25歳・2
「……なんか、すっげーダルい。やっぱ変だわ、体」
居間のテーブルに突っ伏しながら、私は食器を洗っている母さんに向けて言った。
誕生日を祝ってもらってから、まだ二週間もたっていない。ここ最近の私は体の調子がおかしく、安静にして治すことを優先していたのだが、むしろ悪化するばかりだった。
「玲が体調悪いなんて、珍しいね。昔から風邪だってほとんど引かなかったのに」
「ほんとだよ。なんなんだろう、これ。最近は腹に異物感も感じるし……」
そう応えると、母さんは食器を洗う手をピタリと止めた。
「異物感って……あんた、それまずいんじゃないの? 腫瘍だったりするんじゃない?」
「腫瘍って、なんの」
「ガンよ、ガン。テレビが言ってたけど、子宮ガンでそういう前兆があったりするんだって」
「ガン!?」
いきなりヤバイ言葉が出てきて、私は面食らった。母さんは深刻そうな顔で続ける。
「月のものはどうなの? ペースが変になったりしてない?」
「生理のこと? そういや、二ヶ月くらいきてないわ」
思えば、この時点でもっと私は真剣に考えるべきだった。明美に肉片送れねぇわ、ざまぁ、くらいにしか思ってなかった。
母さんは台所を出て、私の正面にやってくる。そして迫真の表情で言った。
「病院行きなさい。そういう病気は、早期発見できるかどうかが生死を分けるんだから。ね? 絶対、今日行くのよ? わかった?」
「わ、わかったよ……」
私の病院嫌いを知ってるからか、母さんは強く念押ししてくる。
……じゃあ、昼メシ食ったらちょっと行ってくるか。大ごとにならなきゃいいが。
家の軽自動車に乗り、私は病院へと向かった。そこまで遠いわけではないが、体調がおかしい今、さすがに自転車はやめておいた方がいいだろう。
ハンドルを握る私の頭を占めていたのは、当然ガンへの恐れである。
(……どうしよう、本当にガンだったら。余命一年です、とか言われたら)
どうも工事をしているらしく、大通りは異様に渋滞している。私は前の車に合わせてゆっくり車を進ませつつ、ガンへのイメージを膨らませる。
(死ぬのは怖い。怖いけど……意外にありかもな。覚悟が決まって、ためらいなく明美を殺しに行ける)
死ぬのは最悪だ。しかし少なくとも、『殺されることを恐れて動けない』、という今の私の悩みは解消される。
本当にガンで死ぬとなったら、私は迷わず、手段を選ぶことなく、明美殺しに全身全霊を注げるだろう。
そういう意味では、避けられない病死はいっそすがすがしくもあった。
「……さて、どうなることやら」
私はそれなりの絶望とわずかな希望を同時に抱きつつ、異物感のある腹をペシペシと叩いた。
――しかし数時間後、そんな悲壮感は粉々に吹っ飛ぶこととなる。
私を待ち受けていたのは、あまりにも斜め上の現実だった。
病院の診察室で、私の前に座っている女医さんが言った。
「妊娠しています。およそ二ヶ月といったところです」
……………………は?
余命宣告を覚悟していたからか、あまりにも予想外すぎたためか、言われたことが理解できなかった。
口をあんぐり開けたまま固まっている私を見て、妙齢の女医はゆっくり尋ねる。
「……二条さん、もしかして予定外の妊娠でしたか?」
「…………ええと、いや、ガンかと思って病院に来たんで、あまりにも不意打ちというか……」
どうにかして、そんな言葉を搾り出す。
まあ、看護師さんとかの態度が妙に朗らかだったから、違和感は感じていた。でも……まさか、妊娠してたとは。予定外ってもんじゃねぇ。
「心当たりはない、ということですか?」
医者にそう聞かれたが、私は生まれてこのかた男とヤッたことはない。
「はい、全然な……」
答えかけて気づいた。女とならある。
(いや、そんなバカな。女と女でどうやって子供が……)
眉間をギュッとつまみ、私は考え込んだ。そしてふと、相手があの異常者であることを思い出す。
(……待てよ。明美ならありえる。私が寝てるすきに、人工授精的なことをやったとか、そんな可能性はある)
ヤツならできるし、やるだろう。
その並外れた遺伝子工学の知識と、倫理観を母親の腹に置いてきたような非常識さをもってすれば、私が孕んだ事実にも十分説明がつく。
――間違いない、明美の仕業だ。って言うか、他にありえない。
そう確信し、私の中でヤツへの怒りや困惑が急速に膨れ上がっていく。気づけば、私は頭をかきむしっていた。
「あ、あいつ……マジで、マジでなにしてくれてんの……」
事実を受け止めきれなくて、診察中にもかかわらず感情が口に出てしまう。
十数秒ほどたって感情の波が過ぎ去り、ようやく私は一呼吸ついた。こちらが落ち着くのを待っていたのか、先生が静かな口調で話しかけてくる。
「……ええと、大丈夫ですか? 複雑な事情がおありのようですけど……」
ある程度の冷静さを取り戻した私は、しばし考え込む。そして思い切って答えた。
「あの……また後日来るんで、今日は一旦帰っていいですか? ちょっと電話しなきゃいけない相手がいるんで」
「わかりました。ただ、重要な話だけはさせてください。中絶のこととか」
「中絶…………」
思わずハッとした。その重すぎる言葉が、自分の人生に関わることになるとは。
私はそっと腹に手を添える。――この中に人間がいて、それを殺す?
……だめだ、とんでもない事態になったのは分かるが、まだピンとこない。現実感が沸かない。
ともかく、もっと先生から話を聞いたほうがいいだろう。
「す、すいません、やっぱり帰るってのなしで。じっくり説明を聞かせてください。今後のこととか」
先生は頷き、話を続けてくれた。
私はあれこれ考えるのを一旦脇に置き、妊娠についての解説を必死に聞く。……単に、突如現れた難題から目を逸らしたかった、というのもあるかもしれないが。
産むか、堕ろすか。
どちらを選ぶべきなのか、さっぱり分からない。確かなのは、明美を殺すか否かに匹敵するほどの選択肢に、新たに直面してしまったことだけだ。
――そして結局、女医さんの話を最後まで聞いても、その答えは出なかった。
はぁ。最近こんなのばっかしだ、私。
なんか悩むのも疲れてきた……。




