20歳・1
二十歳の誕生日は中東の紛争地帯で迎えた。
銃撃や爆発の音が遠くから断続的に響く、がれきの中の闇。そこでひたすら息を殺して身を潜めているときに、私は二十歳になったのである。
がれきの中と言っても、爆発などに巻き込まれて埋まっているわけではない。棺のような縦長の箱に、建物の残骸を上から軽くかぶせて盾&カモフラージュとし、あえてその中に私は隠れていた。
場所は、大通りに面した建物の残骸跡。
数時間前には目の前を装甲車両が列を成して通過し、小規模だが銃撃戦も展開された。そうした一部始終を、私は箱に入りながらカメラで撮影していたのである。
もちろん、軍の許可など取っていない。だから見つかったら、その場で殺されてもなんらおかしくない状況にあった。流れ弾で死ぬ可能性も、皆無ではなかっただろう。
だが、軍隊はすでに視界に入る範囲にはおらず、気配もしない。とっくに日が沈んでいるし、今のところは安全だと言える。
懐のスマホが震えたので、光が外に漏れないよう取り出して画面を見る。
『音が遠のいてきた。頃合いだ。ずらかろう』とのメッセージが来たので、私はすぐさま『了解』と返信する。
食いかけの携帯食を全部口に押し込み、目の前に設置していたカメラを回収してリュックに入れた。そして横たわる体をもぞもぞと後ろにずらし、箱の外へと出る。
曇っているために夜空には月も星もなく、街頭などの人口の光も皆無なため、周囲は完全な闇だ。今の私のように暗視スコープを装着していなければ、一メートル先だって見えないだろう。
黒と緑で構成された視界に、もそりと大きな人影があらわれる。私の隣の箱から出てきたその男は、身をかがめながら私の肩を掴み、小声で言った。
「……だ、大丈夫か?」
「周囲に人の気配はないです」
同じく小声で答えるが、男はさらに聞き返す。
「いや、お前の体調を聞いたんだが。七時間も狭い箱の中にいたんだ、どこか変になってるとか……」
「皆無です。というか、あったらスマホで伝えてますよ」
「そ、そうか。そりゃそうだよな」
なんか口調が頼りないが、まさかあんたが体調崩してるとかじゃないよな? そっちからなにも言わないなら、私はそのへん考慮しないぞ。
「俺は、その……まあ、ウンコもらしたくらいだ」
私は小さくため息を吐いた。変に心配して損した。
「オムツしてるから大丈夫ですよ。さっさと行きましょう」
大小無数のがれきの散乱する足元を、私は慎重に進み始めた。男はその後ろを無言でついてくる。
周囲がパッと明るくなったので、光源たる右方上空へと視線を向ける。
――漆黒の夜空を駆ける、複数の光の矢。戦場をほのかに照らしたのは、ロケット弾の燃焼だった。
遠くから響く戦闘音が、俄かに大きくなる。そちらを見て、後続の男が呟いた。
「やっぱり、旧市街地の方に戦場が移ってやがる。思いのほか、革命軍が押し負けるのが早かったな」
「夜が明け次第、政府軍は占領のための歩兵を大量に送るでしょうね。逃げるなら、今このタイミングしかないかも」
「……だよな。急ぐとしよう」
私とその男は小走りとなり、破壊の痕跡著しい都市からの脱出を開始した。
とある映画監督の助手として、政府軍と革命軍が正面衝突を起こしている国に潜入している――というのが、私の現状だった。
目的は無論、明美との対決に備えて荒事の経験値を上げること。長期間に及ぶ予定なので大学には休学届を出しており、留年はほぼ決まっている。
『戦争という極限状態の渦中にある人々の描写』というのが、私を雇ってる監督が追い求めるテーマである。
そのために彼は度々危険な紛争地帯に赴き、戦禍に晒された人々や戦闘中の軍人たちをカメラに納め、幾つものドキュメンタリー映画を世に出してきた。まだ三十代前半だが、有名な国際的な賞を取っており、なにより金・人脈という私にない二つを持っている。
