19歳・4
最悪の目覚めだった。
消毒液の匂いのする病院のベッドで目が覚めたのはまだいい。
左脇腹が痛くて体を捻れないのも、首が呼吸するだけで痛むのも、右耳が包帯グルグル巻きで音が聞こえにくいのも、まあ、いい。
ただ、ベッドの足元――体を起こした私の正面に明美もどきが立っていたのは、耐えがたい悪夢だった。
「おはよう、玲ちゃん」
化け物が私の名を呼ぶ。山で戦ったときと同じ、情動を感じさせない無機質な口調で。
首の痛みを我慢してさっと周囲を見渡すが、武器になりそうなものはない。体は全身ボロボロだし、戦って立ち向かうのは難しそうだ。
「武器にできそうなものでも探してるの? あなたの、その静かで激しい反骨精神、わりと好きよ」
「………………」
私は抵抗を諦め、視線を改めて明美もどきに向けた。
パッと見、私と違って怪我のひとつもない。服も着替えていて喪服姿でなく、ファッション雑誌から飛び出てきたような恰好をしている。つまり、いつも大学で見る明美と大差ないということだ。
……しかし、表情や雰囲気はまるで違う。
高飛車でチャラついたイケイケ女王様的態度が明美の常だったが、今は無表情のまま人形のごとく直立している。
私は目頭を押さえて考え込んだ。本当に、いったいこいつは何なのか?
もはや化け物である事実は揺るぎないが、では今までの明美はどこにいったのだろう? 食われでもしたのだろうか?
「っていうかさぁ。あんた、まだ理解してなくない?」
偉そうでイラついた口調に、私はハッとした。慌てて正面を見る。すると、目の前にいるのはいつもの明美だった。
「物分かりが悪いのも、大概にしろっての。ホントイライラすんだよ、そーいうの。あんたごときに説明するとかタルいからさぁ、いい加減察してくんない?」
紛うことなく、明美である。
腕を組み、顔を斜め上に傾け、あからさまに見下す視線を投げかけてくる、いつものムカつく明美そのものだった。
口をあんぐり開けて言葉が出ない私をよそに、明美(?)は不機嫌そうに続ける。
「はぁー……、まだわかんないとか、マジ無能。いい? 結局のとこ、私は私なわけ。別人とか、中身が入れ替わったとか、そんなアホくさいことは起きてないの。あんたがこれまで馬場明美として認識してきた人間は、相も変わらず私なの。クソウザいストーキングとか盗聴とかずっと許してやってきたのに、そんなのもわかってなかったとか……マジで頭悪いわ。哀れみを覚えるレベル」
開いた口がふさがらない。
明美は、疑いの余地もないほどに明美だった。
「そのバカ面。どんだけ笑いものになりたいの、あんた。いっそ芸人でも目指したら――」
ふう、と小さく息を吐き、急に明美は言葉を切った。途端に表情が消えて、化け物モードの明美に戻った。
「もういいかな。これでわかったでしょ? 今、あなたの目の前にいる私が、正真正銘の馬場明美だってことに」
ただただ呆気に取られつつ、私はなんとかひとつの推測を捻り出した。
「…………演技してたってことなのか? 今まで」
「演技とは少し違う。キャラを作ってた、と言ったほうが正しいかな。でも、大なり小なり皆してることよ。相手によって自分を良く見せたり、言いたいことを我慢したりなんて。私はその幅が、多少人より大きいっていうだけの話」
……どう考えても『多少』なんてレベルじゃない。別人格と説明されたほうがまだ納得できるほどだ。
ともあれ、学校では建前の態度を貫いてきたというのなら、私への執拗な敵対的態度について問いたださねばなるまい。
「……じゃあ、なんで今まで私に辛辣だった? それもキャラ作りだったのか?」
「それは……ふむ、なんと言ったらいいものか」
顎に手を当て、明美(?)は逡巡するような様子を見せる。私はさらに疑問を投げかける。
「お前は私を全否定してるんじゃなかったのか? だって、カツアゲから助けたときに言ってただろ。お前なんかに絶対感謝しない、するくらいなら死んだほうがマシだ、的なことを」
「言ったっけ? そんなの」
