??歳・82
割れたガラスのような地面に立ち尽くし、私は呆然としていた。
なぜ、死んだはずの私の娘――碧が、目の前にいるのか。
……いや、本物じゃないのはわかっている。死亡時と年齢が違うし、状況があまりにもおかしい。つまり、謎の第三者が碧の姿を騙っているのだ。
だがその相手に、心当たりがまったくない。こんな場所にいるくらいだから、只者ではないのは確かだが……。
無邪気な笑みを浮かべている碧から目を逸らし、私は横の明美を見る。
ヤツは、碧を凝視して愕然としていた。口をあんぐり開け、目をこれでもかと見開いて。
そして、すぐにガクリと崩れ落ちた。四つんばいの形となり、まるで絶望したかのようにうなだれている。
……さっぱりわからない。
碧を見て、驚くだけでなく落胆している? 明美はこいつが何者か、理解しているのか?
「あのね、おかーさん。明美さんは渾身の計画が水の泡になって、それでがっかりしてるんだよ」
碧の姿と声をした存在が、また話しかけてきた。困惑したまま視線をそいつに戻すと、彼女は嬉々として語る。
「結局のところ、明美さんはずーっと演技してたわけ。おかーさんに殺意を向けられたいってのもウソ。そのためにレイ族とアケミ族を殺すってのもウソ。爆弾は元々たいしたことない性能だったし、イクマに対しても元からバックアップのツールを仕込んでた。いきなり出てきた赤と青の線状物体も、ぜーんぶ自作自演。あれはウィニーなんかじゃなくて、単に明美さんが汎用粒子で操ってた虚像に過ぎないの」
明美に視線を戻すと、ヤツは地面に突っ伏したまま体を震わせている。よほど、この状況が受け入れがたいらしい。
……碧らしき人物が語った内容は、私にとってはさしあたり朗報ではある。再会してからの明美の振る舞いが全部演技なら、今後の関係修復も容易だからだ。
だが、ヤツの打ちひしがれようを見れば、そんな単純な事態じゃないのは嫌でも分かる。
すると、目の前の碧が突如ふっと消えた。驚いていると、真後ろから別の声が聞こえてくる。
「騙したり不快にさせる気はないから、まずちゃんと自己紹介しようかねぇ」
現れた老婆は、どう見ても私の祖母だった。
「ば、婆ちゃん……」
「あたしが本物のウィニーなんだよ、玲ちゃん」
周囲に次々と人間が現れる。長い間一緒に暮らしていた、私の家族たちだ。メガネをかけた父さんがゆったりと話しかけてくる。
「さっきも言ったが、爆弾を止めた赤と青の絡み合った線。あれは馬場さんが生み出した偽物だったんだ」
次に口を開いたのは弟だ。小学生くらいのときの姿をしている。
「で、本物としては黙って見てられなかったってわけよ。姉ちゃんはアホだからさぁ、騙されてるのにも気づいてなかったし」
「……お前が……お前らが本物のウィニーだとして、なんで私の家族を真似してんだよ」
いっぱいいっぱいになってる頭で問いかけると、母さんと叔父さんが続けて答えた。
「私は玲を通して人間というものを学んだ。だからあんたに近い人物ほど、解像度が高いってわけ」
「それにほら、身近な相手のほうが玲ちゃんに情報を伝えやすいと思ってさぁ。現に、こうしてしっかり耳を傾けてくれてるじゃん?」
「……最初に私の頭を覗いてきたときとは、ぜんぜん雰囲気が違うが……」
私がどうにか訪ねると、今度は姉ちゃんが喋った。スケバンじみた格好をしてるから、高校生時代か。
「お前、相手を舐めすぎじゃねぇのか。こっちだって学習するに決まってんだろ。人間に正しく、効率的に情報を伝えられるよう、コミュニケーションの手段くらい学ぶっての。まあ、音声言語ってのはあまりに制約が多すぎて、私の伝えたいことの一万分の一も伝達できねぇんだけどな。不便で窮屈だが、そうしなきゃ相手が理解できないってんだから、仕方ねぇけど」
