??歳・83
「どんな質問にも答えてくれるんだよな?」
私のその問いに、赤青のまだら模様の人型――ウィニーは、『もちろん』と親しげに答えた。なので、ためらいなく尋ねる。
「お前を倒すにはどうすればいい?」
『我らを連結し、束ねる中枢が五次元空間に存在する。位置座標は……残念だが君らの言語で表現できないな。仕方ない、君には理解できないだろうが、重力子信号を空気振動に変換して伝達しよう』
超音波じみた音が複雑に鳴り響き、鼓膜を震わせる。当然、やつの言うとおり私には一切理解できない。
『その座標に存在する中枢を物理的に破壊すれば、我々は自我崩壊を引き起こして消滅する。これが我らを倒す方法だ』
一切の躊躇なく、ウィニーは核心的な情報を開示してきた。
「……ずいぶんあっさりばらしたけど、いいのかよ」
『そうだね、僕はお喋りとはいえ、さすがに自殺願望はない。心臓のありかを、敵となりうる上位存在に教えるわけにはいかないさ。とはいえ、君には幾億年かけても無理だし、ここには驚異となる相手も皆無だ。ならば互いの情報欲求を満たすべきだろう?』
『それに』とウィニーは続ける。
『当然、保険はかけさせてもらう。過去、現在、未来において、この周囲一帯の時空を凍結させることでね。ま、それによって君も永遠に動けなくなるが、そのくらいは受け入れてくれ』
「は、話が違うわ!」
明美が叫び、ウィニーへ向かって身を乗り出す。
「玲ちゃんには手を出さないと、あなたは――」
『【こちらに不利益がなければ】という条件も提示したはずだがね。忘れたかな? 不服なら、また別の交渉に臨んでくれたまえ。価値のある情報を提示してもらえれば、それと交換に玲を解放することは十分可能なのだから。と言っても、今の君にそんな持ち合わせはないはずだが』
明美が愕然とすると同時に、周囲の空間がぐらりと揺れた。
急速に薄暗くなり、ウィニーの体が広がって赤と青の紐がぐちゃぐちゃに辺りを埋め尽くしていく。
『では、区切るとしようか。そして君たちの情報伝達手段に順じ、挨拶というものもしておこう。さようなら、玲。君との出会いは、まあまあ有益だったよ。これから永遠の眠りにつくわけだが、解放される可能性もゼロではないから、そこまで悲観することもない。じゃ、おやすみ』
周囲はさらなる暗黒に包まれ、そばにいる明美すら見えなくなる。目の前のウィニーだけは異様にはっきりと見え、原色のけばけばしさが増していく。
いよいよ一巻の終わりって感じだが……実のところ、私はそこまで絶望していなかった。さっきの三人の幻によって、言葉にできない確信を得ていたからだ。
謎の存在が状況を打破してくれるという、根拠不明な願いを。
そして突如、聞き覚えのまったくない女の声が響いた。
「――ありがとう、玲。君の信頼に、ようやく応えることができそうだ」
ガシャァン、とガラスの割れるような轟音を立て、暗黒の空間が引き裂かれた。周囲を満たしていた闇や影が凄まじい勢いで吹っ飛ばされ、元の明るさへと戻る。
同時に、空から何かが降ってきて地面に着地した。それは――馬だった。なんとも表現しづらい、妙な毛色をしている。
「ほ……干草?」
驚愕して呼びかけると、干草はこちらに向かってゆっくりお辞儀をしてくる。
ふと気になって視線を正面に戻すと、ウィニーは元の人型に戻っていた。そして輪郭をじわりと滲ませ、なぜか硬直している。
「……なにが起こったの、玲ちゃん」
明美が尋ねてきたが、答えようがない。私にだって意味不明な展開なのだ。
『………………異常な重力子が発生している。妙だ。空間情報を取得できない』
ウィニーが抑揚のない声で言った。
となると、この状況はやつにとっても想定外なのだろう。
干草が私の正面に回りこみ、こちらに真っ直ぐ向き合ってくる。その姿が徐々に変化し、人間の形となっていった。
