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明美をぶっ殺す  作者: 麻青
第一部
36/174

24歳・A(裏)

「明美様、そろそろ二条様が到着されます」


 腹心とも言える執事からの言葉を受け、ソファに座っている私はゆっくりと目を開いた。


「食事の用意を。あと、人員配置を手はず通りに。くれぐれも男を近づけないでね」


「承知しました」


 キレのある返事を返し、白人女性の執事は部屋を出て行った。


 例の事件が終わってから、一ヶ月近くがたっている。

 『十三日間、私が玲ちゃんを自由にする』という約束を交わしたときには、落ち着いたらすぐにそれを始める予定だった。

 が、私が教官なる人物を殺しかけたせいで、玲ちゃん側の事後処理が想像以上に忙しくなり、ゆえに先延ばしになっていたのである。

 しかし、準備に時間をかけたかった私としては、むしろ好都合だった。玲ちゃんの生理からほどよい期間を挟んだことも、別の計画の助けとなってくれるだろう。


 ともあれ、いよいよだ。

 この十三日で玲ちゃんの殺意をどうにかできれば、以後の私の人生は安泰となる。



 ――私には、他者に共感する能力がない。

 しかしその代わりに、ロジカルな経路で他者の心を読み解くことができる。私が裏社会のビジネスで成功を収められたのは、持ち前の高い知能よりも、相手の感情をこちらに都合良く操作する手腕があったからにほかならない。

 しかし、相手が玲ちゃんである場合に限り、私の読心術は鈍くなる。これは彼女の心が読みにくいのではなく、私の彼女を見る目に特別なフィルターがかかっているせいだろう。


 そうした点を特に考慮し、私は今回のレクリエーションにおける方針を決定した。

 それは、虚飾を用いず、かつ人間らしく振舞うこと。

 計算が通じない以上、小手先の心理テクニックなどは弄するだけ無駄だ。また、玲ちゃんは私を化け物と思っているから、信頼を得るためには人間だと認めてもらう必要がある。

 その上で、『玲ちゃんを大切に思っている』、『玲ちゃんと殺し合いたくない』という意思を、しっかり伝えるのだ。


 もちろん、多少の演技は必要だろう。一般常識から逸脱した行為を控え、玲ちゃんへの食欲を愛情に変換し、オーバーにならない程度に好意を表現しなければならない。

 今回のレクリエーションの具体的な目的は、玲ちゃんに私を人間として認めてもらうことだ。ゆえに、彼女に化け物と思われる行為はすべて自重する。


 これまでは素の状態で接してきて、そんなことをする相手は玲ちゃんだけだったから、その時間は存外に楽しかった。

 しかし、それが彼女を不快にし、彼女の私に対する殺意を膨れ上がらせるのなら、改める他あるまい。

 少々寂しいが、相手の気持ちを考えるというのは、真っ当なコミュニケーションには必要不可欠なことだ。関係を真っ当な形で深めれば、また違った喜びや楽しみを見出せるかもしれないし、そのあたりは前向きに考えるべきだろう。



 これからの十三日間の方針を改めて確認し、私は革張りのソファから立ち上がった。


 正面の大きな窓からは、白磁の砂浜とコバルトブルーの海が見える。

 私は今回のために、南国にある富裕層向けの住宅を借りていた。浜辺に面した豪邸で、室内は白を基調とした解放感のある作りとなっている。ハウスキーパーや料理人も多数用意しているから、一切の不自由なく贅沢を満喫できるだろう。

 無論、玲ちゃんにそうしてもらうには、まず彼女の心を解きほぐす必要があるのだが。


 準備が万端であることを頭の中で再確認していたら、懐のスマホが振動した。見ると、先ほどの執事からの連絡だった。玲ちゃんがもう玄関まで来たらしい。

 が、あえて迎えにいかない。化け物と思われている現状では、下手にベタベタと近づくのは悪手だからだ。先日二人で行動していたとき、私はようやくそのことを実感として学んだ。


 廊下を抜けてリビングに現れた玲ちゃんは、半袖シャツにジーパンという、いたって普通の格好だった。荷物は体に密着させるタイプのショルダーバックのみであり、長期の泊まりにもかかわらずその軽装は、実に玲ちゃんらしい。

