??歳・28
忍たちを撃退し、かつティレを配下にしてから、およそ三十分後。
私とティレは分厚い防寒具を着込み、大府の東にある山林を小走りで駆けていた。
「山の方は人が住んでないんだな。全然手が入ってない」
「当然です。大府周辺の山は街道を除いて禁足地になってますから。住むのはおろか、立ち入ることさえ許されていないんです」
「ふーん」
資源の保護とか、人の出入りの管理とか、敵の侵入対策とか、理由は色々あるんだろう。
「見えてきました。あれです」
ティレが指差した先を見ると、山小屋のような無骨な木材建築が木々の向こうにあった。
到着すると同時に、ティレは扉の鍵を操作し始めた。見ると、ドアの取っ手の下に小さなボタンが幾つもついている。これは……まさか電子ロックか?
軽い電子音が響いてロックが解除され、ティレはすぐさまドアを開いて私を中へと入れた。
扉を閉めると同時に、ガチャリと鍵がかかる。どうやらオートロックらしい。
「ここは人が作った建物じゃないのか」
「そうです。目立たないよう、外側を木造の建物で覆ったってだけで」
小屋の内部は明るい。これまでの人外製設備と同じく、床や天井が淡く発光している。
そして入ってすぐ正面には、真下へと伸びる穴と梯子があった。
「この梯子を降ります。二、三十分ほどひたすら降りるので、少々覚悟してください」
穴の中を覗いてみると、確かに延々と梯子が続いており、底が見えない。梯子周りの壁も光っているから見通しはいいんだが、にもかかわらず、今の私の視力でも終点が捉えられないのだ。
二、三百メートル程度では収まらない深さのようだが……まあ、ともあれ降りるしかない。梯子の中は区切りというか、狭くなってるところが数メートル間隔であるから、万が一落下しても軽傷で済むだろうし。
「よし、行こう」
そしてティレに先に向かわせ、私は梯子を降り始めた。
――レイカンから政治権力を完全に奪うには、最低限、彼女の身柄を確保する必要がある。
しかしティレ曰く、「正面から攻めたら、間違いなく逃げられる」とのこと。
なんでも、私の彫像や帝の屋敷がある山は、内部をくり貫いて作られた通路やら水路がたくさんあり、非常時のための抜け道も存在するのだとか。だから馬鹿正直に山の螺旋通路を登る形で攻め込んだら、そうした裏口から逃走される可能性が非常に高いのだ。
ゆえにティレが提案してきたのが、『逆にこちらが裏口を使って一気に帝の目の前まで行く』、という作戦だった。そうすれば帝に逃げる隙を与えないし、守護兵との無駄な戦いも避けられる。
私はその案に乗った。
ゆえに言われるがままに走り、彼女の隠れ家という民家に寄って防寒具を調達し、その後ダッシュで山の中へと入ったのである。
急いでいるのは、時間が経過すればレイカンは暗殺失敗の事実を知ってしまうからだ。猶予は一時間から二時間ほどらしく、それまでに皇城にたどり着けなければ、抵抗や逃走をする猶予を与えてしまう――とのこと。
……正直、ティレの言葉を鵜呑みにしすぎてしまっている感はある。彼女が私を欺いていた場合、どれほどのピンチに陥るのか想像もつかない。
ただ、少なくとも私の直感は彼女を信じろと言っている。悪意や敵意は一切感じないし、嘘の気配もないからだ。
ルミレイやセセナほど私を信望しておらず、隠していることも多少はあるようだが……当面は一緒に行動して大丈夫だろう。カラリとした私への態度が新鮮で面白い、というのもあるし。
梯子を折り始めて十分ほどが過ぎたあたりで、急激に寒さが増してきた。
「寒くなってきたな……」
「ここからもっと酷くなります。なので……一旦止まりましょう」
下を見ると、ティレは梯子に足を絡め、両手で首もとの紐を思いっきり引っ張っている。
「それで服の中が熱くなるんだっけ?」
「そうです。始祖様も、今の内に」
指示に従い、私も同じように襟元の紐をぐっと引いた。すると、首周りがポカポカと暖かくなっていき、その熱が徐々に下にも広がっていく。
カイロと同じ仕組みかはわからないが、似たような熱反応をする素材が服の下に入っているのだろう。
ティレの話によると、夜間に私を監視していたときも忍たちはこの服を着用していたらしい。熱を発する素材は高価なうえに使い捨てであるため、庶民では決して使えない高級品とのことだが。
寒さ対策を万全にし、私たちはさらに地下へと降りていく。
数え切れないほどの段を下り、ようやく梯子の底に辿り着いた。
時間にすれば二十分程度なんだろうが、延々と同じ動き、同じ視界が続いたため、すごく長く感じた。
地面に足がついたときは感動さえ覚えたが……かといって、はしゃげる状況ではない。急がなきゃいけないし、何よりめちゃくちゃ寒いのだ。