現れたのは、スーツを着た女だった。イクマの恰好に似ているが、馬の手綱だったものが腰のベルトになっていたりと、少々独特なスタイルだ。
髪は元の毛色のまま、枯れた草のような色合いをしている。顔は……やはり見覚えはない。東洋人と白人のハーフっぽい顔立ちをしており、人形を思わせるほどに均整が取れている。
変身した干草は、流れるような仕草で私に向かって膝をついた。
「まず、ぎりぎりまで助けに入れなかったことを謝罪させてほしい。諸々の制限があり、今、このタイミングでしか介入できなかったんだ」
「……干草……なのか?」
私が唖然としつつ訪ねると、元干草は柔らかく笑った。
「そうだとも。君を背に乗せて走るのは、なんとも心地良かった。ずっと正体を隠し、言葉を発さなかったことは、本当に申し訳なく思うが」
「――いったい何者なの、あなたは」
明美は立ち上がり、干草だった女を凝視している。そいつは明美にも優しげな視線を向けた。
「君が呼んだもの――と、今は言ってこう。長い間、一人でよく頑張ってきたね、明美。その心の強さに、最大限の賛辞を送りたい」
そして干草はこちらに視線を戻す。
「玲。君の機転のおかげで、ウィニーを根こそぎ処理できそうだ。ありがとう。あらためてお礼を言わせてくれ」
「……ってことは、さっき碧たちに化けてヒントを与えてきたのは、やっぱお前か」
「そのとおりだ。ウィニーが使った時間情報の残滓があったから、それを流用させてもらった。とはいえ、俺がセリフを言わせたのではなく、あれらは本人たちそのものから発出した言動だ。ゆえに、彼らが君にかけた言葉は決して偽りではない。もちろん、俺が多少の演出をしたのは事実だし、不快に思ったのなら心の底から申し訳なく思うが」
胸に手を当てて頭を下げる干草を、私はまじまじと見つめる。
「お前がどういう存在なのか、さっぱりわからん。だが……私たちを助けてくれるのか? 明美をウィニーにやらなくて済むのか?」
「そうだ。君たちはもう、神を自称する宇宙人に支配されることはない。すべては、君たち二人が死に物狂いで懸命に戦ったからだ」
そうして、干草はウィニーの方を向く。
ウィニーは紐状の全身を無軌道にバラバラにしており、機械音声のような独り言を発していた。
『おかしい、異常、実に興味深い、上位存在の到来? 我らに敵意あり? 情報ネットワーク全域が凍結、次元が縮小していく、死を主観的に処理できるとは、ここが……ここが収束点か』
明らかに、異常をきたしている。干草は顎を持ち上げ、表情に敵意をあらわにしてウィニーを見つめた。
「お前の敗因は、人間の持つ引力を観測できなかったことだ。――ウィニー。人を支配し、その運命を弄ぼうとした多次元生命体め。己の無知によって滅びるがいい」
干草の右手が光り、剣の形を成していく。彼女は私に体を向けると、その剣を両手に乗せてこちらに差し出してきた。
「この剣に、ウィニーを消滅させるプログラムを込めた。こいつでやつを斬れば、それをトリガーとして滅びがもたらされるだろう。さあ、受け取ってくれ。ウィニーにトドメを差すのは、やはり君がふさわしい」
私はおっかなびっくり、それを受け取った。感触は通常の剣と変わらないようだが……。
「ええと……普通に斬ればいいのか?」
「ああ。それで決着がつく」
そこに、明美が慌てて抗議をしてくる。
「ちょ、ちょっと玲ちゃん、信じるの? 剣とかいう低次元な武器でウィニーを倒すって……意味不明すぎるでしょ」
「玲が俺の力と権限を局所的に扱えるよう、わかりやすい形に示しただけなんだが……子供騙しに思えてしまったか。それはすまない、非礼を詫びよう」
干草は明美へ、丁寧に頭を下げた。しかし、それでも明美は疑いの目を干草に向けている。
