??歳・67
レイイート軍の駐留する高地に近づき、急勾配の坂を登っていく。
吹雪吹き荒れる領域を抜け、高いところから見下ろすと、低地では銀色の雲が激しく渦を巻いていた。空は我関せずとばかりに青々と晴れていて、平和な天空と地獄じみた大地との温度差がえぐい。
地球ではありえない気候であり、あらためてここが異世界――というか異星であることを、しみじみと実感した。
白い陣幕の中に入ると、すぐに妙な光景が目に入ってきた。六人が横一直線に並んで椅子に座っており、その前に筆を持ったサファが立っている。
……見るに、どうやらレメレニアとその部下たちの顔に絵を描いているらしい。寒いからか、さすがにキャンパス役の者たちは服を着ていたが。
「レっ、レイ様っ!」
足音で気づいたのか、列の中央に座っていたレメレニアがこちらを振り向く。
……私は彼女の顔を見て、激しく困惑した。顔に描かれていたのは、絵と言うより落書きだったのだ。まぶたに目があったり、ほうれい線に濃く線が引かれていたり、とにかく酷い。
アマリリスはツボに入ったようで、天に向かってアーッハッハと豪快に笑っている。
「ご無事の帰還、心より寿ぎますわっ! 見事、ゲートキーパーを討ち取られたのですねっ!」
妙に必死な口調だった。祈るように両手を重ね、レメレニアはずずいっと私に近づいてくる。
「ではレイ様、一刻も早くあの恐ろしい女を引き取ってくださいましっ! まったく悪意を持たずに溢れるほどの悪意を振りまいてくる相手など、どうしようもありませんわっ! これ以上あれの相手をしていたら、頭がおかしくなってしまいますっ!」
どうやら、サファの奇行でレメレニアの精神にダメージを与えるという試みは、これ以上ないほど成功したらしい。……ちょっと成功しすぎたようだが。
そして気づけば、当のサファもこちらに来ていた。
「おかえりですー、レイさん。ってことは、もうお楽しみタイムは終わりですか? やっと連作が仕上がりそうなとこだったのに」
「お前……ずいぶん好き放題やったみたいだな。レメレニアは酷い顔になってるぞ。色んな意味で」
「えー、でもレイさんが言ったんじゃないですか。好きにやっていい、私が全部許すって。絶対安全だから、思う存分ワガママ言えって」
「確かに言ったが……」
まさか、ここまでやってしまうとは。どうやら私は、サファという人間をみくびっていたらしい。
レメレニアは私を盾にするようにしてサファから隠れると、低い声で言った。
「……レイ様。同じ事を二度としないことを、強く勧めますわ。サファさんは相手を苛立たせる天賦の才を持っていますが、通常の人間ではすぐ堪忍袋の緒が切れ、その場で殴り殺されてしまうでしょう。わたくしはあなた様への手前、どうにか耐えられましたが……」
「そこまで言うか。……わかった、今後は気をつけよう」
が、サファはあっけらかんと反論する。
「いやぁ、そばに干草ちゃんがいれば大丈夫でしょ。エメは死にそうになったとこを何度も助けてもらったらしいし、だから私もびびらずノビノビ遊べたんです。つまり、あの馬がいれば私は超安全! 違います?」
「否定はしないが、ともかく今日はもう終わりだ。筆をしまえ」
はぁい、と残念そうに返事し、サファは筆や絵の具の片づけを始めた。その様子を見て、レメレニアは心底安心したように息を吐く。
とはいえ、彼女が肩の荷を下ろすのは少し早い。私はすぐにその事実を指摘した。
「おい、レメレニア。一応言っておくが、サファはすぐには連れて帰れないぞ。うちの軍の駐留地へは、低地を経由する必要があるからな」
ハッとし、レメレニアはガタガタと震えだした。
「……と、ということは、もう一晩彼女と一緒にいろと?」
「そうだけど、安心しろ。もう好き勝手はさせないし、お前も相手をしなくていい。明日お前たちもステージセットに進軍するだろうから、そのときに一緒に連れてきてくれ」
「わ、わかりましたわ。そういうことなら……まあ、なんとか……」
「えー、じゃあ私は帰るまで、何してりゃいいんです?」
絵画用具一式を雑にまとめ、サファが文句を言ってきた。
「いや、普通に寝ればいいんじゃないか。もう夜なんだし」
「なるほど。言われてみればそうですね」
すると彼女はその場で地面に横たわり、十秒ほどで寝息を立て始めた。
……熟睡している。のび太並みの寝つきの良さだな、こいつ……。
とはいえ、今の気温はかなり低い。サファをそのまま寝かすべきではないだろう。
「レメレニア、すまんがこいつをもっとマシな場所に運んでくれ。天幕の中とか」