顔は目以外を布で覆っているのだが、吐く息が凍り付いて睫毛に霜がついている。
防寒具と熱素材のおかげで今は問題ないが、地上とは寒さの桁が違う。バナナで釘が打てるんじゃないか、っていうくらいに気温が低い。
ちょっと経験がないのでわからないが、マイナス二、三十度くらいは余裕で達しているのではなかろうか。
終点の部屋には、入り口と同じように電子ロックの扉があった。ティレは再びパスワードを打ち込み、扉は問題なく開く。
先行するティレに続き、私もドアをくぐる。そして目の前に広がった地下とは思えない空間に、息を呑んだ。
学校の体育館を四倍くらいにした広さの空洞が、手前から奥に向かって伸びている。
壁には様々なサイズのパイプが、空洞と併走する形で無数に張り付いており、最寄りのそれからは水が流れる音が聞こえてくる。
そして暗い。足元に誘導灯のような細い光る床があるだけで、それ以外の光源がないのだ。ゆえに空洞の奥は見えないし、細部もわからない。
ゴゥンゴゥン、という謎の駆動音が響いているし、大規模な機械装置が稼動している施設のようだが……。
「では、いきましょう」
周りをざっと見回し、ティレが走り出す。とりあえず私も続き、走りながら尋ねた。
「なんなの、ここ」
「大府や他の都市の上下水道と繋がっている、とは聞いたことがあります。あとはわかりません」
この街の上下水道は、山頂の像と同じく始祖によって作られたと、シャン先生から聞いてはいた。おかげで綺麗な水が飲めたし、トイレも清潔だったわけだが……ここまで大規模な設備が地下にあったとは。
そしてどうやら、同レベルの水道インフラは他の土地にも用意されているらしい。今後も町で水周りに苦しまなくて良さそうなのは、まあ朗報ではある。
しかし、水道のためだけにこんな大掛かりな空間を作るとは考えにくい。むしろ規模からすると、水道のほうがついでと考えるべきだろう。もしかすると……。
「なあ、確か低地ってのはすごい寒いんだよな? それってここと同じくらいか?」
「おそらくは」
「梯子で軽く千メートルは下りたから、今の標高は低地と同じくらいのはず。だから、低地に流入するのと同じような仕組みで、ここには冷気が流れ込んでいるのかもしれない。このでかい空洞は、そうした空気をなんらかの目的で調節するための設備なんじゃないか?」
「かもしれません」
ティレは真っ直ぐ前を向いたまま、そっけなく答える。
……しかし、本当に可愛げのないやつだ。
言葉数が少なすぎるところが、ルミレイと真逆すぎる。二人を足して二で割ったら、さぞ普通の人間ができあがることだろう。
まあ、私も昔はこのくらい無愛想だったが……。
すると、ティレは平坦な口調のまま逆に質問してきた。
「伝承では、ここを作ったのは始祖様だそうです。記憶が失われているとのことですが、思い出せないのですか?」
「あー、実はね、記憶喪失ってのは嘘なんだ。世界とかレイ族を創ったのは明美で、私はなんもしてないんだよ」
思い切って真実を告げると、ティレはさすがに驚いた目を向けてきた。
「邪神が……僕らを創った?」
「その邪神ってのも、アイツがお前たちの先祖に吹き込んだでたらめだと思う。なんで自分を悪者にしたのかは知らんが」
走りながらしばし唖然とし、こちらを見つめ、やがてティレは再び前を向いた。
「あなたの言葉が真実なら、世界の根底がひっくり返るわけですが……なぜ隠してるんです?」
「私をむやみやたらに信じてる人間が多いからだよ。そういう人間に本当のことを話したら、絶望しちゃうだろ? 現に、巫女がそうだった。だから、お前たちが信奉する始祖ってやつを演じてるわけ」
「僕に話したのはなぜですか?」
「始祖を信仰してないようだし、話しても動揺しないと思ったから」
「いや、けっこうしてます。動揺」
ティレの顔をじっくり眺めるが、そういうふうには見えない。
感情を消すという薬のせいか、あるいは単に素で感情を表に出さない性格なのか。見る限りではさっぱりわからない。
しばし無言のまま走り続け、そしてティレは長い息を吐いた。白いもやが後ろへと流れていく。
「正直、複雑な気分です。僕はこれまで、伝承や言い伝えをほとんど信じてませんでした。でも、それが間違っている事実を教えてくれたのが、よりによって一番伝説的な人物である始祖様だなんて。なにを信じればいいのか、わからなくなってくる」
「……私が始祖ってのは信じてるのか?」
「神授秤で百の評価を三つ叩き出した存在が、普通の人間なわけないでしょう。離れた場所に潜む僕らをたやすく見つけ出したり、戦いでは超人的な強さで圧倒したりと、ありえない能力も備えていますし。だから、僕らの知る始祖とは違えど、それに類する存在であるとは認識しています。少なくとも、レイ族の未来を任せるに足る人物だと」
