20歳・4
ファーストコンタクトで互いに酷い印象を与え合った私と初老の教官だが、それから五ヶ月ほど、まともな会話はしなかった。訓練生と教官として、指導に必要な最低限の言葉は交わしたものの、それがせいぜいだった。
その状況が変わったのは、私が正規軍人コースの全過程を修了する直前だった。
護衛チームでの仕事もそれなりにこなせるようになり、厳しい訓練を変則的ながらも乗り越え、最初は『変な雑魚』程度だった私の評価が『まあまあ使えるやつ』程度には上がった時期。
再びあの爺さんが唐突に話しかけてきたのは、そんな日の昼下がり――食堂で飯を食っているときだった。
「貴様の本当の目的はなんだ?」
「……は?」
いきなり現れて、いきなり質問されたため、私はそんな反応しかできなかった。
教官は私の前の席に座ると、話を続ける。
「自覚があるかどうか知らんが、貴様は普通ではない。なぜ、戦争と程遠い日本からこんな紛争地帯にやってきた? なぜ、脱落者が続出する過酷な訓練を望んだ? なぜ、それを女子の身でクリアしてみせた? ワシにはさっぱりわからん」
「……戦場で戦う兵士とか傭兵に憧れたからって、周りには説明してますけど」
本当の理由を話しても理解されないだろうから、私は同様のことを聞かれたときはそうごまかしていた。
「らしいな。だが貴様を見るに、どうも納得いかん。本当の理由を隠しているように思えてならない」
「……そんなの聞いてどうするんです?」
「単なる知的好奇心だ。長らくこの業界にいるが、貴様のような変り種は見たことないのでな」
どう答えるべきか、迷った。適当な答えじゃこの爺さんは満足しそうにないし、かと言って、前回真実を話したときには怒らせてしまっている。
「……まさか、本当に殺したい相手がいるのか?」
教官に核心を突かれ、私は思わず相手の顔を見た。彫りの深く眼光鋭い眼と、視線が合う。
そのまま黙っていたら、教官は小さく溜め息を吐いた。
「……肯定と受け取るぞ、その態度は。で、その相手はどこにいる? そいつも兵士か傭兵をやっているのか?」
「いや、日本で女子大生やってます」
なんかもう、ごまかすのも面倒くさくなってきたので、私は素直に話すことにした。
「女子……大生? 学生ということか? ……わからんな。ならば、どうして軍隊の訓練がいる」
「いや、なんか将来メキシコに行ってマフィアとつるむって言ってるんで、そいつらを相手にするならちゃんと訓練したほうがいいかなって」
教官は、眉間に皺を寄せて私を睨みつけた。そりゃまあ、信じられんわな。私も自分で言っててどうかしてると思う。
その後、数秒間教官は私を凝視していたが、やがて質問を再開した。
「……今殺さないのはなぜだ。メキシコに行く前に殺せば済む話だろう」
「殺そうとしたけど失敗したんです。入念に計画立てたのに、完璧に見破られちゃって」
「計画? そいつの周りには常にボディガードでもいるのか?」
「いないですけど、適当に殺したら警察に捕まっちゃうでしょう。捕まるのは嫌なんです」
「………………」
教官は、今度は額を手で押さえて俯いた。私の答えに困惑しているらしい。
「……つまり、人生を台無しにするほどの殺意はないと。そういうことか」
「まあ、そうですね。あいつなんかのために十数年も刑務所で暮らすのは割に合わないんで。……とはいえ最近は考えが変わって、数年程度なら捧げてもいいと思ってます。ここに来たのもそういうわけで」
「ずばり聞くが、殺す理由はなんだ? そやつを殺して、貴様にどういうメリットがある?」
「すっきりします」
「す…………え?」
「すっきりします」
なんか二回言ってしまった。というのも、それが私の深いところからすんなり出てきた言葉だったからだ。
そう、結局のところ、私は明美を殺してすっきりしたいのだ。
苛められた恨みがあるとか、全否定されたから全否定してやりたいとか、人外の化け物を退治したいとか、明確な理由はあるにはある。
けれど集約すれば、『すっきりしたい』の一言に収まってしまう。
私の中では、明美殺しはすでに定められた運命のようなものであり、確定した未来なのだ。そこに考慮や軌道修正の余地は一切ないし、ゆえにその宿命から解放されるには明美を殺すしか方法はない。
解放されたいという欲求はあるから、とどのつまり、私が明美殺しを志すのはすっきりしたいからなのだ。
「…………貴様の精神鑑定や心理カウンセリングのカルテを見た」
納得のいかない表情のまま、教官は続ける。
「いたって正常だった。精神疾患はなし。知能にも問題なし。偏った思想もなし。社会性にやや欠けるが、他者への共感力はあるし、自らを客観視することもできる。異常者にありがちな特徴はなにひとつ見られなかった」
それらの診断結果はこちらに開示されていたので、特に問題がないのは知っている。人格面でちょこっと辛辣な評価があったが。
「そしてワシの勘だが、今の貴様は嘘は言っていない。言葉を選ばずに喋っている様子からも、それは伺える。――つまり、正常なまま狂っているのだ、貴様は」
私は少々困惑し、片眉を上げた。狂ってるって言われるほど、狂ってる自覚はない。たぶん、行動原理が異質なだけなのだ、私は。
さて、それをどう説明すればいいものか。
ここまで話したからには、誤解されたまま終わるのはすっきりしない。もう少し論点を整理させたほうがいいだろうか?