そんなわけで私はこの男の助手として雇われ、ガチの戦争に触れる機会を得たのだった。
「まずいな。すでに革命軍はゲリラ戦を展開してるらしい」
玄関から勢いよく入ってきた監督が、深刻な口調で言った。
場所は拠点にしている民宿。監督は情報収集から帰還し、私は宿を出るための準備をしているところだった。
民宿は、昨日私たちが潜伏し、戦場となった町から、数キロ離れた地方都市の中に存在する。
この町は小さいながらも、政府軍とも革命軍とも上手く付き合って距離を取ってきたため、これまで中立の立場を維持し続けてきた。が、革命軍の残存勢力が近郊の町を新たな拠点としたことで、周辺一帯のパワーバランスが崩れ、この町に負荷がかかる構図になりつつある。
つまり戦局が大きく変わり、この戦争において戦略的重要性を持ってしまったのだ。中立の維持が不可能なのはもちろん、遠からずどちらか、あるいは両方の軍が制圧に来るだろう。
昨日撮ってきた動画のデータを、ノートパソコンでクラウドストレージに保存しながら、私は監督の方をチラリと見た。
「さっき、テレビで政府が勝利宣言してましたよ。革命軍の本拠地を落としたって」
「マジか? でも聞いた限りだと、革命軍は早くから撤退してて、本隊は全然残ってるっぽいけどな。政府側が把握してないわけないんだが……プロパガンダを焦ったか」
「……でもゲリラ戦がもう始まってるってことは、過激派が革命軍の指揮を握ったってことですよね。これってかなりマズイんじゃ」
「ああ、マズイよ。超マズイ。過激派は、イコール外国人排斥派だからな。俺らが連中に見つかれば、最悪その場で射殺されるかもしれん」
戦況の移り変わるスピードが、想定を遥かに超えて早い。ゆえに事前に用意した対応策が使えない。
それが、私たちが直面している問題だった。
一応、政府軍に保護を求めるという最終手段はある。彼らは国際問題を嫌うから、大っぴらに名乗り出れば殺されることはまずない。
だが間違いなくカメラや動画データは没収、削除されるし、その後は確実に国外追放される。日本に帰らざるを得なくなるのだ。
私としては荷物が奪われるのはどうでもいいが、この戦争ツアーが終わるのは困る。まだ戦争の辺縁に触れただけで、ここに来た目的を達成できたとは言い難いからだ。明美殺しのために、危険で有益な経験をもっともっと積みたかった。
監督はソファに座り、深くうなだれている。私は荷物をまとめながら、そんな彼に尋ねた。
「じゃあどうするんです? 結局、現地のガイドには連絡取れたんですか?」
「……ダメだった。あのクソ野郎、前払い金を持ち逃げしやがった。逆に言えば、後払い金を諦めてでも逃げざるを得ない状況だった――ってことかもしれんが」
そのガイドは手広くビジネスをしているという話だったから、どっちの陣営からも敵視される存在だったのだろう。一目散に逃げていてもおかしくはない。
というか、戦禍の迫った現状では、たとえ痛いところのない一般人でも逃げ出すのは普通だ。それなりに情報収集をしていれば、この町に居続ければ命が危ないのはすぐにわかる。
だが、革命軍過激派と遭遇したくない私たちは、安易に町を出るわけにはいかない。最優先すべきは死なないことだから、下手に逃げるくらいなら政府軍に助けを求めたほうがずっとマシだ。
ゆえに監督は今、確実に町を脱出できる手段を模索しているのである。
「……しょうがない、プランDでいくか。高くつくが、色々諦めるよりはマシだ」
「傭兵を呼ぶんですね。最初からそうすれば良かったのに」
現状、それしかまともな選択肢はない。彼らは近隣に待機しているから、連絡すれば三十分もせずに合流できるだろう。
「はぁー……。いいよな、懐の痛まないやつは。金を出すのは全部俺だってのに」
「大富豪のお坊ちゃんがそれ言います? それとも、ご実家の方に私が資金提供を頼みましょうか?」
