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明美をぶっ殺す  作者: 麻青
第一部
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30歳・3

 碧を家族に預けてからスタジアムの出入り口に向かうと、見覚えのある人物が立っていた。明美の護衛をしていた女だ。

 彼女は無言のまま腕を横に伸ばし、スタジアム前方にある公園を指し示した。おそらく、そちらに明美がいる――ということなのだろう。


「道案内、どうも」


 私はスーツ姿の女に声をかけつつ、さっと周囲を見回す。

 まったくひと気はない。平日の昼前だし、貸し切っているためか門が半ば閉まっている。幼稚園の催しが終わるまで、人の出入りはほとんどないかもしれない。


 咄嗟に思いついた策を実行することを、私は即座に決意した。


 ズボンのポケットからスマホを取り出す。そして、それを最小限の動作で護衛に向かって投げつけた。

 顔にスマホをぶつけられ、突然のことに怯む護衛。私は一気に走って近づき、その勢いのまま前蹴りを彼女の腹に入れる。

 悶絶しつつ、護衛はスーツの内側――銃の入ったホルスターへと手を伸ばす。しかし、互いの距離が近い状況でそれは悪手だ。


 さらに一歩距離を詰め、私は渾身の右ストレートパンチを繰り出した。相手は銃を抜こうとしていたために防御姿勢が取れず、こちらの拳がもろに顔面へと突き刺さる。骨が折れるような手ごたえ。


 そして、銃を抜こうとしていた敵の右手の裾を掴みつつ、首の後ろに手を回し、私は護衛を地面へと引き倒した。

 そのまま首を絞め、意識を落とそうとする。

 ――が、その必要はなかった。顔に一撃を入れた時点で気絶していたらしく、護衛の女はすでにぐったりしていたからだ。


 ふーっ、と息をつき、護衛のスーツの下に手を入れる。そしてホルスターの留め金を外し、拳銃を抜き取った。

 見ると、グロック19という銃だった。護身には定番とされる小型拳銃で、何度か扱ったこともある。弾倉を一旦抜いて確かめるが、弾も問題なく入っているようだ。


 あらためて周囲を見回すが、付近に人影はない。

 ……良かった。こんなバイオレンスな状況、誰かに見られたら通報されるに決まっている。

 さっき投げた自分のスマホを拾い、それをズボンの左ポケットに、そして銃を右ポケットに入れる。銃は入りきらず、はみ出してしまっているから、シャツを被せてどうにか隠した。