家族たちが一斉に消えた。後ろから地面のガラスを踏みしめて、別の人物が歩いてくる。
「我らは多様性と情報共有を好む。それは、相手が貴様のような根無し草でも同様だ」
「…………教官」
トレンチコートを着た初老の白人男性が、鋭い眼をこちらに向けてきた。
「多数の人間の姿を借り、真実を伝えているのは、そうした我らの生物的欲求に基づいている。無論、馬場明美の企みによって我らが不利益を被らないためでもあるが」
教官の後ろから、ぬっと違う人物が出てきた。私? レイ族? いや、あれは――。
「とはいえ、過去の知人として語りかけるのは、あんまりいいやり方じゃなかったみたいですねぇ。ま、この世界じゃ、私の姿には新鮮さを感じないでしょうけど」
「ルウか……」
彼女の素顔を面と向かって見るのは初めてだが、確かに現代人の服装以外に目を見張る点はない。自分と同じ顔の人間にだけ動じないというのも、変な話だが。
ルウと教官の姿が無数の泡となって消え、それらは赤と青の線となって人の輪郭を象っていく。
『最も君がウィニーと認識している姿を使うとしよう。これなら君も不快にならないと思うが、どうだい?』
複数の老若男女の声質が入り混じった、奇妙な声だった。そして大仰な身振り手振りを沿え、ウィニーは様々な口調で語り始める。
『んじゃ、ネタバレを進めるぜ。明美がこんなことをやらかしたのは、二つの目的があるんだ』
『ひとつが玲にワシらへの好印象を与えること。もうひとつが、この地にあったとある物体を破壊すること。それらが、明美の狙いじゃった』
どちらも意味不明であり、私は首を傾げる。
『ま、それだけじゃ分かんないよねぇ。じゃあ、その二つの事柄を理解してもらうために、まずはあたしたちの人間に対する立場を説明しようか。って言っても、ごくごくシンプルだけど』
『我らは人という種についての理解を深めるため、過去を参照するだけでなく、実際に繁殖させて直に観察するという手法を選んだ。特に注目していたのが社会形態の推移であり、ゆえに造化六花の人間たちには、始まりと終わりまでを経験してもらう必要があった』
『つまりさぁ、君らには最初から絶滅してもらうつもりだったわけ。行く末短いこの星を実験地に選んだのも、それが理由なんだよ』
その言葉を聞き、息を呑んだ。ウィニーが皆殺しを強いるのならば、私たちに助かる道なんて――。
『落ち着けって。絶望するのはまだ早いっての。いいか? 俺らにはもうひとつ、人類へ興味を向けるものがあった。それは明美が持つ強力な指向性だ』
『二条玲への愛と、その記憶に起因する感情。それは明美の価値判断に多大なる影響を与え、屈強な動機付けとなった。「死に際の記憶があれば、私はどんな地獄でも耐えられる」とは明美の言だが、まさにそれは事実だったわけだ』
『ま、別に私たちにとっては、大して有益な現象じゃないわ。その愛云々の動力は、心という価値判断プロセスがあって初めて機能するものだし』
『とはいえ、未知のメカニズムである事実は変わらぬ。多様性獲得のためには是が非でも得るべき属性であり、ゆえに我輩たちは明美に打診した。ウィニーの一部となり、我輩たちと永遠を生きることを』
――理解が追いついているのか、自分でも分からない。
矢継ぎ早に提示される情報はどれもがぶっ飛んでて、簡単には飲み込めそうになかった。
『で、明美ちゃんはその提案を条件付きで受け入れたの! 条件とは、造化六花の人間すべてを救うこと!』
『つまり、馬場明美は自らを犠牲にして、君たちすべてを延命させるつもりだったのさ。すべては君への愛が為せる技なのだろう。僕らにはいまいち理解できないが』
ようやく話が核心にいたり、私は唖然とした。明美が、自分を犠牲に私たちを救おうとしていただって……?
