの化け物を殺すのは無理でも、世間から隔離できれば、多少とはいえ溜飲が下がる思いだったのだ。
ちなみに、ヤツはヤツでアメリカ当局と司法取引をしているらしく、これまで犯した罪のもろもろを告白し、その引き換えに罪の半分を私に着せたのだとか。
それを聞いたときは怒りで頭が煮えたぎったが、よくよく考えてみれば、責任が私に一切ないとは言えない。
明美が異常な行動を取り続けるのは私を食うためだし、そんなアイツをこれまで私は始末できなかった。ゆえに、多少なりとも世間への償いは必要かも、と思ってしまったのである。
というわけで、私は十二年の懲役刑を黙って受け入れることにした。
……無論、明美の罪の半分を背負うのは、さすがに納得がいかないが。
明美の作ったベーコンエッグはうまかった。
私がその手の料理を食うときは、常にマヨネーズと醤油を同時にかけるという独特の手法を使っているのだが、ヤツは当たり前のようにそれを再現していた。
比率もちょうど良く、そればかりか少し足された胡椒が良い感じで、味覚経験を上書きされてしまった感すらある。
「…………うまかったよ」
食い終わり、私は正直に言ってやった。身構えて服役しに来た場所が思いのほか快適で、気が緩んでいたのかもしれない。
「そ、良かった」
明美は幸せそうに頬を緩めた。
……だから、碧みたいに笑うんじゃない。複雑な気分になるだろうが。
脳みそがぶっ壊れそうだったので、私はすぐさま話題を変えた。
「……っていうか、普通にメシ食ってるけどいいのか。なんかこう、学校の給食みたいに一斉に食べるもんだと思ってたが」
「大丈夫よ。ここの囚人は二十四時間自由で、食事のタイミングもそれぞれだから。常識の範疇であれば、大抵のことは許されるみたい」
「……それのどこが囚人だ」
「ただ、行動制限は当然あるわ。外に出られないことと、外への連絡ができないこと。この二つのルールだけは守らないといけない。電話するだけなら、一ヶ月の間に十五分間だけ許されてるけど」
電話は難しいのか。まあ、ひと月に一回できれば、碧や家族を安心させることはできるだろう。海外出張っていう嘘も突き通しやすくなる。
「あと、一人一人にノートパソコンが配られて、ネットも使えるみたいよ。制限がかかってるから、メールの使用や掲示板への書き込みは無理みたいだけど」
「そりゃいい。退屈しないで済みそうだな。ゲームの購入とかダウンロードはできるのか?」
「できるんじゃない? でも、オンライン前提の対戦ゲームやMMOはきついかも。あとで規約を確認してみるわね」
それと、と明美は説明を続ける。
「ここには色々な施設や大手のコンビニ、レストランが入ってるんだけど、そういうのを使うと登録してる銀行口座から自動で代金が差し引かれるの。けど玲ちゃんのは私と一緒の口座に設定してるから。なんでも自由に買い物していいわよ」
「……そうか。なら好きなもん買いまくるわ」
「あとね、注文内容を申請すればアマゾンとかのネット通販もできるんだって。家具の購入も許されてるから、後で一緒に色々見てみましょ。私はとりあえずコーヒーメーカーでも欲しいかなぁ。ゲームをしたいのなら、大型テレビを注文するのもアリね」
「…………」
「そうそう、地下には大きいスポーツジムがあって、いつでも運動し放題よ。常駐はしてないけど、美容師に髪をカットしてもらったり、マッサージ師のエステとかも受けられるから、そのへんも不便はないはず。さっき見たように服装も自由だし、オシャレも存分に楽しめるわ。今は水着みたいなセクシーな普段着がはやってるらしいから、私もそれに挑戦してみようかしら」
「なんでもアリじゃねぇか、ここ!」
思わず私はつっこんだ。
外に出れない、連絡できないっていう縛りがある以外は、刑務所の外にいるのとまったく変わらないように思える。
すると、明美は勝ち誇るように言った。
「当たり前じゃない。私が作ったんだから」
「…………なに?」
「正確には、偉い人に話を持ちかけて出資したってところだけどね。っていうか、八年前に稼動し始めたときには日本でもニュースになったはずだけど。聞いたことない?」
私は眉根を寄せて記憶を探ったが、それっぽい記憶は出てこなかった。
「できれば日本に作りたかったのよね。けど、法律の縛りがきつくて無理だったの。ま、時間はあったから、そのぶんここに力を入れたってわけ」
明美は今の展開を見越して、理想の刑務所を作ったということらしい。
自分が服役するための刑務所を自分で作るとは……やはり色々イカれている。
「ここが快適な理由はよくわかったが……逆に不安になってきたぞ。刑務所として機能してんのかよ、この施設は。いるのは犯罪者なんだろ?」
「当然の心配だけど、たぶん大丈夫よ。重い犯罪を犯した者や、人格に問題のある者は入れないようになっているから」
「私の目の前に一人、重罪を犯しまくってる頭のおかしいヤツがいるんだが……」