 ――よし。運良く武器が手に入った。


 戦うにしても、戦わないにしても、これで話を幾分有利に進められる。もしもの場合は明美を殺さなきゃならんが、その成功確率だって格段に上がるだろう。

 とはいえ、できれば使いたくはない。銃を撃つことになったら、結末がどうあれ、今の碧や家族との生活は終わりを迎える可能性が高いからだ。

 ……無論、いざというときは躊躇なく引き金を引くつもりだが。



 茂みや木々に囲まれた公園に足を踏み入れ、真っ直ぐ進む。

 明美の姿を探す必要はなかった。ヤツは正面奥の開けた場所に、もう一人の護衛とともに立っており、他に人もいなかったからだ。


 手入れされた芝生の上を歩き、私は明美に近づいていく。

 当然、右手はポケットの銃を掴んだままだ。護衛の女も懐に手を入れており、ゆえに次の瞬間、銃撃戦が始まってもおかしくない。

 久しい緊張感だが、思いのほか私の腕や感覚は鈍っていない。護衛は明美の許可なしに私を殺せないだろうし、いざとなったら問題なく私が勝てるはず。


 彼我の距離が五メートルほどに達したところで、足を止める。すると、真っ先に明美が口を開いた。


「危ない状況みたいだから、カードを一枚切らせてもらうわ」


 あちら側も、私が護衛を倒して銃を奪ったことを、すでに知っているのだろう。脇にいる護衛の女はもちろん、明美もいつになく真剣な顔をしている。


「これから先、私が病気とかの予兆なしに死亡した場合、あなたの家族を部下に殺させるわ。もちろん、碧ちゃんもね」


「……そうか。それを聞いて逆に安心した」


 私は小さく息を吐き、銃から手を離す。一方の明美はわずかに片眉を上げ、怪訝そうな顔をしている。


「どういうことかしら」


「お前が碧を自分から殺すことがないって、確信できたからだよ。大事な人質なんだろ?」


 一拍置き、明美は半ば呟くように言った。


「……やれやれだわ。私は殺意を疑われるほどの振る舞いをしていたのね。まったく……」


 首を大きく横に振り、それで気分を切り替えたのか、明美は普段の口調に戻って続ける。


「まず、さっきの暴力行為を謝るわ。ごめんなさい。衝動的にやってしまったことで、自分で自分をコントロールできなかったの」


「衝動的? お前が?」


 その言い分に、私は若干戸惑った。

 映画に出てくる悪役AIのごとく、常に冷徹で理解不能な言動をしている明美が、衝動に突き動かされただって? ……そんなの、まるで人間みたいじゃないか。


「いや、自分でも驚いているのよ。これまでの人生で最も失望したとはいえ、その感情が行動に出てしまうなんて。みっともないったらないわ」


「……よくわからん。いったい、あの子のなにが気に食わなかったんだ」


 碧は普通に自己紹介しただけだ。その行為にどうして失望したのか、想像もつかない。


「猿に見えたからよ」


「……猿? 顔がか? いや、あの子は私とお前を足して、そのまま二で割った感じだろ。普通に可愛い」


「容姿じゃなくて、言動。あの自己紹介を見て、芸を仕込まれた猿を連想したの。芸を楽しんだり誇ったりするのでもなく、相手を喜ばせようとするのでもなく、単にご褒美が欲しいから芸をする。そんな空虚で自由意志に欠ける振る舞いに、途方もなく失望したのよ」


 私は少々唖然としつつ、その論拠がおかしいことを指摘する。


「酷い言いようだが……それってぜんぜん普通だろ、あの年頃の子供にとっては。大人に教えられた挨拶や言葉を、意味を自覚せずに繰り返して、そうして最低限の礼儀作法とかを学ぶ。いたって当たり前のことだろうが」


「そうね。至極当然の成長過程だわ。だからね、別に出来の悪さに憤ったわけじゃないの。あの子が普通すぎる事実に、私はがっかりしたの」


「なんで普通じゃ悪いんだ」


 すると明美は若干声を荒げ、珍しく感情を露わにして言った。


「だって、私と玲ちゃんの子供よ!? 絶対おかしいのが産まれてくると思うじゃない! なのに蓋を開けてみれば、平凡極まりないどこにでもいるような人間だった。失望するに決まってるわ、そんなの……」


 私は開いた口が塞がらなかった。いったい、実の子供になにを期待してるんだ、こいつは。


 ――確かに、私ら二人が親にしては、碧は平々凡々な性格をしている。

 けど、私はそれを不満に思ったことなど一度もない。あの子が問題なく日々を過ごし、成長していってくれれば、それだけで満足なのだ。


 それを、明美ときたら……自分の子供をゲームや漫画のキャラと勘違いしてるんじゃないのか? 普通とかありきたりでなにが悪いのか、さっぱりわからない。


 明美はそれなりにダメージを受けているのか、顔に手を当てて黙り込んでいる。呆れて言葉も出ない私だったが、ふと気づいた。

 おかしい。こいつ、碧の性格とかをさっき始めて知ったのか?


「おい、お前はずっと私たちを監視してたんだろ。なのに、碧のことを知らなかったのか?」


「……あえて、あの子に関する報告には目を通さないようにしてたの。事前知識なしで直接会って、自分で見極めたかったから」


 明美は顔を上げると、自嘲気味に笑った。


「ふふっ、笑っちゃうわよね。玲ちゃんとの出会いの再現を意識して、勝手に期待を膨らませた結果が、これだもの。……あの子には、玲ちゃんの美しさや美味しさの片鱗すらなかった。顔が似てるだけで、惹かれるものがまったく無かった。そりゃあ、失望もするわよ。自分勝手というのは、重々承知しているけれど」


 ずいぶんへこんでいるようだが、私は一切同情など覚えなかった。期待を裏切られたという一方的な理由で、こいつが実の子供を殴った事実に変わりはないのだ。

 世間一般の常識からしても明美は悪だろうし、母親として絶対に許せはしない。


「……で? 言い訳はまだ続くのか?」


 突き放した口調で問うと、明美は姿勢を正して私に向き直った。


「そうね。自己弁護なんて聞きたくないわよね。ということで、もう一度きっちり謝るわ」


 明美はその場で膝をつき、土下座をする。そして半ば白々しい口調で言った。


「あなたの娘さんに危害を加えて、申し訳ありませんでした」


 背筋が、冷たくざわついた。


「娘さん……だと?」


「ええ。あなたの、ね」


 ――こんなクソみたいな謝罪があるだろうか?


 今こいつは、『あなたの娘さん』という呼び方を使うことで、自分が碧の親であることを明確に否定したのだ。

 そういう意味では、謝罪というより宣言だろう。以後、碧を自分の子供とみなさないという、最低の意思表示。


 私は、思っていることを素直に口にした。


「お前には散々驚いたり、呆れたりしてきたけど……クズだと感じたのは初めてだよ。なぜだか、殺意も萎えてきた」


 ハッとし、明美が顔を上げる。

 目を見開き、驚きの表情を向けてくるが、私はそれを上から思いっきり見下した。そしてポケットから銃を取り出し、地面に投げ捨てる。


「もう、金は振り込まなくていい。どうにかする目処はできたしな。だから当分、私はお前を忘れて生きることにするよ。とりあえずは、碧が成人するまで」


 じゃあな、と言い残してその場を去る。


「ま、待って、玲ちゃん」


 私は答えないし、振り返らない。そのままスタジアムの方へと歩いていく。


 明美が私の背中に声をかけてくることは、もうなかった。

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