怒りが、急速にこみ上げてきた。
いい加減話を聞くのもうんざりしてきたし、私は思いの丈を吐き出す。
「……結局のところ、私たちはお前らクソ宇宙人にいいように弄ばれてるってことかよ。殺すつもりで生き返らせて、そのうえ明美を便利な道具みたいに――」
「なに言ってるのよ、玲ちゃん」
すかさず言葉を挟んできたのは、明美だった。体を起こし、地面に膝をつきつつも、鋭い眼でこちらを睨みつけてくる。
「そもそもウィニーに拾われなければ、私たちに第二の人生はなかったのよ? 感謝こそすれ、恨むのは筋違いだわ。相手は命をくれた神様なんだから、こちらから尽くすのが筋ってものでしょう」
「……本気で言ってんのか? その理屈だと、生みの親にも絶対服従する必要があるじゃねぇか。私は相手が誰だろうと、どんなに恩があろうと、自分の人生を好き勝手にされるのは我慢ならん」
明美はぎりぎりと歯を噛み締める。……妙だな。アイツだって他人に縛られるのを毛嫌いする性格だったはずなのに。
『そう。こういった事態を馬場明美は危惧していたのだよ』
再びウィニーが喋り出した。
『僕たちは、君らが言う神に等しい。そんな存在に、もしも君が殺意を抱いたらどうなる?』
『明美君を殺すという妄執に取り付かれ、生涯をかけてその目的を果たそうとした君が、私たちに同等の殺意を向けたならば。――その結果は、火を見るより明らかだ。不毛。ただただ、不毛だ。微生物が太陽を飲み込もうとするのと同じくらい、無意味で、実現する可能性がない』
『だからこそ、明美はウィニーが善なる存在であると、君に刷り込もうとしたのさ。大仰な自作自演までしてね。なんとも泣かせる話じゃないか。それほどまでに、君の行く末を憂いていたということなのだから』
……私がウィニーに殺意を抱けば、人生が台無しになる。だから明美はそれを防ごうとしたってのか? あんな悪役まで演じて?
明美を見ると、再び地面を見てうなだれていた。その挙動からするに、ウィニーの言っていたことは真実なんだろうが……私はどうにも納得できない。なにが真実でなにが嘘なのか、さっぱり分からなかった。
『大丈夫かい? 玲。少し休憩でも入れたほうがいいかな?』
ウィニーが心配そうに声をかけてきた。
『何度も言ったけれど、あたしは相手に情報を伝えることに価値を見出してるの。だから相手が情報を的確に受け取ってくれなきゃ、喜びも半減するってわけよ』
『それと、こちらの言葉の真偽を疑ってるようだが、誤った情報の伝達を俺は本能的に好まない。たとえ、虚偽の事実を伝えることで利益を得られるとしてもだ』
『我らは、そうした理由で馬場明美の自作自演が許せなかった。わざわざ出向いたのも、半分はそれが理由であるほどに。以上のことから、我らの言葉を疑うのは無意味だと伝えておこう。君はそれでも信じがたいのだろうが』
私は複雑な気持ちで、赤と青の紐で構成される化け物を睨んだ。どのみち、真実なんて私にはどうやっても分からないのだ。ならもう、とりあえずは説明を最後まで聞くしかない。
『話を元に戻そうか。この場所には元来、明美本来の肉体があった。我らと同化を果たすために、脳を強制拡張させた体だ』
『で、それを爆弾で破壊することも、今回の茶番の目的だったの。約束を反故にするのではなく、延長させるための企みみたいだけどね。明美にはまだ、なにかしらの未練ややり残しがあったみたい』
『僕らの時間感覚は君らからするとルーズだから、明美本体の再構成を待つことは十分ありえた。けれど、それは事故で失われた場合の話。事実を隠し、偽の情報を伝えてきたとあっては、どうあっても許せない』
ウィニーは人間のように、『やれやれ』的なポーズを取る。私はそれを鼻で笑った。
「はっ。よくわからんが、目当てのものが手に入らなくて残念だったな。で? 明美を差し出すっていう約束が守られなかったらどうなる? 星ごと見殺しか?」
『いいや、猶予を与えないというだけだ。我々は望んでいたものを、望みどおりに得る』
ウィニーの意味不明な反論に、私はすぐさま言い返す。
「……ここにあった明美の本体とやらは、爆弾で木っ端微塵になったんだろ? なら、今それを得るのはどうやったって……」
周囲の空間が、奇妙に揺らいだ。
まるで夏のアスファルトの真上のように、ウィニーの正面にある広大な空間がゆらゆらと波打っている。風景が万華鏡のごとく不思議な変化を遂げ、何もない場所に水晶じみた巨大な物体が姿を現していく。
出現したのは、体育館ほどの大きさの透明な水晶だった。その中には、肉の塊が氷漬けのように埋まっている。いや……肉というか、表面の皺からして脳か?
