??歳・47
黒板ほどのキャンパスに描かれた風景画を見て、私は感嘆した。
「すごい。今度のは大作だな。街の赤と空の青が、実に鮮やかだ」
私の素人臭い感想に、サファはふふんと鼻を鳴らす。
「いやぁ、いい顔料を用意してもらったおかげですよ~」
万象院本殿の上階、私の部屋のそばには、ルミレイやアケミ族の二人の部屋がある。
そのまあまあ広い室内には、画材やキャンパスなどが所狭しと並んでいた。意外にも、サファには絵を描く趣味と才能があったのである。
「私……幸せです。思う存分絵が描けて。捕まったときは人生終わったと思いましたけど、捕虜になってホント良かったです」
自分が描いた絵に向かい合い、サファはしみじみと言った。
「もう一度聞くが……故郷に未練はないのか? 望むなら普通に帰してやるが」
「断然ないです! もー酷い扱いでしたから、私。あんな家には帰りたくないです。そりゃ、レイ族は頭いかれてるから怖いけど、戦場の最前線に送り込まれるよりは百倍マシですもん。ここにいるほうが、きっと実家に帰るより長生きできますよー」
「……そうか」
「レイさんは優しいし、扱いは過去一いいし、永遠にここに住みたい。だめですか?」
「お前がいいなら、いいさ。その腕前があれば、絵で食ってくこともできるだろうしな」
私がそう言うと、サファは仰け反るように胸を張った。
「あっはっは! 嬉しいなぁ~、他のレイ族の人もみんな私の絵を褒めてくれるんですよぉ。あっちじゃこういうのは低俗って思われてるんで、ぜーんぜん認められないんです。好きなことを高く評価してもらえるのって、本当に素晴らしい!」
――というわけで、サファはミドリ国への永住を決めた。
探せばアケミ族への殺意が極めて薄いレイ族はけっこういたし、そういった者とだけ関わるようにすれば、不用意な発言をしても殺されることはないだろう。
なにより、本人が幸せそうなのが私も嬉しい。だから今後はサファが穏やかにここで暮らせるよう、手を尽くしていくつもりだ。
さて、もう一人のほうはどうだろう。本当はあちらに話あったので、昼間にここまで戻ってきたのだが……。
などと考えていたら、部屋の引き戸ががらりと開けられた。
「なんか話し声するなと思ったら、レイ様がいんじゃん。どーしたんですか? こんな時間に」
「おー、エメ! 我が姪よ! 聞いて聞いて、レイさんがね、私の絵を褒めてくれたんだ!」
「それは良かったねぇ」と、エメは子供に対するように穏やかな口調で言った。私はそんな彼女に向き直る。
「実はお前に話があってきたんだ。……例の計画。そろそろ実行に移すぞ」
エメはハッとし、顔に緊張感をみなぎらせる。
一方のサファは絵筆を持ったまま、視線を私とエメとの間で往復させた。
「何の話ですかぁ?」
「……あたしがアケミ族の国に単身潜入して、そっちの王様にレイ様の親書を届けるって話だよ」
私はアケミ族すべても支配するつもりだが、できれば無駄な争いは避けたい。それに、民をすべて掌握できるのなら、表立って君臨する必要もない。だから、まずはアケミ族の長を直接配下に加えるつもりでいる。
そのためにはまず、そうした人間と会談の場を設けなければならない。が、レイ族とアケミ族の溝は極めて深く、現状では手紙ひとつ渡すことすら困難だ。
そんなわけで、私はエメに橋渡しの役目を任せようとしていたのである。
「そっかぁ。忍の修行とか勉強とか、色々頑張ってきたもんね、エメは。とはいえ……ホントに大丈夫? たった一人で行かなきゃいけないんでしょ? 捕まって裏切り者って言われて、拷問とか受けて殺されるんじゃない?」
サファの心配はもっともであり、危険性は非常に高い。それでもエメに任せる理由は二つある。