「そ、それはやめろ。とにかく連絡するから、黙っててくれ……」
この男は勘違いしてるか、あるいは完全に忘れているが、私は喋りたくて喋っているのではない。最初に雇われたときの契約で、「無口な相手と過ごすのはキツイから、できるだけ話してくれ」と言われたから、面倒くさいながらも話しかけているにすぎないのだ。
ゆえに、その後は命令どおり黙り続けて出立の準備をし、事態が動くのを静かに待ち続けた。
一時間後。
私は黒いワゴンの車内にて、体を大きく揺さぶられていた。悪路を走っているから、車体がガッタンガッタン揺れるのだ。
座っているのは後部座席で、左右を武装した屈強な男に挟まれている。監督は中部座席の真ん中で同じく傭兵の間に座っているが、既に寝息を立てている。小心者のようで意外に図太いのだ、この男は。
そんなわけで、私たちは危険極まりない町を傭兵たちに守られて脱出し、安全な場所へと向かっているのだった。
ちなみに、戦闘らしい戦闘は一切なかった。
傭兵たちはゲリラ兵を撃退できる装備と人数を備えているが、それ以前に革命軍と深い繋がりを持っている。ゲリラ兵と会ったときも顔パスで通過できるほどであり、つまり、傭兵たちからすれば危険などほとんどない。
外国人を回収して町の外に出るだけだから、彼らからすれば凄まじく簡単な仕事だっただろう。なのに戦闘を前提とした高い料金を吹っ掛けられていたから、監督は傭兵の雇用を渋っていたのである。
「……お前さんたち、日本人だってな。なんだって、アジアの端っこからこんな国に来たんだ?」
唐突に、右の男が話しかけてきた。アラビア人で構成された傭兵チームの中で、唯一白人の男だ。言葉は当然日本語ではなく、現地で使われているアラビア語である。
「映画の撮影だよ。前の男が監督で、私は助手」
私もアラビア語で答える。すでに英語、スペイン語、アラビア語は、会話に不自由しない程度には喋れるようになっていた。
「映画ねぇ。物好きなこった。地味なドンパチやってるところの、なにが楽しいんだか」
「金持ちどもには、いい道楽なんだろうぜ。平和ボケしてて、羨ましいことさ」
左の男が口をはさんできた。私を見下すような視線で見てるから、私も金持ちで平和ボケしてる人間の一人だと思ってるんだろう。ま、別にどう思われたっていいが。
「しかし、こんなガキを紛争地帯で連れまわすってのは感心しないな。お前いくつだよ、坊主」
右の白人が私に問いかける。今の私は男装してる上に頭は丸坊主にしてるから、だいたい初対面の相手には少年だと思われるのだ。
「十五。でも喧嘩は監督より強いよ。もしかしたら、あんたより強いかも」
適当に嘘を交えて答えたら、周りの男たちは鼻で笑った。
「ハッハ、面白い坊主だ。まあ、十五のときの俺よりかは強いかもな」
右の白人がそう言うと、前の男がそれを茶化した。
「おいおい、マジかよジェイク。お前確か、ハイスクールに行かずに軍に入ったんじゃなかったか? なのに、そんな細いガキに負けんのかよ」
「いやいや結構やるぜ、この坊主。無事なほうの耳を見てみろ。ほんの少し丸まってるだろう? これは寝技系の格闘技を学んでるやつの特徴だ。お前たちじゃ、マジに素手だと勝てないかもな」
ハン、と他の男たちは冷笑を返すが、実際には、私から見ても勝てそうな男は何人かいた。だって、銃を持っていても明らかに鍛えてない体つきのやつがいるのだ。動きもこなれてない感じだから、そもそもしっかりした訓練を積んでいないのだろう。
このミッションでは戦闘になる可能性が極めて低いから、チーム入りを許されたのだろうか? あるいは、力不足でも銃が使えれば傭兵業は務まるってこと? 後者だと少し私にとって都合が良いが……さて、どうだろう。
ともあれ、屈強な男たちとの会話は慣れている。
私は彼らと徐々に距離を詰めつつ、傭兵業について様々な質問をぶつけていった。