巨大な脳の周りには水晶の壁がぐるりと取り囲んでおり、その中には小さな脳が無数に詰め込まれていた。それらの脳には水晶を通して無数の太いコードが接続され、周囲の機械と繋がっていて、足の踏み場もない。
まさか……これは……。
『然り。これが明美の本体である。我が空間の時間を逆行させ、再生に到らせた。暗くて見え難くなるゆえ、屋根と壁は端折ったが』
ウィニーはさらりと説明した。……が、私はすぐにはその現実を受け入れられない。
「時間を……戻したってのか? そんなこと、できるわけが……」
『オレらもホイホイできるわけじゃないっすよ。空間情報が著しく歪むんで、できれば実行したくないってのもあるし。でもまあ、これでも四次元空間を股にかける生物なんで? こんくらはできて当たり前っしょ』
『ふむ、君にはもう少し私たちの――いわゆる【神っぷり】について理解してもらおうか。明美の意を汲むためにも』
――突如、周囲の景色が変わった。
無数の星と暗黒に包まれた宇宙空間が広がり、気がつけば地面もなくなっている。ふわりと浮かんだ状態に戸惑っていると、正面にウィニーが現れた。
『安心しな。見えてる光景は現実じゃなく、お前の脳に直接投影してる幻にすぎねぇ。なに、ちょっと面白いものを見せてやろうと思ってな。ぐるりと後ろを振り向いてみろ』
無重力に浮遊しているような状態だが、イメージすれば方向転換は簡単にできた。横に百八十度回転すると、そこには巨大な白い星がある。いや……これは月か。そして宇宙ステーションがあり、その近くには小さな宇宙船も浮いている。
この状況は、まさか……。
『理解したようだね。そう、これは玲と明美が死ぬ少し前――テロリストたちが月との往復船を爆破させたときの状況だ。正確にはその直前だけれど。ほら、そこに明美もいるだろう? 太いパワードスーツを着た』
振り向いた先には、さっきはなかった人影がある。正面に回りこむと、ヘルメットのガラスの向こうに明美の顔が見えた。
『これから往復船が爆発する。明美君は後方に回避行動を取るが、破片が頭部を直撃し、そのまま気絶してしまう。で、彼女は宇宙の果てへと旅立つはめになった』
『もし、このとき破片が頭に当たらなかったら? その場合の未来を知りたくはないかね? 時を掌握する我らなら、そうした【If】を垣間見ることなど、容易にできる』
私が返事をする間もなく、往復船が爆発した。
内側から破裂するように爆炎が発生し、船の部品があらゆる方向へ飛んでいく。そのひとつが明美へと迫るが、それは危うくヤツの真横をかすめ、まもなく宇宙の暗黒の中へと消えた。
明美はジェットパックの噴射を止めると、すぐさま端末を操作して通話を始める。ヤツのヘルメット内で響く音が、私にも聞こえてきた。
「ルウ! 大丈夫!? 爆発の影響は!?」
『ま、まずいです。かなりでかめの穴が空いたみたいで、警報がめちゃくちゃ鳴ってます。一旦こっちの修復作業をお願いできますか? 玲さんも呼ぶんで、一緒にやってください』
「わかったわ。確か応急措置のツールがエアロックにあったわよね? それを取りに行くわ」
