??歳・76
本の半分ほど、話の区切りがいいところまで読み終え、私は一旦マンガ本を閉じた。
「…………どうだった?」
イクマは滝のように汗をかき、固唾を呑んでこちらを凝視している。
私は素直な感想を述べた。
「壮大な話みたいだな。いきなり年表とか出てきたし、神話やら国の戦争やらが絡んでるし」
「そ、そうなの! めちゃくちゃ設定を練って、積み重ねて、これでもかっていうくらいに世界観を作りこんでてさぁ! ロードオブザリングを参考にして、独自言語をゼロから作ったりもして!」
「でも、序盤から説明ばっかりで重い。文字だらけだし、話が全然進まないし、正直かなり読む気が失せた」
イクマの顔が一瞬で青ざめた。まるで、この世の終わりを告げられたかのような顔だ。
……『読む気が失せた』ってのは、言いすぎだったたかもしれない。
さすがに気の毒になり、私はすぐにフォローする。
「まあ、その……なんだ。単に私の好みに合わないってだけかもしれんが。小難しい話とか苦手だし」
「…………玲ちんが楽しめなかったのなら、もう終わりだよ。私にとって、読者は玲ちんしかいないんだから。私の千年は、全部無駄だったんだ」
「なんでそうなる」
すべてを諦めたようなイクマだったが、あまりに早すぎるその判断に、私は即座に異議を唱えた。
「一回ダメ出し食らったくらいで、なんで全部が終わりになるんだ。指摘されてたところを修正するとかして、また作り直せばいいだけのことだろ。売れまくったマンガの作者だって、最初から傑作を描けたわけじゃないんだろうし。違うか?」
「そ、そうかも……しれないけど」
「だろ? それに、いいところだってあった。主人公を殺した敵……闇の魔術師だっけ? あれはいいキャラだったぞ。皮肉の言い回しにセンスを感じた。あっさり主人公にトドメ差すのも、驚きがあったし」
「ほ、ほんと?」
イクマはようやく顔を上げた。
「だから、もっと読みやすい話を読みたいな。サクッと読める読切のマンガはないのか?」
「模倣作ならたくさんあるけど……オリジナルはない、かな。今見せたやつに、全力投球してきたから。今のトコ、2572巻まで描き続けてるし……」
「そんなあるんか……」
普通の人間なら、読み終わるまで軽く数ヶ月はかかりそうだ。――とはいえ。
「でも、逆に興味が沸いてきたな。最初はつまんなくても、読み進めれば面白くなるパターンかもしれん」
「そ、そーなんだよ! ちょっと進んだトコから面白くなんの! だいたい700巻くらいのとこで、話が一気にどかんと展開するから!」
「700巻……。まあ、とにかくわかった。時間ができたら、腰を据えて読むとしよう」
その言葉を聞き、イクマはほっと息をついた。
「……良かった。読んですらもらえないってのが、一番きつかったから」
よほど安心したのか、目からはぽろぽろと涙がこぼれる。
異様に表情が豊かだが……私は少しそのへんが気になった。
「聞きたいんけど、お前って人工知能とかそういう存在なのか? 感情の在り方が、人間と似てるようで違う感じだが」
「人間を模した存在のはずだけど……細かいとこはわかんない。記憶をデータにして保存とかはできるけど、それは汎用粒子のジェネレーターに強引に組み込まれた機能であって、普通の機械に乗り移ったりとかはできないし。だから、自分が人工知能っていう認識はあまりないかな」
イクマは涙を拭いながら、そう答えた。が、次の瞬間にはすっきりした顔をしている。
「ふー。ま、とにかく読んでもらえてよかったわ! 批判されるのも大事だって、やっと気づけたし。今度リクエストに答えて短めのを描いてみるからさ、そっちも読んでみてよ!」
打って変わって上機嫌となったイクマに、私は苦笑しながら返事する。
「わかったよ。――で、『折り入っての相談』ってのは、とりあえず終わりでいいのか?」
「差し当たりは、ね。一応、明美様のトコに行く前に私のマンガを読んでほしかったんだ。批判云々よりも、とにかく記憶に残してほしかったから。これで、万が一私になにかあっても、ある程度は悔いなく逝ける」
「……それは、命令無視したお前に明美が罰を下すとか、そういうことか?」
