??歳・31
帝の寝室は先日宴会をしていた広間の奥にあった。学校の教室ほどの広さの部屋で、ベッドの他に本棚や机も置いてある。どうやら書斎も兼ねているようだ。
意外に質素な内装に驚きつつ、私はそうした帝の私室にどかどかと足を踏み入れた。早歩き、かつ忍たち全員を引き連れてきたので、それなりの物音が響く。
ベッドの上で熟睡していたレイカンだったが、さすがに飛び起きた。二重顎の脂肪を震わせ、彼女は顔面蒼白となって周囲を見渡す。
「どっ……どういうことだ、これは」
「暗殺命令を出しといて、自分はすやすやとは。神経図太いな、お前」
私がそう言うと、レイカンはこちらを凝視してきた。今は服を着て、ついでに巫女の仮面も被っているため、彼女が私を見て取り乱すことはない。
「バカな……なぜ生きている。いや、それよりどうやってここまで来た? 皇城はもちろん、山頂も、それに至る道も、警備を固めておいたはず」
「山の真下にある隠し通路を使わせてもらった。おかげで、寒かったり暑かったり大変だったが」
「……隠し通路だと? となると、カイレのわけはないから――貴様か、ティレ。貴様が朕を裏切ったのか」
私は思わず真横にいるティレを見た。なんでレイカンはすぐに裏切り者を特定できたのだろう。
「前々から反抗的ではあったが……まさか、実の母を敵に売るとはな。貴様も前線送りにしておくべきだった」
「じ、実の母?」
私の疑問の声に、ティレは一切表情を変えずに答えた。
「はい。私はあの人の三女です」
「……なんで言わなかったの」
「その必要がありませんでしたので」
……考えてみれば、帝が非常時に使うという隠し通路を、普通の忍が知っているのはおかしい。帝の娘だからこそ、ティレはあの地下通路や扉のパスワードを熟知していたのだ。
そして二人の顔を見比べて、気づいた。ティレの左頬の入れ墨は、レイカンのそれに近い。
レイカンに刻まれている入れ墨は雪の結晶を模しており、それは六つの細長い枝状の棒で構成されている。その下の部分の模様が、ティレの顔にある入れ墨そのものだったのだ。
しかし、帝が親である事実を「必要がない」とかいう理由で黙っていたとは……。
どうやらティレは親以上に図太いらしい。
私は軽く溜め息を吐いた。
まったく、親子そろって私を振り回してくれる。いや、彼女らからすれば、私のほうが周囲を振り回しているのだろうが。
なんであれ、親子の確執は一旦脇に置いてもらうとしよう。でなきゃ、話が進まない。
私は再びレイカンを見据え、言い放った。
「お前が見るべきは、娘じゃなくて私だ。今後の話をしようじゃないか、レイカン」
「今後の話だと?」
レイカンはこちらに視線を戻すと、憎々しげな表情を浮かべた。
「ハッ! 今後もクソもない。貴様がレイ族を治めるようになった時点で、すべて終わりだ。我らの社会は跡形もなく崩壊し、いずれはアケミ族に食い尽くされるだろう」
「……それはどういう意味だ。私の政治手腕に期待できないってことか? あるいは別の……」
「そのまんまの意味だとも。奴隷と出会い、レイ族をすべて幸せにするとかほざいていたそうだな? それを聞いたとき、朕がどれだけ失望したか……貴様にはわかるまい。たとえ始祖だろうが、そんな子供じみた思想を持つ者に、一族の舵取りができるわけないのだからな」
「ふむ。つまり、私には政治の現実が見えてないと」
「そうだ。世の中には様々な人間がおり、生まれや能力は一様ではない。価値観だって違う。それらすべてを幸せにするなど、原理的に無理なのだ。そんなものを実現しようとすれば、むしろ社会の歪みや不平等は増大し、不幸な人間のほうが多くなるだろう。他でもない、歴史がそれを証明している」
「ということは、それを試みた帝がいたってことか」
私がそう言うと、レイカンはさらに顔を険しくする。
「……ああ、そうだとも。朕の母がそうだった。貴族から財産を没収し、奴隷制度を廃止し、世に平等もたらすために、あらゆる政治権力を行使したのだ。――それによって、レイ族がどうなったかわかるか?」
「…………反乱が頻発したとか?」
「わかってるではないか。そう、稚拙な政治によって地方の領主どもがそろって反乱を起こし、各地で争いが起こった。結果、大勢のレイ族たちが殺し合い、その隙をアケミ族に突かれて領土を奪われ、さらには重い疫病が重なり、全人口の十分の一が失われてしまった」
当時のことを思い出したのか、レイカンは大きくため息を吐いた。そして改めて私を睨みつけ、続ける。
「……悲劇を通り越して、喜劇ですらあるだろう? ゆえに、朕は母の二の徹を踏まぬことを誓い、社会の安定を統治方針の第一に置いた。富と権力を一箇所に固め、身分の差を確たるものとし、容易には揺らがぬ権力構造を作り上げたのだ」
「……庶民や貧民は、お前の母に味方しなかったのか? その政策の恩恵を受ける人々は」
「……母の最期を教えてやろうか? 首を吊っての自殺よ。領主たちの反乱によって世は荒れ、結局は母が救おうとしていた下層民さえも帝に牙をむいた。その裏切りに耐え切れず、あの人は自ら命を絶ってしまわれたのだ。――そして、いずれは貴様も同じ行く末をたどるだろう。自殺するほどに繊細な感性は持ち合わせておらぬようだがな」
……知らないふりをしたが、実は今聞いた事実はほとんど知っていた。つい数時間前、シャン先生に入念に教えてもらったことだからだ。
レイカンの政治理念についても、事前におおよそを把握している。
ゆえに彼女を単に排除するのではなく、その知識や経験を私の元で役立てたいと考えていたのだ。
