21歳・4(裏)
思い返せば、高校時代にはほとんど波風は立たなかった。玲ちゃんからのアクションは盗聴や尾行だけだったし、当時の私は金稼ぎと勉強ばかりしていたからだ。
……いや、待てよ。確か入学して間もない頃に、玲ちゃんと変に絡むことがあったっけ。
あれは確か、うちの学校周辺で頻発していたカツアゲ事件を解決しようとしていたときだ。私は当時、金を荒稼ぎするために半グレ集団と関係を持っており、彼らを上手く使うことで治安を乱すならず者を狩ろうとしていたのである。
目的はもちろん、玲ちゃんを守るため。
当時の彼女は生半可にケンカを覚えており、下手にならず者に挑んで返り討ちにされる恐れがあった。私はそれを危惧し、その可能性を事前に摘もうとしたのだ。
そんなわけで、私は半グレ集団のボスと幹部とともに、カツアゲをしている不良を捕まえることとなった。
が、ボスの提案で普通の生徒に変装し、あえて最初はカツアゲどもに捕まろうという計画を進めてしまったために、事態は少しややこしくなる。
三人ともオタクっぽい格好をしていたのが功を奏したか、作戦はうまくいった。しかしカツアゲの不良に捕まった直後に、なんと玲ちゃんがその場に現れてしまったのである。
私の懸念は当たり、彼女は怯むことなく不良たちに勝負を挑んだ。
結果は玲ちゃんの圧勝に終わったものの、傍から見ていて私はヒヤヒヤしてしまった。どんなに強かろうと、事故は起こる。今回はたまたま上手くいったものの、次に同じことが起これば、不意打ちなどで再起不能のダメージを負いかねない。
顔を見られたために、玲ちゃんに対しては適当に演技をしてその場を切り抜けたが、私にはやらねばならないことがあった。カツアゲ集団の始末である。
玲ちゃんは、やはり詰めが甘い。
ただ一方的に打ちのめした程度で、プライドしか拠り所のない不良たちがすごすごと屈服するわけがないのだ。連中は怪我が治り次第、まず間違いなく玲ちゃんに復讐するだろう。そうなったら、本当に取り返しのつかない事態になりかねない。
ゆえに、半グレたちを使って連中を徹底的に脅させた。おかげで奴らのバックにいる別の半グレ集団と戦争になり、近隣のヤクザにまで介入されるほどの大ごとに発展したが、そのあたりは正直どうでもいい。
玲ちゃんと戦った連中は抗争によって見事に死んでくれたし、百点満点の結果と言ってよかった。
――高校時代にあった玲ちゃん絡みの事件といえば、それくらいか。大学時代は……わざわざ記憶を探るほど、昔の話じゃない。
というわけで、私は自分の人生への追憶を打ち切った。普段しない行為だが、だからこそ少々センチメンタルな精神状態となってしまっている。
(……玲ちゃんを思う存分食すための旅も、ここまで来た。もう少しで、さらなる地平が開ける。けれど、それ以前に玲ちゃんが失われてしまっては……)
彼女が依然行方不明である事実を思い出し、私は再び途方に暮れた。
心を落ち着かせるためにあえて過去を振り返ってみたが、むしろ玲ちゃんが私にとっていかに重要であるかを再認識し、不安が深まったように思える。
私は自らの愚行を後悔し、大きく溜め息を吐いた。
(やっぱり、感情のままに無軌道で行動するべきじゃないな。玲ちゃんが絡むと、無性にそうしたくなってしまうけれど……だからといって……)
そうして反省を始めたタイミングで、例の客室乗務員が飲み物を持ってきてくれた。
「紅茶です。どうぞ」
「ありがとう」
私はそれを受け取ると、一気にカップの半分ほどを飲み干した。深い香りが疲れた体に染み渡り、不安にささくれていた心も俄かに落ち着き――。
瞬間、私はとある事実に驚愕した。
鼻腔の奥で、ふと玲ちゃんの匂いを捕らえたのである。
それと同時に、乗務員がワンテンポ遅れて私から離れていった。私が紅茶を飲むところを、妙にじっくり眺めていた気がする。
乗務員の背中を凝視し、その骨格が玲ちゃんに酷似していることに気づく。いや、やや背が高いか? 違う、ヒールのぶんを抜けばほぼ同じだ。
彼女は玲ちゃん?