 そして、眉を寄せて私を見る彼女の顔も、またいつもどおりだった。敵意を一切隠さず、胡散臭いものを見るような目を、じっと私に向けている。

 十三日間が終わるまでに、あの表情を少しでも和らげられればいいのだが。


「いらっしゃい、玲ちゃん。荷物は適当なとこに置いて」


 変な熱を込めず、私はサラリとした口調で言った。が、玲ちゃんは身じろぎひとつせず、敵意の篭った目でこちらを睨み続けている。

 数秒後、彼女はようやく口を開いた。


「……最初に言っておくが、お前の要求を全部受け入れるのは無理だぞ。私の体を好き放題にさせると約束したが、辱めに耐えるのも限度があるからな。だから、許容量を越えるようなら約束を破ってでも私は帰るし、場合によってはその場でお前を殺す。心しておけ」


 やはり玲ちゃんは、私の変態じみた行為を警戒しているのだろう。全身を舐め回すとか、おしっこを直飲みするとか、むさぼるようなディープキスを仕掛けるとか。

 正直そうしたいところだが、今回は我慢だ。


「信じてもらえないだろうけど、あなたが想定するような異常行動は取らないわ。この十三日間はね」


 そう宣言するとともに、私は改めて玲ちゃんに向き直った。彼女を真っ直ぐ見つめ、表情を若干引き締める。


「それと、最初にはっきりさせておきましょう。あなたの教官さんについて」


 玲ちゃんは頬の筋肉をピクリと動かす。目つきが険しさを増し、そして低い声で言った。


「……あの人とは、縁を切った。少なくとも、今後十年は会わないと約束する。でもって、彼は傷が癒えたら故郷のイングランドに帰って隠居生活するらしいから、今後お前と関わることもないだろう。だから……」


「わかった。玲ちゃんと私に近づかないのなら、教官さんの存在は忘れる。暗殺者を仕向けるようなマネもしない。ただ――条件をひとつ出させて」


「……なんだ」


「教官さんの個人情報を開示してほしいの。だって正体不明のままじゃ動向も掴めないし、本当に隠居してるのかどうかも確認できないでしょ? 回復した彼が私に復讐しないとも限らないわけだし、その不安を払拭するためにも、あちらの弱みを握っておきたいわけ」


「……なら、その情報を使ってあの人に危害を加えないと、さらに約束しろ。出なきゃ無理だ」


「わかった、約束する」


「私も教官のことは詳しく知らん。だから、お前の要求を彼に伝えておく。それでいいか」


「それでいいわ。なら、この件は差し当たり終了ってことで」


 私は区切りをつけるため、両手をパンと合わせる。そして顔の力を抜き、柔らかい微笑を浮かべた。


「長旅でおなか減ってるだろうし、まず食事にしましょう。すぐに食べられる?」


 玲ちゃんは再び視線を険しくしつつも、小さく頷いた。きっと、また毒物を入れられることを懸念しているのだろう。

 ……まったく、我が身から出た錆とはいえ、この警戒を解くのは容易じゃないな。


 ともあれ、私は玲ちゃんを先導する形で隣の部屋へと向かう。

 そちらのフロアに入ると、料理をしていた中年女性が丁寧に頭を下げてきた。テーブルの上にはまな板や包丁といった料理道具、積み重なった皿、そして食材の乗ったトレーや米びつなどが並んでいる。

 皿の上に乗っている料理には、さすがに不機嫌中の玲ちゃんでも興味を引かれたらしい。


「……寿司か?」


「そうよ。海外暮らしが長いから、だいぶ食べてないでしょ? 腕のいい板前さんに日本から来てもらったから、作りたての最高級品が食べられるわよ」


 油が乗って煌びやかに輝く寿司を見て、玲ちゃんがごくりと喉を振るわせる。第三者が作ったものだからか、警戒心を脇に置いてくれたようだ。

 私たちは席に座り、おしぼりで手を拭く。そして一緒に絶品の寿司を食べ始めた。



「次は腹ごなしにゲームでもしましょうか」


 緑茶を飲んで喉の油を流しつつ、私はおもむろに言った。

 よほど気に入ったのか、玲ちゃんは何度目かの大トロを未だに頬張っている。彼女は咀嚼しつつ、「にゃに?」と聞き返してきた。


「いわゆるテレビゲームよ。銃を撃って戦うやつとか、マリオのパーティゲームとか、鬼ごっこするみたいのとか。玲ちゃんが昔やってたスマブラもあるわ。色々用意してるから、あなたが選んでいい」


