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明美をぶっ殺す  作者: 麻青
第三部
124/174

??歳・38

 身長三メートルのアケミ族が、私の胴体ほどもある太さの腕を振り回し、凄まじい勢いで斧の斬撃を繰り出してくる。

 でかいぶんリーチがあるし、とてつもなく速い。私はどうにかそれを見極め、敵の嵐のような連続攻撃を紙一重でかわし続けた。


 相手の斧は柄が短く、刃の金属部分は大きい。分厚いし、おそらく重量は三十キロ以上あるだろう。

 アケミ族の巨人は、それを片手で、しかも細枝のように振り回す。

 ぶおん、ぶおん、という、体を掠めるたびに鳴る風圧の音が、その威力の重さを物語っていた。


 そんな、かすっただけで首が飛びそうな必殺の一撃が、秒間二、三発の勢いで飛んでくるのだ。

 雑に力任せで武器を振り回すだけでこれだから、やはり近接戦闘において、でかさとは正義と言える。普通の人間が普通に戦ったならば、戦闘開始と同時に肉片と化すに違いない。


 ――正直、戦いが始まって十秒とたたずに、私の頭には逃走の二文字がよぎった。

 レイランを助けるという目的は果たしたのだし、無理をしてこの化け物と戦う必要はない。差しあたっては、別に逃げても問題ないのだ。


 しかし一方で、この巨人はレイ族にとってとてつもない驚異でもある。周囲に死体はないが、こいつに殺されたレイ族は少なくないはず。そして今後戦争になるたびに、同じように大勢が殺されるだろう。

 それを阻止するには、今ここで、私が倒すしかない。


 敵の攻撃を回避しながら、私はそうして覚悟を決めた。


「おらおら、どうしたぁ! 逃げてばっかかぁ!?」


 言われたからではないが、私は巨人のその言葉の直後に反撃に出る。

 敵が斧を水平になぎ払ってきて、それを上体を逸らして回避すると同時に、刀で相手の指を切り裂いたのだ。


 刃は完全に敵の指を捉えた。普通なら、持ってる武器ごと指を両断してもおかしくない攻撃だったが――。


「かゆいんだよっ!」


 巨人はまったく意に介さず反撃をしてくる。

 際どかったので、地面に転がる形でギリギリ回避した。すぐ体勢を立て直して巨人を見ると、その指はやはりついたままだった。

 斬った場所から血は出ているが、傷は浅い。一ミリ程度といったところか。やつの指は小指でもフランクフルト並みの太さだから、両断するには程遠いだろう。


 手応えはけっこうあった。なのに骨にすら達していないとなると、やつは皮膚そのものが固いらしい。

 考えてみれば、最初の肩への投擲も刺さり方が浅かったように思える。鎧らしい鎧を着ていないのも、防具が必要ないほどに元の体が頑丈だからだろう。


(なら、同じ箇所を何度も攻撃すりゃいい)


 私は戦闘の方針を固めた。

 これからはとにかく、相手の指を斬りまくる。


 たとえ一回の攻撃で一ミリの深さの傷しかつけられなくても、それを三十回繰り返せば三センチだ。

 そうしてちまちま削っていけば、時間はかかってもいつかは殺せる。根気のある私にぴったりの戦術だと言えよう。


 ――が、その企みは実行に移す間もなく頓挫した。敵も同じタイミングで戦い方を変えたからだ。


「う~む。面白いんだが、いまいちパッとしねぇなぁ。本気だしてんのか? お前」


 巨人は斧を下ろし、首を傾げる。


「いや、アタイがお前の力を引き出せてないのか。んじゃ、そろそろ様子見はやめて、まともに戦うとしよう」


 そして、適度に力を抜いた姿勢のまま、ゆらりと斧を構えなおした。


 ……動かない。

 これまでがむしゃらに攻撃を繰り返していたのが嘘のように、巨人は湖面のごとく静かに佇んでいる。


 相手もカウンター狙いの待ちの姿勢に入ったのだろうか? だとしたら、むしろ好都合だ。待てば忍の援軍が来るから、彼女たちに遠隔攻撃をさせればいい。


 だが、今度も私の目論みは外れる。

 時間稼ぎのために守備寄りの姿勢となったところに、突如、巨人が斧を振りかぶってきたのだ。


 しばらくにらみ合いが続くと思っていたから、ほんのわずかに反応が遅れた。とはいえ、体重は後ろにかかっているから、射程外に問題なく逃げられる。


 しかし、避けられるはずの斧の軌道が、直前で変わった。

 敵は斬りつけると見せかけ、巧みなタイミングで斧を投擲してきたのである。


(――あっ、やべぇ)


