45歳・2
碧の借りた式場は立派で大きいが、運用費用を抑えるためか立地はいまいちで、ややアクセスの悪い郊外にある。なので周辺には人家がなく、大通りから外れると車の通りはまったくない。
明美は言葉を発さず、そうした道を式場の建物沿いに歩き続けている。まずは人のいない場所に私を誘導したいのだろう。
私はヤツの後ろを歩きつつ、その背中をじっと見つめる。
――自然と、そこに鋭い刃物を突き立てるイメージが沸いてきた。
本物を目の前にして再認識したが、やはり私のヤツへの殺意は微塵も損なわれていないらしい。そのために鍛錬を欠かさず過ごしてきたとはいえ……まったく、良いんだか悪いんだか。
「さて、じゃあ話をしましょうか」
式場を出て二、三分ほど歩き、その敷地の裏手に来たところで明美は足を止めた。
十メートルほど離れたところに黒い車が止まっており、そばには二人の男がいる。こちらに油断のない視線を向けているから、どう考えても明美の手の者だ。
「……実のところ、今日お前が接触してくるかもな、とは思ってたよ」
私は静かな口調で言った。十五年ぶりということもあり、殺意以外の激しい感情は沸いてこない。……今のところは、だが。
「それは良かったわ。あなたもちゃんと、自分が言ったことを覚えていたのね。そして、私への殺意も」
明美は微笑を浮かべながらサングラスを外した。目元には一切の皺がなく、四十代半ばとはとても思えない。
私も若いとよく言われるが、それでも筋力は微妙に落ちてきたし、顔にはそこそこ年齢が出ている。それと比べると、二十代の頃からまったく変わっていない明美は、若いという表現を通り越して異様だ。整形でもしてるんだろうが……やはり化け物じみている。
たっぷり十秒ほど無言で見つめ合った後、私は口を開いた。
「……しかし、今回はずいぶん乱暴だな。家族の前にまで顔出しやがって」
「私を突き放しておいて、よく言うわ。一方的に気遣いを要求するなんて、ずいぶん勝手じゃない?」
「十五年前の、別れ際の話か?」
そうよ、と明美は答えた。すっと顔の微笑が消える。
「『なぜだか殺意も萎えてきた』。この言葉で、私がどれだけ傷ついたか。今だって、ちょくちょく夢に見るのよ。そのたびに死にそうな気分になる」
「……その言葉に傷ついたってのか? むしろ、私の殺意がなくなるのは、お前としては喜ぶべきことだろ」
「なに言ってるのよ。こっちの心を抉るってわかってたからこそ、そんな言葉を使ったんでしょ」
「そんな記憶はない……ような……」
ちょっと断言できない。
なにせ、十五年前の話だ。碧が明美に理不尽に殴られて、私がそれに怒ったことは覚えているが、さすがに細かい言動などは記憶から消えている。
「私は一言一句覚えているわよ。あなたの表情や仕草もね。こっちの言い方が悪かったとはいえ……本当に悲しかった。玲ちゃんに失望されることで、あんなにも心がズタズタになるとは、思ってもみなかった」
「……なんか被害者じみた発言してるが、あの件はどう考えても悪かったのはお前だろ。身勝手な理由で碧を殴って、碧の親であることを完全に放棄して。私は確かにお前にボロクソ言ったが、それをまったく後悔してないし、謝る気なんて全然ないぞ」
「ちょっと待って。殴ったのは言い訳のしようもないけど、親であることを――」
言い淀み、明美は口をつぐんだ。
「…………なんだよ」
「……いや、いいわ。別にこんな話をしに来たんじゃないの。本題に入りましょう」
仕切り直すように一息つくと、明美はいつもの微笑を取り戻した。
「まず確認しておくけれど、玲ちゃんはまだ、私を殺す気があるのよね?」
「……さて、どうかな」
「はぐらかしてもダメ。あなたが最近、私の周辺を調べてるのは知ってるんだから。殺意がなきゃ、そんなことしないわよね?」
さっきとは打って変わり、嬉しそうに明美は尋ねてくる。
言い逃れは難しそうだったが、私はあえてシラを切り続けた。
「確かに、お前の動向が気になったから調べてはいた。だが、それだけだ。そもそも、お前は私の家族を人質にしてるんだぞ? 殺したくても殺せないだろうが」
「そう。だから玲ちゃんが私を殺すには、その前に家族の安全を確保しなければならない。でも彼らの生活を犠牲にはできないだろうから、家族全員を見つからない場所に隠すという選択肢も取れない。じゃあ、どうするか」
明美は得意気に右手の人差し指を立てる。
「私を殺す前に、私の組織力と資金力を、まず奪う。だって私に手下が一人もいなければ、殺された後に家族を殺し返すことなんてできないから。あなたはこの十五年間、子供を育てながらその準備をしてきたんでしょ?」