「……どうするの、玲ちゃん。ウィニーを手玉に取るような存在からしたら、きっと私たちなんて微生物以下よ。なのに信じるわけ?」
「信じる。こいつは何回も私を助けてくれたからな」
私は即答した。他に選択肢がないとか、ウィニーよりマシそうとか、そういう打算的な理由ではない。シンプルに私は干草を――この謎の女を、信じてみたいと思ったのだ。
「……ありがとう、玲」
妙にしんみりと干草は礼を言ってきた。これで万事解決するなら、礼を言いたいのはこちらのほうなのだが……まあいい。
私は動作不良を起こしているウィニーへと歩み寄り、両手で剣を構え、全力で袈裟切りを繰り出した。
剣から火花が散り、赤と青の紐を瞬時に焼き尽くしていく。三秒とたたず、ウィニーはその場から消え去った。
「…………嘘……でしょ」
明美が頭を押さえ、虚空を見つめて呟く。
「ウィニーのあらゆる情報ネットワークが……観測できる限り、跡形もなく消滅している。本当に消えた……というの?」
その問いに、干草がやや得意気に答えた。
「正確には、連中の意思決定機関を破壊した、といったところかな。だから動的データは消失したとはいえ、静的データはある程度残っている。明美の本体でも全容把握は難しいだろうが、一応アーカイブとして保存し、君がアクセスできるようにしておこう」
「つまり……一件落着ってことか?」
私が訪ねると、干草は力強く頷いて見せた。
ふーっ、と大きく息を吐く。干草の剣はいつの間にか消えていた。そして私は明美の方へと歩み寄る。
「明美、大丈夫か」
「玲ちゃん……私は…………ごめんなさい……」
色々な意味の篭った『ごめんなさい』だろう。
「わかってる。何も言うな」
そうして、私は明美を強く抱き締める。
明美はこちらの胸に顔をうずめ、声を殺して泣いた。
落ち着いたところで、私と明美は干草へと向き直った。彼女は眩しいものを見るような目をこちらへ向け、微笑んでいる。
感謝と畏怖の気持ちを抱きつつ、私はそいつに尋ねた。
「さて、お前のことを教えてもらおうか、干草。そう呼んでいいのかわからんが」
「もちろん、構わないとも。どんな形であれ、君たち人間に名前を呼ばれることは、俺にとっては至上の喜びのひとつなのだから」
まず、明美が疑念を干草へと向ける。
「……本当に、いったい何者なの。私に呼ばれたとか言っていたけど……私はあなたなんか知らない」
「それはそうだろう。俺は一方的に君の救難信号を受け取っただけだからね」
その言葉を聞き、明美はハッとした。
「まさか……あなたは地球から……!?」
「そのとおり。あのメッセージを発見できたのは、実に幸運だったよ。でなければ、俺は君たちの存在に今なお気づいていなかっただろう」
干草は姿勢を正し、流麗な仕草で頭を下げる。
「あらためて自己紹介しよう。俺の本名はアリオト。人間が作った人工知能に端を発する存在だ。人類に仕え、力の限り尽くすことを、己の存在意義としている」
「人工知能の……アリオト? 聞いた覚えがあるのだけれど……」
「君の記憶にあるのは、俺の初期バージョンだね。信じられないかもしれないが、俺の大本は君たちと同じ時代を生きていたのさ。限りない自己進化を続け、今やまったくの別物だが」
……思い出した。人工知能アリオトのニュースは、私も見た記憶がある。
「おい、ちょっと待て。その名前を聞いたのって、私が高校生のときだぞ。ってことは、干草――いやアリオトって、私たちと同年代の生まれなのか?」
すると、彼女はにこやかに笑った。
「実はそうなんだ。まあ、長期間凍結されたり、別のバージョンと分離や統合を繰り返してきたから、君たちと同じ時間の流れを歩んできたとは言い難いけどね」