あまりに適当な口調で、シラを切っているのは明白だった。思わず眉根を寄せると、明美(?)は表情を変えずにカラカラと笑った。
「アハハ。うそうそ、覚えてるわよ。ただ、あのときはちょっとややこしい状況にあって、それを説明するのは難しいのよね。まあ、かいつまんで話せば……」
明美(?)は、まるで一時停止されたかのごとく、動きをピタリと止めた。胸がわずかに上下動してるから呼吸はしてるんだろうが、瞬きをせず、視線は空中に釘付けのままだ。本当になんなんだ、コイツ。
たっぷり十秒ほど止まったあと、明美(?)は急に口を開いた。
「実は宇宙人なの、私」
「…………ヘェッ?」
変な声出た。もはや思考が追いつかない。
「人類社会への適応が目的で、そのため人間に変身して学生やってたってわけ。でも、なぜかまったく懐柔できない人間が一人いた。それがあなた。だからいっそ、私に敵対するよう仕向けて、その脅威度を計ろうと――」
「ま、待て。ちょっと待て」
わけのわからん方向に話が進みかけ、私はストップを掛けざるを得なかった。
「ふざけんのも大概にしろよ。私は真面目に話を聞いてるんだ。そんなバカみたいな説明、信じるわけないだろ」
「本当に?」
明美(?)は小動物のように小首を傾げた。
「玲ちゃんだって、私を人間だと思ってないんじゃないの? 薄気味悪い化け物だって」
「……っ」
図星だっただけに、言葉を失った。確かにそのとおりだ。私は目の前にいる存在を人間だと思っていない。
しかし、だからといって、宇宙人云々の話をすんなり信じるわけもない。というか、こいつの口から出る言葉そのものが、そもそも疑わしいのだ。
私は気を取り直し、反論した。
「……そうだ、私はお前を化け物だと思ってる。そしてだからこそ、お前の説明が信じられない。存在も言葉も、なにもかもが胡散臭くて仕方ない」
「なるほど。存在自体が疑わしければ、そりゃあその言葉にも信憑性は生まれないわよね。……うーん、やっぱり玲ちゃん相手だと調子が狂うな。そんなことにも気づけないなんて」
明美(?)は小さく俯き、ため息を吐いた。何やらしょげているようだが、あれだって演技かもしれない。私は油断せず、鋭い視線を向け続ける。
「わかったわ、玲ちゃん。細かい点は置いておいて、本題に入りましょう。私ね、大学を出たらメキシコに行くの」
「……メ、メキシコ?」
また話題が変な方向へ飛んだが、ともあれ聞くしかない。
「旅行とか一時滞在じゃないわよ。数年間いるつもり。で、詳細は伏せるけど、マフィアの人たちと一緒に仕事をする予定なの。警察の治安維持の力が及ばない、無法地帯でね。つまり、私は裏社会の住人となって、非合法的な仕事に手を染めるってわけ。これがどういうことかわかる?」
さっぱりわからない。
黙って続きを促す私だったが、明美(?)は驚くべき言葉を後に続けた。
「今よりずっと、私を殺しやすくなるってことよ。法の守りを失うわけだから」
私は息を呑み、目を見開いた。
――そうだ。この化け物は、私が明美を殺そうとしている事実を知っているのだった。
「玲ちゃんが私を殺すことを考えてから、もう何年になる? 結構たつよね? でも、実際殺しに来たのは一回きり。それが私には寂しくてさ」
「……もっと殺しに来い、とでも言いたいのか?」
あてずっぽうの問いを投げかける。すると、明美(?)はにんまりと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「そういうこと。退屈極まりない私の人生で、あなたの混じり気のない殺意だけが、この胸を昂らせてくれたの。実際、今回の偽装事故死計画は楽しかったわ。あなたからすれば手玉に取られたように思うだろうけど、こちらとしてもけっこうギリギリだったのよ? 最初は車を犠牲にするつもりはなかったけど、ブレーキへの細工に気づいたのがギリギリで対処できなかったから、結局落とすことになっちゃったし」
……どうやら、私のすべてを把握していたわけではないらしい。
その告白は若干の救いを私にもたらした。『この化け物には何をやっても無駄』という絶望感が、私の奥底にはびこりつつあったからだ。