変装して、私に毒でも飲ませた?
いや、顔はもちろん、喋り方や仕草が別人すぎる。不器用な彼女が、あれほどの別人を装うのは無理が……。
ともあれ、不可能ではない。なにより、玲ちゃんの匂いを私が嗅ぎ間違えるわけもない。
三秒とかからず状況を把握した私は、まず最初にすべきことをした。
足元に置いてあったハンドバックを手に取り、体を折ってその中に顔を突っ込む。そして右手の人差し指と中指を自らの口へと入れ、喉奥を押して刺激する。
すぐさま押し寄せてきた嘔吐感をためらわずに解放し、バックの中へと吐瀉物をぶちまけた。騒ぎを起こさないよう極力音は立てず、ゆっくり数回に渡って胃の中の固体、液体を吐き切る。
胃液の一滴まで出し尽くし、ようやく私は一息ついた。何事もなかったようにバックを締めて足元へ置き、ハンカチで口元を拭う。
死にいたる毒を盛られていたとしても、即効性ではないはずだ。少なくとも、玲ちゃんが身を隠すだけの猶予はあるに違いない。だからこうしてほとんどを吐き出した今、おそらく命の危険はないはず。
とはいえ、胃の中に残っている可能性は十分あるし、すぐにさらなる処置を取ったほうがいいだろう。
私は立ち上がり、薄暗い機内を歩いて洗面所へと向かった。
大量の水をガブ飲みし、それを吐き出す――という行為を何度か繰り返し、胃のセルフ洗浄を試みた。どういった毒か分からない以上、こんな対応が役立つかどうかは不明だが、やらないよりマシだろう。
洗面所を出た私は、その足で近くにいた客室乗務員の方へと向かう。
そこにいたのはアジア系の女性で、私は先ほどの白人の乗務員に用がある旨を伝えた。女性は耳につけたインカムで同僚らと連絡を取るが、その表情に怪訝な色が浮かぶ。
「ええと……申し訳ありません、少々お待ちください」
私にブランケットや紅茶を持ってきた客室乗務員は、胸に「マックイーン」という名札をつけていた。……しかし、どうやらそのマックイーンという乗務員、行方不明となっているらしい。
聞けば、彼女はそれなりにベテランの乗務員のようで、連絡が急に取れなくなるのはおかしいとのこと。
立て込んできたので、私はマックイーンなる女性を最後に見かけたときの状況を手短に説明し、その場を後にした。
席に戻った私の心には、安堵が満ちていた。
状況からみて、さきほどの乗務員が玲ちゃんである可能性はかなり高い。今のところ、私に毒を飲ませようとする人物など、彼女しか心当たりがないからだ。
だとしたら、玲ちゃんは無事だったのだ。
経緯は不明だが、行方をくらました後に変装の技術を獲得し、そして改めて私を殺しに来たのだろう。
鼻腔を突き抜けた、彼女特有の香りを思い出す。
ああ、思い出すだけで涎が出てきた。これだけでゴハン三杯はいける。
私はこれでけっこう、直感を信じる人間だ。ゆえに、玲ちゃんに関しての心配はもうない。だから席に戻るなり、スマホを操作して彼女の捜索隊に作戦中止のメールを送っておいた。
一息ついて、座席に身を沈める。
残った懸念は飲まされた毒が効果を発揮するか否かだが、それはもう、腹をくくって様子を見るしかあるまい。
とはいえ、不安よりも安心のほうが大きかったからか、私はすぐに寝た。
今度は何の夢も見なかった。




