20歳・3
ジェイクが紹介してくれた会社は、世界でも有名な大手軍事企業だった。
民間企業の警備やパトロール、戦場への傭兵派遣や物資輸送、戦闘訓練プログラムの提供など、その会社が手がける戦争ビジネスは幅広い。
ネットで調べた限りだと幾つか黒い噂もあるようだが、まあ、ジェイクの紹介だから真っ黒ってことはないだろう。危ない部分には触れず、着実に鍛錬に励めば、きっとここでの経験は明美殺しに大いに役立ってくれるはずだ。
私が訪れたのは、中東に幾つかある支社のひとつだった。しかし、それでも訓練用の敷地や飛行場を備えているため、恐ろしいほど広い。学校が軽く二つ三つは入るだろう。
本当に私のような素人の小娘に傭兵が務まるのかと不安だったが、会社の偉い人にジェイクがかなり丁寧に話を通してくれていたらしく、雇用契約はとんとん拍子に進んだ。
だがそれは、戦闘要員というより通訳としての採用であり、六ケ国語以上を自由に使える私の言語力が評価されてのことだった。ちょうど護衛部門の女性チームに欠員があったのも大きかったらしい。
というわけで、大学を出る前に期間限定とはいえ外国企業に就職してしまったわけだが、正直仕事自体にそこまでの価値は感じていない。私がここに来たのは戦闘経験を積むためであり、護衛という安全第一の任務上、それはさほど期待できないからだ。
期待していたのは、この会社の売りのひとつである戦闘訓練プログラムだ。
国などから依頼を受け、軍隊の新兵たちに一から高度な軍事訓練を施すサービスは、この会社の主要産業のひとつとなっている。個人レベルでの契約はできないらしいが、私はジェイクの口利きで、互いの業務に差しさわりがない範囲で訓練を受けられることになっていた(もちろん金は取られるが)。
「わからんな。護衛チームにいるのなら、護衛の訓練を受ければいいだろう。なぜ正規軍人用のコースを望む?」
そう言ったのは、訓練部門で教官を務める初老の白人男性だった。走りこみの直後、汗を滝のように流して休憩している私に、唐突に質問してきたのである。彼に話しかけられたのは、それが始めてだった。
「護衛の訓練も受けてますよ。ただ、私は従軍経験がないんで、強くなるには基礎からやった方がいいと思っただけです」
「強くなってどうする。貴様は通訳として雇われたのだろう? 誰も貴様の強さになど期待していないし、あのチームの女たちは皆優秀だ。最低限の訓練でも足手まといにはなるまいよ」
教官は胡散臭いものを見る目を私に向けている。
なんか私に説教したいようだが……こちらは金を払っているのだ。そこまで偉いやつでもないし、私のことをどうこうできるはずもない。
そんなわけで、私はヤケクソ気味に素直に答えてしまった。
「実はぶっ殺したいヤツがいるんですよ。そのために鍛えてるんです」
「………………」
教官は侮蔑の篭った眼で私を見下すと、そのまま何も言わずに立ち去ってしまった。よほど気にくわない答えだったらしい。指導に悪影響をもたらさなければいいが。
護衛の仕事は驚くほど平和なもので、緊張が必要な場面は多々あるものの、戦闘自体はほとんど発生しなかった。
私は結局この会社に八ヶ月ほど勤めたが、護衛任務に当たったのは二十八回で、銃撃戦にまで到ったのは一回だけだった(それも互いに牽制しあっただけ)。
ただ補足しておくと、それは決して護衛任務が簡単だったわけではない。
目的地への下調べを衛星写真などを用いて入念に行い、安全ルートを数パターン用意し、危険な予兆を決して見逃さないよう神経を常に張り詰めていたからこそ、事前に危機を避けられたのだ。
つまりは、私の同僚たちが極めて優秀だったことが大きい。
某大国の大統領夫人のSPを務めたという人もいたから、護衛チームの総合力は性別抜きにしても世界トップクラスだったと思う。――平均を私が下げている感は否めなかったが。