「……ドラクエあるか?」


「一人用のはダメ。二人で遊べるのにして」


 満腹になったらしく、玲ちゃんはおしぼりで口を丁寧に拭い始めた。


「食べ終わった? もういい?」


「ああ。ええと、ごちそうさまでした」


 当然、私に言ったのではない。玲ちゃんは板前に向かって軽く頭を下げた。

 同時に、私はすっと手を上げる。合図に反応し、控えていた使用人たちが寄ってきて、板前とともにテーブルの上を手際よく片付ける。

 十数秒で彼らは皿や食材などを持ち出し、部屋を迅速に退出していった。


 食事タイムが終わったからか、再び二人きりになったからか、はたまたゲームをする意図を不審がっているのか、玲ちゃんは厳しい視線をこちらに向けてくる。


「で、何が目的だ。どうしてゲームなんてする必要がある」


「玲ちゃんと親睦を深めたいの。普通の方法でね」


「……は?」


「二人の関係性を変えたいのよ。『食べたい』、『殺したい』じゃなくて、もっと普通の友達になりたいの」


 玲ちゃんの私に向ける視線が、俄かに変わった。警戒していると言うより、不思議なものを見る目でこちらを凝視している。


「……じゃあお前、私への食欲はどうなったんだ」


「もちろん健在よ。でも、これからは抑えることにした。あなたを不快にさせるから」


「普通の関係になったとして、それになんの意味がある」


「……正直に言うとね、これ以上あなたに命を狙われるのはきついの。学生時代は大したことなかったから放置してたけど、訓練を積んで殺しの技術を身につけたあなたは違う。何度も繰り返されれば、きっといつか私は殺されてしまうわ」


 玲ちゃんは唖然として私を見つめていた。「本気で言ってんのか」って顔をしている。

 やはり、こちらを追い詰めていた自覚などなかったらしい。


「この前、一緒に戦ったでしょ? テロリストを蹴散らす玲ちゃんを間近で見て、私は自分の懸念が、いつか現実のものとなることを確信した。あなたは本当に強くなったわ。だからもう、私を殺しに来るのはやめてほしいの」


「…………断る。マジで言ってんのかわからんが、私がお前を追い詰めてるのなら、むしろ好都合だ。この十三日が終わり次第、速攻で殺しにいってやる」


「なら、しょうがないわね。もうあなたを甘やかすのはやめるわ」


「……なんだと?」


「これまで私は、私を殺しに来た玲ちゃんにほとんど反撃はしなかった。護衛にも、相手が玲ちゃんなら極力傷つけないように指示をしていた。それを改める。つまりどういうことになるか、わかる?」


 ハッとし、玲ちゃんは押し黙った。


「そう、あなたが返り討ちにあって死ぬ可能性が、はるかに高くなるの。玲ちゃんを殺したくはないけれど、私も死にたくないから、仕方ないわね」


 実のところ、私はそこまで覚悟を決めてはいない。

 ただ、玲ちゃんが私を殺すのをやめないのなら、抑止力を示して襲撃行為を思いとどまらせる必要がある。彼女は私への殺意よりも自分の人生に重きを置いているから、脅しは確実な効果があるはずだ。

 とはいえ、そのやり方はこちらにとってデメリットが大きい。私はそれを玲ちゃんに丁寧に説明する。


「でもね、威圧して殺しをやめさせたら、玲ちゃんとの関係が完全に切れるという別の問題が発生するの。生理時に私の家に来る約束も解消されるだろうし、そうなると私はとても困る。だからこそ、私は玲ちゃんと真っ当に仲良くなることを望んでいるわけ」


 玲ちゃんは口に手を当てて考え込んでいた。私を殺すか、自分の命を優先するか、彼女の中では天秤がぐらぐら揺れているのだろう。

 関係を改善したいこちらの意図は概ね伝えたし、私は玲ちゃんが思考をまとめるのを待った。


 たっぷり三十秒ほどが経過し、ようやく玲ちゃんは口を開いた。


「……確認したいんだが、私がお前を殺すのをやめない場合、そちらから私を攻めてくることもあるのか?」


「そうね。反撃宣言が抑止力にならないのなら、そうせざるを得ないわ。私は絶対安全なところに引きこもって、雇った人間をあなたに差し向ける。で、彼らにあなたを捕らえさせて、一生私のそばで飼い殺す。味が落ちるだろうから、できればしたくないけれど……殺されるよりはマシだから、仕方ないわね」


