22歳
気が重い。
私がこれからしようとしていることを想像すると、罪悪感で胸が押し潰されそうになってしまう。
これまで、教官の訓練によって十数人の人間を殺してきている。彼の伝手によって請け負った暗殺の仕事によるものであり、手にかけた相手の中には子供さえ混じっていた。
「実際に殺しをせず、殺しの技術を会得できるものか」
とは教官の言葉であり、まあ納得できる話ではある。
いつぞや見た刑事ドラマでも言っていたが、殺人犯は初犯が多く、ゆえに経験豊かな刑事側に劣ってしまう。ならば殺人側も経験を積めば、容易に検挙などされず、ターゲットを確実に殺せるというもの。
しかし、だからといってサクサク殺人ができるほど、私の心はタフではなかった。私が殺したい、殺していいと思っているのはこの世で明美のみであり、それ以外の殺しなどしたくはないのだ。
ゆえに、気に食わない殺人依頼は断った。私は教官の教え子ではあるが、部下ではないし、彼の命令に絶対服従しなければならない理由などない。
おかげで教官とは何度も衝突するハメになったが……まあ、そんなことはどうでもいい。問題は、明美を殺すために他の人間も殺さねばならないという事実だ。
「ふぐぅ……た、助けてくれぇ……」
目が覚めたのか、私の目の前で椅子に縛られている男が命乞いをしてきた。
頭にはビニール袋をすっぽり被せているから、その表情はわからない。というか、今の私の精神状態的に、わからないほうがいいだろう。これ以上同情心が沸いてしまったら、この人を逃してしまいかねない。だがそうなれば作戦は瓦解し、明美殺しに大いに支障をきたしてしまう。
ビー、ビー、とアラーム音が唐突に響いた。
机に設置した複数のモニターに目を向けると、大勢の軍服姿の男たちが建物へと突入してきている。想定どおり、マフィアのボスは息子を取り戻すため、精鋭を送り込んできたらしい。
だが、彼らは上までこれない。建物の中には無臭の麻酔ガスが充満しており、一、二分程度その空気を吸えば動けなくなってしまうからだ。
これは国際条約で使用が禁止されている化学兵器であり、教官の伝手がなければ手に入れるのはまず不可能だっただろう。市街地での使用を前提としたものだから、閉鎖空間であるこの廃ビルならば、さらに効果はてきめんだ。
監視カメラの中では、バッタバッタと軍人たちが倒れている。吸っても一、二分経過しないと効果が現れないから、このような敵は一網打尽にできるのだ。しかもこのガス、人によっては呼吸困難に陥って窒息死する可能性もあるらしい。
……条約で禁止されるだけのことはある。非人道的という表現が、まさにふさわしい。
十数分後、別の部隊が到着した。ビル内に毒ガスが充満している事実を知り、誰も彼もがガスマスクをしている。
が、先ほどの集団とは違い、半数以上が軍服を着用していない。おそらく彼らは軍人ではなく、ロクな訓練を受けていない半グレみたいな身分の人間なのだろう。
それは、一応好都合ではあった。質、量、ともに惜しみなく人材が投入されているならば、それらを殺し尽くすことでマフィアの力を大きく削れるからだ。
第二陣がごっそりビルの中に入ったところで、私はビルに設置していたダイナマイトの起爆スイッチを押した。
巨大建造物の解体を参考にして要所要所に仕掛けたものが、盛大な音を立てて一斉に爆発していく。また、充満させていた毒ガスは可燃性なので、それがさらに爆発の規模を大きくした。
窓から顔を出すと、数キロ先に立っている廃ビルが、噴煙を上げて崩れていく様が見て取れた。
連中はマフィアの息子の体内に仕掛けられた発信機を頼りに救出をしにきたのだが、私はそれを摘出し、囮として使わせてもらったのである。
手元の銃を取り、目の前の男の額へと向ける。
数秒ほどためらったが、結局私は引き金を引いた。銃声が部屋に響き、ガクリと男がうなだれる。即死だった。
作戦が失敗したときのために生かしていたが、もはやその必要はない。色々と見聞きされているから、残念ながら逃す選択肢もなかった。
「はぁ……マジで悪党だな、私は」
この日だけで、十回くらい死刑になるほどの罪を犯した。それどころか、ターゲットにしたマフィア連中に捕まれば、死が救いに思えるほどの目に私は合わされるだろう。
だが、それでも皆殺しにしなければならなかった。
連中は、明美と業務提携をしているマフィアだった。ここメキシコでは、そいつらが常に明美を護衛しているため、その守りをどうにかしなければ近づくことさえままならない。ゆえに、私は連中を根こそぎ一層するための作戦を遂行したのである。