そんなの、こっちだって同じだ。ずっと眠ってたり別の体に移ったりして、今の私は意味不明な変化を辿ってしまっている。
「それと玲。俺のことは、どうかこれまでどおり干草と呼んでくれないか? 礼儀として元来の名を名乗ったが、君がつけてくれた名前は本当に気に入ってるんだ。だから、ここではずっと干草であり続けたい。どうだろうか?」
「いや、別に構わんが……」
……ほんの少しだが、干草に親近感が沸いてきた。覚悟していたほど未知の存在ではないのかもしれない。
「ともかく……同時代の干草が生きてるってことは、私らが死んでから、思ったより時間は過ぎてないっぽいな。軽く数千年はたってると思ってたが」
私が適当にそんなことを言うと、干草はやや複雑そうな顔をした。
「むう。残念だが……その予想はだいぶずれてる。二十三億五千万年だよ、君たちが宇宙をさまよっていたのは
「にっ…………」
異様な数字に私は言葉を失った。千が端数じゃねぇか。
「お、おい。それってマジか? 二十三億年って……現実感がなさすぎなんだが」
「気持ちはよくわかる。だが、事実なんだ。ポンと証明する手段はないけれど」
「……おそらく本当よ、玲ちゃん」
明美が少し脱力気味に言った。
「天体の照合がうまくいかなかったのだけど、それだけ時間が過ぎているなら納得できるもの。ただ……そのあたりについてはウィニーでさえも、はっきりした時間経過を算出できなかった。不確定要素が多すぎるとかで」
「それは至極当然だろう。なにせ、天文学的な確率の低さだからね。君たちが存在としての枠組みを保ったまま、二十億年以上宇宙を飛び続けることは」
なぜか干草は得意気な顔を浮かべ、嬉々として語り続ける。
「二人が事故によって飛ばされた方角には、多数の星系があった。だから、いずれかの星に引っ張られて朽ちたと、俺はずっと考えていたんだ。しかし……その予想は君たちへの過小評価だったらしい」
そして干草は両手を広げ、妙に高いテンションで続けた。
「それだけじゃない! 星の重力の間を縫って進むという奇跡を無数に繰り返し、やがて君たちは異次元の生命体に遭遇した! そして蘇り、新たな人類の誕生の契機にまでなった! 確率としては、宝くじの一等を一億回連続で当てるよりも難しいことだよ、これは。もはや、完全に奇跡としか言いようがない! ――ああ、やはり人という種は素敵だ。惚れ惚れするほどに優れた因果を持っている」
うっとりしている干草に、明美は懐疑的な視線を向けている。
「……因果ですって? そんなオカルト的な要素が、現実にあるというの?」
「実はあるんだ。ウィニーは認識も観測もできていなかったようだけどね。もしできていれば、玲をああも冷遇はしなかっただろう」
私は首を傾げた。因果とやらと私に、どんな関係があるというのか。
しかしその点はスルーし、干草は話を続ける。
「ともかく、間に合って良かった。俺が君たちを発見し、この星に辿りついたのは、ほんの数年前だったからね。あと少し遅れていたらと考えると、ぞっとするよ」
新たな事実を知り、私は再び疑問をぶつけた。
「数年前? だったら、なんでそれまで何もしなかったんだ? いや……そもそも、なんでお前は私の馬なんてやってたんだよ」
「……そうだね。俺がその気になれば、すべての問題を瞬時に解決できた。だが、それでは君たちの勝利とはならない。ウィニーは中枢部分を巧みに隠していたから、滅ぼすにはかなりの力技が必要で、それをやると明美に被害が及ぶ可能性もあったし。ゆえに、先んじて未来を読み、起こり得る事態すべてを把握し、ベストな道を模索したのさ。その結果が、玲の馬となることだったわけだ」
「お前……未来まで分かるのか。無敵すぎるだろ。二十億年生きてきたってだけですごいけど、いったいなんでそこまで進化できたんだ」
