??歳・35
橋の根元には、レイ族の拠点たる砦があった。
そこの兵たちは突如現れた私たちに戸惑ったが、『帝の特命によりレイランに会いに来た』という嘘の口実を告げると、彼女の居場所を教えてくれた。
しかし、それを聞いて逆に私たちは戸惑う。なんでも、かなり状況が切迫しているようで、レイランは前線に出て自ら陣頭指揮を取っているらしい。
「ま、まずいです、始祖様。姉は戦いは得意じゃないんです。命を落とすかも」
ティレは早口で言った。珍しく狼狽しているようだ。
「よし、私たちも戦場に向かう! レイランをなんとしても連れ戻すぞ!」
そうして再度馬を走らせ、砦を抜けて正面の戦場を目指す。
――正直、私もかなり焦っていた。
レイランに死なれたら困るのはもちろん、戦によってレイ族が現在進行形で殺されているという事実に、かなり動揺していたからだ。
できれば娘たちを全員救いたい。
しかし……残念ながら、戦局を大きく動かすほどの力は私にはない。とりあえずは、レイランの救出に専念するほかないだろう。
ゆえに、私は先を急いだ。急ぐべきだと思った。
「先行する! 後からついてきてくれ!」
「し、始祖様!?」
戸惑う忍たちをよそに、私は愛馬に命じる。
「いけ、干草! 飛ばせ!」
指示を理解し、馬が一気にスピードを上げる。
思ったとおり、他の馬よりも最高速度が段違いに速い。みるみるうちに後続を突き放し、私と干草は赤い草原を突風のように駆けていく。
数分走り続けると、正面に燃え盛るように真っ赤な森が現れた。
迂回するか突っ切るか考えていたが、瞬間、私はハッとする。森の中に人影を捉えたからだ。それも、一方が一方を武器で攻撃しているような動きさえ見られた。
レイランがいるのはさらに先のはずだが、私は我慢できずに人影の方へ向かった。あそこで今、レイ族かアケミ族が死に掛けている。
速度を緩め、干草を森に突っ込ませた。
頭上を覆う葉も、足元の草や落ち葉も、鮮やかな真紅に染まっている。一方、木々が密集して生えているためか、視界の大部分は影の中だ。赤と黒の明暗差が激しく、目がちかちかしてしまう。
さっき人影を見た場所を正面に捉えているが、パッと見、誰もいない。相打ちにでもなって、二人して倒れているのだろうか?
影で薄暗いうえに、茂みや木が多くて見通しが悪く、どうにも周囲を把握しづらい。
馬の速度をさらに落とし、入念に周囲を探る。
すると、近くの茂みの向こうに気配を感じた。妙な音が聞こえるので、ともあれそちらに干草を向かわせる。
思わず、馬の足を止めた。
濃い影の中に、二人の人間がいた。一人は仰向けのまま倒れて動かず、その腹のあたりにもう一人が顔を埋めている。
ぴちゃぴちゃ、くっちゃくっちゃと、まるで肉を行儀悪く咀嚼するような音が響いている。
――――いや、『ような』ではない。暗闇に慣れた目が、それを捉える。
人間が、倒れている人間の内臓を、食らっていた。
食われているほうは明らかに死んでおり、私とまったく同じ顔をしている。つまり、腹をぶちまけて死んでいるのがレイ族だ。
となると、食っているのは――。
私は干草から飛び降りた。着地の勢いで落ち葉がガサリと鳴り、その音に気づいたのか、ようやくそいつが顔を上げる。
そしてスッと立ち上がり、上半身が影から抜け出した。
そこにあったのは、紛うことなく明美の顔だった。口周りを、紅葉よりも毒々しい赤色――血で染めている。
髪型はポニーテールだ。ゴミ袋を逆さまに被るような形で荒い布を着ており、体つきはやや細い。そして無表情というか、ぼんやりとした表情で私を見つめていた。
私は思わず仮面を上げた。そして状況を忘れ、ついその名を呼んでしまう。
「…………明美?」
呼びかけに反応したのか、そいつはピクリと唇を振るわせた。そして。
「レイちゃん……?」
声も、アクセントも、雰囲気も、なにもかもが明美そのままだった。
というか、私をそう呼ぶ以上、ヤツは――。
「あ、明美っ。明美なのかっ?」
「レイちゃん」
私が一歩近づくと、明美らしき人物も歩み寄ってきた。そして何かに気づいたのか、目を見開き、口をあんぐりと開ける。
「……レイちゃん。レイちゃん!」
「明美!」
さらに近づき、体を抱き止めようと手を広げる。
――が、相手にそのつもりはなかった。そいつは口を恐ろしいほどに開け、私の顔面に喰らいつこうとしてきたのだ。
驚いて硬直した直後、その明美似の女の額にクナイが突き刺さった。
私に軽くぶつかり、そいつはどさりと地面に倒れる。同時に後方からどたどたと響く、馬のけたたましい足音。
「始祖様っ! ご無事ですかっ!」
追いついたティレが攻撃したのだと、頭の端で理解はした。が、私の視線は倒れた女に釘付けとなっている。
「……どうなされたのです? そのアケミ族がなにか?」
ティレがそう言ったということは、やはりこの女がアケミ族なのだろう。
私は思わずしゃがみこみ、うつ伏せになっている体をひっくり返す。
死んでいる。明美そっくりのアケミ族は、額に刃物が深々と刺さったまま、虚ろな目を天に向けていた。
衝撃が脳天を貫き、とある記憶が瞬時に呼び起こされる。
――宇宙空間にて、ヘルメットを外した明美のこめかみに銃口を突きつけ、そして引き金を引いた、あの瞬間。
達成感、悲しみ、罪悪感、愛おしさ、自己嫌悪、そして、自分への殺意。
溢れ出る様々な感情に突き動かされ、私はその後、考える間もなく自分自身も殺した。
これまでその瞬間をまったく思い出さなかったのは、蘇生の反動で死ぬ直前の記憶が消えていたせいだろうか? あるいは、明美を殺した事実を直視できず、深層意識が思い出すことを拒んでいたのだろうか?