自分の中で言葉を練っていたら、教官は違う話題を持ち出した。
「そういえば、貴様の心理テストには『周りを省みずにひとつの物事に執着するきらいがある』という分析結果があったな。集団行動を是とする軍隊においては、軽視できないマイナス要素だ」
教官は、私が受けた辛辣評価をまんま口に出してくれた。確かに周りと歩調を合わせるのは苦手だが、しかし表面的には全然普通にできる。さほど大きな問題ではないはずだ。たぶん。
が、教官は私の欠点を指摘したいわけではなかったらしい。
「だが、その短所は同時に、尋常ではない集中力と持続力を生む要因になっているとワシは思う。貴様の中には恐ろしく強固な目的があり、そのために厳しい訓練に耐えられたのだと」
「はぁ」
その指摘は合っている。合っているが……。
「そして貴様の話を総合するに、『知人の女を殺してすっきりする』というのが、その強固な目的ということになる。おそらく、これが貴様の狂気と大きな関わりがあるのだろうが……これがさっぱりわからん」
だろうね。私自身も、私がなぜ明美殺しを自分の宿命としているのか、理屈で理解してるわけじゃないし。
――ただ、ここの仕事で色々な人と話をしたことで、私は自分の考えを言語化する能力を多少なりとも鍛えられた。教官が要点を絞ってくれたし、今なら他人が少しは納得できる説明ができるかもしれない。
「……教官には、他人に対して絶対に譲れないものってあります?」
「なに?」
「誰だってそういうの、少なからず持ってると思うんですよ。家族とか恋人とか、国とか主義とか、夢とかお金とか。……私はそういう普遍的なものに価値を感じる人が、少し羨ましいです。だって、簡単に共感してもらえるから。『人間の価値観なんて人それぞれ違う』って言いますけど、だいたい根っこは同じのはずだから」
教官は私の眼を見ながら、黙って話を聞いている。
「私もほとんど同じのはずですけど、ただひとつ、一箇所の根っこだけが変な場所にあるんです。それが、明美を殺すというこだわり。生き物が『生きろ』って命令されてるわけでもないのに生きてるのと同じで、私にとっても明美殺害は当たり前で自然な行為なんです。誰にも理解してもらえないでしょうけど」
「……なるほど。つまり貴様は、自分が歪である自覚はあるのか」
「ありますよ、そりゃ。だって、私みたいな人間どこにもいないですもん。でも、直す気はないし、直されるつもりもないです。私は徹頭徹尾自分のために生きるつもりですし、その歪さだって、私自身そのものですから」
教官が少し眼を見開いた。今の言葉に、何か思うところでもあったのかもしれない。
頑張って言語化した私の胸の内だから、多少なりとも響いてくれればその甲斐があったというものだが。
溜め息を吐くと、教官は疲れたような声で言った。
「…………そうか。理解はできんが、納得はした。アケミとやらを殺したい意思は、すでに貴様の中で血肉となっていて、貴様はそれを異質と理解しつつも、添い遂げるつもりだと。そういうことか」
「そういうことです」
即答したものの、『添い遂げる』という表現は違うな、と思った。
別に、そんな悲壮な覚悟があるわけではないのだ。明美殺しは私の人生に溶け込んでいて、もう違和感も感じないのだから。
それからしばし、教官は黙り込んだ。何を考えてるかは知らないが、腕を組んだまま眼をつぶり、固まってしまった。
……納得はしてくれたようだが、話は終わったのだろうか? 結局この人はなにしに来たんだろう?
とりあえず、私は食べかけだったパスタを食べなおすことにした。ズルズル啜るのは海外だとマナー違反らしいので、フォークでクルクル巻いて口の中に運んでいく。
……やっぱりちょっと冷めている。熱々のを食べるのが好きだったから、少し残念だ。偏屈爺さんなんて無視して、とっとと食えばよかった。
「……いいだろう」
とか思ってたら、教官が再び口を開いた。見ると、真剣な眼を真っ直ぐこちらに向けている。
「貴様に追加指導をしてやろう。一流諜報員だったワシの知識と経験を総動員し、貴様に暗殺の技能を授けてやる」
「へ?」
突然の申し出に、パスタを口に運ぶ手が止まった。
呆気に取られてる私をよそに、教官は続ける。
「……長らく、どういう形で仕事を決着させるかを考えていた。惰性のままこの会社で働いてきたが、こんな場所でキャリアを終えるのはあまりに虚しいからな。しかし、貴様のような破綻者に我が経験のすべてを伝授し、それをゴールとするのも、ある意味では一興かもしれん」
教官は、そこで初めてニヤリと笑った。
「どのみち、戦いの術など争いごとにしか役立たんのだ。ならば国同士の戦争よりも、貴様の健全な殺意に委ねた方が、まだ酒の肴になるというもの。覚悟しておけよ、二条。ワシの本気の訓練は、これまでのそれとは次元が違うぞ」
「はぁ」
そんな受け答えしかできなかった。こちらにとっていい話っぽいが、勝手に話を進められまくって、ついていけない。
そして何が楽しいのか、教官はとうとう声をあげて笑いだしてしまった。
この人、アレだな。自分で言ったことが面白くて、自分で笑うタイプだ。
……しかし、一流諜報員? 暗殺の技能? 真面目な話なんだろうか? これ。
本当なら、明美殺しにメチャクチャ役立つんだろうが……。
私は半信半疑のまま、冷めかかったパスタをズルズルと啜った。