 間延びした意識の中、私は死を覚悟した。もう、どう足掻いても、飛んできた斧は避けられない。

 敵が水平に振った斧は、その勢いを維持したまま手を離れ、私の胸の当たりに向かってきている。距離はすでに三十センチもなく、半秒もせずに私を切り裂くだろう。


 ほぼ反射的に、左腕を曲げて斧と体の間に入れる。こうして盾にすれば、数パーセントは生存率が上がるだろう。無論、左腕は真っ二つになるだろうが。


 ……そういや、LAWSと戦ったときにも、同じように刃を腕で受け止めたっけ。

 あの時は左腕を犠牲にして、胴体への直撃は避けられたが……今回は無理そうだ。もはや回避も防御も不可能であり、巨人の斧は百パーセント私の胸に直撃する。


 なぜかさほど絶望しないまま、私は敵の攻撃を受けた。そして勢いよく吹っ飛ばされ、十メートル近く地面を転がる。


 体を起こし、驚く。

 死ぬどころか、ほぼ無傷だった。斧の刃が当たった腕は、両断されているどころか、切り傷さえついていない。衝撃で少し痺れているだけだ。


「ほ~お。頑丈だなぁ、お前! こりゃ、骨や皮は食えそうにねぇな!」


 ダメージを負っていない私を見て、巨人はなぜか満面の笑みを浮かべている。ともあれ追撃はこないようなので、私は一旦負傷の具合を確認した。

 斬られた箇所を、恐る恐るさする。が、本当に血の一滴も出ていない。


 ……どれだけ耐久力高いんだ、今の私の体は。

 見た目は以前のままだから自覚しづらいが、やはり人外とか超人とか化け物の領域に片足を突っ込んでいる。いや、あるいは全身どっぷりかもしれないが。


 と、自分の異常さを飲み込んだところで、ひとつ気づいた。巨人は今、斧を持っていない。さっき私に投げたから、地面に転がったままになっている。

 ――攻撃するなら、今がチャンスだ。


 私は地面を蹴って駆け出した。そして一気に距離を詰め、敵の腹目掛けて右手の刀を突き出す。


「おっとぉ!」


 その刺突攻撃を、巨人は素手で払って防いだ。刃の腹の部分を叩いたようで、手の平には傷ひとつついていない。なら――。


 私は力任せに、そして乱暴に刀を振り回した。

 巨人が最初にやってきた攻撃と同じように、がむしゃらな連続斬りを繰り出したのである。見切れるもんなら見切ってみろ、という意地を込めて。


 この私の猛攻を、巨人は左手を手刀の形で振るい、巧みに弾いていった。すべての動きは的確かつ流麗で、とてもじゃないが身体能力頼みの脳筋にできる技じゃない。どう考えても私の攻撃は完全に見切られているし、巨人には私以上の武術の心得がある。

 ……どうやら、身体能力頼みの脳筋は、私のほうだったようだ。


 だが、最終的に勝つのは私だろう。


 全力攻撃を繰り出す度に、少しずつだが威力が上がってきている。

 私がこの体の扱いに慣れてきたのか、体のエンジンがかかるのが遅いのかは不明だが、ともかく筋肉の出力が徐々に上昇しているようなのだ。


 巨人も捌くのが難しくなってきたらしく、刀を弾く左手にも傷が増えてきた。このまま攻撃を続ければ、いずれは敵に限界がきて指や腕を切断できるはず。こいつのことだから、そう上手くはいかないだろうが、ともかく勝てる望みは十分すぎるほどにある。


 ……なんというか、一から十まで自分の優れたポテンシャル頼みの戦い方で、すっきりしない展開だ。努力してる相手を、努力してない自分が才能だけでねじ伏せるみたいで、正直気分が良くない。

