??歳・50
「なるほど。魚の化け物を、人間の化け物が屠ったわけか」
そう言ったのは、部屋の柱に寄りかかって座るレイカンだった。食生活が改まったからか、最初に会ったときより段違いに痩せている。
私はその対面に胡坐をかき、出されたせんべいをポリポリかじりながら答えた。
「おかげで、湖での漁には奴隷が必要なくなった。奴隷根絶のために、着実な一歩を踏み出せたわけだ」
「ふん……奴隷根絶か。そういえば、奴隷の労働力を代替させるために妙な機械を開発しておるそうだな。先々週の読売で見たが」
読売とは、いわゆる新聞のことだ。木版印刷によって大量に刷られ、大府や周辺の町々に配られているため、社会の情報伝達に一役買っている。
「蒸気機関っていう、人や馬に代わる動力源さ。うまくいけば、奴隷がいなくなったぶんを補って余りある力が使えるようになる」
無論、これも統治マニュアルに紹介されていた技術だ。理想どおりに進めば、レイ族の文化、文明のレベルを大きく引き上げられるだろう。
……が、さすがにこれだけで奴隷問題を解決できるとは思っていない。地球の歴史における奴隷制撤廃は、なにも蒸気機関普及による産業革命だけで達成されたわけではないからだ。
「断言してもいいが、革命的な動力が開発されたところで奴隷はいなくならんぞ。馬が稲を刈れないように、ジョウキキカンとやらが人間の作業すべてを肩代わりできるはずがないからだ。便利な道具があるなら、両方使えばいいだけのこと。片方が手に入ったからといって、片方を捨てる道理にはならん」
「お前の推察は正しい。だから、蒸気機関はあくまでもきっかけのひとつだ。奴隷を使っている人間に、それを諦めさせるための方策に過ぎない。重要なのは、奴隷の存在を許さないという人々の意識だからな」
地球の近代において奴隷制が廃れたのは、民主化が進み、政権が人々の支持を集めるための手法として、事業者以外には忌み嫌われる奴隷制に異を唱えたことも大きい。
つまり、『奴隷の存在など論外』という認識が広く社会で醸成され、共有されたからこそ、奴隷をなくそうという動きが加速したのだ。
「まあ、貴様が奴隷の存在を許さないと方々で述べれば、それだけでも効果はあるだろうな。ここにいる限りでは実感できんが、始祖の再臨に多くの民が熱狂しているのは想像に難くない。その熱が保たれている限りは、言葉にも力が篭るだろうよ。……だが」
レイカンは鋭い目つきで、仮面をつけている私を睨んだ。
「気づいてない者がほとんどだろうが、存外貴様は普通の人間だ。少なくとも、神の域にあるような存在ではなかろう。ゆえに、いつか化けの皮がはがれ、人々を失望させるやもしれん。……朕はそれが心配でならぬ。そのときは、レイ族の社会が跡形もなく滅びるだろうからな」
そうした辛辣かつ真っ当な批判をぶつけられ、私は少し嬉しくなった。今の私にこうした厳しい物言いをしてくるのは、レイカン以外には皆無だからだ。
ゆえに時間が空いたり悩んだりしたときは、こうしてちょくちょく彼女に会いに来ていたのである。
お茶を飲もうとしたら、すでに中身が空だった。議論に夢中になりすぎて、飲み干したことにも気づけなかったらしい。
「始祖様。おかわりはいかがですか」
元忍の長でレイカンの妹であるカイレが、急須を持ってきた。
「じゃあ、もらう」と答え、湯飲みを差し出す。
飲みやすい、程よい熱さの茶をつがれ、私はそれを一気に半分ほど飲んだ。長々喋っていると、喉に潤いが欲しくなってしまう。
「そいつの茶は美味いだろう」
レイカンが、少し口調を和らげて言った。
「茶葉を独自に組み合わせ、急須さえも自作している。忍の技よりも資質があるようで、正直、朕も困惑しておるわ」
「意外な方面に才能を発揮するってのは、よくあることだろ。自分に向いてる仕事に最初から就ける人間なんて、ほんの一握りなんだからな」
「それについては同意しよう。というか、己の進む道を自由に選べる人間など、そうそうおるまい。結局、向いていようがいまいが、人は成り行きでついた職業でやっていくほかないのだ。そして……おそらくは、貴様もその一人だろう」
思いっきり図星を言い当てられたため、私は片眉をピクリと持ち上げた。
「……わかるか?」
「まあな。おそらく貴様は元来、他を省みない自由気ままな気性のはずだ。少なくとも、朕が最初に会ったときはそう見えた。統治者という責のある立場が、不向き極まりないのは確かだろう。貴様という人間は気に食わんが……そうした不釣合いな重荷を背負わされたことには、同情してやらんでもない」
「……そいつはどうも」
皮肉めいた口調で言ったが、割と本心からの礼だった。
今の私は良くも悪くも孤高だから、誰であろうと理解者がいるのは嬉しいことだ。それがかつて敵対したレイカンのみというのは、それこそ皮肉な話だが。
素の自分で喋れる時間を惜しみ、予定をかなりオーバーしていたにもかかわらず、私はその後三十分ほどレイカンとの駄弁りを続けた。