……だが、思っていた以上にレイカンは母のやり方を嫌悪していた。これでは、現状だとどんなに言葉を尽くしても、彼女を説得することは無理だろう。
レイカンの協力を促すためには、まずは私自身が実績を積む必要がある。
そうして母君と違うということを行動や結果によって証明しなければ、この意地っ張りは絶対に私を認めない。
そうした事柄を考慮し、私はレイカンの扱いを一旦保留することに決めた。
「レイカン、これからお前を牢屋に軟禁する。けど外の情報は得られるようにするから、そこから私の統治を見ていろ。私が母君と同じかどうか、お前自身が見極めるといい」
フン、とレイカンは鼻で笑った。結果はわかりきっている、とでも言わんばかりの態度だ。
私は後ろを振り向き、忍の頭領――カイレへと声をかける。
「すまん、カイレ。こういう展開になってしまったが、お前はどうする?」
「僕は……」
中年の女はしばし考え込み、やがて言った。
「帝と……いや、姉と一緒の牢に入ります。無論、始祖様に許していただけたらの話ですが」
まあ、名前や顔の入れ墨、帝へのこだわりからして、ティレと同様に帝の近親者だとは思っていた。
「わかった、いいよ」
私が許可を出すと、カイレは「ありがとうございます」と言って頭を下げた。
それを見て、レイカンはさっき以上に皮肉っぽく笑う。
「ハンッ、あっさり尻尾を振りおって。それでも貴様、忍の長か。戦いを挑む気概すらないとは」
「……挑みましたよ。結果、僕は手も足も出ずに敗北しました。おそらく、この場にいる忍全員が同時に襲い掛かったとしても、始祖様にはかすり傷ひとつ負わせられないでしょう。それほどの強さを持っておられます」
レイカンは口を開けて唖然とした。私が始祖オーラだけでここまで来たとでも思っていたのだろう。
「な……で、では暗殺隊も……」
「ティレ以外は全員返り討ちにあったとのことです。それも死人が出ないよう、手加減されたうえで」
あまり過大評価されても困るので、一応補足しておく。
「とはいえ、あくまでも人の領域を出ない強さだけどな。神の力とかは使えないし、暗殺隊を片付けるのも時間かかったし」
「…………」
「ああ、言うの忘れてた。そんなわけで、これから忍たちは私の手足になって働いてもらうぞ。彼女たちはお前の部下らしいから、一応断っておく」
「……好きにするがいい。朕はもうすでに、隠居気分だ。部下など、世話係が一人いれば事足りる」
レイカンは天井を仰ぎ、脱力して目をつぶった。
タイミングを見計らっていたのか、ティレが私の横にすっとつく。
「……始祖様。帝一族の人間を幽閉するための地下牢があるのですが、お二人はそこに投獄してよろしいですか?」
「……まともな牢屋だろうな、それ」
一族を幽閉するための地下牢って、その存在自体がすでにやばいんだが。
「『忍以外には誰一人近寄れない』という点以外は、ほとんど普通の部屋です。始祖様が忍を掌握できれば、逃げられる心配もないかと」
「わかった、じゃあレイカンとカイレをそこに入れてくれ」
ティレは頷くと、部屋の後ろに控える忍に声をかける。
「では、若鶏組の四斑と五班、二人を連行してください」
別に頭領代理とかに任命したわけでもないのに、ティレは当たり前のように他の忍に命令を下した。
まあ、帝の娘なわけだし、元から序列はナンバー2だったのかもしれない。
指示を受けた忍たちがレイカンとカイレを縄で軽く縛り、部屋の外へと連れ出す。が、その直前にレイカンが足を止め、私に話しかけてきた。
「……始祖よ、ひとつ聞きたいのだが、なぜ巫女の仮面をつけている。先日のように、その恐ろしいほどの美貌で朕を圧倒すれば良かったものを」
「顔を見せるのは、相手によっては失礼や侮辱に当たると気づいたからだ。昨日だかおとといだかに会ったときは、お前も私の顔に勝手に感動させられて、ムカついたんじゃないか?」
「………………」
レイカンは黙ったまま私をじっと睨み、そして忍を促して部屋の外へと出て行った。
主が去った室内には、私とティレ、そして二十数人の忍がいる。
忍たちのおかげで部屋のベッド周りはぎゅうぎゅうになっているのだが、全員みじろぎひとつせず、無言なので、とても静かだ。
……私は少し困った。きっと皆、私の指示を待っている。
けど、レイカンから権力を奪取することに成功したものの、次になにをするのかまったく決めてなかった。他のレイ族に始祖が復活した事実を発表? とかすればいいのだろうか。
そもそもリーダーとして集団を動かした経験がほぼゼロだから、命令の仕方がわからない。
「ええと……とにかく、隣の広間に移ろうか。いつまでもこんなトコにいるのも、あれだし」
適当に指示すると、ティレを含む忍たちはすぐさま反応し、小走りで部屋を出ていく。
それを見て、「あ、やっぱ指揮るの向いてないわ」と心の底から思った。
私は何にも縛られず自由にいたいのに、リーダーの立場だとそうはいかない。リーダーには命令を与える義務、つまり不自由があると、ようやく気づいたのだ。
(ダメだ。司令塔というか、部下を管理するのは他の人間に任せなければ。私じゃ到底できない)
なんとなくそれを理解していたからこそ、レイカンを補佐に置きたかったんだが……まあ、拒絶されたからには仕方がない。他を当たるしかないだろう。
まずは、私の右腕となって部下を動かしてくれる人を探す。それから始めるとしよう。
一人きりとなった静かな寝室にて、私は差し当たりの方針を決めた。




