23歳・3
地下への階段をくだり、厳重なゲートを抜けた先に、それはあった。
薄暗い部屋に入ってすぐのところに、巨大なガラス張りの筒状物体が鎮座している。筒の中は赤い液体で満ちており、その中には人間の姿があった。口や股間などから幾つもチューブが伸びていて、機械によってなんらかの措置を受けていることは明白だ。
私はただ、あんぐりと口を開けてカプセルの中を凝視していた。
謎の液体に素っ裸で漬かり、機械に繋がれていたのは、私そっくりの人間だったのである。
「これ、玲ちゃんのクローンね」
隣に立つ明美が、サラリと言った。『今日の晩御飯、ハンバーグね』みたいな口調で。
事実が飲み込めず、私はただただ呆然としている。そんな私を気遣ってか、明美はゆったりした口調で説明を続けた。
「といっても、これは『見せる用』だから、実は外見を真似た肉の塊にすぎないの。脳はもちろん、内臓や神経系もぜんぜん再現できてないし。発育だって悪いでしょ?」
言われてみれば、カプセルの中の私はだいぶ子供っぽい。中学生序盤あたりの年頃か。
……いや、そんなことはどうでもいい。重要なのは、私のクローンが存在しているという事実だ。そしてこれまでの話を総合するに、その目的は――。
「お、お前……まさか、私を好き放題食べるために、クローンを作った……のか?」
「大当たりっ!」
明美はアイドルのように可愛らしく飛び跳ね、両手を頭上で合わせて○を作った。
私は顔の筋肉をピクピクとひくつかせた。なんとも名状しがたい感情に襲われ、心の中で絶叫した。
――マジで、なにしてんのコイツ!?
言うまでもなく、人間のクローン体の製造は違法である。
人権とかの観点から考えれば、倫理的にレッドラインを超えまくってるのは誰にだって分かるだろう。
生み出されたクローン体が道具や消耗品として扱われることは、想像に難くない。そんな奴隷以下の存在の人間がいていいはずがない――というのが、人間のクローンを非難する思想の主旨である。
そうした禁忌を、明美とかいう化け物は軽々と乗り越えやがったのだ。
呆気に取られ、言葉も出せずにいる私に、隣の明美は嬉々として説明を始める。
「安心して、玲ちゃん。食用が目的である以上、こんなふうに全体を丸ごと生成することは滅多にないから。ほとんどの場合は、あなたの遺伝子を組み込んだ肉を形成して、それを私が食べて終わり。ね? 別にそんな悪いことじゃないでしょ?」
あまりにぶっ飛びすぎていて、良いとか悪いとかが分からない。だから、とりあえず私は頭にパッと浮かんだ疑問を明美に投げかけた。
「……そ、それは……私のクローンの肉は、お前にとっておいしい……のか?」
「いい質問ね。正直なところ、まあまあってところ。本物には遠く及ばないけど、とりあえず飢えはしのげるって感じ」
明美は近くにあった冷蔵庫を開けると、輸血パックのようなものを取り出した。そしてその中にストローを差し、ジュースのようにちゅうちゅうと啜る。
……おそらくは、あれも私のクローンから採取した血液なのだろう。
喉を潤してスッキリしたのか、明美は説明を続ける。
「そんなわけで、玲ちゃんのクローンにある程度の旨みを感じたことで、私は遺伝子によって玲ちゃんをおいしいと認識している――という事実を立証できたの。なかなか面白いでしょ? どうやって私の体が玲ちゃんの遺伝子を認識しているかは、未だに謎なんだけどね」
お前の存在そのものが謎だよ、と私は声を大にしてツッコミたかった。
……が、話が変な方向に進んだおかげで、逆に少し冷静になってきた。だって普通に考えて、クローン人間なんて簡単に作れるわけがない。
「ちょっと……ちょっと待てよ。クローン云々って、本気で言ってるのか? どうもお前が頑張って作ったみたいな流れになってるけど、そんなアッサリ作れるもんじゃないだろ」
「もちろん、それはそうよ。だから一生懸命勉強して、研究して、その上でお金を稼いで、ようやくここまで辿り着いたの。あ、言い忘れてたけど、私IQ300くらいある超天才だから、学ぶこと自体はそこまで苦じゃなかったわ」
IQ300。へぇー、そりゃスゲェや。
