25歳・1
二十五歳の誕生日は、実家でドラクエ7をしながら迎えた。
「え~、マリベル外れるのかよ。あいつみたいに永久離脱じゃないだろうな……」
ずっと一緒だった仲間キャラが唐突に別れを言い出し、私はついぼやいてしまった。今は部屋着のジャージ(高校時代のやつ)に身を包み、座椅子にどっかり座ってゲームをしている。
そのとき、部屋のふすまがノックもせずに開けられた。
「玲ー。ちょっと買い物に行ってくれない?」
「んあ? なに?」
私は一旦ゲームをやめ、母さんのほうを向く。
「晩御飯オムレツにしようと思ったんだけど、卵が足りなくてさぁ。イイダが安いみたいだから、イイダに行って二パック買ってきて」
そう言うと、母さんは千円札をこちらへ差し出してきた。私は立ち上がり、手を伸ばしながら尋ねる。
「おつりでお菓子買っていい?」
「しょうがないね。三百円までだよ」
よぉし。なら、チョコでも買おう。ちょうど甘いもんが食いたかったところだ。
昼下がりの住宅街を、チャリでたらたらと走る。
――実にのどかだ。
天気はいいし、気温が暑くも寒くもなくて快適だし、平日だからか人通りも少ない。
車の通る騒音などもなく、聞こえてくるのは鳥の鳴き声のみ。
「はぁ……いいもんだなぁ、平和ってのは」
海外で殺伐とした日々を過ごしてきたからか、日本の平和は実に染みる。
実家に帰ってきてニートを初めてから、およそ二ヶ月がたった。けれど未だにこうして、ふとした瞬間に過去と現在の温度差をありありと感じてしまう。
(……明美殺しを一切考えずに長期間過ごすってのが、ヤツに殺意を抱いてから初めてだからなぁ。そりゃあ、平和を感じもするか)
自分の状態を改めて見直し、私はわずかばかりの焦燥感を覚えた。
果たして、このだらけまくっている日常に、意味はあるのか。それとも、意味がないからこそ、過ごす意義があるのか。
再び大きな溜め息を吐き、自転車のベダルをゆっくりとこぐ。
明美と過ごした十三日間は、綺麗さっぱり忘れた方がいいのか、脳に刻み込んで忘れないようにするべきなのか、正直わからない。
ただ、はっきりしてるのは、あの十三日を境にして明美殺しのハードルが急激に上がったことだ。
明美は今後、殺しに来た私に容赦なく反撃を仕掛けると言った。
私の体に執着するアイツがどこまで本気かは不明だが、襲撃者を全力で撃退するのはむしろ当然の行為であり、なんら不自然ではない。襲う側の私はそれを想定し、覚悟するのが筋というものだろう。
むしろ、今までの認識が甘かったのだ。
殺しに行く以上は、殺されることを覚悟すべきだった。明美が本気になって攻撃を仕掛けてきたら、仲間のいない私はあっさりとやられてしまうのだから。
明美に対し、『反撃で殺される可能性があろうとも、お前を殺すのはやめない』と格好良く宣言したものの、やっぱり私は死ぬのが怖かった。だからこそ、『死ぬ前に実家に帰って親孝行するか』みたいな思考が生まれてしまった。
で、なんやかんやあって実家で過ごすようになり、気づけばニート化していたのである。
つまり、私はまだ答えを出せていなかったのだ。
自分の命を取るべきか、明美を殺すことを取るべきか。
明美と蜜月の日々を過ごしていたときは、情緒がバグって平常心での判断ができなかった。自分がヒロイックな物語の主人公のように思えて、その結果、死んでも明美を殺すという見栄えのいい選択肢を選んでしまった。
しかし、私の明美殺しはそんなカッコいい物語じゃない。
単に、頭のおかしい二人の女が殺すだの食べるだのを繰り返してるという、意味不明な話に過ぎないのだ。
実家で平和な日々を過ごしているうちにその事実に気づき、そうして私の中の決意は萎えてしまったわけである。
……とはいえ、明美への殺意は健在だ。
ゆえに日々の鍛錬は欠かさず続けており、肉体に衰えはほとんどない。明美の実家に私の髪とかを送り、その行方を追うことでヤツの居場所を特定するという試みも、一度だけとはいえ試みている。