 なにをやっても天才の明美に、凡人のままで立ち向かうことに矜持を感じていた身としては、自分のアイデンティティを失った気分ですらある。


 とはいえ……致し方ない。娘たちを守ることが第一だから、勝ち方になどこだわっていられない。

 そもそも納得できる勝ち方なんて思いつかないし、できることを全力でやるしかないのだ。


 私はもやもやする気分を飲み込み、渾身の一撃を繰り出すべく刀を大きく構えた。

 今の私が体をフルに使って斬撃を叩き込めば、すでに傷だらけとなっている巨人の手を骨ごと両断できるはず。


 ――だが。

 そうして踏み込もうとした直前、敵はいきなり待ったをかけてきた。


「ストップ。ちょっとお前に言いたいことがある」


 攻撃をやめる必要などなかったが、私は慌ててブレーキをかける。殺し合いをしている状況で巨人が何を言いたいのか、非常に気になったからだ。


 とりあえず、数歩下がって距離を取り、相手に倣って戦闘態勢を解除した。

 すると、巨人は意外な質問をしてくる。


「これはアタイの推測なんだが、お前、刀で戦うのは素人だろ。どうよ、合ってるか?」


「……まあ、そうだが……」


 刀で戦うのはこの戦場が初めてで、剣道などの経験もない。

 軍用ナイフの使い方なら熟知してるから、まったくの素人というのは少し違うかもしれないが。


「やっぱな! ってことは、お前の剣さばきがヘタクソなのは、加減してるんじゃなくて素だったわけだ。おかしいと思ったぜ。刃がついてる普通の刀を、棒みたいにぶん回してぶっ叩いてくるんだからな!」


「……だからなんだ? そんなことを確認して、なんの意味がある?」


 相手の意図がさっぱりわからず、私は首を傾げた。すると、巨人はジェスチャー交じりの講義を始め出す。


「まあ、聞け。いいか? 刀ってのは力任せじゃ切れ味を発揮できねぇんだ。こんなふうに、当てた瞬間に引くんだよ。包丁で肉とか野菜切るときと、同じ感じに。お前、包丁は使ったことあるか?」


「あ……あんまりないが……」


 子育てしてるときも、料理はほとんど母さんや婆ちゃんに任せていた。必要なときはインスタント系で済ませてたし。


「おいおい、自分で食うもんくらい、自分で作れや! 自炊しろ、自炊! そのほうがメシは美味いぞ!」


 偉そうにそんなこと言うってことは、こいつは自炊してるのか。三メートルある巨人が台所で包丁トントンしてる場面が、想像できないんだが……。


「とにかく、当てた瞬間に横にずらす! それが刀で効率的なダメージを与える基本だ。角度や刃を引くタイミングが重要だから、慣れないうちは両手で扱ったほうがいいな。駆け引きだってしやすくなる。こう、柄を握る上の手を基点に、下の手は添えるだけにして、テコの原理で扱えばいい。ほれ、ちょっと試してみろ」


「……ふむ」


 どういう意図で敵の私にそんなレッスンをするのか、まったくもってわからない。

 だが、巨人の言葉にはなんの敵意も悪意も感じないし、こちらにデメリットのある話でもない。とりあえず、私は素直に従うことにした。


 そんなわけで刀を両手で構え、軽く素振りをしてみる。学校やテレビで見た剣道の動きを真似たら、意外とそれっぽい動きができた。


「おー、できてるじゃねぇか。そんな感じだよ。そうやって両手で持てば、刃の軌道をコントロールしやすいだろ?」


 たしかに、刀の切っ先がすいすい動かせる。さっき教えられたテコの原理を意識したら、さらに機敏に操れた。


「うん、やっぱお前、センスあるぜ。あとはもう何度か試し切りをすりゃあ、すぐに実戦で活かせるようになるだろ」


 すると、巨人はどすんどすんと歩き出し、落ちている斧へと向かった。

 戦いの最中だったら迷わず阻止したのだろうが……色々教えられた手前、私は黙ってそれを見過ごした。相手に和解や降参の意思があるのかも、と期待したのもある。


 が、やはり違った。巨人は斧を拾うと、私に向かって戦いの構えを取る。


「さあ! 最後の一勝負といこうぜ!」


「……その前に教えてくれ。なんで私に戦い方の講義をした? お前にどういう得がある?」


 そう尋ねると、巨人はフッと笑った。


「どうせなら、とことん強くなってほしいって思っただけさ。アタイを殺す相手にな」


「殺す相手? 負けるつもりなのか?」


「いやいや、できることなら当然勝ちてぇよ。だがお前の身体能力を見る限り、アタイの勝ち目はだいぶ薄い。なら、死にゆく者として、なにかを残すべきと思ったのさ」


「…………納得できなくもないが、それだとお前、私を食えないだろ。お前が最優先するのは、私を食うことじゃなかったのか」


 巨人は若干力を抜くと、思案するように宙を眺めた。


「そうなんだよなぁ。アタイも正直、自分の心境の変化に驚いてる。最初はお前を食えりゃ、手段は選ばないつもりだった。けど……気づけば、お前とやり合うのが無性に楽しくなってた。食ってないのに、腹が満たされる気分になったんだ」


