19歳・7
「今までごめんなさい、二条さん! このとおり!」
昼飯を食った後、次の授業のある大きい講堂に入るなり、明美が土下座をしてきた。
当然ながら面食らった私だが、周囲はその比ではない。明美の友人らを含む大勢の人間がここにはおり、女王様の突然の奇行に、講堂中がシンと静まり返っていた。
「私、ずっとあなたに酷いことしてきた! イジメみたいなことしてきた! 目の前で悪口言ったり、クラスで孤立するよう仕向けたりした! ああ、本当にごめんなさい! さっき反撃に会って、ようやく自分の愚かさや醜さに気づけたの! バカ! バカ! 私って本当にバカ!」
謝罪というより、ミュージカルでも見てる気分だった。声も身振りもあまりに大きく、私というより周囲へ向けて叫んでいたからだ。言ってることがセリフ臭くて、まったくもってリアルじゃないというのもある。
だから、明美が茶番を演じていると見て半笑いを浮かべている者も多い。
『一見重そうなことを言ってるけども、結局は手の込んだおふざけではないか』。彼らはそう思ったのだろう。
――が、軽い気分で見られるのは、そこまでだった。このあと明美は、決して後戻りできない領域に突入する。
「それでね、私考えたの! この反省と謝罪の意を示すにはどうすればいいかって! 答えは、恥を晒すこと! さあ、講堂の皆も見て! なんならスマホで撮影してネットに晒して! この私、馬場明美の愚かさを全世界に伝えて!」
皆が固唾を呑んで注目するなか、明美はゴリラのような間抜けなポーズを取った。そして、目の下に異様に力を込めて白目をむくという変顔を作ると、講堂中に響き渡る奇声を上げ始めた。
「ウーホッホー! ウーホッホー! ウーウーウホウホ、ウッホッホー! ホウ! ホウ! ウーホッホーイ!」
――――――マジか、こいつ……。
もう、そんな感想しか生まれなかった。
自分で積み上げた超緻密なドミノに、三回転ジャンプしながら突っ込むような、そんな意味不明で自虐的な行為だった。
ゴリラのような奇声を上げ、ゴリラのように踊り、テレビの女芸人でもそこまでしねぇよと突っ込みたくなるほどの変顔を、明美は晒し続けている。
言うまでもなく、講堂の空気はカチンコチンに凍り付いていた。
なにしろ、一人の人間が人生をフイにしかねないレベルの壊れっぷりを披露しているのだ。誰だって唖然とし、言葉も出なくなるだろう。
スマホで撮ってと明美は叫んでいたが、ざっと見渡したところ、スマホを向けている者はいない。
まあ、気持ちはわかる。これを動画にしてネットに流せば、明美の人生は冗談抜きに終わるのだ。ここは個人を容易に特定しやすい環境だし、下手すれば無駄に重い責任を負いかねない。SNSでバズるメリットより、壊れた明美に絡むデメリットのほうが遥かに大きいと、よほどの馬鹿でなければ判断することができる。
「ウホホー! ウホホー! ごめんウホー! 二条さんへごめんウホー!」
とうとう胸を叩いてドラミングを始めた。
……なんか、もう見てられない。見てるこっちの精神がすり減っていく。絶対アブナイ薬でもやってるって思われるわ、あんなの。
ギャラリーの中には、すすり泣いてる女もいる。あれは確か、明美の友達だったやつだな。まあ、盛大な自殺を見てるようなもんだし、そりゃ泣くだろう。
私もヤツの本性を知ってなかったら、同じかそれ以上の混乱を覚えたかもしれんが……。
とか思ってたら、急に明美は叫ぶのも踊るのもやめた。まるで電池が切れたみたいに、ピタッと動きを止めた。
そして再び私に向き直ると、腰を九十度曲げて頭を下げてくる。
「というわけで、本当にごめんなさい、二条さん。私の精一杯の謝意を、どうか受け取って」
人類史上、全力でゴリラの真似をしながらイジメを謝った人間など、いるだろうか? たぶんいないだろう。
というわけで、ちっとも謝意とやらは伝わらなかった。
化け物の明美と女王様の明美が混ざり、ちゃんと同一人物として見れるようになったのは、収穫と言えば収穫か。化け物の度合いが飛躍的に高まったのは、良いとも悪いとも言えないが。
明美は頭を上げると、足元に置いていたかばんを拾い、何事もなかったように空いてる席へ座った。そしてそのまま教科書やらなんやらを広げ、講義を受ける準備を始める。
暴走劇が終わったことを知り、講堂がざわつき始める。
当然、皆が皆、今見た有り得ないものについて感想や疑問をぶつけ合っている。ただ、茶化してはいけない空気が残っているためか、誰もがささやき声で、未だに講堂は困惑と戸惑いに支配されていた。
「ね、ねぇ二条さん、なんだったの? 今の」
半ば放心して周囲を見渡していたら、男に話しかけられた。明美とつるんでるリア充グループのやつだ。他にも同様の人間が私のそばに集まってきて、同様の質問をぶつけてくる。
「明美どうしちゃったの? 二条さんはなんか知ってる?」
「普通じゃないよね、あんなの。二条さんに殴られたショックでああなっちゃったの? ねえ?」