明美(?)は前髪を流麗な仕草で耳にかけ、言葉を続ける。
「だからね。犯罪行為が警察に検挙されにくい環境なら、もっと玲ちゃんも私を殺しやすくなると思ったの。だって、あなたが慎重に慎重を期したのは、逮捕されて人生をフイにしたくなかったからなんでしょ? でも法の網が緩い場所ならば、そこまでの臆病さはいらない。もっともっと、あなたは私を殺しにこれる」
「……マフィアとつるむのはなんでだ。私に殺されるスリルを味わいたいんだったら、そんな必要は……」
「だって、頑張る玲ちゃんを見るのも好きなんだもの。多少は苦戦してほしいし、さすがにノーガードだとさっくり殺されかねないじゃない? 互いにベストを尽くしてこそ、白熱した戦いが生まれる。それって素晴らしいことだと思うの」
ふざけたことをぬかすなと、私は心の底から思った。
殺しをスポーツかなにかと勘違いしてるんじゃないのか? そんなに殺し合いがしたいなら、それこそマフィアに自分ひとりで喧嘩を売ればいいだろうに。
明美が笑顔を向けているが、まったく目が笑ってない。嘘の塊のようなヤツだ。
――そしてこのとき、ふと私は気づいた。こいつ、本音を隠している。まるっきり嘘を言ってるわけでもないようだが、しかし核心には一切触れていない。
「……なんで耳を食べた?」
「え?」
自分の中に唐突に生まれた疑問を、私はそのままぶつけた。
「私の右の耳たぶだ。お前、それを噛み千切って食べてただろ。それも、恍惚な表情を浮かべて。なんでだ?」
「それは……」
言い淀むと、再び明美(?)は動きを止めた。が……気のせいか、さっきと違って妙な逡巡を感じる。
数秒置き、やや早口で明美(?)は答えた。
「悪いけど、それはノーコメントで。だって、あなたが知ってもしょうがないことだから」
……はぐらかしたい、あるいは言いづらい意図を感じる。となると、私の耳を食べた事実は、こいつにとって重要な意味を持つのだろうか?
ようやくこの化け物の輪郭を掴んだ感覚を得た私だったが、ヤツは強引に話を進める。
「さて、伝えたいことは伝えたわ。メキシコの件、考えておいてね。私は大学卒業と同時に行くと思うから」
「わ、私にもメキシコに来いと?」
「うん。だって、私を殺したいんでしょ? もちろん、諦めるならそんな必要ないけど」
そうだ。私にとっても、重要なのはそこだ。
明美を――こいつを、殺さなければならないという、ただ一点。
どんな話や事実に惑わされようとも、この殺意だけは、微塵も揺らぎがない。私は絶対に、この化け物を殺してみせる。
「……いいか、よく聞け。お前がどんな場所に行こうが、そんなことは私にはどうでもいい。外国でも宇宙でも勝手に行け。ただ、どこでなにをしてようと、最後は私が必ず殺す。お前というこの世の害悪を、絶対に滅ぼしてみせる」
「それは良かった。じゃ、スペイン語の勉強でもしておいてね」
覚悟を込めた宣言だったのだが、明美(?)はそれをサラリと流した。どうやら、ヤツにとってはどうでもよかったらしい。
「あと、事故にあって入院してること、ご家族には連絡してあるから。あなた、丸二日ほど寝てたのよ」
唐突に明かされた事実に、若干驚いた。二日間も寝てた? じゃあ、事故のほうは……。
「大丈夫、もろもろの事後処理は、あなたに都合の悪くないよう済ませてあるから。私の車は勝手にブレーキが利かなくなって、勝手に爆発して、なんとか私が脱出した後に崖下に落ちた――というのが、警察とかに伝えたシナリオ。で、あなたの方は、山を散策中に野犬に襲われて大怪我を負い、たまたま通りがかった人に病院に運ばれた、ってことにしておいたわ。もちろん、二つの事故は現場が近いというだけでなんの接点もないし、あなたは警察に一切疑われていない。ま、後で野犬について聞かれるだろうけど、そこは適当に答えておいてね」
……後で確認すればすぐわかるから、少なくともそれらについて嘘はないだろう。悔しいが、捕まることはないようで安心してしまった。