つまり、殺すのをためらっているというよりは、慎重になっているのだ。
理想は、反撃される余地なく不意打ちで一方的に仕留めること。そのシチュエーションを確立できれば、私は今すぐにでも喜んで明美を殺しに行くだろう。
が、現状では正直難しい。
というのも、今の私はとある事情で手詰まりとなっているのだ。そのため必要な行動が取れず、明美殺しができない状況に陥ってしまった。
その理由とは、金欠。
とにかく、お金がない。
明美の居場所を掴むには、ヤツに送った私の血肉を追跡する必要がある。
しかし、明美は大人数を実家に派遣し、それらは荷物を持ってバラバラのタイミングで出てくるので、私一人では追跡しきれない。
血液パックに発信機をつけたりもした。だが発見されて壊されたか、電波を遮断する容器に入れられたのか、すぐに反応がなくなってしまったので、こうした方法は通用しないと見ていい。
ゆえに、明美の居場所を特定するにはこちらも大勢の人間を雇い、配達者を一人一人尾行させるしかないのだ。
で、そうした人員を雇うお金がないという問題にぶち当たったのである。
今の私の蓄えは、およそ二百万円ほど。
荷物がバラバラに海外に運ばれることを考えたら、それらの追跡に軽く数百万円はかかってしまうから、到底足りない。
当然、ほかにもお金は必要となる。武器の調達や海外渡航、現地での生活費などで、出費は絶えない。二百万円なんてあっという間に尽きてしまうだろう。
ちなみに、メキシコにいたときの武器や宿の用意は、ほとんど教官に頼っていた。厳しい人だったが、一生遊んでも使い切れない資産があるとかで、お金回りは驚くほど甘かったのである。
しかし、彼とは縁を切った。
「のっぴきならない事態になったら、ワシを頼れ。貴様のせいで死に掛けたが、同時に命を助けられもしたのだ。もう一度同じようなことになっても、別にかまわん」
と、教官は別れ際に言ってくれたが、さすがに「お金貸してください」とは言いに行けない。
ちょっと私と関わっただけでも明美はあの人を殺すかもしれないし、さほど切迫していない今の状況で教官に頼るわけにはいかないだろう。
というわけで、教官という資金源を失った以上、私は自力でお金を稼がなくてはならない。
多分、昔に私が勤めていた軍事会社ならば、なんらかの形で雇ってはもらえるだろう。運が良ければ、また女性だけの護衛チームに入れるかもしれない。普通にそのへんでバイトするより収入がいいし、他の職には就いたことないし、一番現実的な選択肢だ。
が、そうなると当然、戦場とか紛争地帯とかの危ない場所に赴く必要がある。これは、のほほんと毎日を平和に過ごしている今の私には、なかなかハードルが高い。
正直、そんなとこに行ってまで働くのはかなり億劫だ。
修行目的のときはためらわずに行けたのに、金稼ぎではやる気が出ないというのは、なぜなのか。自分でもよく分からない。
じゃあやる気になったら動くかぁ、と考え、そのままだらだらと日が過ぎてしまった。
で、ニート化してしまった現在に至るのである。
考え事をして適当に自転車を走らせていたせいか、気づけば私は河川敷にいた。イイダとは全然別の方向だ。
なんとなく自転車を止めると、近くの草むらで野良猫が口を開けてあくびをしている。釣られて、私も大あくびをしてしまった。ふぁ~あ、と青空に向かって変な声を出す。
「はぁ……どうすっかな、マジで」
心が緩み、思っていることがそのまま口から出てきた。
自分の命と明美殺し、どちらを優先すべきか。答えは未だにはっきりしない。
それに、どっちを選んだとしても、このだらけまくってる現状の是非はあいまいだ。明美を殺すことをやめないにしろ、やめるにしろ、今のニートの日常は肯定もできるし否定もできる。
明美殺しと、平々凡々な日々。