「承知しましたわ。わたくしも正直、視界の中に置いておきたくありませんし」
部下たちの方を向くと、レメレニアは鬼気迫る口調で言った。
「担架を取ってきて、それでサファさんを運んでちょうだい。絶対に、なにがあろうとも起こさないように」
顔に落書きをされている部下たちは必死に頷き、足音を立てずに奥へと駆けていった。ふと気になり、レメレニアに尋ねる。
「顔の絵、洗い落とさないのか? 別に待っててもいいんだが」
「これ、油性ですので……」
その返答を聞き、今度は私が絶句した。サファのやつ、容赦なさすぎだろ……。
さすがに責任を感じ、私は謝った。
「……す、すまない。あいつがそこまでやらかすとは……」
「……ご心配にはおよびませんわ。国に戻れば、強い化粧落としがありますので」
ということは、国に戻るまで顔はそのままということだろう。
「なら……仮面かなにかで顔を隠したほうがいいかもな。私みたいに」
「ええ……そういたしましょう」
一息つき、レメレニアは話題を変えた。
「そろそろ真面目な話をしましょう。あなた様がゲートキーパーを討伐したことで、今、ステージセットはどうなっているのですか?」
「セキュリティのほとんどは解除されて、自由に出入りできるようになってる。で、肝心の人形兵だが、連中は明日の朝にはすべて動きだし、北に向かうよう設定されてるらしい。手を尽くしたが、そのあたりはどうにもならなかった」
「なるほど。では、予定通りにわたくしたちも進軍し、その人形兵たちを狩り尽くせばいいのですね?」
「そうだ」
「レイ様はどうなさるのです? お一人でも人形兵を殲滅できると思われますが」
「それでもいいんだが、色々考えて残党処理はミドリ国の軍に任せることにした。だから、これから私はレイ族たちと一緒に行動し、サポートに専念する」
「そのようなお考えでしたか。ならば――」
レメレニアは顎に手を当て、じっくりと思案する。
……実のところ、私は必死に笑いを抑えていた。レメレニアがアホみたいな面で真剣に話をしているのが、おかしくてたまらなかったのだ。
統治者としての鉄の意志でどうにか我慢し、彼女の言葉に耳を傾ける。
「では、両軍が人形兵と戦う領域を、大きく区切るのはどうでしょう? そうして物理的な距離を取れば偶発的な衝突を防げますし、過度な競争も発生しないはず。いかがですか?」
予想通りの提案を受け、私は即座に答えた。
「断る。なぜなら、私の軍はお前たちより早くステージセットについて、お前たちが着く頃にはほとんどの人形兵討伐を終えているからだ」
その答えはあちらには予想外だったようで、レメレニアはわずかに目を見開いた。それに構わず私は続ける。
「でも多少は残しておくから、レイイートはそれを処理してくれ。そうすれば面目は立つだろう?」
「お……お待ちください。進軍は日が回り、低地の嵐が収まるのを待つ必要があります。つまり、両軍の出立タイミングは同時であり、ゆえに到着もほぼ同時刻になるはず。あなた様ではなく軍が戦うのなら、たとえ数十分早く到着したとしても、敵の討伐を終えるなど……」
「まあ、別にどう思ってくれてもいい。なんであれ状況は私がコントロールするから、お前たちはそれに従ってくれ」
レメレニアはしばし、じっとこちらを見つめた。そしてにっこりと笑みを作る。
「わかりましたわ。レイ様の采配に身を委ねるといたしましょう。できるだけ我が国が有利となるよう立ち回るつもりでしたが、それであなた様と衝突してしまっては、元も子もありませんもの」
腰に手を当て、優雅なポーズを取って彼女は続ける。
「なので、そちらも無理をなさる必要はありませんことよ? 策を講じられたようですが、わたくしはあなた様の命令に素直に従いますゆえ」
「そうなのか。でも、そちらこそ気を使う必要はないぞ。進軍を早めることは、なんら負担にはならないからな」
互いに微笑を浮かべ、私たちは見つめ合う。
――そしてとうとう耐え切れず、私は「ぶふっ」と吹き出してしまった。落書きと優雅な仕草とのミスマッチが、どうにもおかしかったのだ。
ぶはははっ、と一気に声を出し、ひいひい笑う。悪いと思ったが、一旦始まってしまった爆笑を止めることができない。
十数秒腹を押さえて笑い続け、ようやく収まった。
気づけばレメレニアは後ろを向いており、顔を隠したまま言葉を発する。
「気は済みましたかしら」
「す、すまん……つい」
気まずくなって謝ると、レメレニアは顔を背けたまま溜め息をつく。
