??歳・60
私は軍隊を率いて、レイ族領土の最南端に来ていた。
目の前は急激な下り坂となっており、降りきった先からはしばらく平らな低地が続く。その向こうには二十キロほど続く浅瀬があって、終わり際には断崖絶壁が聳え立っていた。高さ一、二キロはあるであろう、直角に切り立った台地である。
岸壁の上にはさらに百メートルはある鉄の壁が続いており、高い技術力を持つ勢力が崖の上に存在するのは明白だ。あの城壁内部が、ステージセット――ゲートキーパーが支配する領域となっている。
そして巨大な台地の中央からは、黒い塔が天を貫くようにして聳え立っていた。まだまだ百キロほどあるが、距離が近くなったから大府にいたときよりもシルエットが濃い。
――もうすぐだ、明美。もうすぐお前に会える。
ここまで来るのに一年以上かかったが、あとはもう、塔の下にある都市を制圧するだけだ。うまくいけば、今日か明日にでも塔に入れるかもしれない。
心を落ち着かせるために、私は細く長い息を吐いた。今は明美に思いを馳せる余裕はない。目先に迫る戦いのことを考えなければ。
現在、ミドリ国軍は低地ぎりぎりの地点で進軍を停止している。低地に近いためか、日が回る直前になってもあたりは肌寒い。
――低地。
夜間は極寒の嵐が吹き荒れることから、一日の半分は絶対に侵入不可能な領域。
ステージセット本拠地の周囲には、広大な低地地帯が広がっている。つまり、『昼は通れるが夜は通行不可』という場所に踏み入らなければ、ステージセットにはたどり着けないのだ。
夜の低地では吐く息が瞬時に凍りつくという。ゆえに、どんなに防寒具を着込もうとも、大抵の場合は肺がやられて死んでしまう。万が一、軍隊が低地にいながら夜に突入することがあったら、私以外の全員が死亡してしまうに違いない。
まだ早朝とはいえ、この先へ無計画で突っ込むわけにはいかないのは、そのためだ。
後ろを振り返ると、およそ五千人の兵たちが地面に座って休んでいた。
そして、彼女たちの約四分の三は鉄の筒――銃を所持している。私が統治マニュアルの知識を元に製造させた火縄銃だ。この装備ならば、槍と弓しか持たない敵に対して優位に戦えるだろう。
とはいえ、銃の運用にはまだまだ問題がある。
馬の蹄の音が近づいてきて、私の正面で一人の兵が颯爽と馬から飛び降りる。部隊の直接指揮を受け持つティレだ。
「始祖様、残りの弾薬が届きました。が、やはり数が心許ないです」
「……そうか。やっぱり間に合わなかったか」
銃の弾には火薬が必要だが、原材料のひとつである硫黄がこのあたりでは採れない。
ただ、最近渦山脈の方で鉱脈が見つかり、そこから大量に採掘できるようになったのだが……やはり、それを弾丸とするには時間が足らなかったようだ。
「弓矢はどれだけ持ってきてる?」
「銃と同じほどには。兵に携帯はさせていませんが」
「銃から弓に持ち替えられる兵士はどれくらいだ?」
「構えて撃つ、というだけならほとんどの兵ができます。使いこなせるのはごく一部でしょうけど」
銃を担当する兵は、ほとんどが農民や若者といった戦闘経験の浅い者だ。今回の戦のために募った志願兵であり、最低限の訓練しか積んでいない。
「となると、弾の使い方には気を使う必要があるな。まあ、私がいればどうとでもなるが……」
あいにく、この先には私が死ぬパターンもある。
「ティレ。もしレイイート軍と戦うことになったら、そのときは弾薬の使用をけちらなくていい。教えたとおり、火縄銃ってのは大量に並べて同時に使わないと効果が薄いからな。だから、使うべきところで一気に使え」
「…………わかりました。そんな事態には陥ってほしくありませんが……」
彼女にしては珍しく歯切れの悪い答えだった。私は指示を続ける。
「じゃあ、弾薬を銃持ちたちに追加で配ってきてくれ。一箇所にまとめず、あるだけ持たせていいから」
「承知しました」