『了解です。えっと――隊長のほうも、船外作業を二人に任せると言ってます。すぐ必要な指示をするんで、まずはエアロックへ』
「わかったわ。玲ちゃん! 聞いてた?」
『ああ、聞こえてるし、もう向かってる。しかし、救った人質全部がテロリストだったとはな……正直、ショックだ』
「どうでもいいわよ、そんなの。それより早く来て。ステーションを直さなきゃ、地球に帰れなくなっちゃうわよ」
『はいはい。ったく、怪我人を散々働かせやがって』
そうして、明美は宇宙ステーションのエアロックへと向かった。
一部始終を呆然と眺めている私だったが、そこに再びウィニーの声が響く。
『こうして、君と明美は片道切符の宇宙旅行を始めずに済んだ。そして、この後は特に事件も起こらず、そのまま地球に帰ることができる』
私は浮かんだ疑問を素直に尋ねた。
「これは……本当に起こりえた過去なのか? CG的な映像を見せられてるとかじゃなくて?」
『正真正銘、起こりえた現実だよ。と言っても、四次元を認識する能力のない君に、それを証明するのはほぼ不可能だけれど』
唾をごくりと飲み込み、私はさらに問いただす。
「……なら、さっきみたいに時間を戻して、今の光景を現実に変えることはできるのか?」
『できるよ。でも、それは君にとってなんの意味もないかな。だって世界が分岐するだけで、今の君には一切の影響を与えないもの。分岐した世界の認知だって不可能なわけだし』
とはいえ、とウィニーは続ける。
『あたしには認識できる。過去を変え、新たに生まれた世界を掌握し、干渉することさえ可能なの。都合の悪い世界を捨て、それが起こらなかった世界に軸を移す――なんて反則技もね。さっき明美の本体を復活させたのと、同じやり方で』
……なら、こいつは無敵じゃないか。その気になれば、自分の死だってなかったことにできそうだ。
『君の推測は正しい。なぜなら、その手の保険は幾つもかけてるから。よほど格上の多次元存在でもない限り、私を完全消滅させるのは不可能なのさ』
目の前では、パワードスーツを着た私と明美が宇宙ステーションの修復作業を行っている。一歩間違えれば、共に宇宙で心中していたことも知らずに。
『これって一見するとハッピーなルートだけど、実はそうでもないんだよね。だって、この半年後に君はシャクルトン同盟の残党に殺されちゃうから』
空間がパッと切り替わり、気づけば私は駐車場のような場所にいた。そして、目の前を初老の私がスタスタと歩いてく。車に乗り込み、エンジンをかけるが、直後に車が大爆発を引き起こした。
唖然として言葉も出ないが、ウィニーは構わず続ける。
『これを越えれば多少は安寧の時間が訪れるが、それも長続きしない、明美を殺したい思いと殺したくない思いが君を苦しませ、君は遠くないうちに自殺を選ぶからだ』
月に巨大なモニュメント――おそらく慰霊碑が立っており、宇宙服を着た人間が一人、その前にいる。
真横で私が凝視するなか、宇宙服を着た私は静かに呟いた。
「……すまん、明美。ルウと幸せになってくれ……」
そしてヘルメットを外し、頭に銃弾を打ち込む。
月の低重力下でゆっくりと倒れていく自分を目にし、私はただただ驚愕していた。
――――マジかよ。
自殺? 私が? 明美を殺す前に?