 私は息を呑んだ。死に際の明美も、同じことを言っていたからだ。


「ま、だから永遠に戦っていたい気持ちもあるんだが……そういうわけにもいかねぇ。決着はつけねぇとな!」


 そうして、巨人は再び腰を落として戦闘態勢に入った。


「ま、待て! 戦わないとダメなのか? こうやって話せるんだから、私たちは仲良くなれるんじゃないか?」


「おっと、そいつはナンセンスだぜ。私はアケミ族、そしてお前はレイ族だ。両者は殺し合う運命で、よって戦いも不可避! どっちかが死ぬしかねぇのさ!」


 私はさらに粘って懇願しようとするが、巨人はそれを許さなかった。


「そんじゃあ、いくぜぇっ!」


 問答無用で飛び出し、巨人はギラギラとした目で私に襲い掛かってくる。

 凄まじい勢いで、速度はさっきより数段速い。刺さるような殺意も感じるし、もう、こちらも反撃で応じるしかないだろう。


 即座に覚悟を決め、私は両手で刀を構えた。そして――。


 これまでで最も鋭い斧の一撃をぎりぎりで避け、同時に相手の懐に飛び込み、すれ違うようにして刀の一閃をお見舞いした。


 教えられたとおり、刃の接地面をずらすことを意識した。これまでと桁違いの斬撃を繰り出せたのは、間違いなくそのためだろう。

 私の刀は、巨人の脇の下から心臓にいたるまでの肉を、一刀両断に切り裂いてみせたのである。


 ずしん……と、巨人は地響きを立ててうつ伏せに倒れた。

 背骨すらも断ち切ったから、もはや首から下は一切動かせないだろう。刃は心臓にも達したっぽいから、ほどなく命も尽きるはず。


 私は倒した敵を看取るべく、顔の方へと回った。まだ意識はあるようで、彼女はこちらを見ると口端を歪めて笑った。


「ヘ、ヘヘ……。やっぱりすげぇぜ、お前……。もうちょい、やれると思ったんだがな……」


 相手の顔の前にしゃがみこみ、私は尋ねる。


「死ぬ前に教えろ。お前の名前は?」


「…………アネモネ。けっこう有名人のはずなんだがなぁ。で、お前は?」


「玲だ。レイ族には始祖とか呼ばれてる」


 アネモネなる巨人は、にわかに目を見開いた。


「……マジかよ。有名どころか、神話の存在……じゃねぇか。ハハ……、そんなやつと、戦えるなんて……アタイは、つ、ついてるぜ……」


 息が絶え絶えになってきた。目も焦点が合ってないし、もって数十秒だろう。


 そして、ふと気づいた。左頬が少し痛い。

 手で触ると、血がついていた。どうやら、アネモネの最後の一撃が顔にかすっていたらしい。


 私は思い立ち、血液で濡れている指をアネモネの口に突っ込む。そして、でかい舌に擦り付けてやった。

 彼女は驚愕の表情を浮かべ、口の中をもにゅもにゅと動かす。


「こ、こいつは……」


「お前の戦果だ、アネモネ。じっくり味わえ」


「うめぇ……そうか、お前の血か。こんな……こんな美味いモンが、この、世に……ある……なん…………」


 アネモネの息が止まるのと、目から大粒の涙が流れたのは、ほぼ同時だった。


 私はしばらく彼女をじっと見つめる。

 そして、半開きになっているまぶたに指を沿え、そっと閉じてやった。


 恐るべき敵だったアケミ族の巨人は、そうして息絶えた。安らかな死に顔と、暖かな涙を残して。


 明美を思い出し、私もぐっとこみ上げてくるものがあったが、どうにか堪える。

 こいつがレイ族の敵である事実は変わらないし、『今度は死ぬ前に食わせてやれた』という妙な満足感もあったからだ。


「はぁー…………」


 でかい溜め息を吐いた。なんとも言えない複雑な気分だ。

 少年マンガに出てきそうな濃いキャラだったこともあり、どうにも彼女との出会いや体験をうまく飲み込めない。


 このアネモネという人間を出会った直後に殺したのは、果たして良かったのだろうか? それとも悪かったのだろうか?


 殺さなかった場合は友達になれたかもしれないが、レイ族的にはよろしくないだろうし、その先にはさらなる悲劇が待っていた可能性もある。

 確かなのは、短時間で私の心をここまで揺さぶったのは、こいつが始めてだったという事実だ。


 ……覚えておこう。

 アネモネ。花の名前の巨人。


 気持ちに区切りをつけ、立ち上がる。

 怪我の具合を確認すべく左頬に触れたが、痛みはまったくない。血は完全に止まっているし、肌の切れ目さえもまったくなかった。

 ……今の私の体は、頑丈なだけじゃなく治癒力もとんでもないらしい。


 釈然としない気持ちを再び飲み込み、私は湖のそばに待機している一団に目を向けた。あとは連中をどうにかすれば、この場での戦いは終わる。


 右頬に入れ墨を入れている、鎧を着た二、三十人ほどの集団。

 戦場にいたゾンビのようなアケミ族とは違い、挙動や表情は普通の人間とまったく変わらない。両者はともに明美の顔をしているが……本当に同じアケミ族なのだろうか?