すると、別の人物が来て話に割り込んできた。
「ティレよ、弾薬が到着したそうだが、足りるのか?」
立派な軍装に身を包んだレイランである。
「いいえ。今、ちょうどその話を始祖様にしていました。指示も受けたので、僕はこれにて」
会釈をし、ティレは後腐れなくその場を去った。
「……まったく、良くも悪くも無駄がないな。お前の妹は」
「あれでも昔よりは口数が増えたのですよ。始祖様と出会ったおかげですね」
ま、それはともかく……と、レイランは別の話題を切り出した。
「兵たちの様子を見てきましたが、やはり士気は高いです。始祖様とともに歴史を変える大戦に挑む――ということもあるのでしょうが、話を聞くに、銃の影響も大きいかと」
「その気持ちはわかる。遠距離攻撃が主力なら、敵に近づく必要はないからな。それだけで気が楽になるってもんだ」
弓矢と違い、銃は敵の鎧をたやすく貫ける。『弓矢で敵戦力を削って、近接戦闘でトドメ』というのが旧来の戦の流れだったが、銃があれば遠距離攻撃だけでいいのだ。
とはいえ、敵が近づいてきたら槍で迎撃し、矢が飛んできたら盾で防ぐ必要があるので、当然銃だけで戦ができるわけではないが。
本来、ステージセットの残敵処理は私一人でできることだ。それを娘たちに任せるのだから、彼女たちは一人として死なせないし、負担も極力減らさなければならない。そのために、銃主体の部隊編成としたのである。
そして――仮想敵はステージセット軍だけではない。
「最低限とはいえ、銃の準備が間に合ってよかった。これなら私が死んだ場合でも、レイイート軍に対して圧倒的有利に戦えるだろう」
「始祖様……」
そう、私がゲートキーパーとの戦いで敗北した場合、おそらくミドリ国軍はレイイートの軍隊と戦うことになる。
あちらが出兵しているのは確認済みだし、ステージセットのご機嫌を取るためにも、地政学的にも、私を失ったミドリ国軍を襲うことがレイイートにとって最良だからだ。
「わかってるな? レイラン。そうなったら、お前がミドリ国の民を――私の娘たちを守るんだ。だから私が死んでも、決して自暴自棄にならないでくれよ」
レイランは苦渋の表情をしつつも、しっかりと頷いた。
「……今のあなた様の言葉を、胸に刻みつけておきます。万が一の場合は、それを僕の道しるべにできるように」
私も頷き返した。当然死ぬつもりなどないが、サファが先日言っていたように、人間はいつ死ぬかわからない。
ババアだったときの私だって、突拍子もない事故で明美と心中するはめになったのだ。この戦いに限らず、私が唐突にこの世を去る事態だってありえるし、だからこそ備えはきっちり残しておきたかった。
ふと、眼下の遠方――低地の西の方から、一匹の馬が近づいてきているのに気づいた。どうやら、そのときが来たらしい。
「オボロが偵察から戻ってきたが……あの様子だと問題なさそうだな。というわけで、私はこれからレイイート軍の駐留地へ向かう。で、たぶんそのままステージセットに向かうから、後は頼んだ」
色々なものを飲み込むかのように喉を震わせ、レイランは深々と私に頭を下げた。
「いってらっしゃいませ。そして、どうか無事にご帰還ください。その間は、僕が姉妹たちを守ってみせましょう」
「ああ、任せたぞ」
そう言い残し、私はその場を離れる。あとは、天幕の中で事務作業をしているルミレイとメノウに、二つ、三つの指示を残すだけだ。
――こういう嫌な緊張感は、ずいぶんと久しい。
この超人そのものの肉体でなお、勝てるかどうか分からないんだから、無理もないことだが。
まあ戦いってのは、戦ってる最中よりもそれを目前に控えているときのほうが、精神的にはきつい。
だから、きっと今が一番ストレスがヤバイのだ。そう思えば、多少は気が楽になる。
人間らしい弱さが自分に残っていたことに少々安心しつつ、私は天幕へと向かった。