「……よほど変な顔らしいですわね。ならば、すぐに顔を隠すものを用意させるとしましょう。でなければ兵たちに命令もできませんもの」
「……ま、明日は焦らずゆっくり来てくれ。お前たちが到着する頃には、九割がた片付いてるはずだから」
「そういたしますわ。ご武運を祈っております」
軽く挨拶し合い、私はその場を離れた。顔を見たらまた笑ってしまうから、今日はさっさと別れたほうがいい。
すると、後ろで待っていたアマリリスがすぐに声をかけてくる。
「話は終わったか。なら、私は一足先にステージセットへ戻るとしよう」
「わかった。たぶん朝までに私と私の軍が到着すると思うから、お前たちは外周区画の階段入り口あたりで待っていてくれ」
「朝までに? ということは、夜間に行軍を開始するのか?」
「ああ。やり方は秘密だが」
「……フッ、あんたなら何ができても不思議じゃない。では明日、ともに戦えることを心待ちにしている」
いかにも武人らしいセリフを口にし、アマリリスは下り坂を歩いていった。
さて、あとは……。
姿を探すと、すぐにいた。陣幕の陰に寝そべっている干草を見つけ、私はそちらへと向かう。
出迎えるように干草が立ち上がったので、私はその長い鼻を撫でてやった。
「サファのおもり、ご苦労だった。もう大丈夫だと思うが、一応明日の朝までは見ててくれ。で、レイイートの進軍と一緒にステージセットの方に来て、私たちと合流してほしい。いいか?」
こちらの問いかけに、すぐさま干草は首を縦に振った。まったく、有能かつ忠実で助かる。
が、そのとき急に、イクマの低い声が耳に響いた。
『……玲様。ひとつ、進言してもよろしいでしょうか』
「なんだ?」
『その馬は信用しないほうがいいです。私にも得体の知れない存在なので』
唐突な言葉に、私は息を呑んだ。
目の前の干草は、ただ静かな目線をこちらに向けている。
「……お前も干草の正体を知らないのか? 半分くらいは明美の手先だと思ってたんだが」
『それはありえません。断言できます』
「でもお前、明美の企みとかは把握してないって言ってただろ」
『…………なりふり構わず、そしてあらゆる手段をもって、その馬を観察、調査してきました。しかし、姿を消したり表したりといった現象の理屈が、一切解明できませんでした。汎用粒子は検出できませんでしたし、完全に未知の物理現象を用いています。もしかしたら、状況的に時間や時空といったものに干渉しているのかもしれません』
「つまり」とイクマは続ける。
『その馬の力は、明らかに明美様を上回っています。ならば、私のような明美様による被造物ではないのは明らか。そしてそうなると、思い当たる相手はひとつです』
「ウィニーに連なる存在……ってことか」
消去法で考えると、それしかない。確かに、それならば信用するなと忠告してくるのも頷ける話だが……。
『玲様もウィニーを半ば敵とされているのでしょう? でしたら、その係累と思われる相手に心を許すべきではないのでは』
「……かもしれん。けど、なに考えてるかわかんなくて得体が知れないってのは、私からすりゃお前も同じなんだが」
思わず指摘すると、イクマは『そ、そうかもしれませんが……』と言葉を濁らす。
干草は、変わらず穏やかな目でこちらを見ている。おそらくイクマの存在と声も普通に認識しているのだろう。
なにを問いかけても答えてくれないと思うが……反論をする気もないらしい。
私はしばし考え、イクマに言った。
「自慢じゃないが、私は一度信頼した相手に裏切られた経験がない。だからダイジョブだろ、たぶん。ウィニーはどうか知らんが、少なくとも干草は敵じゃない」
『……玲様がいいのでしたら、私もとやかく言いません。格上の相手である以上、警戒したって無駄かもしれませんし』
なら、この問答はもう終わりだ。私は再び干草に向き合い、声をかける。
「じゃあ、また明日な、干草。それまでサファを頼んだぞ」
またも明確に頷く干草。それを見て満足し、私はその場を後にする。
ここでの用を終えたので、私はすぐに陣幕を出た。下り坂の下には小さくなっているアマリリスの背中があり、そのさらに向こうでは白銀の嵐が吹き荒れている。
走り出した直後、調子を取り戻したイクマの声が耳に響いた。
『次はミドリ軍の駐留地へ向かわれるのですね? 玲様』
「そうだ。とはいえ、走ってもそこそこ時間がかかる。その間に汎用粒子のチュートリアルとやらを済ませてくれ」
『承知しました。では――』
輝く嵐に再び包まれた直後、イクマのレッスンが始まった。