「……そう断言できる証拠があるのか?」
「安心して。ネットで雇った探偵に身辺調査をさせてるってこと以外は、まだなにも掴んでないわ。ま、行動に出る前にこっちにバレたら、人質の身が危ないものね。あなたが慎重になるのは、よくわかる」
……明美の推測は、ほぼ的中している。
ただ、私としても当然、あっちが私の動きを警戒していることは覚悟していた。ゆえに碧が成人した今日を境にして、明日以降から迅速に行動しようと考えていたのだ。
「玲ちゃんは明日から動き始める気だったんでしょ? だから今日、先手を打って釘を刺しに来たの。結婚式の邪魔をしてまでね。これがあなたを強引に連れ出した理由。わかってもらえた?」
……やられた。
明美の言うとおり、先手を取られた。碧が成人するまでという区切りに、こだわりすぎてしまったか……。
明美が今日現れる予感はあったんだから、もっと先倒しにするべきだったかもしれない。察知されないことを重視するあまり、慎重になりすぎたのも良くなかった。
ともあれ、気取られたのなら仕方がない。一旦敗北を受け入れるしかないだろう。
「……で、今度はどうやって私の動きを封じるんだ? 組織が攻撃を受けたら、即家族を殺すって脅すか」
「そんな野蛮なことしないわ。っていうか十五年前だって、玲ちゃんが銃を持ってこなければあんな脅しはしなかったのよ? というわけで、今回は妊娠作戦の次に考えていた策を使うわ」
すると、明美はこれ見よがしに指をパチンと鳴らした。やや離れた場所にいた男たちが反応し、すぐにこちらに来る。
二人は私の目の前で足を止めると、大柄なほうが短く言った。
「両手をくっつけて、軽く前に出して。こんなふうに」
しょうがないので、そいつが実践したとおりのポーズを取る。すると。
もう一人が横から唐突に、私の手に銀色の輪っかをはめてきた。ガシャリと接合部が鈍い音を立て、ロックがかかる。
――手錠だ。
男は私に、手錠をかけてきたのだ。
「二条玲。あなたを国際テロに関わった容疑で拘束する」
「……ヘェッ?」
変な声出た。寝耳に水ってもんじゃねぇ。
こ、これは、まさか……。
すぐさま顔を上げ、私は明美を凝視する。ヤツはにやりと笑った。
「あらら~。大変ねぇ、玲ちゃん。きっと牢屋にぶちこまれちゃうわ」
「おっ、お前……! 私に冤罪を着せる気か!?」
刑務所に閉じ込められれば、どう足掻いても明美は殺せない。
(やばい。まずい。捕まったら、もうどうしようもないぞ。逃げるか……!?)
即座に逃走する選択肢が浮かんだが、手錠をされた状態で屈強な男二人から逃げ切れるとは思えない。
一気に追い詰められ、焦燥感に駆られる私。
だが、明美の策はそれで終わりではなかった。ヤツは予想外のことを言い出す。
「ずいぶん焦ってるわね、玲ちゃん。でも落ち着いて。あなただけを刑務所に送りはしないから」
すると、明美は男たちの方に両手を差し出した。すかさず手錠がかけられ、でかい方の男が気乗りしない様子で口を開く。
「……馬場明美。あなたを、国際テロに関わった容疑で拘束する」
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……どういうことだ? わけがわからない。
明美は腕を拘束する手錠の具合を確かめつつ、男に声をかけた。
「ごめんなさいね、いちいち言わせて。あとは私たちを米国の捜査官に引き渡せば、あなたたちの仕事は終わりだから」
「……お、おい、どういうことだ」
理解不能な状況に耐え切れず、私は明美に尋ねる。ヤツは私に視線を向け、得意気に答えた。
「この二人は日本の警察官。で、私たちをテロを画策した容疑で捕まえたがってるのは、アメリカ合衆国。さらに、この状況は法的にかなりグレーだから、二人に説明義務はない。それがあなたの置かれてる現状なの。わかった?」
「わかるわけないだろ。っていうか、なんでお前も捕まるんだよ。それが意味不明すぎる」
「私は捕まらないほうが良かった? 玲ちゃんが服役してる間、のうのうと自由に過ごしてたほうがいい?」
「いや、だから……」
こいつは、自分から私を遠ざけたいんじゃないのか? 殺されないようにするために。
あれ? 私がわかってないのか? なんか勘違いしてる?
逮捕による焦燥感など吹っ飛び、私はひたすらに混乱していた。
「大丈夫。事態は簡単よ、玲ちゃん。二人で一緒にアメリカの刑務所に入る。ただそれだけ」
明美はなにが楽しいのか、満面の笑みを浮かべている。
「仲良く獄中生活を楽しみましょ。十年くらい」
――腹立たしいことに、その笑顔はどこまでも碧にそっくりだった。