……それほどまでに苦しかったのか。明美への殺意と愛情の板ばさみは。
『客観的に見て、君と明美はベストな死に方をしたんじゃないかなぁ』
我関せずといった言い方で、ウィニーは感想を口にする。
『君が現実に辿ったルート以外じゃ、二人が満足して死ねるパターンは皆無だったからね。ま、君らの異常な関係を鑑みれば、いたって当然のことではあるけど』
周りの光景が瞬間的に切り替わり、元の場所に戻った。
ガラスのような地面、膝をついてうなだれている明美、水晶に入ったクソでかい脳みそ、晴れ渡る空。
さっきまでと一切変わらない空間だが、どうにも現実感がなかった。すべてがウィニーの手の平の上にあるかのようで、足元がぐらついているような気がしてならなかったのだ。
『良かった。僕らのことを深く理解してくれたようだね』
赤と青の紐で象られた人間が、再び語りかけてきた。
『お前が認識したように、俺には現実を改変する力がある。つまり、抵抗は一切の無駄。明美が望むどおり、殺意など抱かないことだな。それは互いにとってなんの益も生まない』
そしてウィニーは明美の方を向く。
『さあ、我々への同化を果たしてもらおう、馬場明美よ』
「……もう猶予はないの?」
『おぬしら人間は、約束を破られた場合は相手にペナルティを課すのじゃろう? なればこそ、わしもその慣習に従うことにしたのだ』
「そう。残念だわ……」
『君はよくやったよ。僕らの概要を把握し、観測して、こちらの注意が向かないタイミングを選び、この計画を実行したのだから。玲を一年前に目覚めさせたのも、その一環だったんだろう? まだ半ば人間という原始生物の身でありながら、そこまで高度な企みを実行した君に、僕らはそこそこ高い評価を抱いている。誇っていい。――ま、理解がまるで浅かったから、こちらは問題なく察知できたわけだけど』
流れがまずいことに気づき、私はすかさずウィニーに問いかけた。
「ま、待て。つまり明美はどうなるんだ」
『さしあたり、彼女には新しい情報集積装置の一端を担ってもらう、稼動見積もり時間はおよそ五十万年ほど。多大な苦痛や忍耐を必要とするだろうが、君との記憶があれば明美は耐えられるさ。たぶん』
あまりに馬鹿げた話に、思わず声を荒げる。
「ふ……ふざけんなっ! そんなの、私は認めないぞ!」
『安心してくれ。明美の複製は置いていくから、そうすれば君に損失はない』
「ないわけないだろ! お前の話が正しけりゃ、明美は五十万年苦しむってことじゃねぇか!」
すると、明美が話に割って入ってきた。
「玲ちゃん、私なら大丈夫。脳を弄られて感覚も変化してるから、私にとってはそれほど絶望的な扱いでもないのよ。過剰反応しないで」
「だったら……だったら私もコピーして連れて行け! で明美と同じ装置にしろ! そうすりゃ私は納得できる!」
「な、何を言うの、玲ちゃん」
思うままに叫ぶ私だったが、ウィニーはその要請を箸にもかけない。
『残念だが、その要求は聞けない。君の人間としての性能は並だし、明美のように愛で苦痛を和らげる特殊機能もないからだ。複製は残すと言っているのだから、それで我慢したまえ』
「お、お前……っ」
怒りが込み上げてきたものの、再度明美がそれを諌めようとする。
「玲ちゃん、お願いだからそいつらに逆らわないで。誇張なしに神のような相手なの。どうやっても勝てる存在じゃないのよ、私が数百年をかけた計画でさえ、通用しなかったんだから」
「従うしかないってのか!? ほ、他に方法は……」
「ないわ。地球がある方角に救援信号を送ったり、連中の過去を操る力を利用できないかとも考えたけど、全部無駄だった。……大丈夫、さっきも言ったとおり、連中の仲間になる私は平気だから。で、ちゃんと人間のほうの私は残るから」
「けど……っ!」
明美はこちらに顔を近づけ、低い声で続ける。
「……あなたがそういう反応するのは、わかってたわ。だから壮大な芝居を打った。ウィニーに牙をむくのは、無駄なことでしかないから」
そして、感情を露わにして声を荒げた。
「私の……私のそうした気持ちを踏みにじらないでよ! お願いだから、ウィニーへの苛立ちや反感よりも、私や娘たちへの想いを優先して! そうしてくれれば、私はもっと救われるから!」
――――絶句した。
なんて言えばいいのか、まるで分からない。それとも、これ以上なにも言うべきではないのだろうか?