一週まわって、私は目の前の女の存在がギャグのように思えてきた。もう、正気では明美という人間を理解できない気がする。
「でも、完全な玲ちゃんのクローンを作るっていう目標はまだまだ遠くて、だから研究費を稼ぐために大勢の富豪から資金援助を受けているの。彼らのクローン臓器を豚の中を経由してお届けする、っていうサービスと引き換えにね」
「……豚の中で臓器を? それ、なんかニュースで聞いたことあるが……合法なのか?」
「報道されてる事例では、遺伝子操作によって豚の臓器を人間のそれに近づけてるの。つまり、厳密には人間のクローンじゃない。でも、私は先に脳のない人体をクローンとして作って、それから摘出した臓器を維持や運搬のために豚に入れてるのよ。前者は合法だけど、後者は違法。だからこそ闇ビジネスが成り立つってわけ」
……なるほど、だから豚肉の輸出入を隠れ蓑にしていたのか。
なんで薬物ビジネスに豚肉なんだって思ってたけど、むしろ豚のほうが明美には本命だったらしい。
完全な私のクローンを作るとかいう物騒な発言は一旦スルーし、私は明美の真の本業をようやく理解できた
人体のクローンビジネスを本格的に取り仕切り、ゆくゆくは完全なクローン人間を作ろうとしているのであれば、歴史に名を残す悪人と評されるのは納得のいく話だ。
そして、教官が真剣に危惧しているくらいだから、その実現の可能性はかなり高いのだろう。
「ま、こんなとこかな、玲ちゃんが知りたそうな私の秘密は。他に聞きたいことがあるなら、答えるけれど?」
「……なら聞くが……お前、私のクローン肉じゃ満足できないのか? たしか、養殖には飽きたとか言ってたが」
「そうね。確かに満足できないわ。きっと玲ちゃんの完全なクローンを作れたとしても、無理だと思う。何度か話したけど、心理的要素によっても玲ちゃんの旨みは変動するから」
「じゃあ、これからどうするんだ、お前。私はもう、二度と自分の体をお前に食わせる気なんてないぞ」
「実はね、私にとっての本題はそれなの。そのあたりの交渉を、あなたとじっくり交わしたくて」
飲み終わったのか、明美は持っていた輸血パックを近くのゴミ箱へと投げ捨てた。そしてハーフパンツのポケットからスマホを取り出す。
スマホを無言で操作しだした明美に、私は怪訝な視線を向けた。
「……交渉だと? 私がお前に譲歩できることなんて、ひとつもないが」
「それはどうかなぁ」
暢気な口調でそう言うと、明美はスマホの画面を私に向けた。映っている複数の人物を見て、一気に背筋が凍る。
スマホの中では、私の家族が安っぽいテーブルを囲って食事をしていた。おそらく、イオンあたりのフードコートだろう。父と母、婆ちゃん、あと叔父さんとか弟もいる。
家族が人質に取られている事実を理解し、私は声も出なかった。
「ごめんね、玲ちゃん。こういう手段は使いたくなかったけれど、私も背に腹は変えられないからさ」
「……家族を傷つけられたくなければ、髪とかを提供しろってことか?」
「あと排泄物とか、使ったあとの生理用品もちょうだい。採取は私が直にしたいから、月に一回ウチに来てくれれば助かるわ」
私は歯をギリギリと噛み締めた。純粋な怒りが沸いてきて、全身が熱を帯びてくる。
「……このクソ野郎が。それのどこが交渉だ。百パーセント、ただの脅迫じゃねぇか」
「そうでもないわよ。私は玲ちゃんに嫌われすぎると困るから、実は譲歩の余地はけっこうあるの。たとえば排泄物は無理とか、クローン研究の進捗を細かく報告しろとか、提供の度に私を一発全力で殴らせろとか、そういう要求をされたら、けっこう聞いちゃうかも」
「…………なら、家族にはこれ以上手を出すな。監視要員も外せ。まずそれが最低ラインだ」
「わかったわ。と言っても、関与しないことの証明は難しいから、口約束を信じてもらうしかないけれど」
「無論、私のほうでも調べるさ。で、お前が約束を破ったことが分かったら、私もすべての約束を破る。それだけの話だ」
「なるほど、そうなったら困るのは私だから、こちらとしても約束は守らざるを得ないわね。で、他に要求は?」
「……そうだな。じゃあ、大麻の取引をやめろ。臓器のクローンとはともかく、そっちは明らかに大勢の人間に危害をもたらしてる。悪人のすることだ」