「ええ? どこどこ?」
明美は手を目の上にかざし、わざとらしく顔を左右に往復させる。
私が眉根を思いっきり寄せると、ヤツは変な挙動をやめて笑った。
「ふふ。ま、ともかく安心して。ここで過ごすのはお金かかるし、社会性に欠ける人間は弾くシステムだから、客層は高級ホテルと大差ないの。なにより、私は刑務所からすればVIPみたいな存在だから、色々と心配りをしてもらえるってわけ。きっと快適な十二年になるわ」
「…………十二年か。ここで」
運営の背景はともかく、確かにこの刑務所は過ごしやすそうだ。しかし……。
意気消沈してうなだれた私に、明美はきょとんとした口調で言った。
「どしたの、玲ちゃん」
「……私が出所する頃には、碧には子供がいるだろうな。ここにいる限りはあの子らと思い出を作れないし、困ってるときに手を貸すこともできない」
「……なら、せめて動画でも送ってもらいましょうよ。どっかの限定ページとかに投降してもらえれば、規約を破らずに見れるだろうし」
代案で慰めてきた明美に、私は顔を上げて問いかける。
「お前の権限で一時外出とかできるようにならないか? せめて定期的に会えれば……」
「……ごめんなさい、さすがにそれは無理。調子に乗って誇張表現しちゃったけど、私でもなんでもアリってわけじゃないのよ。外出不可は刑務所の根幹のルールだから、権力で捻じ曲げられる可能性はゼロだと思う」
「そうか」
まあ、そこまで期待はしてない。元より服役することが決定した時点で、そのあたりの覚悟は済ませてきた。
……なのに、ここは刑務所のくせに悲壮感とか厳しさがないから、変な希望が出てきてしまった。よりにもよって明美へすがるほどに、唐突に家族と会いたくなってしまったのである。
「はぁー……、私も老いたな」
思いっきり溜め息を吐き、呟く。
しばし重い空気が流れ、ややあって明美が口を開いた。
「老化と言えば、玲ちゃんは若返りの施術を受けてみる気ない? 私みたいに、二十代の見た目を維持できるわよ」
「興味ない。いいだろ別に、ババアになったって」
いいんだ……、と珍しく明美は目を丸くしている。
「なら、寿命延長の処置はどう? こっちは興味あるんじゃない?」
「……寿命延長?」
「人間って長くても百年くらいしか生きられないけど、それって細胞分裂の回数が決まってるからなの。で、今の最新科学ならそのあたりに手を加えて、二、三十年くらいは安全かつ確実に寿命を延ばせるのよ。それが寿命延長の処置」
「お前もやってるのか? それ」
「まあね。早いうちに処置をしたほうが、効果も大きいから」
私は少し悩んだ。
今の調子だと、寿命が尽きる前に明美を殺せるかどうか、かなり怪しい。ヤツが長生きするというのなら、せめて私も同じくらい生きなければ、話にならないだろう。
「……そうだな。そっちの手術は受けたいな。お前より早く死にたくない」
「わかった、じゃあ後で手配しておくわね。今月中には受けられると思う」
刑務所の中でできるのか……。いや、もうつっこむまい。
明美はちらりと壁の時計を見た。
「もうしばらくしたら、看守が来て施設の案内をしてくれるわ。お店にも寄れるから、部屋に必要なものをざっと買ってきましょ」
その言葉を聞いて、ふと疑問が沸いた。
「今思ったんだが、私とお前が同じ部屋である意味ってあるか? 私は個室のほうがいいんだが」
「なに言ってるの玲ちゃん……意味あるに決まってるじゃない。むしろそれがメインなくらいよ。だから別の部屋に移るのはダメ。確か満室だったはずだから」
「私たちが来たタイミングで都合良く満室って、そんなわけあるか」
「あるったら、あるの。ここに入りたい服役者は大勢いて、今回は私の権限で順番を割り込ませてもらったんだから」
「……じゃあ、一階にあった八人部屋に移る。そこならベッドの空きがひとつくらいあるだろ」
「絶対ダメ。だって考えて? 刑務所に入るような頭のおかしい連中と夜を過ごすのよ? 殺人鬼まがいの人間が同じ部屋にいたらどうするの。危ないったらないわ」
「さっきと言ってることが違うぞ、お前」
服役者は安全な人間ばかりじゃなかったのか、ここは。
自分でも発言が苦しいと思ったのか、明美は顔を変に引きつらせている。が、諦めたらしく、ふっと力が抜けた。
「……わかったわ。じゃあ、せめて一週間だけ我慢して。部屋を移るのも手続きが必要だし、職員の人にも負担がかかるから」
「……一週間だぞ。それが過ぎたら、意地でも出てくからな」
そのとき、玄関からベルがピーンと鳴った。おそらく案内の係とやらが来たのだろう。
明美はすぐさま席を立った。
「ま、その話はおいおい詰めるとして、今は出ましょ。私も施設の中を歩くのは初めてなの」
「……それじゃあ、ホテルみたいな刑務所の全容を拝むとするか」
私も立ち上がり、明美と二人して玄関へと向かった。