「さあ、どうだろう。今のあの人がなに考えてんのかは私にもさっぱりだし、最悪を想定したってだけ」
イクマはメガネの奥の眼を細め、塔の上を見つめる。そんな彼女に、私は力強く言った。
「安心しろ。アイツがお前をどう思ってようが、過激なことは絶対にさせん。レイ族やアケミ族と一緒で、お前も私の娘みたいなもんだからな。そして、私は娘をなにがなんでも守る」
「玲ちん……」
「っていうか、明美のヤツにもお前のマンガは見せるべきじゃないか? 間違いなく、私よりは有用な意見を聞けると思うぞ」
すると、イクマは変な顔をした。
「あ、明美様に? それは……考えたことなかったな。なんか距離置かれてるし、あの人は私のことをどうでもいいって思ってるっぽいし、昔から苦手意識が……」
「そうなのか? でもその割には、教会にある私と明美の像を気に入ってる感じだったが」
「いや、私が激推しなのは玲ちんと明美様、二人の関係性であって、明美様自体じゃないの。雲の上の人って感じで、親近感抱きにくいし」
「じゃあ、私は?」
「玲ちんは普通人というか庶民派だから、昔からずっと話してみたいとは思ってたよ。で、一年位前にやっと目覚めて、観察してたら予想どおりの人だったから、ああして接触を試みたわけで」
「……こっちからすれば、お前は十分明美寄りのポジションだと思うがな。一般人より神に近い」
「役割だけ見れば、そうかもね。でも、わかってくれたと思うけど、私ってこういうザックバランな性格で、全然人間寄りな存在なわけ。仕事中は感情抑えてるから、別人みたいに思えるだろうけど」
「さっきの戦いは、けっこう明美っぽさがあったけどな。私に対して好戦的で、サプライズを仕掛けてくるところとか」
「……マジ? まあ、ちょこっと楽しんでたのは事実だけど……そっか。私にも、明美様に似てるとこがあったか」
その評はまんざらでもないのか、イクマはやんわりと笑っている。
私はまじまじと目の前の女を眺めた。
――ついさっきまで彼女に抱いていた『有能な秘書』的なイメージは、木っ端微塵に砕けて消えてしまっている。『情緒不安定のオタク女』という印象で上書きされてしまったためだが……まあ、そちらも悪くない。
また、イクマが私や明美をどう思っているのかを聞けたのも良かった。これまではいまいち腹の内が読めなかったが、おかげで多少は距離が近くなった気がする。
心が読めない以上、嘘をつかれている可能性はゼロではないが……そんなの考慮してたらキリが無い。イクマはこういうやつだと、信じることにしよう。
「イクマ、下の様子はどうだ? もうみんな集まってるか?」
「え? あー、ちょっと待って。――うん、もう集合してるわ。たぶん玲ちんを待ってる感じ」
「お前がいいなら、もうそっちに行くが、どうする?」
そう尋ねると、イクマは軽く溜め息を吐いた。
「ま、時間が来たんなら、しょうがない。できればマンガ全巻読んでほしかったけど、そんな暇ないだろうし」
「悪いな。また仕事モードに戻ってもらうぞ」
「別に仕事は嫌いじゃないよ、私。そりゃ争いの火種をまくのは気が滅入ったけど、玲ちんの秘書なら楽しくやれるし。――ってわけで、オンに戻りますか」
イクマは立ち上がり、パーカーを脱いだ。
出てきた頭は最初に会ったときと同じく、髪型が華やかにセットされている。メガネもなくなって、顔つきも凛々しい。輝く粒子が下半身を覆うと、ズボンや靴もピッチリしたビジネススタイルに戻った。
続けて私が立ち上がると、ちゃぶ台や畳も粒子に溶けて消えた。
イクマは気を引き締めるかのようにネクタイをキュッと絞り、こちらに向き直る。
「散々醜態を晒しましたが、一旦忘れてください。それと、オンのときは情動を抑制していますので、オフのときと同じようには反応できません。温度差などを弄られても塩対応しかできませんので、あしからず」
「…………そうか」
実に落ち着いた態度と口調だった。調子こいたり号泣したり滝汗かいてたやつと同一人物とは思えない。
ま、こっちはこっちで嫌いじゃないが。有能な部下って感じで、頼りがいあるし。
イクマが粒子となって消えたので、私は再度パワードスーツを生成し、空を飛んで百メートル下の地面へと向かった。