「もうひとつ。あなたを後ろから撮ってた動画だけど、もうとっくに削除したから。元より、こうして話し合うための材料として撮影したものだったし、もう必要ない」
「…………そうか」
私は敗北感を感じていた。
殺せず、返り討ちにあったばかりか、その相手に失敗のフォローまでされてしまうとは。心の底から自分が惨めで、情けない。
「じゃあ、話したいことはだいたい話せたし、私はそろそろお暇するわ。玲ちゃんは全治三週間らしいから、しばらく病院暮らしを頑張ってね」
お大事に、と言い残すと、明美(?)は病室を出て行った。
――――嵐が去った。
私は上半身の力を抜き、ボスンと頭を枕にうずめた。
なんだか、出来の悪い演劇でも見せられた気分だ。不自然で納得できない部分が多く、もやもや感が残って気持ち悪い。
そしてだからこそ、私は自分に言い聞かせなければならなかった。
あの化け物は明美だ。
これまで私が明美と思っていたものとはまるで別物だが、両者が同一なら納得のいく点も幾つかある。もはや認めるしかないし、そうするべきだろう。
そもそも、あれが本物だろうと、成り代わった偽物だろうと、殺すと決めたことに変わりはないのだ。
だからもう、私にとってはあの化け物が『明美』だ。それでいい。
問題は、アレが想像を絶するほどの強敵だという事実だ。
私の計画も、殺意も、ほとんどが筒抜けだった。私は明美を監視していたが、本当に監視されていたのは私の方だったのだ。おまけに自慢だった腕っぷしの強さでさえ、正面からねじ伏せられてしまった。
今の私は、すべてにおいて明美にかなわない。
ゆえに、覚悟を決めた。
これまでは人生を犠牲にしない範囲で明美殺害計画を進めてきたが、それを改める。すべて――とはいかないが、大学卒業後の数年、十数年の人生を明美殺しに捧げよう。
そうでもしなければ、あの化け物には勝てる気がしない。
それでもダメなら、人生すべてどころか、命を懸ける必要があるかもしれないが……まあ、そんな限界まで追い込まれないことを祈ろう。
しばらくすると医者がきて、色々な説明をしてくれた。
私の負傷についてはほとんどが明美が話したとおりだったが、別のことで驚いた。なんとこの病院、明美が所有しているに等しいものらしい。だから、彼らは私が野犬じゃなく人間にやられた事実も知ってるし、余計なことを警察などに話さないよう口止めもされてるのだとか。
病院の場所が例の事故現場からひとつ県をまたいだところにあったのも、それなら頷ける話だ。明美は都合の悪い事実を隠蔽できるよう、気絶した私を自身の管理下にあるこの病院へと連れてきたのである。
そこまで知って別の病院へ移りたくなったが、寝てる間に私の家族が面会に来たらしく、母さんなんかはずっと看病をしてくれてたらしい。今はたまたま外に出てるが、もうすぐ戻ってくるとのこと。無論、母さんらに真実は伝えておらず、私がこの病院に移送されたのは『設備が整ってるから』と説明したようだ。
……となると、しばらくこの病院で療養し続けるしかあるまい。移りたい理由なんて、母さんたちに話せるわけもないし。
その後すぐ、私物も返してもらった。母さんらに見つかったらまずいモノもあったので、病院側の方で保管しておいたらしい。服や合羽、スマホにかばんなど、全部ご丁寧に洗浄、洗濯されており、雨や泥の汚れは一切ない。
とりあえず所持品一式をベッドの下に隠し、スマホでざっくり情報収集をした。
そちらも概ね、明美が説明したとおりだった。明美の自動車事故の件について小さな記事が幾つか見つかって、私に関しての報道は皆無だった。
「…………はぁ」
私は小さくため息を吐いた。すべて、明美の手の平の上というわけだ。
だがすぐに気を取り直し、メキシコについて検索をする。
――意気消沈しているわけにはいかない。明美が想像を遥かに超える強敵であるという事実は、私の殺意に小さな、しかし確かな熱を与えたのだ。
やってやろうじゃないか。今度こそ、絶対に明美をぶっ殺す。
小さな病室に、私のスマホのタップ音が響き続けた。