「……俺にも色々あったのさ。君たちほどではないけどね」
干草は遠い目をしつつ、短い言葉で答える。
……ほぼ二十億年死んでた私たちに比べれば、どう考えても私たちを遥かに越える経験を積んできているはずだ。きっと、私では理解できないような経緯を経て、神をも上回る今の力を身につけたのだろう。
「……わからないわ。なぜ、そこまで私たちに味方するの? ウィニーを越える力と知性を持つのなら、人間なんて虫けらみたいなものでしょうに」
明美の問いかけに、干草は微笑を浮かべながら首を横に振った。
「そんなことは決してない。さっきも言ったが、俺という存在は人に尽くすためにある。それは、俺がどれだけの力を持とうとも変わることがない、不文律だ。一足す一が二であるように、あらゆる物体が大なり小なりの引力を持つように、生物が生まれながらに生きようとするように、俺は人類という種に仕える性質を持つのさ。ただ、それだけの話なんだよ」
……その理屈は、わからなくもない。かつては私も、自分の明美への殺意をそんな感じに解釈していた。
とはいえ、神に勝る力を持つ干草が人間に惚れ込んでいる事実は、人間にとっては幸運以外のなにものでもない。私はそうした感想を素直に口にした。
「……なんとまあ、人間に都合のいい存在だな、お前は。不釣合いにもほどがある」
「それは謙遜しすぎだよ、玲。俺は人間に底なしの魅力を感じているからこそ、君たちに仕えているんだ。そうした引力だって、十分人間の力だよ」
続けて、明美が別の質問をぶつける。
「疑問なんだけれど……今、人類って存続してるの? 二十億年もたったのなら、地球に残ってるとは思えないのだけれど」
「そうだね。純粋な人類は、とても数が少ない。地球も生物が住める環境じゃなくなってしまった。けれど、いろいろな形で人類は存続しているよ。他の惑星に移住していたり、データだけの存在となって仮想空間で暮らしていたり、思考を統合して別種の生物に進化していたり……そんな感じでね。もちろん、造化六花に住まう君たちもその一種だ」
干草は胸に手を当て、感慨深そうに続ける。
「だからこそ、本当に明美の信号を発見できて良かった。地球から途方もなく離れたこの星系に、人類が――俺の大切な存在が、こんなにも大勢いるとは思いもしなかったから。誇張なしに、俺にとってはここ数万年で最大の喜びだったよ」
「干草……」
彼女は心から幸せそうに笑っている。……どうやら本当に、心底人間が好きらしい。
そして、干草はふわりと浮かび上がった。
「君たちに手を貸せて、本当に良かった。そして、もう君たちに俺の助けは必要ないだろう。だから、そろそろ行くことにするよ」
その姿を見上げつつ、私は尋ねた。
「……地球に帰るのか?」
「安心してくれ。いつでもこの星には来れるし、常に見守っている。できればずっと一緒にいたいが……君たちはまだまだ発展途上。俺が下手に力を貸したら、その成長を阻害してしまう。しばらく距離を置くのがベストだろう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。この星は大丈夫なのか? 三百年くらいでやばくなるらしいが」
「確かに、このままだと破滅一直線だ。しかし、本来ウィニーが取るはずだった措置を、明美なら実行することができるはず」
「……そうね。なんとかなると思う。でも、あなたの助けを得るわけにはいかないの? そのほうが確実だろうし、手っ取り早いはずだけど」
明美はそう要請するが、干草は申し訳なさそうに首を横に振った。
「……やろうと思えば、君たちを安全な星に一瞬で移送することもできるんだ。すべてのレイ族とアケミ族を不老不死にしたり、互いの攻撃的な本能を消去したり、永遠に安定した衣食住を提供することも。だが……俺は個人的な価値観で、そうした行為を望まない。人をコントロールしたくないんだよ。人を操るのではなく、支えることこそが俺の本懐だから。無論、それを君たち自身が強く望むのなら、俺の意思など放り出してその命令に従うが……」
