??歳・68
ミドリ国軍の駐留地への坂道を登っていくと、その先に誰かがが直立しているのに気づいた。
防寒具を着込んでいるから顔が見えないが、あの立ち方からするに――。
あちらも同じく気づいたようで、彼女はピョンピョンと飛び跳ねて私の名を呼んだ。
「レ、レイ様ーっ! お帰りなさいませっ!」
やはりルミレイだった。そのまま坂を登りきり、私は彼女の手前で止まる。
「まさか、ずっと待ってたのか? もう深夜なのに」
「もちろんでございます。それがあなた様より賜った、大事な役目でありますがゆえ!」
ルミレイは胸を張り、得意気に答えた。……なんとまあ、健気で可愛いやつめ。
私はがしがしとルミレイの頭を撫で、こちらも誇らしく言葉を返す。
「ゲートキーパーは問題なく葬ってきた。意外に楽勝だったぞ」
「さすがはレイ様! どこぞの化け物など、相手にならなかったのですね!」
なーっはっはっは! と、ルミレイは高らかに笑う。
「というわけで、レイランに伝えてきてくれ。今すぐ進軍準備を始めよと」
「承知いたしました。しばしお待ちを!」
すぐに振り向き、ルミレイは天幕の方へと駆けていった。
五千人の兵たちに進軍する用意をさせ、下り坂に差し掛かるあたりで待機をさせる。
私はその先頭に立って聞き耳を立てていたが、やはり作戦について懸念する声は多い。
「なあ、これから私たちって、ホントに低地に進軍すんの?」
「凍えて死んじゃうよねぇ。もちろん、始祖様にはお考えがあるんだろうけど」
そんな感じに、多くの兵たちは低地に向かうことを心配していた。やはり進軍を開始する前に、夜の低地を突破する方法をはっきり示したほうがいいだろう。
と、立派な鎧を着た人物――レイランが、小走りでこちらへ近づいてきた。
彼女は私の前で立ち止まり、かしこまった動作を取る。
「始祖様、準備が整いました。ご命令どおり、輜重部隊や文官たちも隊列に組み込んであります」
「ん、ご苦労」
これから向かうのは戦場であり、普通なら非戦闘部隊は帯同しない。しかし夜の低地を軍で突破するには、私としては全体がひとまとまりのほうが好都合なのだ。
相当無茶な命令を出していると思うが、指示を受けたレイランは涼しい顔をしている。どうやら不安はないらしい。
「落ち着いてるな、レイラン。夜の低地への進軍に、思うところはないのか?」
「一切ございません。始祖様のなさることに、間違いはありませんから」
「……そうか? 氷爪龍のヤクザの件とか、政策じゃそこそこ失敗してるが」
「細々としたものは仕方ないでしょう。始祖様の足を引っ張る愚か者は、履いて捨てるほどおりますので。しかし、こうした重大事に到っては小物が入り込む余地などなく、すべては始祖様の手の平の上。あらゆる事象をあなた様が掌握なされている現状ならば、なにもかもがうまく進むはずであり、僕はただ、微力ながらそれを支えるのみです」
……レイランのこうした分厚い信頼は、ありがたくもあり、重くもある。
統治者として、常に適度なプレッシャーは感じるべきだから、右腕としては理想的な人材なのかもしれないが。
よし、ケツを叩かれた感を覚えたところで、始めるとするか。私を信じてくれる部下や民のためにも、さくっと神の力を示すとしよう。
というわけで、まずは待機していたイクマに向けて「マイク・オン」と小さく呟く。そして軽く息を吸い、「あー、あー」と声を出した。
まったく同時に、大音量と化した『あー、あー』という私の声が、上空から響く。
ざわめきが、一斉に静まった。私を除いたその場にいる全員が、空を見上げている。
いい感じに注目が集まったので、私はそのまま続けた。
「娘たちよ。私は今、神の力をもって、己の声を天から響かせている。ゲートキーパーを倒し、やつが持っていた私の力を奪い返すことで、こうした奇跡を起こせるようになったのだ」
厳かな口調の私の声が、周辺一帯に大きく響き渡った。
音の響き方で、ふと小学校の運動会を思い出して懐かしくなったが、どうでもいいのですぐに忘れる。
「これから低地を進軍することに、不安や疑念を抱いている者は多いだろう。だが、問題は一切ない。この力を行使すれば、極寒の嵐など無きに等しいからだ」
私は低地の方へと向き、手を上げ、それをすっと下ろした。
途端、眼下で渦巻いている輝く雲に、直線の割れ目が入る。それはさらに前方へと高速で延びていき、視界にある限りの雲を真っ二つに両断してしまった。
「道はできた。さあ、いこう」
拡声器の力をオフにし、周囲に静寂が戻る。だが、すぐに数千人の兵たちは大歓声をあげた。
