??歳・43
「始祖様は、奴隷を救い出す際には奴隷商に対価を支払うべきだと、そう仰るのですね?」
「そのとおりだ。こちらからすれば奴隷救出は善意の行為だが、奴隷所持者からすれば財産の強奪に等しいからな。そんなことをしたら奴隷商は追い詰められて、奴隷を隠したり、前もって殺してしまうかもしれん。こうした事態は避けたいんだ。もちろん、法を犯した罰はそれとは別に受けてもらうが」
大府手前の宿場町にある、最上級の宿の畳の一室。
そこで今、私はレイランと奴隷の扱いについて話をしていた。
「なるほど。僕は悪人に対して、容赦なく扱うべきと思っていましたが……確かに、それだと連中の抵抗を受けてしまう。広い視点から見れば、そうした対応は社会にとって害になるかもしれません。とはいえ、悪人へ配慮しすぎたら取締りをする意義が薄れてしまいますし、線引きはなかなかに難しそうです。果たして、未熟な僕にできるかどうか……」
「……まあ、社会への影響とかは後で考えよう。今優先すべきは奴隷たちを救うことであり、それを第一としてくれ。だから場合によっては、強硬手段もまったく構わない」
「承知いたしました。となると、奴隷救出を任せる兵には事前に細かく指示を出しておく必要がありますね。奴隷を買い取る際の対価や、奴隷を手放すことを渋る相手への対応なども、一律して決めておかねばなりませんから。その場に応じて柔軟に動いてほしいですが、奴隷解放の速度を重視するならば、それも簡単ではないですし」
「無理難題を押し付けてすまん。お前はよくやってくれてるし、感謝してるよ、レイラン」
私が謝意を述べると、レイランは眼を見開いて興奮しだした。
「な……なんという、勿体無いお言葉! 僕のほうこそ、あなた様から直に仕事を託され、光栄至極でございます! 必ずや、そのご期待に応えてみせましょう!」
こちらは仮面をつけてるのに、レイランは私にうっとりした視線を向けている。よくわからんが、容姿とは別のところで彼女は私に心酔しているらしい。
ここ数日、レイランとはこうして様々な協議を重ねてきた。
話をしてわかったが、ティレが言っていたとおり、レイランは凄まじく優秀だ。頭の回転が速いし、言葉づかいも巧みだし、人の扱い方も心得ている。次期帝として育てられただけあって、その行政能力には隙がなく、素人の私よりも遥かに政治というものを心得ているだろう。
――とはいえ、レイ族社会の改革を促すためには、それでは足らない。
山積している問題を淀みなく処理し、世を迅速に改善するには、もっと人知を越えた知性や思考が必要なのだ。そして、さすがにそこまでの神がかりさは、レイランにはないと言わざるを得なかった。
高い能力を持つし、私に対してとても協力的だ。右腕にするには、もってこいの人材ではある。
だが人の域を出ない以上、レイ族統治のすべてを任せるわけにはいかない。
舵取りは、もっと政治の真髄を超人的に把握し、熟知している人間が取らねば。そうして世界を確実により良くできなければ、私がレイカンを押しのけて統治者となった意味がない。
「はぁ……どうすっかな、マジで」
宿の屋根の上に寝そべりながら、私は呟いた。
空が青い。
ここは宿場町で最も大きい建物なので、その天辺ならば人目を気にせずくつろぐことができる。町は山に挟まれた谷の底にあるために、『視界が広くて開放的』とまでは言えないが。
レイランは大府に帰った。そして、彼女は「細々としたことは万事僕らにお任せください」と言って私に雑事をさせようとしないので、当面やることがない。
さらに、始祖を大々的に受け入れるための準備を進めているとかで、それが済むまではこの町で待ち続けなければならない。
アケミ族の二人は宿の室内にいるし、外では忍たちが見張っている。何かあればここからでも察知できるし、少々離れても問題ないだろう。
というわけで、私は久しぶりに一人の時間を過ごしていた。
……が、統治の悩みがあるため、リラックスできているとは言い難い。
一応、方針を決めてはある。
分岐は、『私の統治が本格的に始まるまでに、頼れる助けがあるか否か』だ。
あった場合は、その相手に全面的に頼る。そしてなかった場合は、明美と接触するために塔へ向かう。
後者だと、塔周辺にいるアケミ族と一戦交えるかもしれないが、致し方ない。明美かそれ以上の頭脳を持つ存在の助けがなければ、レイ族とアケミ族すべてを幸せにするという私の目標は、かないっこないからだ。
「……始祖とか持ち上げられながら、結局はこのザマか。やっぱ一人じゃなんもできねぇな、私は」
瓦の上に大の字になりながら、何度目か知れない溜め息を吐く。
と、真横から瓦を踏む音が聞こえてきた。誰が上ってきたのかと視線を向け、私はギョッとする。
そこにいたのは、干草だったのだ。
「お、お前……」
思わず上半身を起こし、枯れた草のような色の馬を凝視する。
ここは屋根の上であり、当たり前だが馬がホイホイ来れる場所ではない。というか、足場や取っ掛かりもないから、普通の人間でも無理だ。
……時折ワープでもしたかのように突如現れることは、何度かあった。が、ここまであからさまなのは初めてであり、私は相当に面食らってしまう。
その馬はゆっくり歩き、私に近づいてきた。そして……口に平べったい何かをくわえている。
真横で止まると、干草は受け取れと言わんばかりに頭を前に突き出してきた。
「これは……電子タブレットか?」
手に取ったそれは、文庫本サイズのタブレットだった。
不思議なことに馬の涎は一切ついておらず、おろしたての電子機器のような匂いがする。
液晶に触れると、本の表紙のような画面が表示された。そこには、『完全統治マニュアル・H(A)著』と日本語で書いてある。
電子書籍……なのだろうか?
フリックしてページをめくると、さらに序文らしき文章が出てきた。
『政治初心者でも国を治められる! 対立する民族を融和させられる! 民を幸せにできる! 人間の歴史を踏まえたうえで、ベストな統治方法を提案します! 誰にも頼れない、けど理想は諦めたくない……そんな孤高の最高権力者のかたは必読! この本の教えを網羅し、実践できれば、あなたの目標はきっと叶えられるでしょう!』。
……まるで、私に向けてピンポイントで書かれたような文章だ。
「わ、私に読めってことか? これを」
驚いて問いかけると、干草は小さく首を縦に振った。そしてすぐに屋根のふちへと向かい、下へと飛び降りてしまう。
あるはずの着地音は待てども聞こえず、空中で消えてしまったかのようだ。
本当に、何者なんだ。あの馬は……。
あらためて、託されたタブレットをまじまじと見つめる。
冒頭の宣伝文句が正しいのなら、これを読めば私一人でもなんとかなるのかもしれないが……果たして、どうだろう。
ともあれ、助けの手が差し伸べられたのかもしれない。
私はタブレットをタップし、食い入るようにその中身を読み始めた。