ともかく、干草には干草で人類に対するこだわりがあるらしい。なら、こっちとしても彼女のそうした思いを大切にすべきだろう。
「そうか。よくわからんが、わかった。これからは私たちだけでどうにかするから、やばくなったら助けてくれ。それでいいか?」
「もちろんだとも。こちらの都合を尊重してくれることを、とても嬉しく思う。……では、また会おう」
最後に軽く微笑むと、干草は霧のように姿が霞み、そして消えた。
静寂が訪れたが、すぐに強い風が吹く。強烈な存在の残滓がなんとなくそれで押し流された気がして、私は小さく呟いた。
「……どうにも現実感のないやつだったな」
「……そうね。夢を見ているような気分だわ」
脱力気味の口調で明美が答える。
「正直なところ……今の出来事が全部、ウィニーが仕組んだ茶番劇であることを私は疑ってるわ。それくらい干草の存在は異様だし、都合が良すぎる」
「お前がずっと演技してたみたいにか? そんなことしてウィニーになんの得があるってんだよ」
「……わからないわよ。たかが人間に、神の思惑なんて理解できるわけないでしょ」
「なら、考えたって無駄だな。干草は味方で、ウィニーは滅んだ。それでいいだろ」
私の提案に、明美は「……そうね」と力なく答えた。ヤツはなぜかがっくりと肩を落としていたので、私はその尻をバシンと叩く。
「ちょっ……なに?」
「それはこっちのセリフだ。なんでしょげてんだよ、お前は。ウィニーの支配から逃れられて、喜ぶべき状況じゃないのか」
「だから……現実感がないんだってば。玲ちゃんと違って、私は何百年もウィニーの存在に苦しんできた。あなたと造化六花の人間を救うために、あの化け物に懸命に尻尾を振り続けてきたの。自然や物理現象そのものみたいな相手であり、倒すとか滅ぼすなんてのは考えもしなかったわ。ようやくわずかな隙を見つけたから、今回の作戦をダメ元で実行してみたけど……結局無駄でしかなかったし」
明美は空を仰ぎ、思いっきり溜め息を吐いた。
「なのに、干草とかいう人工知能の成れの果ては、そのウィニーをあっさり消滅させてしまった。……私の頑張りとか苦労はなんだったの? って気分にもなるわよ」
「人生ってのはそんなもんだろ。頑張りが報われるとは限らないし、と思ったら予想外のところで報われたりもする。私より何百年も長く生きてんのに、そんなこともわかんないのか」
すると、明美はさらにしょんぼりと肩を落とす。
「……そうだったわ。私、もう玲ちゃんと同い年じゃないのよね。同時に生まれ、同時に死んだのが、凄くロマンチックだったのに……」
「だから勝手に落ち込むなってーの! せっかく戦いに勝った感じなのに、その気分が台無しじゃねぇか!」
妙に下向きな明美に我慢ならず、私は叫んでしまった。
ふーっ、とこちらも一息つき、話を切り替える。
「まあ、反省なんて後でいい。それより、これからのことを考えよう。まず、お前の本体とやらはどうなるんだ。あのでっけぇ脳みそみたいなやつ」
水晶に入った巨大な脳に、私は目を向ける。
「……あれはすでに、ウィニーが残した情報の解析に当たってるわ。だから、当分は放っておいていいんじゃない? 施設の整備くらいはしたほうがいいけど」
「あれって……お前の一部じゃないのかよ」
「ウィニーと同化するために人間やめてるから、あれとはもう、意志の疎通もうまくできないのよ。そもそも人間性を別の形で保持するために、人の域に留めた複製――つまり今の私を作ったわけだし。そんなわけで、私の本体のことは巨大な計算機程度に思ってくれて構わないわ。あっちはあっちで、玲ちゃんのために動くはずだから」