脇で見ていたウィニーが、軽々しい態度で口を挟んできた。
『存分に意見交換していいよ。互いの情報を伝え合い、取るべき行動を吟味するのは、実に素晴らしい行為だから。というわけで、終わったら言ってくれ。その時点で明美をこちら側につれていく』
「もういいわ、本体を回収して」
すかさず明美が返事したので、思わず私は抗議する。
「ま、待てっ!」
「……玲ちゃん」
「…………わ、わかってる。諦めなきゃいけないってのは、よくわかった。だが……」
明美と同じように膝をつき、私はうなだれる。
気づけば、涙が流れていた。何もできない自分がひたすらに情けなくて、明美の献身と自己犠牲がただただ悲しかった。
「ありがとう、玲ちゃん。あなたがそうして私を想ってくれることが、なによりも私の力になる。きっと、本体もウィニーの処遇にすぐ順応できるわ」
「明美…………」
――どうすればいい?
明美を宇宙人に捧げるしかないのか?
五十万年も機械の一部になって苦しんでもらうしかないのか?
そんなの絶対にいやだ。けれど、明美が数百年足掻いても無理なら……私にどうこうできるとは思えない。
「誰か……助けてくれ…………」
私は生まれて初めて、全身全霊で他者に助けを求めた。
神でも悪魔でも宇宙人でも、なんでもいい。誰か、明美を救ってやってくれ……!
――パキンと、目の前の地面のガラスが音を立てた。
顔を上げると、明美でもウィニーでもない人物が立っている。それは、宇宙服を着た三十歳過ぎの碧だった。
「ようやく助けを求めたね、おかーさん。ほんっと意地っ張りなんだから」
どうやら、またウィニーが私の娘に化けているらしい。
「……やめろ、ウィニー。碧の姿を……」
「へこたれないで、おかーさん。だいじょうぶ、ちょっとの助けがあれば、どんなに強い敵にも勝てるよ。だって、おかーさんは私のヒーローなんだから」
…………なんだ? ウィニーはなにを言っている?
激しく困惑していると、今度はルウが横から歩いてきた。
「結局のところ、なにがなんでも突き進むそのがむしゃらさが、玲さんの凄さなんですよね」
私と同じ顔の女は、私がしないような爽やかな笑顔を浮かべる。
「だから、母上を諦めないでください! きっとあなたなら、どんな壁でもぶっ壊せる!」
……違う……のか? ウィニーじゃない?
頭の中でそう呟くと、目の前のルウはにこりと笑った。
突如、ポンと肩を叩かれる。傍らには、膝をついて前を見据える初老の男性――教官がいた。
「しゃきっとしろ。教えたはずだぞ。敵を殺すならば、まず相手をしっかり見ろと。どんな存在でも強みを表に出し、弱みを裏に隠す。それを見抜け」
「よ……弱み? ウィニーに弱みがあるんですか?」
思わず尋ねると、彼はニヒルな笑みを浮かべる。
「分からんのなら、聞けばいいではないか。それを拒めないことこそが――」
光が差した気がした。
わずかだが……たった一握りではあるが、希望が見えた。
私はぎゅっと目をつぶり、立ち上がる。すでに三人はいない。けれど、やるべきことはわかっている。
これは確信だ。私は、明美を救える。
「…………玲ちゃん?」
傍らの明美は、不思議そうな視線をこちらに向けている。私の表情に強い意志が込もっているのが、疑問でならないらしい。
『おや? まだなにかあるのかい?』
赤と青の線の塊は、大仰に首を傾げてみせた。やはり、さっき呼びかけてきたのはこいつではない。ならば――。
私は確信を深め、にやりと笑い、目の前の化け物へと問いかけた。
「どんな質問にも答えてくれるんだよな?」