「グスッ……。明美がおかしくなっちゃったよ……。なんで? なんでなの?」
泣いてるやつまで詰め寄ってきたが、そんなの私に聞かれても困る。
うっとうしいし、突き放そうとも思ったが……ふと、彼らも知るべきではないかと思った。私だって、明美の本性を知ったときは誰かに説明してほしくて仕方なかったのだ。それなりに仲が良かった彼らも、きっと同じ気持ちだろう。
「……別に壊れてないよ、明美は」
私がそう呟くと、周りの人間たちは若干の驚きの視線を私に向けた。疑問をぶつけながらも、ちゃんとした答えが返ってくるとは思ってなかったらしい。
「元からああいうヤツで、今までは女王様を演じてたっていうだけの話。根っこの価値観が違うんだよ、普通の人間と。だからきっかけさえあれば、今までの自分を捨てることにも、なんら躊躇しない。こんな捨て方をするとは、私も思ってなかったけど」
半ば独り言のように喋りつつ、自分の中の新たな明美像が意外にもしっかりまとまっている事実に気づいた。……まあ、四六時中ヤツのことを考えているのだから、別におかしな話ではないが。
しかし余計混乱したのか、リア充たちはさらにゴチャゴチャと質問を重ねてくる。が、私だってあの生物にそこまで詳しいわけじゃない。
だから「もっと知りたいなら本人に聞け」と言ってその場を離れた。考えてみれば、なんでヤツの尻拭いを私がしなきゃならんのだ。
まもなく講師がきて講義が始まったが、あの自爆ショーの後だと集中できなかった人間は多いだろう。
だが、私はしっかり聞いた。明美の化け物っぷりに耐性があったというのもでかいが、なにより、ヤツに振り回されてたまるかという意地もあったからだ。
その日の帰り道、いつものように一人で歩いていると、横からスッと現れた人影があった。気配で誰だかわかったので、私はいちいちそちらを見たりはしない。
「実は前々から考えてたのよね、あのゴリラダンス」
言うまでもない。明美である。
「これまで積み上げて、維持してきたものを、自分の手で木っ端微塵にぶち壊す。なかなか爽快だったわ。多少は心の抵抗を感じるかと思ったけど、そんなのも一切なかったし。本当に惰性であのキャラをやってて、それで築いた地位とか人間関係なんてどうでも良かったんだなぁって、改めて気づいちゃった」
私は何も言わないし、反応もしない。この冗談でできたような女の言葉を、真正面から受け止めるつもりがない。
「ただね、私が女王様キャラを演じてきたのは、実は玲ちゃんのためでもあったの」
「…………なに?」
不可解な発言に、さすがに私は顔を明美へと向けた。
「この前、『なんでずっと私に辛辣だった』ってあなたに聞かれたとき、私ははぐらかしたよね。宇宙人云々の話をして。わかってるだろうけど、あれは嘘。本当の理由は、玲ちゃんに友達を作ってほしくなかったからなの」
意味がまったくわからず、私はノータイムで聞き返す。
「どういうことだ」
「言葉どおりよ。友達がいないほうが、あなたのためだと思ったの。そのために強い立場を得て、あなたを孤立させるよう立ち回ってきたってわけ。まあ、百パーセント私のエゴだから、玲ちゃんのためってのは建前だけれど」
「だから、なんで私に友達がいないほうがいいんだ。さっぱりわからん」
「そこはノーコメントで。言ってもわからないわよ、玲ちゃんには」
「………………」
結局またお預けか。こうやって情報を小出しにして、私を弄んでるんじゃないだろうな、コイツ。
「ま、それはそれとして」と、明美が強引に話題を変える。
「こんなふうに、私は人前であなたに話しかけられるようになったわけだけど……こういうの嫌? 玲ちゃんは私を殺そうとしてるわけだし、あんまり話たくないかなぁ?」
「別に。好きにすればいい」
私は素直に答えた。が、明美が大げさに喜んでみせたので、念のため釘を差す。
「一応言っておくが、こうして話すのはお前の情報が手に入るからだ。まあ、ほとんどが嘘や欺瞞だろうが、それでもまったく知らないよりかは幾分マシだからな。そして昼にも言ったが、慣れ合うつもりなんて毛頭ない。私にとって、お前は殺して全否定すべき相手なんだ。その存在が受け入れられないし、気持ち悪いし、消えてしかるべきだと心の底から思う」
「そっか。なるほど」
明美はサラリと受け止めたが、生まれてこのかた、これほど酷いことを他人に言ったことはなかった。明美が相手じゃなければ、間違いなく泣いて謝るべきところだ。
「いいと思うよ。私と玲ちゃんはそういう関係で。その殺意、絶対に忘れないでね」
「……お前に言われるまでもない」
――明美を殺す。
何度改めて自分に誓ったか思い出せないほどに、この決意は私の人生の軸となっている。
本当に、言われるまでもない。必ずお前を殺してやるよ。
そんな強い意志を込めた視線を、明美に向ける。明美は満足そうに頷き、眩しいものを見るように目を細めてほほ笑んだ。