通訳として採用されたこともあって、私には依頼人の世話係的な仕事も任された。彼らはジャーナリストやビジネスマンといった荒事に慣れてない人たちであり、家族連れの場合もあった。ゆえに、危険な状況で彼らを落ち着かせるのは、それなりに重要な役目だったのである。
最初は戸惑ったものの、先輩の話し方などを真似て経験を積み、最終的には子供をそこそこ宥められるようにさえなった。そうしたコミュ力を得られたのは、ここでの思わぬ収穫だったと言えよう。
同僚たちの仲はかなり良好だった。当然、それなりに厳しくはされたが、ポッと出の新人に対してみんな真摯に接してくれたし、私が馴染めるよう気を使ってくれさえした。
後になって振り返ると、彼女たちはかなりの人格者ぞろいだったと思う。本当に運が良かった。
護衛の任務は一日で終わることもあれば、十数日かかるものもあった。勤務日数は依頼主の都合によるので、当然不定期。相手が特別な顧客の場合は休みを返上させられたが、その場合は破格のボーナスが出たので、不当にこき使われたという印象はそこまでない。
給料は歩合制で、護衛対象の数や赴く土地の危険度に応じて変動したので、月給換算でさえばらつきは大きかった。
訓練プログラムの受講料でかなりの額が取られたが、それでも退社するまでに日本円で五百万ほど稼げたから、まあ高収入の仕事と言って差し支えないだろう。各種保険も充実していて、長く勤めれば年金も貰えたらしいし。
――死ぬ可能性がそれなりにある職業として、適正な報酬かどうかはよくわからないが。
私が所属した女性オンリーの護衛チームは顧客からの評判が高く、仕事の予約はひっきりなしに入っていた。だから休日が終われば即、次の仕事であり、サイクルに切れ目はほとんど生じなかった。
人気なのは、顧客を守りきった数々の実績と、彼らへの丁寧な対応、そして女性チーム特有の華やかさなどが、一部で話題になっていたためらしい。だから同僚たちは、護衛の任務中も最低限の化粧をしていたし、私もさせられた。
――まったく化粧の経験のない私にとって、これは青天の霹靂とも言える事態だった。まさかボディガードの仕事に就くことで、化粧の仕方を覚えるとは!
そんなわけで、護衛チームの仕事では想定以上のものを得られた。大金、そしてコミュニケーション能力の向上は、きっとこれからの明美殺しにおいて大いに役立ってくれることだろう。
肝心の戦闘訓練だが、こちらには幾度か波乱があった。
まず、私が望んだのは兵士としての基礎を叩き込まれる通称『正規軍人コース』だったが、これは個人で受けられるものではなかった。数十、数百人をまとめて訓練するのが常で、私がそれを受けるには団体に混じるしかなかったのだ。
しかし護衛任務が優先で、訓練には休日を当てるしかなかったため、どうしても団体と同じペースでの訓練はできない。ゆえに、通常なら二ヶ月で修了となるコースだが、私の場合は六ヵ月半もかかってしまった。
当然だが、訓練そのものは猛烈にきつかった。座学や基礎トレーニングはともかく、重い荷物を持って泥の中を這いずり回るとか、サバイバルのために動物の血を飲むとか、近接格闘訓練で教官に痛めつけられるとか、正気を疑うような内容に幾度辞めようと思ったか数えきれない。
だが、心が萎えるたびに私は明美のことを思い出した。
『あの化け物を殺すのだから、この程度を耐えられなくてどうする』と自分に言い聞かせれば、大抵の困難は乗り越えられたのである。
そんな具合に『正規軍人コース』の訓練を無事に終えたわけだが、私の修行はそれで終わりとはならなかった。その後、不意に『隠しコース』とも言える訓練プログラムに突入することとなったのだ。
それには、例の教官が大きく関係している。