だが、ともあれ今、当時の記憶は蘇った。そのときの続きとばかりに、感情の濁流が私を襲う。
喉奥が振るえ、唇がわななき、涙が溢れ出し、私は死体となったアケミ族の前に跪いて、声を押し殺して泣いた。
ただただ、アイツを殺したことが悲しかった。
しばし泣き続け、落ち着くまで三十秒ほどかかった。
涙と鼻水でグチャグチャになった顔を服で適当に拭い、ようやく立ち上がる。
「……みっともないところを見せた。すまん」
私は周囲でずっと待っていたティレや忍たちに謝った。
まったく、急がなきゃいけない状況なのに、こともあろうに泣いて動けなくなるとは。情けないにもほどがある。
「……いえ、お気になさらず。始祖様には、僕らの想像が及ばない事情がおありのようですから」
さすがのティレも気まずそうだ。上司的な人間がいきなり泣きだしたら、そりゃあ部下としては戸惑うだろう。
周りには敵も味方もいないようだし、すぐに再出発すべき状況ではある。
だが、その前にどうしても、アケミ族について幾つかはっきりさせておきたいことがあった。
私は立ち上がり、足元の死体を見下ろす。彼女の力なく開け放たれた口の周りは、黒々とした血で染まっていた。
「……なあ、アケミ族ってのはレイ族を食うのか?」
「食べます。普段の食べ物は僕らと変わらないらしいですが、なぜか連中はレイ族を食うんです。それも血を啜り、肉を生のままでむさぼって」
……マジかよ。
明美の遺伝子から生まれた種族だから、ヤツの異常嗜好を種族単位で引き継いだってことか? あいつが私を食って喜んでいたように、アケミ族にはレイ族を食らって喜びを感じるメカニズムが備わっていると?
私は唖然としつつ、しかし一方で納得した。
――こんな事情があるなら、二つの一族が相容れないのは当然だ。自分たちを食ってくる異人種など、レイ族からすれば化け物にしか見えないに決まっている。むしろ、わずかとはいえ交流があったことが驚きだ。
気を取り直し、私はさらに別の質問をした。
「あと、こいつ私のことを『レイちゃん』って呼んでたんだが、それはいったい……」
「『レイちゃん』とは、アケミ族が私たちを食べ物として呼びかけるときに使う、一種の俗語です。なので、始祖様ご本人の名を呼んだわけではないと思います」
「…………俗語」
ってことは、なにか? 「美味しそー!」みたいなノリで「レイちゃん!」って言ってたのか? あいつは。
私は脱力した。そもそもレイちゃんと呼ばれたから、私は相手が明美本人だと一瞬勘違いしてしまったのだ。
……それが、まさか食べ物への呼びかけだったとは。どういうニュアンスの言葉なのかいまいち不明だが、紛らわしいにもほどがある。
大きく溜め息を吐いて気持ちを切り替え、干草の背中に飛び乗った。差し当たりのもやもやは解消されたのだから、早くレイランのところに行かなければ。
「時間を取らせた。行こう」
「始祖様、その前にひとつだけいいですか?」
馬を進ませようとしたら、ティレが尋ねてきた。一旦手綱を引き、彼女へ視線を向ける。
「一応聞いておきますが……この先でアケミ族と出会ったら、殺しても構いませんか?」
おそらく、ティレはさっきの私の反応を見て、こんな質問をしたのだろう。
二、三秒ほど考え、私は答えた。
「ああ、殺していい。レイ族の命のほうが大事だからな」
さっきのアケミ族の挙動から考えれば、説得や話し合いが通じないことは想像に難くない。できたとしても、優先すべきは私の娘であるレイ族だ。
アケミ族に一切の情がないと言えば、嘘になる。だが、今のところはゾンビみたいにしか思えないし、状況的にも考慮する余裕などない。
だから、どちらか片方を選ばなければならないのなら、迷わずレイ族を取るべきだろう。
断言口調の答えが返ってきて、ティレは少し安心したらしい。ホッと軽く息を吐くと、すぐに表情を引き締める。
「承知しました。では、そのように」
他に問題もないようなので、私たちは再び出発した。
馬を走らせて森を抜けつつ、私は覚悟を決める。
(――さっきと同じようなことになったら、今度は自分でアケミ族を殺そう)
正直、もう明美を殺したくはない。だが、そうしなければ私の娘たちが食い殺されるかもしれない。
なら、自分の罪悪感を無視してでも、殺すしかないじゃないか。
……いや、違う。あいつらはアケミ族であって、明美じゃないのだ。顔がそっくりなだけなんだから、そもそも罪悪感を感じる必要だってない。
よし、大丈夫だ。
次にあったら、ためらいなく殺す。アケミ族を、ぶっ殺す。
…………無論、必要がなければ殺したくはないが。
どうにも煮え切らない殺意を抱え、私は干草とともに赤い草原を突っ走った。