懐のスマホが独特の着信音を放つ。教官からかかってきた電話に、私は気だるげに出た。
「……もしもし」
『首尾は?』
「上手くいきました。これ以上ないくらい、理想的な展開です」
『こちらもカルロスの暗殺に成功した。つまり、明美を守る盾はなくなったということだ。さぞ、嬉しかろう』
「そうっすね」
『…………不機嫌そうだな。まだ殺しに嫌悪感を感じているのか、貴様は』
「悪いですか?」
『……そうだな。貴様がワシの部下だったら、確かに叱っていただろう。が、貴様は国を背負うようなエージェントではなく、ただのフリーの殺し屋だ。生きるも死ぬも、後悔するのも、貴様の勝手。ワシが口を出すべきことではない』
「……立派なんだか無責任なんだか、よくわからんっすねぇ、教官も」
『ワシも今はフリーの身だからな。何事もほどほどに留めておくのがベターというもの』
「そのわりには、ずいぶん今回の作戦には乗り気だったみたいですけど? わざわざ大国の後ろ盾まで得て」
『……さすがに気づいていたか』
「そりゃまあ、毒ガスとか大量のダイナマイトとか、ほいほい手に入るもんじゃないですからね。でもって正直、そいつらの代わりに実行犯として矢面に立たされて、メチャ気に食わないっす」
『……明美殺しという、貴様の目的に近づけたとしてもか?』
「何度も言いましたよね? 私にとって最優先すべきは、自分の人生。次が明美を殺すことです。だからそれが逆になっちゃあ、意味ないんですよ。私はできる限り、気持ちよく明美を殺さなきゃならない。そのために人生を犠牲するのは、本末転倒にもほどがある。あなたたちプロフェッショナルとはそこんところが決定的に違うってことを、いい加減理解してください」
『………………』
「まあ、それはいいです。今回の仕事はきつかったですけど、私がやらない選択肢はなかったんで。気になるのは、あなたが組んだお偉いさんの目的がマフィアなのか、明美なのかってこと」
『……二者択一と考えるのは早計だな。両方かもしれないし、どちらでもないかもしれない。国は長期的、大局的な視点で物事を動かしているのだ。貴様には思いもよらぬ背景があってもおかしくなかろう』
「じゃあ、そんな連中と手を組んだあなたの目的はなんです? 明美絡みの理由じゃないんですか?」
『…………』
「日本で明美のあれこれを調べても、私には大したことはわからなかった。あいつと私が一緒の幼稚園だった、って事実が判明したくらいで。けど、教官は違う。なにか決定的な――明美がでかい悪事に関わっているとかの、証拠を掴んだ。そうでしょう? だから私の明美殺しにも妙に協力的になってる」
『…………』
「いい加減、教えてくださいよ。いったい明美のヤツは、何をしようとしてるんです? 国を巻き込むほどのヤバいことなんですか?」
『……そうだな。下手をすると、歴史に名を残すほどの悪行をなすかもな。それほどのことを、あの明美という女はしでかそうとしている』
「だから、なんなんですか、それは!」
『……貴様に教える義理はない。知りたければ自分で調べろ』
「……え~、そんな殺生な……」
『話は終わったか? ともあれ作戦は終了だ。撤収し、ほとぼりが冷めるまで身を隠せ。でなければ、スケープゴートにされかねんぞ』
「……嫌な相手と組まされたもんですね。じゃあひとつだけ言っておきますけど、以後、私はそういった連中とは仕事をしませんから。やるなら教官一人で勝手にやってください」
『……よかろう。覚えておく』
低い声でそう答え、教官は電話を切った。
私は大きく溜め息を吐き、天井を見上げる。
しばし放心した後、切り替えて椅子の上の死体へと向かう。彼を縛っている縄をナイフで切り、その体をよいせと持ち上げて右肩に乗せる。見つからないように処分しなければならないが、せっかくだから綺麗な山奥の森にでも丁寧に埋めてやろう。
私は小屋の外に出ると、荒い毛布で死体をグルグル巻きに縛り、車のトランクへと押し込んだ。
しかし、まだまだやることはある。監視モニターとかの装置も車に積む必要があるし、それらが終わったら小屋に火をつけなきゃいけない。
「はぁ……めんどくさ」
私は再度、心からの溜め息を吐いた。二度とやらんぞ、大量虐殺の下請けなんて。
そして、こんなクソ面倒くさいことになったのも、すべては明美のせいだ。あいつがなにをしでかそうとしてるのかは知らんが、そろそろ本当に殺さなくちゃならん。
むかつくことを全部明美のせいにして、私は片付けの作業を再開した。