「そうだった。玲ちゃんってけっこう正義の人なのよね。ま、私が色々な勢力から敵視されるのを避けたいってのもあるんだろうけど」
「返答は?」
「了解。大麻のビジネスはやめるわ。臓器クローンのほうも軌道に乗ってきたし、国によっては違法じゃないし、そっちで稼ぐことにする」
「いいだろう。なら、私もお前の条件を飲む、生理が来るたびにお前の家に来て、色々ひねり出してやる。それで満足か?」
「……満足だけれど、玲ちゃんのほうはもういいわけ? 全力で私を一発殴るオプションくらいは、まだつけてもいいわよ?」
「勘違いしてるようだが、私はお前を殺したいのであって、危害を加えたいわけじゃない。殺せないのなら、殴る意味なんて皆無だ。要求する価値もない」
「なるほど、さすが玲ちゃん。私が浅はかだったわ。大学時代に、思いっきり憂さ晴らしに殴られた気がするけど」
ともあれ交渉が終了したと判断したようで、明美はスマホを素早く操作する。
「玲ちゃんの家族の監視をやめさせたわ。大麻のほうは蓄えが多いから処分に時間がかかるけど、それくらいは許してね」
「了解した。あと、この家では互いに危害を加えない約束も継続しろ。でなきゃ、安心してクソもできない」
「オーケー、オーケー。それはむしろ、私からもお願いしたいことだわ」
交渉締結の証とするためか、明美が握手のための手を差し出してきた。私はそれを、パンと無造作に払いのける。
「するわけないだろ」
「わかってる。今のが私たちなりの握手よね」
明美は嬉しそうにニヤニヤと笑っている。私はいよいよ精神が磨耗し、大きな溜め息を吐いた。
正直、疲れた。
この狂人の相手をするのは、本当に骨が折れる。私を食いたいとか、私のクローンを作ってるとか、簡単に受け入れられることじゃない。キャパオーバーにもほどがある。
「帰る」
目的は果たしたし、この家では明美を殺せない。だからこれ以上、明美の相手をする理由はない。
私は返事も待たずに振り返り、地下室の階段を上り始めた。
「ああ、待って玲ちゃん。お土産もたせてあげるから」
そう言うと明美は大股で私を追い抜かし、階上へと先に上がっていく。
脱力したままの私が玄関に辿り着いたとき、明美は紙袋を持って現れた。
「はい、どうぞ。あなたがおいしそうに飲んでた、コーヒーの豆」
「お前、これ……」
私が呆れた目を向けると、明美はすぐに首を横に振った。
「大丈夫よ、毒なんて入ってないわ。私がいないとこで麻痺されても、私になんの得もないでしょ?」
それはそうだが、この人格破綻者の場合、それでも面白がってやりかねない。
まあ、受け取るだけならいいか……。自分で飲むのは気が引けるから、教官にでもあげよう。
などと思っていたら、明美は唐突にそちらに話題を向けた。
「そうそう、玲ちゃんって協力者がいるよね? たぶん、あなたに暗殺や変装の技能を教えた人」
私は袋を受け取りつつ、怪訝な表情で明美を見つめる。そして、少しゾクっとした。ヤツの目には、私には決して向けない妙な冷たさが宿っていたのだ。
「けっこう本気で調べてるのに、その人のこと未だにわからないんだよねぇ。きっと凄腕のエージェントなんだろうけど……そろそろちょっと、本気で目障りになってきたかな。玲ちゃんのそばに長く居過ぎた」
「……それは、あれか? 旨みを増すために私を孤独にするってやつか?」
「それは大学入学直後くらいまでの話。あなたに本性を晒してからは、また別の趣向を覚えたの。ともかく……会うならその人に忠告しておいて。私と玲ちゃんにこれ以上関わらないほうがいいって」
よくわからん言葉を聞き流し、私は明美の家を出た。ボーっとしてる頭を切り替え、バイクに乗って豪邸を後にする。
まるで、嵐が過ぎ去ったかのような気分だ。長い小説とか漫画を読み終わったときの感覚にも似ている。
……次の生理までは、三週間くらいだったかな。元々軽いから、ただ面倒なだけだったが……次からは外的要因によって憂鬱になりそうだ。
風を切って走り、すぐに頭は冷えたが、今日の出来事をすんなり飲み込むのは時間がかかりそうだった。
あと、やけに腕が冷えるなと思ったら、革ジャンを明美の家に忘れてきてしまった。ちくしょう。