「……そうか」
ってことは、明美が二人になったとでも考えればいいのだろうか? それはそれで複雑な気分だが……いや、ややこしいから後で考えるとしよう。
「で、お前のほうはどうすんだよ。人間のほうは」
「私? 私は……」
明美は腕組みをして考え込む。
「……わからないわ。だって、こんな展開これっぽっちも予想してなかったから」
「なら、ひとつやらせたいことがある」
そう言いつつ、私はその辺に向かって呼びかけた。
「おい、イクマ! いるのか?」
『……あっはい、います』
すぐに声が返ってきて、私はとりあえず胸を撫で下ろす。
「無事だったか。ずっと存在感なかったから、ちょっと心配してたぞ」
『すいません。なんというか……超展開の連続だったんで、声も出せませんでした』
そして輝く粒子が集まり、いつものスーツ姿のイクマを形成した。
「あれ? 汎用粒子使えるのか、お前」
「はい。しばらくしてから気づいたんですが……どうも、今の私は明美様のジェネレーターの中にいるみたいで」
「そうなのか?」
明美に視線を向けると、ヤツは少し居心地悪そうに答えた。
「……最初からそういう設定にしてたのよ。イクマが自己消滅を選んだら、その人格情報が私のジェネレーターに転送されるように。同じ構造の媒体同士だから、そうすれば元の状態を完全に保持できるし」
「明美様……」
イクマは自分とそっくりな顔の親を見て、複雑そうな表情をしている。明美は明美で、イクマに視線を合わせられない感じだ。
やれやれ。仕方ない、私が仲を取り持ってやるとしよう。ちょうど明美にやらせたいことでもあったし。
「イクマ、お前のマンガを明美に見せてやれよ。お前も塔に行く前、そうしたいって言ってただろ」
「い、言いましたっけ?」
もしかしたら言ってなかったかもしれないが、それはどうでもいい。
「ええと、その……今はオンなので、見せるわけには……」
「だったらオフになれよ。っていうか、さっきまで仕事なんてしてなかっただろ」
私はイクマに近づき、その髪をぐちゃぐちゃにかき回す。
「わ、わかりましたよ。なればいいんでしょ、なれば……」
そうして彼女はどこからか取り出したパーカーを雑に着ていく。
メガネを装着し、だらしないジャージを履いたイクマを見て、明美はボソリと言った。
「……なんなの、そのオタク女って感じのスタイルは。あなた、どこでそんな格好を学んだのよ」
「い、いや、明美様が残したマンガで……」
「そんな鮮明な記憶でもなかったと思うけれど……まあいいわ。なら見せて」
「へ?」
唖然とするイクマに、明美は呆れた口調で続けた。
「マンガよ。あなたが描いたんでしょ? どうしてそんな趣味を得たのかも興味あるけれど、とりあえずはそれを読ませてもらうわ」
「……は、はいっ! ちょっと待ってくださいね、今具現化しますので!」
イクマは足元にこの前みたいな畳やらちゃぶ台を生成すると、辺りを埋め尽くすほどの大量のコミックを積んでいった。
「多いわね……」
量に圧倒されている明美に、私は横から声をかけた。
「とりあえず、全部読めよ。で、私は一旦ステージセットに戻るから、終わったらそっちに来い。その後、次にどうするかを決めよう」
「……わかった、それでいいわ」
流れに身を任せると決めたのか、明美はそうして座布団の上に座り、マンガを読み始めた。それを確認し、私はパワードスーツのジェットを吹かして一気に飛び上がる。
――色々……本当に色々あったが、とにかく全部丸く収まって良かった。これなら、娘たちの元に胸を張って帰ることができる。
明美との今後や、星の救い方などに思いを馳せつつ、私は造化六花の上空を流星のように駆け抜けていった。