 これは本当に最終手段だ。

 玲ちゃんは捕獲の際の戦闘で死ぬかもしれないし、捕獲後に人生に絶望して自殺するかもしれない。そんなことになったら私の人生は半ば終わりだし、本末転倒となってしまう。

 とはいえ、ここでの交渉に失敗した場合に備え、私は他にも手段を幾つか用意している。だから、そこまで最悪な状況にはならないはず。そう信じたい。


 瞬間、ふと気づいた。

 空気中にわずかに漂う玲ちゃんの体臭が、微妙に変化している。これは――殺意の匂いだ。うまく言語化できないが、私の五感が彼女の敵意をひしひしと感じ取っている。

 玲ちゃんは先ほどから目を伏せており、表情に変化はない。だが、私は自分の直感には自信があった。


「……そういえば玲ちゃん、さっき箸を服の中に隠してたわよね。あれを使って私を刺し殺すつもり? 今、この場で」


 玲ちゃんの顔が若干こわばった。

 ――なんだかんだで、彼女は感情が表にでやすい。他人に化けているときの演技力はなかなかだが、時間をかけてスイッチを入れなければ、そこまで自分を誤魔化すことはできないのだろう。


 なんであれ、さすがにここで襲い掛かってこられるのは困る。私は抑止力を改めて提示することにした。


「言っておくけれど、この家の周囲には私の部下たちが大勢待機してるわ。で、もしも私が殺された場合、問答無用であなたを殺すよう指示も出してる。それに、十三日間は殺しは無しっていう約束はどうなったの? ただの口約束ではあるけれど、あなたはそれを守ることに矜持を持っていたのでは? そうした誓いを破るなんて、これ以上ない自分自身への裏切りじゃない?」


 玲ちゃんは数秒間固まっていたが、やがて肩の力をふっと抜き、大きく溜め息を吐いた。

 そして服に隠していた箸を取り出し、無造作にテーブルの上へと投げた。


「…………そうだな。約束を破るのは、色々と失うものが多い。だが、場合によってはそうするしかないだろう。私は圧倒的に不利な状態にあるし、そっちに先に約束を破られたら、こっちは為す術もないんだ。先手を打とうっていう気にもなる」


 珍しく釈明めいたことを言っているが、これはおそらく私の意図を伺っているのだろう。こちらに約束を破るつもりがあるのか、否か。


「一応言っておくけれど、そちらが変な行動を起こさない限り、こっちも強攻策なんて取らないわ。何度も説明したとおり、私の目的は玲ちゃんと健全な関係を築くことなんだから」


「……そうか、わかった」


 いつもの彼女らしくない、弱々しい口調だった。どうやら、人生を左右する選択肢を突きつけられて、相当参っているらしい。

 ――と思っていたが、少し違った。


「……お前に言われて、ようやく気づいた。私は本当に、お前に甘えていたのかもしれない。だって、殺しにきた相手に反撃とか先制攻撃をするのは、普通は当たり前のことだからな。そういうのがないからこそ、私は何度も気軽にお前を殺しに行けたんだ」


 正直、そうしたアドバンテージを玲ちゃんがどう思っているか、疑問ではあった。しかしまさか、これまで意識すらしなかったとは。


 別の方向から若干驚いている私をよそに、玲ちゃんは大きくうなだれつつ、続けた。


「お前に情けをかけられていた事実が悔しいし、それにようやく気づいた自分のお目出度さにも嫌気が差す。だから……そのあたりを整理するためにも、少し考えてみる。返答には時間をくれ」


 それは、こちらにとっては現時点で満額の回答と言っていい。考慮の余地があることを認めてもらっただけでも、十分な進歩だ。

 私は密かに胸をなでおろしつつ、ゆっくり頷いた。


「もちろん、それでいいわ。時間はたっぷりあるのだし、気が済むまで考えて。――とはいえ、あなたを私の好きにするっていう約束の最中だし、用意したスケジュールには従って貰うけどね」


「……一緒にゲームするとかか?」


「そう。たっぷり二、三時間ほどね。その後はマッサージタイム。いい施術士を呼んでるから、二人で全身のコリを解してもらいましょう」


「……マッサージ。まあ、それで一旦頭空っぽにするのもいいか……」


「で、それが終わったらセックスするわよ」


「セ………………は?」


 玲ちゃんはあんぐりと口を開け、なかなか間抜けな顔で私を見つめている。

 オーケー、オーケー、いい反応だ。彼女に性交渉の経験がないという私の予測は、ほぼ間違いなく当たっているだろう。

 そっち方面は、今回の作戦でも大きな意味を持っている。そしてこの感じなら、私も存分に楽しめそうだ。


 夜のまぐわいを想像し、私は溢れ出る唾液を必死に抑えるのだった。

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