「そうか。そういう判断があったから、ティレは私についたのか」
「そうです」
私はしばし考え、思い切って強い口調で言った。
「なら、これからは私を信じろ。伝説の中の始祖じゃなく、あやふやな現実でもなく、ここにいる目の前の私を信じろ。そうすれば、お前は迷わずにすむ」
「わかりました、じゃあそうします」
カッコつけて重要なことを言ったつもりだったが、さらりと適当な答えが返ってきた。
ルミレイだったら涙を流して土下座でもしそうなくらい、重たい提案だったはずだが……。
渾身のセリフが空振りに終わって地味にへこんでいる私に、心なしすっきりした口調でティレは言った。
「しかし、どうやら神話や伝承には偽りが多いようですね。あなたの口ぶりから察するに、始祖様は邪神明美と良好な関係を築いていたようですし」
「そうだな。友人と言っていいのか恋人と言っていいのかわからんが、ともかくそういう仲だった」
「言い伝えだと、始祖様は邪神を殺すために奔走し、そして最後に念願かなって邪神の命を奪ったとされています。どうやらそれも嘘のようですが」
緩んでいた気持ちが、一気に引き絞られた感じがした。
何時間も小説や漫画を読み続けて、それをやめて現実に帰ってきたときの感覚にも似ている。
「…………お前が今言ったことは、本当だ」
「え?」
珍しく歯切れの悪い返事をしたティレに、私は淡々と語った。
「私はずっと明美の命を狙ってた。で、とうとうヤツを殺せた。その部分に関しては、言い伝えとやらは間違っていない」
「……友人だか恋人ではなかったのですか?」
「私とアイツの関係は複雑でね。説明するのがクッソ難しいんだ。ともかく、最後の最後に殺したことには変わりない」
「……そうですか」
それで会話は途切れ、私たちは数分ほど無言で走り続ける。
距離的に山の真下へ近づいたあたりで、再びティレが口を開いた。
「始祖様、今後の話をしてもいいですか?」
「いいよ」
「そろそろ梯子に辿りついて、再びそれを登るわけですが、登った先には僕ら忍の宿舎兼訓練所があります。なので、高確率で大勢の忍と鉢合わせると思います」
「……マジで?」
私は少々戸惑った。いや、なんとかなるだろうが、わかってるならなんで今まで言わなかったのだろう。
「すいません、もっと早く伝えるべきでした。仲間と戦う決意をするのに手間取ったのが、これまで言えなかった理由です」
「嫌なら別に、戦わなくてもいいが……」
「そうはいきません。忍との戦いに手間取ったら、帝に逃げられるかもしれませんから。だから始祖様と一緒に戦います。たとえ、仲間を殺すことになっても」
ティレの口調はどこまでも無感情で、はきはきとしている。
態度や覗き見える目元にも変化はないし、言葉や外見からは感情の機微を伺えない。もしかすると、さっきの私の言葉が影響を与えたのかもしれないが、それもわからない。
今の私なら、探りを入れれば彼女の胸の内が勘でわかるかもだが……さすがにそれは野暮か。頼ってる仲間に、感情を読み取る力は無暗に使いたくない。
というわけで、私はティレの決意と献身を素直に受け取った。
ならば彼女を従える主として、それに報いる行動を起こすのみだ。
「ティレ、ひとつ聞きたいんだが、例の感情を殺す薬――忍は常備してるもんなのか?」
「いえ、希少品ですし、乱用すると感覚が鈍る副作用もあるので、よほどの任務でなければ使用しません。普段は頭領の私室に保管されてるので、持ち出すことすら不可能です」
「よし、なら私の対レイ族用の必殺技が使えるだろう」
「ひっさつわざ? まさか……顔を見せるのですか? 確かに、帝への忠誠心が低い相手なら、それだけで寝返りを促せるかもしれませんが……」
「その推測は正しいが、間違ってもいる。ま、期待しててくれ。たぶん、それでなんとかなる。お前は一人も仲間を殺す必要はない」
ティレがこちらに視線を向けた。お互い布で顔を包んでるから表情が見えないが、ともあれ私は笑ってみせる。
「大船に乗ったつもりでいろ。私を主に選んだことを、お前には絶対に後悔させない」
「……そう、ですか」
我ながら、ずいぶんキザったらしい言葉を吐くもんだ。
人間、なんでも言える立場になると本性が出るというが……私の場合、なぜか無駄に勇ましい言葉が出てきてしまう。ティレは少し引いてしまったんじゃないか。
まあ本心を吐露しただけだから、訂正や撤回をするつもりは一切ないが。
そこそこのスピードで走り続けているせいか、極寒の環境でありながらも少し暑くなってきた。
よし、このまま心身の熱を維持したまま進み続けよう。そして無愛想な娘のために、一肌脱いでやろうじゃないか。