どうやら演出は好評で、うまく民の心を掴めたらしい。隣のレイランなどはその場に跪き、号泣しながらこちらを見上げている。
私は数歩歩いてその場を離れ、小声で功労者を労った。
「よくやってくれた、イクマ。進軍を可能にするだけじゃなく、私の支持率も上げてくれたな」
『お褒めに預かり光栄です。とはいえ支持率云々は、うまく盛り上げた玲様がお上手だったためだと思いますが』
「ま、神っぽい演説の仕方とかも勉強したからな……」
統治マニュアル様々、といったところだ。
『先ほど説明したとおり、今は高地の空気でミドリ国軍全体を包んでいます。膜の外側はがっちり固めているので、その中に低地の風や冷気が入り込むことはなく、ステージセットまで何の問題もなく辿り付けるでしょう』
とはいえ、とイクマは続ける。
『大規模な範囲で大容量の空気を操っていますので、汎用粒子はほぼ最大限に使用しています。なので、同程度の作業を並列して行なうことはできません。音声の拡大程度でも、かなりぎりぎりですので』
「……つまり、仮にレイイート軍が低地にいたとして、それを守るだけのバリアは張れないってことか」
『そうなります。【粒子量を超える作業はできない】というルールを、よく覚えておいてください。あらゆる事象を再現できる汎用粒子ですが、その一点だけはどうにもなりませんから』
「わかった。頭に入れておく」
慣れれば、汎用粒子を私自身の脳波で操れるようにもなるらしい。しかし、さっき少し練習したものの、イメージ力不足によってほとんど扱えなかった。イクマは対策を考えると言っていたが、ともあれポンと使える代物ではないようだ。
よって汎用粒子を扱うには、しばらくは今のようにイクマに任せるほかないだろう。
そうして兵たちの進軍準備を待っていると、ルミレイが馬に乗り、別の馬を引っ張ってきた。
「レイ様。馬をお持ちしましたが、いかがいたします?」
私は馬の手綱をありがたく受け取り、それに静かに飛び乗った。
「気が利くな、ルミレイ」
そう褒めると、彼女はホッと胸を撫で下ろす。
「お褒めにいただき、光栄でございます。力を取り戻されたとのことで、無用か入用か、少々迷ったのですが」
「ふむ。なんというか……力を取り戻したと言っても、一端に過ぎないんだ。全盛期の――世界を創世したときに比べれば、まだまだほど遠い。力を使えば消耗するし、だからあんまり万能と思われるのは、少し困る」
過度な期待をされるのは本当に困るので、一応そんな断りを入れる。ルミレイは大きく頷き、あらためて尋ねてきた。
「さようでございますか。では、基本的にはこれまでと同様――ということでよろしいのでしょうか?」
「ああ、そうしてくれ」
これはルミレイだけじゃなく、他の人間にも言っておくべきだろう。いや、彼女に伝えてもらえればいいか。
それを頼もうとしたら、逆側からレイランが声をかけてきた。
「申し訳ありません、始祖様。一応お聞きしたいのですが、このままステージセットへ進軍する――という運びでよろしいのですか?」
確かに、出発の号令をしっかり発していなかった。ついてくるのを促す感じにしてしまったし、もっとはっきり進軍を命じるべきだった。
私は徒歩のままのレイランを見下ろし、謝罪をかねた返事をする。
「曖昧な出発になってしまって、すまん。あらためてお前のほうで号令をかけてくれ」
それと、と私は続ける。
「できれば隊列を伸ばさないようにしてくれるか。全体が広がると、私の力で守りづらくなるんだ」
「委細承知いたしました。では、実行してまいります」
歯切れ良く答えると、レイランは細かい指示を出すべく後方へと走っていった。
坂の下の低地では、モーゼが海を割ったかのごとく、輝く雲状地帯を一本の道が突っ切っている。軍は問題なくそこを進めるとのことだし、五、六時間もすればステージセットに到着するだろう。
ステージセットの外周区画にたどり着けば、戦闘が始まる。消化試合のような戦いなんだから、重要なのは味方に一人も死者を出さないことだ。そのラインさえ守れれば、あとは流れでどうとでもなるはず。
そして戦いが終われば、私は塔に入れる。
ようやく――ようやく明美と会えるのだ。
イクマという明美の秘蔵っ子を味方につけ、汎用粒子なる魔法みたいな力を手にし、いよいよ私も来るところまで来たって感じだ。
事がうまく進めば、明日中には明美と再会を果たし、色々な問題に決着がつくかもしれない。
ま、私はいつもどおり、信じる道を突っ走るとしよう。それで今までどうにかなったんだから、今回もうまくいくだろ。たぶん。