どっちの問題も、答えを左右に吊るす天秤は完全につり合った状態なのだ。傾かなきゃ行動の指針を決められないのに、両方ともまったく持って動く気配がない。
「…………ダメだ、やっぱりわからん」
悩みすぎて頭が煮詰まってきた。許容値を超えたのか、考えることが一気に面倒くさくなっていく。
私は思考を打ち切り、再び自転車を漕ぎ出した。
やっぱり、幾ら考えても答えは出ない。もうこうなったら、時間経過か外的要因によって新しい判断材料が生まれてくるのを待つしかないだろう。
ペダルをこぐ足に、力を入れる。無性にチョコが食べたくなってきた。
袋入りのチョコレートお得パックと卵を買い、ようやく私は帰宅した。一時間くらいかかったから、母さんに遅いと文句を言われるかもしれない。
自転車をいつもの場所にとめ、荷物を持って玄関に向かう。そして、ガラガラ鳴る引き戸を開け、家の中に入った直後だった。
パンパンパンと、破裂音が一斉に響いた。銃声かと思い、ビクリと体を震わせる私。
――が、違った。
「誕生日おめでとー、玲!」
「おめでとう!」
「おめでとぉ、玲ちゃん」
家族が揃いも揃って、玄関前にクラッカーを持って立っていた。仕事中のはずの父さんや叔父さん、嫁にいった姉貴までもがいる。
思考が追いつかずに呆然としている私に、とことこと小さな女の子が寄ってくる。
「これね、さぷらいずって言うんだって! ビックリしたでしょ玲ちゃん!」
五歳になる姪っ子は、やたら楽しそうに笑っていた。
「…………そっか、今日誕生日だったわ」
やっと声が出た。
そうだ、今日は私の二十五回目の誕生日だった。ゲームしてるときに少し思い出してたが、またすっぱり忘れてしまっていた。
そんなアホ丸出しの私を見て、家族たちは声をあげて笑っている。誰も彼も、ドッキリが成功したのがよほど嬉しいらしい。
「……い、祝ってくれて、どうもありがとう」
とりあえず礼を言う。すると、婆ちゃんが代表するかのように応えた。
「玲ちゃんは何年も海外にいて、ずーっと誕生日のお祝いなしだったからねぇ。だから、今回は大きめにしてみたの」
で、サプライズを仕掛けてみたわけか。……ヒマだなぁ、この人たちも。
姪っ子が足にしがみついてきたので、持ち上げて抱っこしてやる。すると、今度は父さんがしみじみと言葉を投げかけてきた。
「ずっとウチにいていいんだからな、玲。お前が海外でどんな仕事してたのかは知らんが、家にいるほうが安心できるだろ? お互いにさ」
「安心しすぎてニートになってるけどね、今の姉ちゃんは」
大学生の弟がにやけ面で言った。言い方が気に食わないから、あとでしばいてやろう。
「え? 玲ってまだなんも仕事してないの? じゃあ私の工場に来いよ、雇ってやるから」
今度は、別の家に住んでいる姉貴がいつものように偉そうに発言する。なんかの部品を作る工場を旦那さんと経営しており、そこで私を働かせるつもりらしい。
「……悪いけど、私も色々考えてんの。だから就職はしない」
「玲ちゃんはニートだもんね! だからしゅーしょくはしないの!」
反論した私に、姪っ子が悪意のない煽りをぶちかましてくる。一同は再び声をあげて笑った。
きりがないと判断した母さんが、手をパンと叩く。
「はい、そろそろ奥に入りましょ。ケーキ用意してるから、玲は手を洗っておいで」
「なんのケーキ?」
思わず尋ねると、母さんはにやりと笑った。
「チョコレートケーキ。あんたが食べたそうだと思ってね」
「…………」
的中しすぎて、何も言えない。私が持ってる袋の中を見たら、またきっと皆はゲラゲラ笑うだろう。
姪っ子の体を姉に預け、私は一人、洗面所に向かった。
(……明美を殺すことを取るか、この日々を取るか、だな。今私が直面してる選択肢は)
手を洗いながら、しみじみと考える。
しかし、私の中の天秤は一切揺るがず、答えが出ることはなかった。