 アネモネがそうだったように、どうもアケミ族は奇妙だ。レイ族と違い、一様性に欠けている。

 ――ま、本人たちに聞けばわかることか。


 残ったアケミ族の方へ一歩踏み出すと、彼女らは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 これまでずっと私たちの戦いを見てきた鎧の一団だが、アネモネの仇を取ろうという気概は微塵もないらしい。


「お、おい、待てっ! 勝手に逃げるんじゃないっ!」


 指揮官らしきアケミ族が叫ぶが、部下たちの遁走は止まらない。留まっていた者も次々と走り出し、ついには逃げるなと命じた指揮官すらも逃げ出した。

 おそらくすべて雑兵だから、ここで彼女らを殺す必要性は薄いだろう。精神的に疲れていたのもあり、私は大多数を見逃すことにした。

 とはいえ、さすがに全員とはいかない。情報を得るために、一人は捕らえておかねば。


 そんなわけで即座に走り出し、私は指揮官らしき女の前にあっという間に回り込んだ。


「はい、ストップ」


「ひっ、ひええぇぇっ!」


 豪華な鎧を着たアケミ族は、情けない悲鳴を上げてすっ転んだ。落とした槍を急いで拾おうとするが、私はそれを踏んづけて阻止する。


「抵抗するな。それとも、手足の骨をバキバキに折ってやろうか?」


「わわわ、わかりました。て、抵抗しません。だから助けて!」


 そいつは地面に両膝をつき、両手を上げ、降参のポーズを取った。体はガクガクと振るえ、顔は恐怖で引きつっている。


「フ……フフ。ハハハ」


 なんか、おかしくて笑っちゃった。

 明美がまさか、こんな小物らしい挙動を取るとは。いや、明美じゃなく、そのそっくりさんというのは理解してるが……ともかく笑える。


 ――が、すぐに思いなおして笑うのをやめた。

 怯えている人間を嘲笑しているようで、客観的に見て胸くそが悪くなったからだ。


「……すまん、お前を笑ったわけじゃなかった」


「い、いえ、命を助けていただけるなら、別にどんなに笑われたって――」


 そのアケミ族はようやく私を直視したのだが、なにかに気づいたかのように表情を硬直させた。

 首を傾げて様子を見ていると、そいつは口の端から涎を垂らし始めた。

 ……ああ、やっぱりそういうことね。


「お前も私を食べたいのか」


「は……い、いえ……」


 やはりアケミ族にも、元来の人間にはない特殊な性質があるようだ。アネモネが見せた妙な一面を、アケミ族すべてが持っていてもおかしくはないかもしれない。

 ま、こいつを捕虜として連れ帰れば、色々とはっきりするだろう。アケミ族の本能のことはもちろん、ゾンビや巨人といった変り種が存在する理由も。


 口元を慌てて拭っているアケミ族に、私はやんわりと言った。


「とりあえず安心しろ。レイ族の長として、お前を殺さないと約束する」


「わ、わかり……って、長? あなたがレイ族の?」


「悪いが、そちらからの質問は当分受け付けない。わかったのなら、鎧を脱げ」


 「は、はい」と焦って返事し、そいつは立派な具足を外し始める。


 後ろから激しい足音がしたので振り向くと、忍たちがこちらへ駆け寄ってきていた。だいぶ時間がかかったようだが、ようやく森を抜けて追いついてくれたらしい。

 私はそちらに振り向き、部下たちへ手を振る。


 このアケミ族を忍に預けたら、すぐに森を出て、さっきの戦場に戻らねば。

 戦況がどうなっているのか不明だが、戦いが続いている可能性は十分ある。一人でも多くのレイ族を救うためにも、私はまだまだアケミ族と戦わなければならないのだ。


 と、アネモネが切り開いたっぽい森の割れ目から、干草も飛び出てきた。レイランを安全な場所に運び、そして私の元に戻ってきたのだろう。

 良かった、あいつがいれば森の外にすぐ出られる。


 休息を欲している心身に鞭打ち、私は捕虜を担いで忍たちの方へと走り出した。

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