「しょうがないよ、おばさん。確かに激ヤバの仕事だけど、レイ様は世界を変える存在で、私はその偉業を支えることに人生の意義を見出したんだから」
「……エメ」
「家の下らないメンツのために戦場に送り込まれるクソッタレの身分より、レイ様の下で働くほうが百万倍はいいに決まってる。でしょ?」
エメは本人きっての希望で、私の部下となった。
だからサファ同様、故郷に帰るつもりはないし、生涯をかけて私に仕える気のようだ。
二ヶ月ほど前、ルミレイの「では、おぬしはレイ様に命を捧げられるか?」という問いに、エメは「それで歴史にあたしの名前が残るなら、できる」と答えた。
つまり、多くのレイ族のように私に心酔しているのではなく、仕えること自体に生涯を費やせるほどの価値を見出したのである。
私はそんな彼女を、喜んで腹心として迎え入れた。
おばに似てややびびりな面はあるものの、アケミ族というだけで部下にする価値は大きいし、頭が切れて弁も立つ。なにより、私のために働くという強いモチベーションを持っている。
むしろ、こちらからお願いしてでも雇いたい人材だったのだ。
密使兼スパイをエメに任せる理由のひとつが、その気持ちの強さだ。そしてもうひとつが、頼れる相方がいることである。
「確かに危険だが、心配はいらない。干草をお供につけるからな」
「干草って……あの変な色の馬でしたっけ?」
「いや、あの馬すごいんだよ、おばさん。普通に言葉理解するから、口で命令できんの。超速いし、超タフだし、それに試しに乗ってみたら、ちゃんとあたしの命令も聞いてくれてさぁ」
干草は人懐っこい馬で、私以外の人間も問題なく乗れた。
エメの言うとおり口頭での指示にも忠実に従ったし、「エメを守れるか?」という私の質問にもすぐ首を縦に振った。おそらく、長旅において彼女が危険な目に合わないよう、尽くしてくれるだろう。
造化六花には地球同様に季節があり、昼夜の気温が夏は高く、冬は低い。真夏ともなると夜間の冷気もだいぶ和らぐとのことで(低地はやはり極寒らしいが)、必然的に人々の活動可能時間も大きく延びる。
そうなれば、どこも人の行き来が活発となり、旅人が土地に紛れ込むのもたやすくなるはずだった。
で、そろそろ夏が来る。
エメの訓練もいい感じにひと段落したし、ゆえに彼女をアケミ族の国へ派遣することを決めたのだ。
私はエメに近づき、その肩をポンと叩いた。
「頼んだぞ、エメ。誇張なしに、レイ族とアケミ族の未来はお前の手にかかっている」
「……けっこう人を乗せるの上手いですよね、レイ様って。そんなふうに言われたら、やる気出ちゃうじゃないですか」
エメはにやりと勝気に笑う。
レイ族高官の中には、「こちらに寝返ったフリをして、情報をアケミ族側に持ち帰るだけじゃないか」と疑っている者もおり、エメの立場は相当に厳しい。
が、私は嘘を見抜ける力があるから、彼女が本気であるとわかっている。
だからエメを信じるし、エメもその信頼に応えようとしてくれているのだ。強気な笑顔は、そうして自分を鼓舞する気持ちの裏返しでもあるように思う。
「出発は、およそ一週間後になる。問題ないか?」
「ナッシングです。今からだって大丈夫ですよ」
やる気がみなぎっている。彼女なら、きっと役目を果たしてくれるだろう。
「じゃ、まずは会議だな。国として大々的に送り出すのは無理だが、それだけにエメの派遣はレイランが直接統括することになっている。だから私とお前とあいつで、密な話し合いをしなきゃならん」
「あの人、お堅いから苦手なんですよねー。ま、殺意は薄いから、まともに話せるだけマシですけど」
そうしてサファを残し、私とエメは階下の部屋へと向かった。




